おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

最上稲荷の奥の院 龍王山一乗寺

2023年01月31日 23時38分21秒 | 寺院
最上稲荷に参拝した際に、奥の院の案内看板が目に入り、軽い気持ちで登り始めたら思いのほか遠くて、小一時間ほどかかって到着しました。題目を彫り込んだ巨大な石碑が建ち並ぶ異様な雰囲気を感じさせる境内でした。結構きつかったけど訪問してよかったなって思いました。途中、パワースポット的場所があったりして、なかなか楽しめる参拝道でした。


法隆寺中門金剛力士像

2022年08月20日 23時45分35秒 | 寺院
法隆寺西院伽藍中門の金剛力士像は和銅4年(711)に造られた塑像です。高さは阿形3.79m、吽形3.78mです。重要文化財に指定されています。吽形の方は、室町期に体躯の大部分が木造に補修されています。




法隆寺

2022年08月17日 23時41分08秒 | 寺院
法隆寺は、奈良県生駒郡斑鳩町に位置します。斑鳩は生駒山地の南端に位置し、大和川で河内国とつながる交通の要衝でもありました。国宝・重要文化財の建造物が多数あり文化財の宝庫でもあります。また、平成5年(1993)に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)の構成遺産でもあります。
「日本書紀」に聖徳太子(厩戸皇子)が推古9年(601)この地に斑鳩宮の建造に着手し、推古15年(605)に移り住んだとの記載があります。現在の東院付近が斑鳩宮の所在地だと考えられています。この斑鳩宮に接して建立されたのが斑鳩寺、現在の法隆寺です。天智天皇9年(670)に法隆寺が全焼し、現存する法隆寺はその後に再建されたものになります。法隆寺資財帳に持統7年(693)に法隆寺で仁王会が行われたとの記載があることから、少なくとも伽藍の中心であった金堂は完成していたのではないかと考えられています。また資財帳に和銅4年(711)に五重塔初層安置の塑像群や中門安置の金剛力士像が完成との記載があり、この頃までには五重塔、中門を含む西院伽藍全体が完成していたと考えられています。
下の写真は、西院伽藍を南から見た姿で、写真中央が中門、その左後方に五重塔、右後方に金堂の屋根が少しだけ見えています。


志度寺の曲水式庭園

2022年06月27日 22時47分29秒 | 寺院
さぬき市志度に位置する志度寺に室町期に讃岐を支配していた細川氏が寄進した曲水式庭園を、昭和36年(1961)に重森三玲によって復元された中世の庭園です。現在はかなり荒れていて、少し残念な状態ではありますが、石組みなど往時を感じさせるものがあります。




天龍寺の紫陽花

2022年06月24日 23時34分25秒 | 寺院
京都市右京区に位置する天龍寺の紫陽花です。天龍寺は足利将軍家と後醍醐天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされてきました。創建当初からある「曹源池庭園」は、国の史跡・特別名勝に指定された名庭園で見ごたえ抜群ではあるのですが、紫陽花は庭園内にある「百花苑」で楽しむことが出来ます。







祇王寺

2020年07月07日 22時13分19秒 | 寺院
 京都市右京区の『祇王寺』は、真言宗大覚寺派の寺院です。創建は、法然の弟子である念仏房良鎮であると伝えられています。寺号は、平清盛の寵愛を受け、のちに捨てられて出家した白拍子の祇王に由来しています。平家物語や源平盛衰記に、若い仏御前にその座を奪われ、清盛の邸を追われた祇王(21歳)が、妹の祇女(19歳)、母の刀自(45歳)と共に尼となったのが嵯峨の奥、往生院の庵であったと記されています。中世以降衰退を辿った往生院は明治に入って廃寺となり荒れ果てましたが、明治28年(1895年)に北垣国道(第3代京都府知事)が寄進した茶室を本堂とし、大覚寺の管理の下、古典故事の旧跡として再興を遂げました。本堂内には本尊の大日如来のほか平清盛と四尼僧の木像が安置され、境内には清盛の供養塔と祇王姉妹らを合葬した宝篋印塔が建立されています。
 そういった、歴史を持つ寺院ですが、苔の庭と秋の散り紅葉が有名で、それを目当てに多くの参拝者が訪れています。紅葉の庭は、まだ目にしていませんが、苔の庭は堪能させていただきました。


 庭自体はこじんまりとした庭ですが、ふかふかに育てられた苔は、とても見事で、美しい庭でした。しばし見とれてしまいました。