殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
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現場はいま…秋祭編・10

2021年10月02日 10時20分57秒 | シリーズ・現場はいま…
泣きながら床に頭をこすりつけ、田辺君にひたすら謝る藤村。

「許してください!勘弁してください!」

「謝ったら終われる思うとんか!ワレ!」

「すみませんでした!申し訳ありませんでした!」


やがて田辺君は、夫に電話をかけた。

現在の状況をザッと話した後、彼は夫にたずねる。

「許してって言ってるけど、どうしよっか」

田辺君が本当に怒っていて、とことんやる気なら誰にもたずねはしない。

こういう時は、止めてもらいたい時なのだ。

夫もそれをわかっているので、答えた。

「許してやって」

「わかった」


田辺君は電話を繋いだまま、藤村に言った。

「ヒロシさんが許してやれぇ言うとるけん、今日のところは帰れ」

「は…はい…」

「次は無いで!」

「はいっ!」

藤村は急いで立ち上がると、脱兎のごとく帰って行った。


本社の仕事の方は、そのまま立ち消えとなった。

永井部長と藤村が怖がって田辺君を避けているのだから

話の進めようが無いではないか。

こうなることは最初から田辺君も想定していたし

A社もB社も彼らのいる本社と付き合うなんてまっぴらだろうから

どうということはない。

むしろ二人に睨みをきかせる格好のネタを手にして、彼は満足そうであった。


田辺君から聞いた後日談によると、B社は永井部長と藤村を過去を調べ上げていた。

どうやって調べたのか、永井部長の調査は出生した宮崎県にまで及んでいる。

両親が宮崎の片田舎で小さな雑貨店を営んでいたこと

彼が地元に就職していた20代の頃、父親が先物取引にハマり

知人から借金をしたために、一家で夜逃げして広島へ来たこと

永井青年は道路工事のガードマンになり、やがて本社に転職したことなどだ。


夜逃げしようと何をしようと、どうでもいいが

その時、彼がすでに成人していたとなると話は変わってくる。

責任から逃れるのは、親ぐるみの習性だと言うのだ。

さらに大卒のエリートを装っているものの、実は経歴詐称であることが

ここで判明。


藤村の方は、我々が把握していたのとほぼ同じ。

離婚3回、自己破産2回、転職回数は二桁の大台という華やかな半生だ。

知らなかったことといえば、出身高校の詐称ぐらいか。

山口県出身の彼は、自分が甲子園常連校の野球部だったことを

誰かれなく自慢しているが、彼が本当に通った高校には

野球部が無かったというものである。


藤村はいたずらに身体が大きいため、初対面の相手に警戒される。

しかし野球をやっていたと言うと、たいていの広島人は納得して友好的になる。

カープ熱が高いので、野球経験者を名乗るとウケが良いのだ。


二人の素性を知ったB社は

「こんなのと喧嘩したら、こっちが笑われる」

と呆れ、永井部長を取締役に据えている本社の人材の墓場ぶりを哀れんだという。

そして我々は、ひとたび敵と設定したら

徹底した情報収集を行うB社の姿勢に感服した次第である。


我々の業界で、こういうことはままある。

微に入り細に入る聞き苦しい内容に、昔は思っていた。

「他人の過去をほじくり返して、井戸端会議みたいな悪口言って

女より女々しい…」


が、知らない相手の人と成りを判断するには

重箱の隅をつつくような細かい情報が必要だと、徐々に理解するようになった。

「人から何と言われているか」というのは、その人物をそのまま表す。

それは過去に遡らなければ、わからないものだからである。


この業界は、匠の技や先祖代々のお付き合いが必要ない職種。

だから、やろうと思えば一夜にして商売変えが可能だ。

そして、仕事をする距離的な範囲が広い。

県内が主ではあるが、今回のように元請けが県外のケースもあるので

素性を知らない人物と接触する機会が多い。

その中には、いずこからか湧いて出た

「社長でござい」「重役でござい」がゴロゴロいるし

元ナントカ会や、元ナントカ組の人も素知らぬ顔で混ざっている。

押しも押されぬ大手ならいざ知らず

中小企業には、そのような輩に足をすくわれるリスクが付いて回る。

手形の商売なので、名刺や肩書きをそのまま信用するわけにはいかないのだ。


人間は簡単に変われるものではない。

昔を知れば、ある程度の選別が可能になる。

我々にとって、対象者の昔に関わる情報収集は

田辺君のように豊富で確実なデータを持つ有識者を大事にすることと並んで

古くから行われてきた危機管理の一つといえよう。


…ということで、この一件により藤村の暗躍はひとまず封じられた。

夫と息子たちが佐藤君たちに強く出られたのは、そのためである。

藤村が何をしようと、たかが知れているが

そのたびにゴタゴタするのは面倒くさいではないか。

そしてそのゴタゴタには必ず永井部長が絡んで

言うことを聞かないだの、勝手なことばかりするだの

本社でわざとらしく騒ぎ立て、ますます厄介な問題に発展させる。

佐藤、藤村、永井のルートが断ち切られている今、我々は自由を満喫しているのだ。


その永井部長、夫にさりげなくすり寄り始め

仕事のことで質問だの相談だのと頻繁に連絡してくる。

危なくなったらいつもそうするように、夫の機嫌をうかがっては

自分が安全かどうかを確かめているのだ。

しかしゲスは諦めが悪いので、再び復活するだろう。

それまでは、ゲスの変わり身を楽しもうと思う。


ところで今回の立役者、田辺君。

無敵の彼にも病気は訪れる。

心臓の不具合により、先日ステント手術を受けた。

義母ヨシコも同じ手術を受けたが、腕または足の付け根から心臓にカテーテルを通し

詰まった血管にステントという器具を装着して血液の流れを良くするものだ。

ヨシコはあれから10年以上経つが、元気バリバリ…

入院が決まった彼に、夫はそう言って励ました。


手術前、田辺君から夫に電話がある。

「僕、これから手術なんで、3時間ほど電話に出られません。

もし何かあったら、3時間後にお願いします」

永井部長と藤村をペシャンコにした手前

恨みを抱いた彼らが再び何かをしでかさないか、警戒していると思われた。

アフターサービスの万全な田辺君である。


「そんなことは気にしなくていいから、しっかり治してもらいんさいよ。

無事に済むように祈っとるけんの」

「ありがとうございます」

どこまでも律儀な田辺君、手術の経過は良好で、すでに仕事に復帰している。

《完》
コメント (2)
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