瀬戸内海は穏やかな内海なので、夕日がとても映える海でもあります。下の写真は、香川県観音寺市の豊浜SAから見た夕日です。夕日が楽しめるSAは数少ないので、豊浜SAを利用する際には夕刻を狙って是非立ち寄ってみてくださいね。ちなみに上り線のほうです。
かなり遠いけど、北海道白老町にある『ウポポイ』に行ってみたいな~って思ってます。ウポポイは「民族共生象徴空間」の愛称で、国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園、慰霊施設などで構成されていて、アイヌ文化の復興・発展のための拠点となるナショナルセンターです。
今年は、コロナもあるから、訪問することが出来ないけど、来年以降、チャンスがあれば足を運んでみたいです(^^)v
今年は、コロナもあるから、訪問することが出来ないけど、来年以降、チャンスがあれば足を運んでみたいです(^^)v
NHK連続テレビ小説「エール」の主題歌『星影のエール』をドラマ出演者が歌い継ぐ動画が、NHK MUSICにありました。
これなかなか良いですよ。馬具職人岩城を演じてる吉原光夫さんや川俣銀行の事務員菊池さんを演じる堀内敬子さんは、もと劇団四季の劇団員だったのですね。こうして改めて見ると、音楽に関係ある人たちが多く出演されてたのですね。作曲家の木枯を演じてた野田洋次郎が参加してなかったのはちょっと残念。
「エール」早くリスタートしてほしいですね。。。
これなかなか良いですよ。馬具職人岩城を演じてる吉原光夫さんや川俣銀行の事務員菊池さんを演じる堀内敬子さんは、もと劇団四季の劇団員だったのですね。こうして改めて見ると、音楽に関係ある人たちが多く出演されてたのですね。作曲家の木枯を演じてた野田洋次郎が参加してなかったのはちょっと残念。
「エール」早くリスタートしてほしいですね。。。
お台場といえば、フジテレビ社屋などが建ち並ぶ臨海副都心地区を思い浮かべる方が多いと思いますが、実は江戸末期にまで歴史をさかのぼることが出来ます。嘉永6年(1853)にペリー艦隊が来航し幕府に開港を要求した時点に、歴史をさかのぼることが出来ます。このペリー艦隊に脅威を感じた江戸幕府が、伊豆韮山代官の江川英龍に、品川沖へ11基ないし12基洋式の海上砲台を建設することを命じたのが始まりです。約8カ月の工期で、ペリーの2度目の来航までに砲台の一部を完成させました。正式には「品川砲台」と呼ばれましたが、幕府に敬意を払って『御台場』よ呼ばれるようになったのだそうです。
上の写真は、台場公園として開放されている第三台場です。ほかに埠頭とつながってない第六台場が現存しています。第六台場、現在立ち入り禁止となっているようです。
上の写真は、台場公園として開放されている第三台場です。ほかに埠頭とつながってない第六台場が現存しています。第六台場、現在立ち入り禁止となっているようです。
日本人は敗者にやさしい国民性があって、勝者側より敗者側の方が、印象的なエピソードが沢山あります。「如意の渡し」は、小矢部川河口横断するために運航されていた渡船です。六渡寺渡、鹿子の渡り、籠渡、如意の渡し、高岡市営渡船など、時代時代で様々な呼称で呼ばれていました。この中で、「如意の渡し」には源義経にまつわる伝説が残っています。
源義経が奥州へと落ちのびる際、如意の渡しに乗船しようとしたとき、渡守の平権守に義経一行であることを疑われますが、武蔵坊弁慶の扇で義経を打ちすえるという機転で無事に乗船できたという逸話が残っています。真偽のほどはわかりませんけども。。。
源義経が奥州へと落ちのびる際、如意の渡しに乗船しようとしたとき、渡守の平権守に義経一行であることを疑われますが、武蔵坊弁慶の扇で義経を打ちすえるという機転で無事に乗船できたという逸話が残っています。真偽のほどはわかりませんけども。。。
山口県萩市の松陰神社の境内にある『松下村塾』です。木造瓦葺き平屋建ての小さな建物ですが、吉田松陰が長州藩士を指導していた当時の塾舎です。
建物は国の史跡に指定されています。また世界遺産の『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の構成遺産の一つに加えられています。
松陰が指導した期間は1年余りの短い期間でしたが、その影響力が明治維新の原動力の一つになっていました。「松下村塾の四天王」として称されるのは、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一です。また、幕末を生き延び、明治政府で活躍した人たちとして、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、松本鼎、岡部富太郎、正木退蔵らがあげられます。そうそうたるメンバーです。
建物は国の史跡に指定されています。また世界遺産の『明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業』の構成遺産の一つに加えられています。
松陰が指導した期間は1年余りの短い期間でしたが、その影響力が明治維新の原動力の一つになっていました。「松下村塾の四天王」として称されるのは、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一です。また、幕末を生き延び、明治政府で活躍した人たちとして、伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、松本鼎、岡部富太郎、正木退蔵らがあげられます。そうそうたるメンバーです。
禅林寺は、京都市左京区にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院です。通称の「永観堂」のほうが、なじみがあるかもしれません。紅葉の名所として知られていて「秋はもみじの永観堂」と呼ばれています。
でも、初夏の睡蓮の頃もなかなか綺麗な景色を堪能することができるのです。下の写真は、今年のものではありませんが、なかなかいい感じで写真が撮れました。
国指定の文化財建造物はありませんが、京都府指定の有形文化財が6棟ほどあります。内訳は、阿弥陀堂・方丈・勅使門・鐘楼・御廟・中門となっています。
でも、初夏の睡蓮の頃もなかなか綺麗な景色を堪能することができるのです。下の写真は、今年のものではありませんが、なかなかいい感じで写真が撮れました。
国指定の文化財建造物はありませんが、京都府指定の有形文化財が6棟ほどあります。内訳は、阿弥陀堂・方丈・勅使門・鐘楼・御廟・中門となっています。
香川県唯一の伝建地区『笠島』は、丸亀市沖に浮かぶ本島の中にある集落です。中世に塩飽水軍の本拠である笠島城の成立とともに形成された城下町をベースに、江戸初期は廻船業、以降は漁村・港町として発展した街です。
近代においては離島ということもあって、高度経済成長からは取り残された町となったことで、歴史的建造物が建ち並ぶ街並みが今も残っています。現在は、住人の高齢化が進み、維持管理が厳しい状況となっているようです。見どころたっぷりの町並みなので、是非足を運んでもらいたい場所の一つです。
近代においては離島ということもあって、高度経済成長からは取り残された町となったことで、歴史的建造物が建ち並ぶ街並みが今も残っています。現在は、住人の高齢化が進み、維持管理が厳しい状況となっているようです。見どころたっぷりの町並みなので、是非足を運んでもらいたい場所の一つです。
山形県寒河江市の「寒河江市郷土館」です。明治11年(1878)に「西村山郡役所」として建てられたものです。対象15年(1926)には郡役所としての役目は廃止され、その後は寒河江町役場などにも使われていました。昭和53年(1978)に山形県有形文化財に指定されています。現存する洋風建築としては、山形県内で最も古いものです。
最近、何気に好きな番組「京都 山里の宿」。京都・花脊の山里の宿の物語なのですが、春・夏・秋・冬の4本で構成されています。再放送が繰り返されているので、放映してれば、チャンネル合わせてます。
それぞれの季節のおもてなしがあって、行ってみたいな~って思いながら視聴してます。今日は冬の物語でした。
それぞれの季節のおもてなしがあって、行ってみたいな~って思いながら視聴してます。今日は冬の物語でした。
奈良公園内に建っている奈良国立博物館の「なら仏像館」です。飛鳥時代から鎌倉時代にいたる日本の仏像を中心に、国宝・重要文化財を含む常時100体近くの仏像を展示しています。この建物は、もともと明治27年(1894)に完成した「帝国奈良博物館本館」です。設計は、宮内省内匠寮技師であった片山東熊(かたやまとうくま)です。奈良で最初に建てられた本格的洋風建築です。
昭和44年(1969)に重要文化財に指定されています。
昭和44年(1969)に重要文化財に指定されています。
今日は一日バタバタしてて、やっと落ち着きました。ほまれにちょっかい出してたら、なんか鬱陶しいな~って目で訴えてきました(^^;;
スマン!
久し振りに、夜になっても暑いです。。。ここ最近涼しかったのですけどね~
スマン!
久し振りに、夜になっても暑いです。。。ここ最近涼しかったのですけどね~
白神山地の十二湖のひとつ『沸壺の池(わきつぼのいけ)』です。水面の青さは青池に引けをとらない湖です。青池より大きくてビュースポットも青池より多いので、見学するにはこちらの方が楽かもしれません。神秘さは「青池」の方がありますけども。
池から、階段を下った先には「沸壺池の清水」の源泉があって、その水を使った抹茶が「十二湖庵」でいただくことが出来ます。当日は混んでたので、お店には入らなかったのですが、今思えばちょっと残念なことをしたなって思ってます。
池から、階段を下った先には「沸壺池の清水」の源泉があって、その水を使った抹茶が「十二湖庵」でいただくことが出来ます。当日は混んでたので、お店には入らなかったのですが、今思えばちょっと残念なことをしたなって思ってます。
兵庫県赤穂市の東部に位置する坂越(さこし)は、歴史的町並みが今も残る港町です。江戸時代においては北前船の西回り(瀬戸内)航路の主要な寄港地として栄えていました。「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間―北前船寄港地・船主集落」として日本遺産にも認定されています。
渡来人であった秦河勝を始め、南朝(南北朝時代)の忠臣であった児島高徳など、多くの偉人伝説が残っています。菅原道真が太宰府に向かう際に立ち寄ったとされ、大泊や洞龍など由来の地名が多く残っています。
渡来人であった秦河勝を始め、南朝(南北朝時代)の忠臣であった児島高徳など、多くの偉人伝説が残っています。菅原道真が太宰府に向かう際に立ち寄ったとされ、大泊や洞龍など由来の地名が多く残っています。
砂浜海岸でよく見かける朝顔みたいな花。何だろうって検索してみたら『浜昼顔(ハマヒルガオ)』でした。そのまんまの名前でした。ヒルガオ科ヒルガオ属の多年草、典型的な海浜植物です。
日本では北海道から南西諸島まで分布し、そのほかアジア、ヨーロッパ、太平洋諸島オーストラリア、アメリカ太平洋岸にまで分布しているそうです。綺麗な花ですね(^^)v
日本では北海道から南西諸島まで分布し、そのほかアジア、ヨーロッパ、太平洋諸島オーストラリア、アメリカ太平洋岸にまで分布しているそうです。綺麗な花ですね(^^)v