殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

開運のコツ…かもよ

2024年01月13日 09時59分23秒 | みりこん流
遅ればせながら、明けましておめでとうございます!

元旦から能登半島で大地震、驚きましたね。

皆様のお住まいの地域は大丈夫でしたでしょうか?

被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。


しばらくお休みさせていただきましたが

何のことはない、年明けから風邪引いてましてん。

わかっとります。

色々疲れたんですわ。


それにしても年寄りっちゅうのはどうして

「迷惑かけたくない」と言いながら

迷惑なことばっかり言うんでっしゃろなあ。

こっちは車でどこかへ連れて行ったり

代わりに何かやったりするのは迷惑と思わんのですわ。

ただ、何をして欲しいという要望に到達するまでの前置きが長い。

迷惑なのは、それを延々と聞いてる時間なんだけど。

年を取るって、要望を簡潔に言えなくなることなのかもね。


とまあ、のっけから辛気臭い話ですまんことです。

もう大丈夫、こんなことで負けてはおられまへん。

今年もぶっ飛ばして行きまっせ!



さて、私は子供の頃から…

正確には11才で母親が他界してから

自分は不幸だと思って生きてきた。

母親の一人や二人亡くしたぐらいで不幸を名乗るとは図々しい…

親と早く別れた経験の無い人はそう思うかもしれないが

子供にとって母親に死なれるのはきつい。


そのダメージが精神的な方面ではなく

肉体に影響するのが、大人と違うところだ。

身体中の関節という関節が全部外れたような感じで

糸の切れた操り人形になったみたいなんじゃ。

首、手足、指…ちゃんと繋がっているはずなのに

何だかブラブラして力が入らない。

初めての感覚に、私は戸惑うばかりだった。


「悲しみに負けず頑張ろう…」

一応は、そう思う。

しかし、この関節問題だけはどうしようもない。

ともすれば脱力してヘナヘナと座り込みそうになるため

両足を踏ん張ってどうにか立ち、平然を装うのがやっと。


とにかく「関節、外れてませ〜ん」を装うのに必死なもんで

子供であることを楽しむ余裕はあんまり無い。

そんな状態で普通の小学生を演じるには

視線をやや下に落とし、歯を食いしばって行動するしかなかった。


その姿はハタから見れば、不機嫌に感じられたと思う。

「みりこんさんは、いつもダラダラしています。

みんなが頑張っている時は、もっとやる気を出して欲しいと思います」

告発の快感を覚え始めた一部の級友は、そんな私を帰りの会で糾弾した。

「うるせぇわ!好きでダラッとしとるんじゃないわい!

首やら手足がブラブラなんじゃ!」

そう言いたいけど言えない、このつらさ(ここ、笑うところよ)。


何か言い返すと、母親のことに触れられるのは決定事項。

「お母さんが亡くなって悲しいのはわかりますが

元気を出さないといけないと思います」

「僕も、私も、そう思います」

上辺の励ましに、まばらな拍手。

おお、嫌だ。

だから何も言わない。


アレらは良いことを言っているつもりだろうが

何もわかっちゃいないし、わかってもらいたいとも思わない。

このような上辺のことを言われると

死んだ母親を悪く言われているようで、子供としては耐え難いのだ。


私は悲しみを引きずっているのではない…

死んだものは仕方がないというのは、あんたらよりもわかっている…

ただ、関節がブラブラなだけなんじゃ…

じきに治ると思うから、そっとしておいてくれ…

心で叫んだものである。

上辺で小美しい口をきく人間を忌み嫌う癖は、この頃からだと思う。


中学でブラスバンドに入ると、関節のブラブラ病?は徐々に回復した。

だってブラスバンドは、音楽が好きで入部した人間ばかりだ。

彼ら彼女らは音楽というアイテムで、自分の機嫌を取るスベを知っている。

だから、家庭で貯めたストレスを外で人にぶつける必要が無いのだ。

もちろん音楽に限らず、スポーツや他の趣味も同じで

一心に取り組む者は他人を気にしない。


安心できる仲間に囲まれ、より美しい演奏を追求する楽しさを知った私は

ブラスバンドだけが生き甲斐になった。

人並みの青春を謳歌できるようになったからか

急激に背が伸びて各関節に成長痛が訪れ

ブラブラどころか痛いので、そっちに神経が行ったからかは不明だが

中2になる頃にはブラブラ病から解放された。


そんなわけで復活した私だが、ブラブラ病に対する恐怖は残った。

あの不可解な症状は消えたものの、得体の知れぬ脱力感は

その後も長く続いたからだ。

新しい人間関係も、新しく始めた何かも

どうせ途中で嫌なことが起きる…

だったらいきなり全力を出さずに、しばらく観察して様子を見よう…

私はいつもどこかでブレーキをかけ、脱力感と共存する道を選んだ。


やがていつしか、あの不快な脱力感は消えたが

ブレーキの方は癖になったまま幾星霜。

しかし50代半ばのある日

ブレーキをかけるのが急にバカバカしくなった。

正確には義父が他界した頃だと思う。

一人片付いて余裕が出たので

このままブレーキをかけ続けるのがもったいない気がしてきたのだ。


そんな私が何をしたかというと、全然たいしたことではない。

ただ、集まりに早く行くようになった…それだけ。

友人や近所の集まり、参加せざるを得ない様々な活動

通夜葬儀にも、とにかく早めに行く。


それまでは時間を逆算して、いつもギリギリに行っていた。

早く行って熱心だの暇だのと思われ、アテにされたら困るからである。

だってアテにされたら、張り切るではないか。

私は自分の性分を知っている。

張り切ったら最後、パワー全開。

火宅の家や選挙で培った強烈なものだから、容赦ない。


それが良い結果を生むこともあるけど

集団の中には、山で言えば六、七合目あたりを頂上と信じ

登頂したと思っている人や

いつまでも裾野を漂っていたい人もいるものだ。

そういった一部の人たちにとって、私は迷惑な存在。

だから首を深く突っ込まないための予防策として

あんまり嬉しげに早く行かない。

私にとっては効果的なブレーキの一環…のつもりだった。


が、変に気を遣うことをやめたのだ。

早く行くと何がいいかって、主催者が安心して喜ぶ。

そして私と同じく早く来た人も、続いて早めに来た人も

誰か居ると安心する。

その安堵が周囲の空気を変えるのか

通夜葬儀は別として、自分もゆったりと楽しめることが判明。


のめり込んだっていい、突っ走ったっていい…

だって老い先短いんだもの…

そう思って解除したブレーキだが

今のところ、のめり込むことも突っ走ることも無い。

燃えるものが無いと言った方がいいかも。

自分が年を取ったら、周りも年寄りばっかりじゃん。

楽しくて無我夢中になってしまう集まりなんて、ほとんど無いのよね。

な〜んだ。


新しい出会いもしかり。

六十何年も生きてきて、今まで知り合わなかった人って

やっぱり縁の無い人なのよ。

な〜んだ。


でも、早めの集合は続けるつもり。

誰かに安心してもらうって、こちらも安心した気持ちになる。

人と良い関係を保ち、穏やかに生活する秘訣かもしれない。


『大晦日に作ったオードブル』


毎年大晦日の夕方、夫の叔母宅に届けるのが恒例。

叔母は義父の妹で、彼ら6人兄妹の中では唯一生存している。


今年は食材がたくさんあったので

もう一軒、知り合いの家にも持って行った。

確か、これを作るまでは元気だったはず。

無理をしてはいけないと、つくづく思った。
コメント (9)
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