おさかな’sぶろぐ

日々感じたことを徒然なるままに。。。

丸墓山古墳【埼玉県行田市】

2020年08月08日 23時31分57秒 | 史跡
 映画{のぼうの城」の舞台となっているのが、忍城の攻防戦です。秀吉が小田原の北条攻めの折り、石田三成を総大将とする軍勢が、忍城を囲んだのですが、その際、本陣となったのが『丸墓山古墳』です。国の史跡にも指定されています。



 そんなに大きな古墳ではないですが、古墳の上から、忍城はこんなふうに見えます。写真中央部分に小さく見えてるのが再建天守です。もっとも、当時は天守閣などなかったと思いますが。。。


 下の写真は、水攻めの際築造された石田堤から見た「丸墓山古墳」です。


 ちなみに日本遺産「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」の構成遺産の一つでもあります。
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尾去沢鉱山【秋田県鹿角市】

2020年07月14日 23時01分07秒 | 史跡
 秋田県鹿角市の廃鉱山『尾去沢鉱山』は、銅や金が採掘された鉱山でした。銅山として発見されたのは和銅元年(708年)だと伝えられています。採掘された銅や金は、東大寺の大仏や中尊寺で使われたとの伝説が残っています。江戸期に入ると金が枯渇し、新たに銅鉱脈が発見され、別子銅山、阿仁銅山とならび、日本の主力銅山の一つとなりました。明治に入ると、三菱合資会社の経営となり、日本の近代化を支え、太平洋戦争後は、戦後復興の礎となっていましたが、銅鉱石の枯渇による不採算性が高くなり、昭和53年(1978年)に閉山しました。
 現在、跡地はテーマパーク・史跡 尾去沢鉱山として開業しています。坑道の方は見学することが出来ますが、鉱山施設の遺構は、立ち入ることが出来ません。選鉱場、シックナー(濁水から固体を凝集沈殿させる非濾過型の分離装置)、大煙突等が残され廃墟となっていますが、それがとても雰囲気があって存在感があります。ミラーレスカメラのズームレンズで撮影してみました。雲が下りてきていてなかなかいい感じです。




 鉱山施設の遺構は国の史跡に指定されていて、土木学会選奨土木遺産や、近代化産業遺産に認定されています。

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東有年・沖田遺跡公園【兵庫県赤穂市】

2019年04月01日 23時20分42秒 | 史跡
 兵庫県赤穂市東有年の『東有年・沖田遺跡公園』です。ここは、縄文時代後期(約3500年前)から室町時代(約600年前)にかけての遺構や遺物が多く発見された場所で、特に弥生時代後期の大型竪穴住居や古墳時代後期(約1400~1450年前)の竪穴住居が密集して見つかったことが特筆される史跡です。平成4年に兵庫県指定の史跡に指定されています。


 遺跡公園は道を挟んで北側が古墳時代のムラが復元されています。






 南側が弥生時代のムラとなっています。建物自体の形は似ていますが、建物形状が円形で入口が平入りなのが弥生時代で、建物形状が長方形で入口が妻入りになってたのが古墳時代のものでした。何故なのかは、詳しく調べてないので不明ですけど。





 公園内には何本かサクラが植えられていました。満開ではなかったですが、綺麗に咲いていました。復元されてる古代の建物といい按配でかぶってくれて楽しめました。



 赤穂市は、赤穂浪士で有名な地ですが、有年エリアは古代の遺跡が数多く残っているようです。次は別の遺跡にも立ち寄ってみようと思います。
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有岡古墳群【香川県善通寺市】

2016年11月13日 22時16分28秒 | 史跡
 善通寺市中心部の南、大麻山の裾野部分には多くの古墳が点在してて、有岡古墳群として国の史跡に指定されています。昨日その中の二つの古墳を見学してきました。
 宮が尾古墳で、古墳時代後期[6世紀後半]に造られた円墳です。



 両袖式の横穴式石室をもってて、玄室部は奥行4.5m、幅・高さ2m、羨道部は長さ約4.5m、幅約1.2m、高さ約1.7mとなっています。


 王墓山古墳で、全長約46mの前方後円墳です。後円部径約28m、前方部幅約28m、高さ約5m、2段築成となっています。



 両袖型の横穴式石室で、全長約7.5m、玄室部長さ約3m、幅約1.8mとなっています。



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法円坂建物群【大阪府大阪市中央区】

2016年03月17日 22時47分49秒 | 史跡
 大坂歴史博物館の南にある広場に建っている、高床式建物です。


【法円坂建物群|2016年3月7日|Canon EOS 50D】

 『法円坂建物群』と解説板に記載してありました。5世紀後半頃の建物群が発掘調査によって現れました。16棟以上の建物が整然と並んでいて、一棟あたり桁行10m、梁行9mで、当時の建物としてはかなり巨大なものです。


【法円坂建物群|2016年3月7日|Canon EOS 50D】


【法円坂建物群|2016年3月7日|Canon EOS 50D】

 当時の為政者の権力を想像できる復元建物だと感じました。お近くに行った際には見学してみてはどうでしょうか~。
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難波宮跡【大阪府大阪市中央区】

2016年03月11日 22時17分33秒 | 史跡
 大阪城の南に位置する『難波宮跡』に行ってみました。難波宮は645年におこった「大化の改新(乙巳の変)」後に、孝徳天皇が難波に遷都したのが始まりです。孝徳天皇と言っても、中心人物は中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足だと思いますけども。


【難波宮跡|2016年3月7日|Canon EOS 50D】

 大化の改新当時の都は飛鳥だったのですが、改新で曽我氏から実権を奪った中大兄皇子一派は、大陸への玄関口であった難波に遷都を行ったようです。交易による経済の掌握や大陸への進出を考えると、難波は最適の場所でもあったのだと思います。外向きの政治を行っていた豊臣秀吉の大阪城もこの地であったし、織田信長も本能寺で倒れなければ、この地に城を築く計画であったようです。


【難波宮跡|2016年3月7日|Canon EOS 50D】

 そんなことを思いながら散策してみました。現在は史跡公園となっていて、昭和39年5月2日[1964]に国の史跡に指定されています。


【難波宮跡|2016年3月7日|Canon EOS 50D】
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