2~3年前、男の同級生にツルッと言われた。
「テレビを見ながら“お父さんの友達に、杏とそっくりな人がいる”
って、うちの子に教えたんだよ」
お父さんの友達とは、私のことであった。
そして、そのテレビとは“妖怪人間ベム”であった。
つまり彼は、モデルの杏(あん)ではなく
杏の演じる妖怪人間ベラを指したのであった。
彼の意図は、おおむね理解できる。
ベラのはすっぱな物言いやデカめの態度は
私のそれと、かけ離れてはいない。
が、あんなに厚化粧じゃないぞ。
知り合いから「ミッツ・マングローブに似てますよね」
と言われた時以来の衝撃であった。
だからというわけではないが、杏がヒロインを演じるNHKの朝ドラ
“ごちそうさん”をたまに見る。
あんなに食べることが大好きで、その上、家が洋食屋だったら
絶対に肥満児が育つはずだと期待していたが
大人になっても細いままというザンネンはさておき
タイトルの「ごちそうさん」。
私の日常は、この言葉を中心に織りなされていると言っていい。
はい、食は大切です。
病院の厨房に勤めていた調理師ですから
その思いは人一倍だと思います。
家族の喜びと健康を考え、知識と技術を精一杯駆使して
おいしいごはんを作るのは、立派なことかもしれまへん。
じゃが、食べさせる相手が多すぎる場合、どうじゃろか。
家には夫と2人の息子、義母ヨシコと私の5人がいる。
仕事や都合で時間がバラバラな彼らを食べさせるのは、そりゃ忙しいが
主婦なら皆、やっていることだ。
これに加え、午後には仕事を終えた夫の姉カンジワ・ルイーゼが訪れる。
ヨシコが、私の目を盗んでコソコソと昼メシを与える。
卑屈になる必要はないのだが、食費を出さない手前
ついそうなってしまうらしい。
ルイーゼお帰りの際には、彼女の亭主と義父母のために
ヨシコが晩のおかずを物色して持たせるのも恒例だ。
早い話、作っても作っても誘拐されるわけで
このあたりから、我が家の食事情はおかしなことになってくる。
さらに入院中の義父アツシのため、夕食用の弁当作りが日課に追加される。
この夏、アツシは食欲が落ちて昏睡状態になった。
私は遺影や連絡先の準備をし、気の早い夫は同級生の僧侶に
通夜と葬儀だけのワンポイント坊主を依頼した。
「好きなものを食べさせてあげてください」
医師に言われたヨシコは、これを最後通告と受け止め
アツシの好物であるウシ・エビ・カニなどの高級食材をねだり始めた。
泣かれたり頼まれたりすれば、シブちんの私もつい買い与える。
アツシに与えれば、ヨシコに与えないわけにはいかず
エンゲル係数、高し。
それでも、どうせ先が短いんだから
悔いの無いようにしたいという思いがあった。
そのうち、ヨシコがふと漏らした言葉から
アツシの弁当を別の患者2人にも、分け与えていることが発覚。
治療食の見地からも、食中毒や感染症の危険性からも
いけないことだと何度も厳しく注意したが、馬耳東風。
「病室が賑やかになって、お父さんも喜ぶ」
ヨシコはうそぶくが、すっかり夜のふるまいが定着してしまい
楽しみにされて後へ退けなくなっただけだ。
頭に来た私は、この悪習慣の根本であるアツシを
早めに片付ける方法を選択した。
塩分、蛋白質、カリウム、リン、水分…
食事制限てんこもりのアツシが食べてはいけないものを中心に
弁当を作っちゃうもんネ!
焼肉とエビの塩焼きに、デザートは透析患者の大敵、生の果物だいっ!
禁断のメニュー攻撃ぢゃ!ハァ、ハァ!
ところが、どうもこれが悪かった…いや、良かったらしい。
アツシは喜び、食欲は日増しに増進し、顔の色つやが良くなって
新聞や雑誌を読めるまでに回復した。
近頃では「タラバやズワイは飽きたから、ワタリガニが食べたい」だの
「松茸はまだか」などと言い出す始末。
ちょっと、あんた、死ぬんじゃなかったのけ?!
私はショックであった。
もうじき終わるという前提で、消えものに投資したゼニも惜しいが
それより何より、病院の厨房で習得した常識が覆されたのがショック。
「0・01グラムの間違いが生死を分ける」
いつもそう脅され、電子秤で慎重に計量していた腎不全患者の食事制限が
人によっては意味無しと知ったからである。
そういえば…私は思い出した。
厳しい食事制限のため
やたら手間のかかる治療食を出していた腎不全患者達は
食材のショボさと不味さゆえ、じきに食べられなくなって
コロリコロリと亡くなっていた。
制限も大事だろうけど、それ以前に
食べることはもっと大事だと、ここにきて知った。
そんな私に、彼らは口を揃えて無邪気に言う。
「ごちそうさん!」
くぅ~!
奮闘する私のことを、子供達はこう呼ぶ。
“シンデレラ”。
微妙な気分ではあるけど、ベラよりマシか。
「テレビを見ながら“お父さんの友達に、杏とそっくりな人がいる”
って、うちの子に教えたんだよ」
お父さんの友達とは、私のことであった。
そして、そのテレビとは“妖怪人間ベム”であった。
つまり彼は、モデルの杏(あん)ではなく
杏の演じる妖怪人間ベラを指したのであった。
彼の意図は、おおむね理解できる。
ベラのはすっぱな物言いやデカめの態度は
私のそれと、かけ離れてはいない。
が、あんなに厚化粧じゃないぞ。
知り合いから「ミッツ・マングローブに似てますよね」
と言われた時以来の衝撃であった。
だからというわけではないが、杏がヒロインを演じるNHKの朝ドラ
“ごちそうさん”をたまに見る。
あんなに食べることが大好きで、その上、家が洋食屋だったら
絶対に肥満児が育つはずだと期待していたが
大人になっても細いままというザンネンはさておき
タイトルの「ごちそうさん」。
私の日常は、この言葉を中心に織りなされていると言っていい。
はい、食は大切です。
病院の厨房に勤めていた調理師ですから
その思いは人一倍だと思います。
家族の喜びと健康を考え、知識と技術を精一杯駆使して
おいしいごはんを作るのは、立派なことかもしれまへん。
じゃが、食べさせる相手が多すぎる場合、どうじゃろか。
家には夫と2人の息子、義母ヨシコと私の5人がいる。
仕事や都合で時間がバラバラな彼らを食べさせるのは、そりゃ忙しいが
主婦なら皆、やっていることだ。
これに加え、午後には仕事を終えた夫の姉カンジワ・ルイーゼが訪れる。
ヨシコが、私の目を盗んでコソコソと昼メシを与える。
卑屈になる必要はないのだが、食費を出さない手前
ついそうなってしまうらしい。
ルイーゼお帰りの際には、彼女の亭主と義父母のために
ヨシコが晩のおかずを物色して持たせるのも恒例だ。
早い話、作っても作っても誘拐されるわけで
このあたりから、我が家の食事情はおかしなことになってくる。
さらに入院中の義父アツシのため、夕食用の弁当作りが日課に追加される。
この夏、アツシは食欲が落ちて昏睡状態になった。
私は遺影や連絡先の準備をし、気の早い夫は同級生の僧侶に
通夜と葬儀だけのワンポイント坊主を依頼した。
「好きなものを食べさせてあげてください」
医師に言われたヨシコは、これを最後通告と受け止め
アツシの好物であるウシ・エビ・カニなどの高級食材をねだり始めた。
泣かれたり頼まれたりすれば、シブちんの私もつい買い与える。
アツシに与えれば、ヨシコに与えないわけにはいかず
エンゲル係数、高し。
それでも、どうせ先が短いんだから
悔いの無いようにしたいという思いがあった。
そのうち、ヨシコがふと漏らした言葉から
アツシの弁当を別の患者2人にも、分け与えていることが発覚。
治療食の見地からも、食中毒や感染症の危険性からも
いけないことだと何度も厳しく注意したが、馬耳東風。
「病室が賑やかになって、お父さんも喜ぶ」
ヨシコはうそぶくが、すっかり夜のふるまいが定着してしまい
楽しみにされて後へ退けなくなっただけだ。
頭に来た私は、この悪習慣の根本であるアツシを
早めに片付ける方法を選択した。
塩分、蛋白質、カリウム、リン、水分…
食事制限てんこもりのアツシが食べてはいけないものを中心に
弁当を作っちゃうもんネ!
焼肉とエビの塩焼きに、デザートは透析患者の大敵、生の果物だいっ!
禁断のメニュー攻撃ぢゃ!ハァ、ハァ!
ところが、どうもこれが悪かった…いや、良かったらしい。
アツシは喜び、食欲は日増しに増進し、顔の色つやが良くなって
新聞や雑誌を読めるまでに回復した。
近頃では「タラバやズワイは飽きたから、ワタリガニが食べたい」だの
「松茸はまだか」などと言い出す始末。
ちょっと、あんた、死ぬんじゃなかったのけ?!
私はショックであった。
もうじき終わるという前提で、消えものに投資したゼニも惜しいが
それより何より、病院の厨房で習得した常識が覆されたのがショック。
「0・01グラムの間違いが生死を分ける」
いつもそう脅され、電子秤で慎重に計量していた腎不全患者の食事制限が
人によっては意味無しと知ったからである。
そういえば…私は思い出した。
厳しい食事制限のため
やたら手間のかかる治療食を出していた腎不全患者達は
食材のショボさと不味さゆえ、じきに食べられなくなって
コロリコロリと亡くなっていた。
制限も大事だろうけど、それ以前に
食べることはもっと大事だと、ここにきて知った。
そんな私に、彼らは口を揃えて無邪気に言う。
「ごちそうさん!」
くぅ~!
奮闘する私のことを、子供達はこう呼ぶ。
“シンデレラ”。
微妙な気分ではあるけど、ベラよりマシか。