※おさかなの旅・アーカイブ(2004年10月24日)
天然記念物に指定されている橋杭岩です。串本から大島に向かって大小40個ほどの奇岩が海の上に突き出ています。1500万年程前の火成活動により、泥岩層の間に流紋岩が貫入し、その後の浸食により硬い石英斑岩杭状に残り、現在の奇観となっているようです。
伝説として、弘法大師と天邪鬼が大島まで一晩で橋をかける競争をしたところ、弘法大師があと一歩で完成という時点で、天邪鬼が鶏の鳴きまねをしたところ、弘法大師があきらめてその場を去ったので、橋の杭のみが残ったといわれているようです。
橋杭岩|2004年10月24日おさかな撮影(NIKON E5000)
橋杭岩|2004年10月24日おさかな撮影(NIKON E5000)
▶橋杭岩
住所:和歌山県東牟婁郡串本町
▶西牟婁郡串本村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|西牟婁郡串本村|にしむろぐんくしもと-
▷西牟婁郡串本村
②町制施行|1907年|明治40年11月12日|西牟婁郡串本町|にしむろぐんくしもとちょう|第一次
③新設合併|1955年|昭和30年7月1日|西牟婁郡串本町|にしむろぐんくしもとちょう|第二次
▷西牟婁郡串本町・田並村・有田村・潮岬村・和深村
④新設合併|2005年|平成17年4月1日|東牟婁郡串本町|ひがしむろぐんくしもとちょう
▷西牟婁郡串本町・東牟婁郡古座町
天然記念物に指定されている橋杭岩です。串本から大島に向かって大小40個ほどの奇岩が海の上に突き出ています。1500万年程前の火成活動により、泥岩層の間に流紋岩が貫入し、その後の浸食により硬い石英斑岩杭状に残り、現在の奇観となっているようです。
伝説として、弘法大師と天邪鬼が大島まで一晩で橋をかける競争をしたところ、弘法大師があと一歩で完成という時点で、天邪鬼が鶏の鳴きまねをしたところ、弘法大師があきらめてその場を去ったので、橋の杭のみが残ったといわれているようです。
橋杭岩|2004年10月24日おさかな撮影(NIKON E5000)
橋杭岩|2004年10月24日おさかな撮影(NIKON E5000)
▶橋杭岩
住所:和歌山県東牟婁郡串本町
▶西牟婁郡串本村の変遷
①村制施行|1889年|明治22年4月1日|西牟婁郡串本村|にしむろぐんくしもと-
▷西牟婁郡串本村
②町制施行|1907年|明治40年11月12日|西牟婁郡串本町|にしむろぐんくしもとちょう|第一次
③新設合併|1955年|昭和30年7月1日|西牟婁郡串本町|にしむろぐんくしもとちょう|第二次
▷西牟婁郡串本町・田並村・有田村・潮岬村・和深村
④新設合併|2005年|平成17年4月1日|東牟婁郡串本町|ひがしむろぐんくしもとちょう
▷西牟婁郡串本町・東牟婁郡古座町