大國家の祖先は、資料によると大森新四郎道明という人で、備中辛川城の城主の弟だと伝えられています。道明が戦国末期に和気に移り、農業を始めたそうです。もともと「大森」という姓だったのですが、幕末頃7代当主の時代に「大國」へと改めたようです。
建物の平面模型も展示されてました。もともとは、右側の部分だけの建物であったのが、事業を始め大いに栄えてくるとともに家も大きくなり左側の蔵座敷を増築して行ったようです。

酒造業を始め、運送業や貸金業等幅広く事業を拡大し、また橋を架けたり等の社会事業を行える程の財力をもっていったようです。江戸末期には大庄屋格を努めていたそうです。そういったなかで蔵座敷『御成りの間』はマツ(糸柾)、桧、ケヤキなど高級な木材を使って構成していました。

この床框の部分は、フナムシの巣だそうです(^^;;

『御成りの間』の南側には、茶室が隣接されています。

その南側の座敷です。

というふうに、この住宅で一番格式の高い部屋である『御成りの間』は、北側に位置していて、庭も高い塀に囲まれた小さなものです。古文書や板図には、当時の当主が家相にはかなりこだわっていたということが記載されているそうです。また、貸金業を営んでいた関係上、周囲から隔絶された空間も構成する必要もあったのかもしれませんね。
◆『旧大國家』詳細データ
所在地:岡山県和気郡和気町尺所38番地
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建物の平面模型も展示されてました。もともとは、右側の部分だけの建物であったのが、事業を始め大いに栄えてくるとともに家も大きくなり左側の蔵座敷を増築して行ったようです。

酒造業を始め、運送業や貸金業等幅広く事業を拡大し、また橋を架けたり等の社会事業を行える程の財力をもっていったようです。江戸末期には大庄屋格を努めていたそうです。そういったなかで蔵座敷『御成りの間』はマツ(糸柾)、桧、ケヤキなど高級な木材を使って構成していました。

この床框の部分は、フナムシの巣だそうです(^^;;

『御成りの間』の南側には、茶室が隣接されています。

その南側の座敷です。

というふうに、この住宅で一番格式の高い部屋である『御成りの間』は、北側に位置していて、庭も高い塀に囲まれた小さなものです。古文書や板図には、当時の当主が家相にはかなりこだわっていたということが記載されているそうです。また、貸金業を営んでいた関係上、周囲から隔絶された空間も構成する必要もあったのかもしれませんね。
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