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殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

おとな帳

2009年09月15日 10時03分58秒 | みりこん昭和話


子供の頃、大人はいろいろと大変らしい…と気がついた。

働かないといけないし、結婚もしないといけない。

挨拶だって「その節は…」とか、難しいことを言わないといけないようだ。

そこで、将来ちゃんと大人になるために「おとな帳」をつづることにした。

大人に必要と思われることを書く。


まず『あいさつ』の部に続き

『おつとめにいったら』

   かみはカールする。ハイヒールをはく。

   おこられてもなかない。


『おとこのひとがすきになったら』

   あなた、かれとよぶ。くるまでどこかへいく。おしゃれをする。

   ばらいろ。みずいろ。


『おわかれをしたら』               

   きょうと、きたぐに、みずうみのどれかへいく

   のりものはよぎしゃ。おさけをのむ。まちをでる。       
      
これらは、商店街にいつも流れていた歌謡曲が元になっている。


そのうち母チーコに見つかり、燃やされる。

     「ああっ!おとな帳がっ!」

「そんな先のことを今から心配せんでいい!」

もう大人になれない…私はさめざめと泣いた。


変な子供だったので、学校でも色々あった。

気にしない子は気にしないが、ちょっと塩のきいた女の子数人は

私を格好の餌食にした。

着るもの、容姿、言動…すべてが気に入らないということで

周囲にひと気が無くなると、時々囲まれた。


母チーコは、結婚するまでドレメ式とかいう洋裁学校の教師だったので

いつも妹とお揃いの洋服を縫って着せてくれた。

「そんな服着て、いい気になるな!」

「服は町内のカジハラ衣料かヤマムラ洋品店で買え!」


ああ言った…こんなことした…と責められるのは平気でも

こういうことはカンにさわる、やはり変な子供の私よ…当然抵抗する。

その関係は、そのまま中学へ持ち越された。


1年の時、ある事件が起きた。

深夜の駅に身を潜めていた某国からの密入国者集団を

祖父が偶然発見し、警察に通報したのだ。


正直なところ「じいちゃん、カンベンしてくれよ」の心境だったが、あとの祭。

新聞に大きく載り、私は翌日から完全にヒールとなる。

意地悪組に、やはり同じ国の女の子がいたからだ。

「同胞を警察に売り渡した!」

彼女は泣きながら叫ぶ。


おおっぴらな理由が出来て、調子に乗った集団は

人数を増やして、にわかに国際的社会派とあいなる。

「命がけで来たのに、見逃す優しさはないのか!」

「ひとでなし!」

口々に糾弾され、私は「密告者」というあだ名で呼ばれた。

私が通報したのなら言われてもいいが、えらい迷惑だ。


登校したら席に花が置かれ「死ね」と書いてある。

机にゴミ箱が逆さまに置いてある…持ち物を隠したり捨てる…

椅子に画ビョウ、弁当に砂を入れるなど、いじめのお決まりメニューと共に

学校帰りに囲まれて、延々と文句を言われるイベントが待っていた。

すべてが用意周到で、他の級友や教師は気づいていなかった。


…あるいは、気づいた者もいたかもしれない。

しかし、下手に首を突っ込んで、こじれたら身の破滅。

賢い者ほど気づかないふりをしたのかもしれない。


理不尽に応戦しようにも、私にとってこのテーマは上級すぎた。

彼女たちもよく理解しないまま、薄っぺらな友情を振りかざしたが

私もまた、お門違いの主張を跳ね返す知識や表現力が備わっていなかった。

余計なことを言って「差別発言」といっそう騒がれるより

黙っていたほうがいいと思った。


暴力こそ無かったが、彼女たちは

泣かないし謝らない…つまりかわいくない私の根性を

何とかしてたたき直そうと団結し、連日歪んだ正義感に燃えた。

こっちはこっちで、やつらの望む展開にさせてなるものかと踏ん張った。


大人に言えば、祖父は怒ってやつらの家を訪問する事態になるだろう…

頭の柔らかい小学生時代から続く彼女たちの行為は

結局親の姿そのままなのだということを私は肌で知っていた。

親からして腐っている血統書付きを他人がどうにか出来るわけがない。

祖父はピエロになり、日々の仕打ちはもっと陰湿になるだろう。

いいことなんかひとつも無いのだ…当時はそう考えた。


ところが、捨てる神あれば拾う神あり。

2年になった途端、男子から「告白」なるものが相次いだ。

モテたのではない…「錯覚」という一時的現象だ。

しかしそれは、天の助けでもあった。

人生には思わぬ方向から、必ず救いが用意されているものだと、その時知った。


男を敵に回したら損だと思ったのか「成敗」は急におさまり

「紹介して…」と手のひらを返してすり寄ってくる者まで出始める。

団結は崩れた。


その後、彼女たちとは普通に接した。

やつらはすっかり忘れており、私は忘れたふりをした。

傷ついた素振りを見せることを私の幼いプライドが良しとしなかった。

そのうち本当に忘れて、同じ高校へ進んだ者とは仲良くしていた。


成人してからは、ほとんど全員地元にいないので会っていない。

日本各地で、親譲りのそれなりの人生を送っているらしい。

主犯格が一人だけ地元に残っていたが、事故で永遠に会えない所へ行った。


さて、あれほど心配していた大人となった。

「あの時よりマシ」という感覚がついて回り

実際やってみると「子供やってるよりチョロい」と思った。
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四丁目の夕日

2009年07月27日 09時31分28秒 | みりこん昭和話
昔むかしの話。

「助けてっ!」

商店街のヒコ兄ちゃんが、裸足で駆け込んでくる。

親父さんが包丁を持って追いかけて来て、二人で家の中を走り回る。


「父ちゃん!カンベンしてっ!」

「いいや!今日という今日は許さんっ!」

いつものことなので、うちの家族は気にせず晩ごはんを食べている。


お菓子屋の跡取り息子、高校生のヒコ兄ちゃんは生意気盛りなので

しょっちゅう親父さんと喧嘩になるのだ。


ひとしきり走り回ると、疲れたのか二人で帰って行く。

裸足で来たヒコ兄ちゃんは、帰る時いつもうちの履き物をはいて帰る。


時々、ヒコ兄ちゃんのお姉さんも来る。

店を手伝っていて、やっぱり親父さんと喧嘩したと言う。

家出して来た…と泣いている。

普段着に、よそ行きのハンドバッグを持って来るのがお決まりだ。

黒いエナメルのハンドバッグは、蛍光灯の下でピカピカ光り

私はうっとりしてしまう。

このバッグを持ちたいから家出するのかな…と思っていた。


「泊まればいいのに」

と言うと

「女の子は、簡単によその家に泊まるもんじゃないんだよ」

祖母が言う。

母がなだめて連れて帰り、10メートルの家出は終わる。


家から3軒隣りの「中華そば さらしな」には

私の大好きなスミ姉ちゃんがいる。

両親の店を手伝う看板娘だ。

働き者のべっぴんさん…と大人たちに評判であった。

おはじきやお絵かきでよく遊んでくれた。


幼稚園の夏休み…ラジオ体操に行く時

大きなカバンをさげて、一人駅に立つスミ姉ちゃんを見た。

いつものエプロンと三角巾じゃない。

長い髪をたらし、花柄のワンピースを着て、とても綺麗だった。


駆け寄ろうとしたが、行ってはいけない気がして

そのままラジオ体操に行った。

スミ姉ちゃんが、真っ赤なハイヒールを履いていたからだ。

都会へ行くのだ…そしてもう帰って来ないのだ…と思った。


「さらしな」は、それからしばらくして閉じられた。

スミ姉ちゃんは遠くへ行ったのだと母が言った。

好きな人がいたけど、親に反対されて家を出た…

かわいそうに…つらかったろうねぇ…

近所のおばさんたちが話しているのを聞いた。


銀行の前の広場で、タヌキを一匹売っているおじさんがいた。

山でつかまえたと言う。

人だかりの中で「誰か買ってくれ~」と叫んでいた。


初めてタヌキを見た。

タヌキというものは、立って笠をかぶっていると思っていたので

そりゃもうたまげた。


母に「買って」と言うと

「あんなもん連れて帰ったら、ばかされるよ」

と断わられた。


小学校に通い出すと、時々帰り道に不思議なものを売る露店が出現する。

ヒヨコや型抜きなどポピュラーなものもあったが

試験管に入っている、やたら派手な色のゼリーや

うまく育てたらガメラに成長する亀…なんてのもあった。


中でも圧巻は、人体にかざすと骨が透けて見えるという

手のひらサイズの黒い箱「レントゲーン」。

骨が折れていたらすぐ見える…とおじさんは言う。

これは便利だ!買わなければ!と走って帰ってねだるが、あえなく却下。


「これさえあれば、みんな助かるのにっ!」

などと泣いたりわめいたりする。

どう助かるのかは、本人にも不明。

やっとこさお金をもらって駆けつけてみると、店はもう無かった。

「そんなもんなんだよ」

父が言った。


懐かしいとか、戻りたいとは思わないけど

一生懸命生きている者を笑う習慣は無かった。

いい時代だったとすれば、そこかな。
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スタァ・にしきの

2009年07月23日 09時54分40秒 | みりこん昭和話
子供の頃、友達の家に遊びに行って

びっくりしたことがある。


その子には、当時高校生のお姉ちゃんが一人いた。

お姉ちゃんと共有の子供部屋に入ると

天井を含むスペースの半分が

当時の人気アイドル「にしきのあきら」で覆われている。


大小のポスターや切り抜きが隙間なく貼られ

どこを向いても「あきら」「あきら」「あきら」…。


本棚に「明星」やら「平凡」やらの雑誌が

ずらりと並んでいるのも圧巻であった。


極めつけは、机の正面に貼られた手書きの大きな紙。

“あきらとアケミの約束”

  「一生あきらを愛します」

  「あきらのお嫁さんになります」

  「ごはんは4杯でやめます」

  「お菓子は一回2袋まで」

  「絶対やせます」


こ…これは…!

小さく、食の細かった私(当時)にとって

その数字は衝撃であった。

芸能人とはいえ、よその男を「愛します」と書いて

親に怒られないのも衝撃だった。

今にして思えば、どっかの国の将軍様みたいな扱いであろうか。


遊んでいると、ドス…ドス…と足音が近付いてきて

おすもうさんのようなお姉ちゃんが部屋に入ってきた。

さらに衝撃。


     「こ…こんにちは…」

「こんにちは」

お姉ちゃんはぶっきらぼうに答え、大きなため息をつきながら

あの約束が書いてある机の前に座る。

椅子がギギ~ッと苦しそうな音を立てる。


「外で遊ぼう…」

友達に促され、私達は部屋を出る。

お姉ちゃんが部屋に入って来たら、妹は外に出ることになっているらしい。


庭へと続く廊下を歩いていると、部屋から

「あきらぁ~っ!」

という叫び声が聞こえた。

私は衝撃の嵐に疲れ果て、早々に退散した。


その後、あきらは女優さんと結婚し

お姉ちゃんの夢は破れた。

体重もそのままだ。

残る約束は「一生愛します」だが

空に太陽がある限り、継続しているかどうかは不明である。

たずねる勇気は無い。
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どうよう

2009年06月20日 15時13分33秒 | みりこん昭和話
♪赤い靴 はいてた 女の子

    イージンさんに 連れられて 行っちゃった…♪


イージンさんて、何者なんじゃ!

私は恐怖におののく。

童謡というより、激しく動揺。




♪重いコンダーラー 試練の道を

        行くが 男の ど根性♪

“コンダーラー”というトレーニング器具で

体を鍛えるらしい飛雄馬!


大リーグボール養成ギプスを装着して

その上まだコンダーラーなる重たい器具まで使いながら

さらに“試練の道”という怖そうな道を歩くという飛雄馬!

お父さんキツいし、貧乏だし、これで何の生きる甲斐があろうか…。

よよよ…。

童謡ではないが、同情。


我ながら、困った子供であった。

こんな私を捨てずに育ててくれた

家族に感謝するのみである。
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プラッシーの誘惑

2009年06月20日 11時54分39秒 | みりこん昭和話
昔の話で恐縮であるが

結婚にあたり、3人のおかたからアプローチがあった。


モテた…ということではない。

いにしえの田舎町では、恋愛はもとより

親しいというだけでも結婚が前提となり

現在の世情とは、少しニュアンスが違うと思われる。

そういう時代であった。

たいていのことは“時代”ですませられる、いい年齢になったもんだ。


その中の一人は、まだ学生であった。

穏やかで良い人だが、恋愛感情は湧かない。

しかも名字がちょっとイヤ…。


もう一人は消防士。

これも名字がかなりイヤ…。

しかもしかも!農家の長男!

うちのルーツはどこを掘っても稲作農家だ。

農家の嫁がどれほど厳しいものか、よ~く知っている。

改善されつつあるとはいえ、長い歴史を完全に覆すのは難しい。


最後の一人は…言わずと知れた我が夫。

これは簡単明瞭で、好きな名字であった。

我が家と同じ自営なのも、安心感があった。


君がいないと死ぬ…と言う。

あまりの情熱に恐れをなして、一度断わったら

ものが食べられなくなって寝込みやがった。


死んでも構わない…いやむしろ、その時死んでもらっておけば

あまたの女人を苦しめて罪を重ねることもなかったであろう。

しかし、そこへ出て来たのがヤツの母親。

私と両親に「なんとか付き合ってやって欲しい…」と言う。


それで情にほだされ結婚したのか…というと、そうではない。

「バカだからよしたほうがいい」

と止める家族をふりきり、私は自分の意思でヤツに決めた。


決定打は…

「プラッシー」じゃ。

昔、お米屋さんだけで販売していたあのオレンジジュース。


何が嬉しいといって、ヤツの家に行くと

プラッシーが飲み放題なのだ。

農家出身の我が家は、米屋とつきあいがなく

その上清涼飲料水のたぐいは極力避ける主義だったので

プラッシーは夢の飲み物であった。


プラッシーの次は、キリンレモン!

どっちもケース買いして、たんまり冷やしてある。

結婚したら毎日飲める…と思った大バカ者の私であった。


年月は経過し、学生君はいまや花のお江戸でテレビマン。

消防士君は、市役所のエライさんになった。

どちらも良い妻をめとり、幸せに暮らしているという。

プラッシーなんかに魅せられるような愚か者と

結婚しなかったからにちがいない。


今、プラッシーはスーパーで普通に売られている。

なにげに腹立たしい。
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音楽教室

2009年03月19日 11時31分36秒 | みりこん昭和話
♪小鳥がね お窓でね

♪お首をふりふり聞いてるよ

♪一緒にね 楽しいね

♪きれいな声だと聞いてるよ

♪ヤ○ハ ヤ○ハの音楽教室…



40年以上も前の話だ。

その日は、初めての発表会に向けて

受け持つ楽器の発表がある。

4才の私は、エレクトーンを狙ってひそかに燃えていた。


うちにはピアノしか無かったので

あの軽く触れるだけで響き渡る

震えるような音色はあこがれなのだ。


シンバル、タイコ、タンバリン…先生が次々に名前を呼ぶ。

カスタネット、ハーモニカ…

おお、どうか呼ばれませんように。


私の野望はただひとつ。

あの木目も神々しいエレクトーン!


そしていよいよ…。

ドキドキ。


「エレクトーンは…ノブちゃん」



…がっくり。

しっかり者のライバル、ノブちゃんはうれしそう。

お母さんも満足げに、ノブちゃんの背中をなでている。


エレクトーンは一人だけなのだ。

夢…破れたり。


「次に、エレクトーンの…」

なに?もう一人あるのか?

祈るような思いで、望みをつなぐ。


「エレクトーンの足…」


エレクトーンの下にくっついている

重低音を出す大きな鍵盤だ。


周りの親たちから、かすかな失笑がもれる。

察するに、どうも恥ずかしい役どころらしい。



「エレクトーンの足は…みりこんちゃん」


「うっ…!」


今度は子供たちがクスクスと失笑。

「しっ…!」

それをたしなめる親たちのヒソヒソ声が

さらに私をうちのめす。


私もボー然だが、母チーコもガク然。

パートがどうのというより

「足」と言われて、すでに笑いを取っているのが問題だった。


人が笑うものを引き受けねばならない

このクツジョク!


今はそうでもないが

昭和中期のいにしえは

この「笑われる」という現象が

人としてもっとも恥ずかしいことだったのだ。

みりこん、4才にして人生初の絶望を知る。


我々母子の尋常ならぬ形相を見て

あわてた先生が、とり急ぎフォロー。


「あの…この曲はベースの音がないと、映えないんです…

 とても大事な楽器なんです…

 ノブちゃんの足が届かないので…あの…」 


若くてかわいらしい先生は、必死に弁解するが

すればするほどドツボにはまって上滑り。

チーコはおとなしい女なので

ええ、ええ…とうなづいて微笑んだ。



翌日から、チーコは変貌した。

音楽教室に行き

発表会までエレクトーンの足を練習させてほしい…と頼み込む。

本体を買う気は、さらさらないようだ。


連日の特訓につぐ特訓。

チーコと私は、夕方になると黙々と通い

ブースカ、ブースカ、ひたすらキーを踏む。


そしていよいよ明日は発表会という日…

幼稚園から帰ると、デパートの小さな包みがあった。


チーコははるばる

汽車(電車ではない)で2時間かかる都会へ行き

私のためにレースふりふりの靴下を買っていた。

人の足となる私の足のためだと言う。

同じやるなら、やれるだけのことをやるのだと言う。


くどいほどレースのついた

「都会」の香り漂う靴下に喜ぶ私をながめ

チーコは涙ぐんだ。

そして以後、この件に触れることは一切なかった。
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