大好きな料理話に興じている間に西城秀樹さんが亡くなり
星由里子さんが亡くなり
続いて朝丘雪路さんが4月に亡くなっていたことが明らかになった。
残念だ。
同じ広島県の人ということで、ヒデキには親近感を持っていた。
バンドをやっているお兄さんがいて、そのお兄さんはもっとカッコいい‥
などの地元情報が、中学生だった私の耳にも入ってきたものだ。
昔から、ヒデキにまつわる噂の一つに
実年齢より若く公表しているというのがあったが
地元では、お兄さんと混同されたのが原因だろうと一笑に付している。
ちなみに、亡き義父アツシは
パチンコ屋を経営していたヒデキの父親とゴルフ仲間だったので
子供だったヒデキと何度か会ったことがあった。
アツシの弁によると、彼は「がんぼ」だったという。
がんぼとは、広島弁で「わんぱく」という意味。
ただのわんぱくではなく、枕詞に「手のつけられない」が付くのを
この辺りではがんぼと呼ぶ。
「こいつはチョコマカ動き回って、悪さばっかりしよった」
テレビで熱唱するヒデキを見ながら、ぼそりと言うアツシは
南田洋子さんのファンであった。
20何年か前まで、県内の老舗ゴルフ場で
有名人を大勢招いたゴルフコンペが毎年開催されていた。
そのイベントはアツシが世話人の一人だったので
我ら一家も観戦チケットをもらい、何度か見に行った。
この大会に、ヒデキが呼ばれた年がある。
その年の目玉、という位置であった。
当時の彼は大ヒット曲「ヤングマン」の熱狂が過ぎ去った、中年期。
シックなグレーのセーターを着た彼は
テレビで見るのと同じで背が高く、脚が長く、カッコよかった。
芸能人オーラはハンパなく、遠くからでも一目でわかった。
屈託のない笑顔が印象に残っている。
彼が脳梗塞を患って以降は、痛々しい思いで見ていた。
それでも人前に出る意味は何だろうと考えさせられた。
彼の知名度、才能、人脈をもってすれば
成功する、しないは別として、作曲やプロデュース
あるいはデザイン方面への進路変更は不可能ではなかったと思う。
確実な収入だけを重視すれば、何かの団体の広告塔にもなれたはずだし
雑誌のコラムなんかを受け持ち
主義思想を前面に押し出して、ご意見番を気取ることもできたはずだ。
そこで政権批判や反日思想なんかを語ってごらんよ。
マスコミは大喜びで、もてはやしてくれる。
三流芸能人やスポーツ人でさえ、この手でテレビ局に媚びて
出演を繋ぐご時世なのだ。
一流の彼ならば言わずもがなである。
けれども私の知る限りでは、彼は欲を出さず
ステージに立ち続けた。
ファンが大事、歌が好きというのもあろうが
お子さんに見せたかったというのが大きいかもしれない。
生涯、一歌手に徹した姿は潔いと思う。
星由里子さんは近年、健康食品会社のCMで
血糖コントロールのコーヒーを飲む姿をよく見かけていた。
愛らしい娘役を演じていた頃は
生まれていないか、子供だったためによく知らない。
私には、脚本家の花登筺(はなとこばこ)氏と結婚した中年期に
ご主人の脚本で演じたテレビドラマ
『ぬかるみの女』の印象が強い。
上品な奥様が遊び人の夫と別れ、キャバレーのホステスになって
子供3人を育て上げる根性物語である。
「子供が3人いたら、離婚すると大変‥」
ぬかるみの女を見ながら、何度も思ったものだ。
画面の星由里子さんは、どの場面を切り取っても気高く美しく
そこにいるだけで絵になった。
朝丘雪路さんといえば、私には誘拐の二文字が浮かんでしまう。
生後5ヶ月の一人娘が、身代金目的で若い男に誘拐された事件だ。
私は当時小学生だった。
3才の時、吉展(よしのぶ)ちゃん事件と呼ばれる誘拐事件が起き
吉展ちゃんは墓石の下から、無残な遺体で発見された。
以来、世の親たちは子供の誘拐に敏感になっていたのだが
有名人も例外ではないとわかり、大人たちの話題は持ちきり。
そこで初めて、朝丘雪路という名前を知った。
それからしばらくして、朝丘雪路さんの歌
「雨がやんだら」か大ヒット。
ここで宝塚出身だということを知った。
やがて娘さんが大きくなって女優デビューしたが、鳴かず飛ばず。
そのうち母娘でバラエティ番組に出演し始め
日本画家、伊東深水の娘であることや
とてつもないお嬢様育ちのエピソードを話すようになった。
魚の骨を取ってくれる人がいなければ食事ができなかった‥
お金を持って買い物をしたことがなかった‥
などの微笑ましい話が次々と紹介されたが
これらのエピソードが頻繁に出回るようになった時期は遅い。
この時期については、朝丘さんが本妻の子供ではないため
本宅の人々が他界して静かになった頃と一致しているかもしれず
ゆえに解禁されたのではないかと勝手に思っている。
そのおっとりとした風情で
あの厳しい宝塚に在籍できた不思議はともかく
彼女がヒロインの母親役や上司役で出演するドラマは
テンポがあって面白かった。
パッと画面が華やかになる芸達者だった。
好きだったお三方が立て続けに、この世からいなくなってしまった。
心よりご冥福をお祈りします。
星由里子さんが亡くなり
続いて朝丘雪路さんが4月に亡くなっていたことが明らかになった。
残念だ。
同じ広島県の人ということで、ヒデキには親近感を持っていた。
バンドをやっているお兄さんがいて、そのお兄さんはもっとカッコいい‥
などの地元情報が、中学生だった私の耳にも入ってきたものだ。
昔から、ヒデキにまつわる噂の一つに
実年齢より若く公表しているというのがあったが
地元では、お兄さんと混同されたのが原因だろうと一笑に付している。
ちなみに、亡き義父アツシは
パチンコ屋を経営していたヒデキの父親とゴルフ仲間だったので
子供だったヒデキと何度か会ったことがあった。
アツシの弁によると、彼は「がんぼ」だったという。
がんぼとは、広島弁で「わんぱく」という意味。
ただのわんぱくではなく、枕詞に「手のつけられない」が付くのを
この辺りではがんぼと呼ぶ。
「こいつはチョコマカ動き回って、悪さばっかりしよった」
テレビで熱唱するヒデキを見ながら、ぼそりと言うアツシは
南田洋子さんのファンであった。
20何年か前まで、県内の老舗ゴルフ場で
有名人を大勢招いたゴルフコンペが毎年開催されていた。
そのイベントはアツシが世話人の一人だったので
我ら一家も観戦チケットをもらい、何度か見に行った。
この大会に、ヒデキが呼ばれた年がある。
その年の目玉、という位置であった。
当時の彼は大ヒット曲「ヤングマン」の熱狂が過ぎ去った、中年期。
シックなグレーのセーターを着た彼は
テレビで見るのと同じで背が高く、脚が長く、カッコよかった。
芸能人オーラはハンパなく、遠くからでも一目でわかった。
屈託のない笑顔が印象に残っている。
彼が脳梗塞を患って以降は、痛々しい思いで見ていた。
それでも人前に出る意味は何だろうと考えさせられた。
彼の知名度、才能、人脈をもってすれば
成功する、しないは別として、作曲やプロデュース
あるいはデザイン方面への進路変更は不可能ではなかったと思う。
確実な収入だけを重視すれば、何かの団体の広告塔にもなれたはずだし
雑誌のコラムなんかを受け持ち
主義思想を前面に押し出して、ご意見番を気取ることもできたはずだ。
そこで政権批判や反日思想なんかを語ってごらんよ。
マスコミは大喜びで、もてはやしてくれる。
三流芸能人やスポーツ人でさえ、この手でテレビ局に媚びて
出演を繋ぐご時世なのだ。
一流の彼ならば言わずもがなである。
けれども私の知る限りでは、彼は欲を出さず
ステージに立ち続けた。
ファンが大事、歌が好きというのもあろうが
お子さんに見せたかったというのが大きいかもしれない。
生涯、一歌手に徹した姿は潔いと思う。
星由里子さんは近年、健康食品会社のCMで
血糖コントロールのコーヒーを飲む姿をよく見かけていた。
愛らしい娘役を演じていた頃は
生まれていないか、子供だったためによく知らない。
私には、脚本家の花登筺(はなとこばこ)氏と結婚した中年期に
ご主人の脚本で演じたテレビドラマ
『ぬかるみの女』の印象が強い。
上品な奥様が遊び人の夫と別れ、キャバレーのホステスになって
子供3人を育て上げる根性物語である。
「子供が3人いたら、離婚すると大変‥」
ぬかるみの女を見ながら、何度も思ったものだ。
画面の星由里子さんは、どの場面を切り取っても気高く美しく
そこにいるだけで絵になった。
朝丘雪路さんといえば、私には誘拐の二文字が浮かんでしまう。
生後5ヶ月の一人娘が、身代金目的で若い男に誘拐された事件だ。
私は当時小学生だった。
3才の時、吉展(よしのぶ)ちゃん事件と呼ばれる誘拐事件が起き
吉展ちゃんは墓石の下から、無残な遺体で発見された。
以来、世の親たちは子供の誘拐に敏感になっていたのだが
有名人も例外ではないとわかり、大人たちの話題は持ちきり。
そこで初めて、朝丘雪路という名前を知った。
それからしばらくして、朝丘雪路さんの歌
「雨がやんだら」か大ヒット。
ここで宝塚出身だということを知った。
やがて娘さんが大きくなって女優デビューしたが、鳴かず飛ばず。
そのうち母娘でバラエティ番組に出演し始め
日本画家、伊東深水の娘であることや
とてつもないお嬢様育ちのエピソードを話すようになった。
魚の骨を取ってくれる人がいなければ食事ができなかった‥
お金を持って買い物をしたことがなかった‥
などの微笑ましい話が次々と紹介されたが
これらのエピソードが頻繁に出回るようになった時期は遅い。
この時期については、朝丘さんが本妻の子供ではないため
本宅の人々が他界して静かになった頃と一致しているかもしれず
ゆえに解禁されたのではないかと勝手に思っている。
そのおっとりとした風情で
あの厳しい宝塚に在籍できた不思議はともかく
彼女がヒロインの母親役や上司役で出演するドラマは
テンポがあって面白かった。
パッと画面が華やかになる芸達者だった。
好きだったお三方が立て続けに、この世からいなくなってしまった。
心よりご冥福をお祈りします。