殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

ピンキー効果

2015年06月03日 09時12分45秒 | みりこん昭和話
私は子供の頃、アレルギー体質だったように思う。

最初に遭った災難は、4才の頃。

当時は中華そばと呼ばれていた、ラーメンの出前だ。


その頃の私は、大人の食べ物に興味を示すようになっていた。

少しもらって食べた途端、両足のカカトに突っ張るような違和感を感じる。

真っ赤なブツブツがみるみる広がって、痒いのなんの。


すぐに近所の医院へ連行されたものの、診察を受ける頃には跡形もなく消えており

医師には症状が確認できなかった。

母の方も商売人の立場上、近所の店の品物で異変が起きたと口にするのをはばかり

出前の中華そばが原因とは言えなかったので、うやむやになった。


その後、トッピングのシナチクだけ食べたことがあるが

やはりカカトに斑点が発生した。

一つ下の妹も中華そばに同じ反応を示したが

彼女はそれ以前に、冬になると手の指が乾燥して血がにじんだり

いつもヒジの内側やヒザの裏側がかぶれていたため

母は私達を連れて、あちこちの病院巡りをするのがライフワークだった。

半世紀以上前、アレルギーなんて言葉は今のように一般的ではなく

どこへ行っても皮膚病として片付けられていた。

今思えば妹のあの症状は、かの有名なアトピーというものではなかったのか。



やがて私は小学生になった。

中華そばを食べてカカトに問題が起きたことなどすっかり忘れていたし

もう大丈夫かどうか実験するチャンスも無かった。

2軒隣にあった中華そば屋は、すでに店を閉じていたからである。


そんな私に、虫刺されという新たな問題が降りかかる。

この辺りではブト、地方によってはブヨと呼ばれる小さな虫が

私を苦しめるようになった。

幼稚園の頃と違って行動範囲が広くなり

草むらでも遊ぶし、学校の校庭にもたくさんいた。

特に通学路に沿って流れるドブ川は、奴らのパラダイスであった。


ひとたび刺されようものなら、プーッとマンジュウのごとく腫れ上がる。

顔や腕も腫れるが、昔の女の子はスカートなので足の被害が多発した。

引力の関係か、足が一番重症だった。


特に、太ももの内側を刺されたら悲惨。

柔らかいので敵も取り組みやすいらしいが、柔らかいだけに被害甚大である。

縦15センチ、横10センチ、高さ3センチくらいの熱を持った立方体が

突然太ももの大半にへばりつく。


こうなると足の形が変わってしまって、歩きにくい。

腫れた皮膚は真っ赤になるばかりでなく、えらく固い物質に変化するため

足を片方ずつ前に出すという歩行の動作が難しくなるのだ。

一週間ぐらいはガニ股移動。


病院へ行ってもたいした塗り薬は無く、じきに病院をあてにしなくなった私は

問題の立方体にオロナイン軟膏を塗り

その上に薬局で買った冷湿布を貼るという新療法を開発。

こっちの方が早く腫れが引くのだ。


湿布すると、腫れて熱を持った広範囲は楽になる。

ただし、敵に刺された一点は汁まで出てひどく痒い。

しかし湿布をしているため、掻きむしれない。

この世の不条理を感じる日々であった。


毎年これじゃあやっとられんので、そのうち子供なりに色々考える。

そして虫の多い真夏より、身体がまだ今年の毒に慣れていない初夏と

敵が有終の美を飾ろうとする秋がよく腫れることを究明。

真偽は確かではないがそう思い、初夏と秋を警戒して

湿布の在庫管理に余念の無い私であった。


また、敵は黄色を好むらしいのも知った。

帽子の色は黄色に決まっており、雨降りの前のムシムシした夕方なんて

みんなの帽子に群がるからだ。

何とかならないものかと思案したが、帽子を脱ぐと頭をやられそうで

勇気が出なかった。


祖父と父の不仲、明日にも離婚しそうな父母の夫婦関係

母の胃癌、意地悪な同級生…

私は色々なことと戦う子供であった。

だが、ブトのヤツがもたらす熱い立方体とも同じウェートで戦った。



5年生になって、突如として救世主現る。

救世主…それはパンタロン。


当時「ピンキーとキラーズ」というグループの歌が大流行していた。

ボーカルのピンキーがはく「パンタロン」という名のおしゃれズボンも

メジャーとなった。


やがて県内都市部にあるデパートの子供服売り場にも

パンタロンが並ぶようになる。

ピンキーに憧れていた私は、親にパンタロンをねだった。

おしゃれのつもりで入手したパンタロンだが

足全体を布地で覆うことによって、敵の襲撃がピタリと止まった。

刺されてからあれこれやるより、まず隠して刺されないようにする…

あれが予防の大切さを知った最初だったように思う。


こうして私は、図らずも熱い立方体に別れを告げることができた。

中学になると制服がスカートになったので、再び奴らに狙われることになるが

小学生の頃みたいには腫れず、やがて私のアレルギー時代は終わった。

成長して体質が変化したのかもしれない。

しかし私の性根が、ブトよりもっと強い毒を保有するようになったのも

一因ではないかと考えている。
コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする