JR肥薩線大隅横川駅駅舎 2024年10月29日 22時35分23秒 | 建物 鹿児島県霧島市の『JR肥薩線大隅横川駅駅舎』です。国登録の有形文化財で現役で使用されている駅舎です。明治36年(1903)に建てられ、木造平屋建で桁行18m、梁間8m規模の建物です。訪問当日は雨でしたが、雨の中の建物も趣があって雰囲気がありました。 JR肥薩線大隅横川駅駅舎 所在地:鹿児島県霧島市横川町中ノ39-1
山形屋 2024年10月25日 00時21分53秒 | 建物 鹿児島市金生町に建つ『山形屋』です。山形屋の創業者である源衛門は、山形県庄内地方で生まれ、ベニバナ取引から商いの道に入ったそうです。その後、呉服の商いも加え、北前船で上方との行商も行いようになりました。そんな中、薩摩藩主・島津重豪が、商業振興のため日本各地から商人を招き入れてることを知り、一家を挙げて薩摩へ移住し、金生町にて呉服商である山形屋を創業しました。現在見えている建物は、昭和7年(1932)に建てられたもので、地下1階地上7階になります。その存在感は際立っていて、まちのビューポイントとなっています。 山形屋 所在地:鹿児島県鹿児島市金生町3-1
霧島神宮 2024年10月23日 22時33分43秒 | 建物 鹿児島県霧島市霧島田口に鎮座する霧島神宮は、天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊を主祭神とする神社です。延喜式内社の論社で、旧社格は官幣大社になります。欽明天皇の時代に創建されたと伝えられています。高千穂峰が天孫降臨の伝承地とされている事から、現在は日向三代にまつわる神々が祀られているが、元々は高千穂峰そのものを信仰の対象とする山岳信仰から始まった神社ではないかと考えられています。現在の社殿は、正徳5年(1715)に島津吉貴により再建した物になります。本殿・幣殿・拝殿は一棟となっており、鹿児島県唯一の国宝建築でもあります。手前に登廊下・勅使殿が建っています。こちらは重要文化財に指定されています。一般参拝者は、勅使殿からの参拝となります。 正面手前が勅使殿、背後に見える屋根が本殿・幣殿・拝殿 左より勅使殿、登廊下屋根、本殿・幣殿・拝殿 本殿・幣殿・拝殿
霧島アートの森 2024年10月23日 07時21分33秒 | 建物 霧島連山の北、栗野岳の標高700mくらいに位置する『霧島アートの森』に行ってみました。霧島の自然の中にアート作品を展示している野外美術館になります。作品は草間彌生さんをはじめ国内外の作家たちの作品が点在しています。美術館の入口も兼ねている『アートホール』は、早川邦彦建築研究室・早川邦彦氏による設計です。下の写真は野外展示スペースから撮影したもので、アルミに覆われた直方体の外観は、1つのアート作品のような存在感があります。浮遊感のあるデザインは近未来の宇宙船を想像してしまいました。 霧島アートの森 所在地:鹿児島県姶良郡湧水町木場6340−220
四国学院大学2号館 2024年07月07日 23時46分46秒 | 建物 善通寺市文京町に位置する四国学院大学内の2号館は、旧陸軍第11師団の兵舎だった建物を使用しています。木造2階建てで、桁行58.5m、梁行15mの規模で、屋根は寄棟造の桟瓦葺となっています。国の有形文化財に登録されています。
旧善通寺偕行社 2024年06月14日 23時13分35秒 | 建物 善通寺市役所の横に建っている『旧善通寺偕行社』です。「偕行社」とは、明治10年(1877)に創立された陸軍将校の親睦及び学術研究を目的とする団体のことです。善通寺偕行社は、第十一師団の将校たちによって建てられたものです。現存するものは、旭川、弘前、金沢、舞鶴、岡山、善通寺の6か所になります。当ブログでも何回か登場していますが、いつもは正面の北側の姿をアップしていましたが、今回は南側の姿です。整然と並ぶ窓が印象的です。
金刀比羅宮南渡殿 2024年05月22日 23時49分22秒 | 建物 今回重要文化財へと答申された金刀比羅宮の社殿12棟のうちのひとつ『南渡殿』です。別宮と本宮を繋ぐ渡り廊下なのですが、下をくぐることが出来る高床式でとにかく長い。見ごたえのある建築物です。参拝された際に是非見学してみてください。
金刀比羅宮本宮 2024年05月18日 23時19分09秒 | 建物 昨日、香川県金刀比羅宮の社殿が重要文化財に指定するよう、文部科学相に答申されました。指定対象は12棟で、本宮と別宮は、拝殿・中殿・本殿の複合建築になります。多くの建物は明治期のものになります。階段が756段あって、登るのは結構大変ですが、是非、金刀比羅宮本殿まで足を運んで、社殿をじっくりと見学してみてください。
今治城 2024年04月27日 23時34分59秒 | 建物 復元天守ではありますが、今治城天守です。城跡は国の史跡に指定されています。慶長7年(1602)に藤堂高虎により築城開始され2年後の慶長9年に完成しています。寛永12年(1635)に伊勢国長島城より松平(久松)定房が入城し、明治維新まで今治藩・久松松平氏の居城となっていました。石垣と内堀は江戸期の姿を今も残している遺構になります。ちなみに現在の天守は、昭和55年(1980)に鉄筋コンクリートで再建されています。
高松オルネ 2024年04月25日 23時10分05秒 | 建物 先日JR高松駅方面に行く用事があったので、ついでに『高松オルネ』をカメラに納めてみました。想像してたものより小ぶりな感じでした。内部はさらっとしか見れなかったので、時間があるときにじっくりと探検してみようかな。
大垣城の模型 2024年04月23日 22時56分01秒 | 建物 大垣城が建つ大垣公園の西側の道向かいに「大垣市郷土館」が建っていて、大垣城見学のあと立ち寄ってみました。館内に立派な大垣城の模型が展示されていました。思ったのは、大垣城って結構攻略には時間のかかる防御のしっかりした城だったんだと感じました。関ケ原の時に家康が、大垣城にはかまわず西進したのは当然だなって思いました。今は堀が埋め立てられていて、まったく往時の雰囲気を感じることが出来なくなってるのは残念だな~って思ったりもしました。
大垣城 2024年04月22日 23時33分16秒 | 建物 大垣城天守は、昭和34年(1959)に建てられた復元天守です。江戸期の天守は明治維新後も破却されず残されていましたが、大垣空襲により焼失しています。 大垣城は、戦後期の頃は、戦略上重要な拠点であったことから、争奪戦が繰り返され、織田氏、斎藤氏、織田氏と支配権が移り変わっています。関ケ原の戦いの際にも、西軍の拠点として機能していたようです。江戸期になり、寛永12年(1635)に戸田氏鉄が城主になってから、明治に至るまで大垣藩戸田家の居城となっていました。
井上家住宅 2024年01月09日 23時32分32秒 | 建物 倉敷美観地区内に建つ「井上家住宅」です。重要文化財に指定されています。本町通に面して建っています。2階建ての町屋で、2階部分には7つの窓が設けられていますが、すべて土扉が付けられています。
日野まちかど感応館(旧正野玄三薬店) 2023年12月18日 23時09分47秒 | 建物 江戸時代に、日野の発展に大きく寄与していたのが、日野商人が売りさばいていた合薬です。その創始者が正野法眼玄三です。医師となった玄三が医薬に恵まれない山間辺地の人や日野商人の長旅の道中薬として感応丸を作りました。この合薬を日野商人が全国に持ち歩くうちに効き目が評判となり、地元日野でも薬を製造する人も増え、地場産業として根付いていきました。「万病感応丸」の大きな看板が掲げられたつし2階切妻屋根平入の旧正野玄三薬店は、日野まちかど感応館として日野の観光案内の拠点・休憩スポットと活用されています。