殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

イチゴ狩り

2024年02月27日 09時41分22秒 | みりこんぐらし
先日、同級生のマミちゃん、モンちゃんとイチゴ狩りに出かけた。

子供がまだ小さい頃、リンゴ狩りとサクランボ狩りには行ったことはあるけど

イチゴ狩りは初めて。

リンゴ狩りはそんなにバクバク食べられるもんじゃないし

サクランボ狩りは監視の人が付きまとい

「1本の木で一粒か二粒、味を見る程度にしてくださいね」

とうるさかった。

そんなに惜しいんなら客を呼ぶな…と思ったものである。


ブドウ狩りは高校の夏休みに妹とバイトをしたので

お金を出してまで行く気は起きない。

電車でふた駅の、今住んでいるこの町にあるブドウ園だ。

普段は地元のおばさんが10人ほど働いているが

お中元シーズンにはブドウを買いに来る人が増えて人手が足りないため

お盆までの2週間弱、数人の高校生バイトを雇っていたのである。


ブドウ園の持ち主夫婦は、ケチで意地が悪かった。

大人になったら、ああはなるまいと誓ったものだ。

雇い主がそんなだから、働いているおばちゃんたちも萎縮して

卑屈な人が多かったが、中には優しい人もいた。

大人になったら、ああいう人になろうと誓ったものだ。


私と妹をバイトに誘った2人の同級生は過酷な労働に音をあげ

一日で来なくなった。

私たちも辞めてしまおうかと思ったが、二人いなくなったので辞めにくくなり

そのままシーズンが終わるまで通った。

そこで学んだ知識?により、ブドウの品質にはうるさくなった私である。


いずれにしても私と“狩り”は相性が良くないと思っていたので

長い年月、狩りと名のつくものに手を出す気は無かった。

が、急きょ行くことになったのは中学と高校の同級生トシ君が

イチゴ園の管理人をしていると聞いたからである。


中高で野球部だったトシ君とは、わりと仲が良かった。

彼は野球部の主将、私はブラスバンドの副部長だったため

試合の応援で接触があったからだ。


が、我々の地元には小学校の同窓会しか無いので

大人になってから接触したことは無い。

知っている消息は勤務先と、私と同じ町に家を建てたことぐらい。

もっとも彼は長年、とある市議の選挙ドライバーをしていて

4年に1回、選挙カーですれ違っていたので顔は見ている。


「定年間際に色々あって、遠い島にある系列会社のイチゴ園に飛ばされた。

桃より甘いイチゴだから、ヤツが退職する前に行った方がいい」

高校の野球部だった子に言われ、その気になった私は

トシ君と小学校から一緒のリッくん(ここに時々出てくるお茶の師範)

に電話して、連絡してもらう。


しかしリッくんが伝えてきたのはトシ君の携帯番号だけで

あとは本人同士でよろしくということだった。

そうだった…この子、人の世話が苦手なのだ。

チッ!役に立たない男、いやゲイだ。


トシ君の声を聞いたのは、実に46年ぶり。

思わず「トシ君?」と名前を呼んでしまった。

「おお!みりこんちゃん!」

向こうもすっかり高校生に戻っとる。

彼の話によるとイチゴ園は予約でいっぱいだそうだけど

曜日と人数によっては調整できるということで

急きょ、この日曜日に行くことになった。


リッくんも行きたがり、バイトを休める3月まで待ってくれと言ったが

見捨てた。

だってこの人、経済的理由で車を出したがらない。

そのためかどうかは知らないが、日頃から極度の方向音痴を主張している。

イチゴ狩りの世話もしてくれなかったし

彼が我々に混じるメリットは、彼にあっても我々には無いからだ。


こうして25日の日曜日、マミちゃんの運転でイチゴ園に向かった。

それにしても島は遠く、1時間半近くかかった。

橋が通っているので地続きではあるが

トシ君はほぼ毎日、この道のりを通勤しているのだ。

彼の性格だと、この通勤を楽しんでいるだろうし

職場の人たちとも仲良くやっていると確信しているが

物理的には早く辞めろと言われているのと同じじゃないか。

若い頃は、職場にいる年配者が鬱陶しかったが

いざ自分が年かさになると、このような扱いが身に染みる。


「よう来たのぅ!」

イチゴ園に着いたら、トシ君が出迎えてくれた。

おお、がっしり体型はそのままだけど、頭も眉毛も真っ白になっとる。

が、やっぱり農園ライフを楽しんでいる様子。

景色もいい。



入場料一人あたり1,700円を支払い

トシ君の案内でさっそくイチゴ狩りにいそしむ我ら3人組。






甘くて美味しいわ。




イチゴを食べるために昼を抜き、午後1時の予約にしたけど

そうたくさん食べられるもんじゃないわね。

40分の制限時間より早く、ギブアップ。

マミちゃんは「もう当分、イチゴはいいわ」とつぶやき

モンちゃんは「あと2年、イチゴ無しで生活できる」と言った。


それからトシ君に連れられ、同じ敷地にあるカフェへ。

彼はそのまま仕事に戻ったけど、3人のコーヒー代は払ってくれていた。

こういうところが、トシ君なのよね。

カフェのおばちゃんもトシ君のファンらしく、彼の昔話で盛り上がった。


カフェの隣にあるレストランで食事をし、お土産を買って帰ることになった。

このイチゴ園は狩るだけでイチゴの販売をしてないので、イチゴのお土産は無し。


コーヒーのお礼を言うため、トシ君に声をかけたら

彼はレモンやデコポンを詰めた袋を3つ持って来て

「土産じゃ」

と言いながら我々にくれた。

我々のために用意していたらしい。


そして彼と4人、駐車場で1時間ほど立ち話をしたが

午前中は雨だったし夕方が近づいていたので、ものすごく寒かった。

ビニールハウスだから暖かいと思い込んでいた我々は、軽装だったのだ。

ビニールハウスには間違いないけど、曇っていたし

イチゴが傷むので暖房なんか無いし、そう言えば着いた時からずっと寒かった。

イチゴは寒い時期が美味しいそうだけど、こう寒くっちゃ…。

遭難するかと思った。
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5年越しの戦い

2024年02月22日 15時20分59秒 | みりこんぐらし
昨年12月は、5年ぶりに運転免許の更新だった。

ゴールド免許を自慢しているわけではない。

遠くや知らない所へ行かない、できるだけ運転しない…

この精神で無事故無違反を継続しているだけなのはともかく

免許証の写真を撮ったのも5年ぶり。


5年前、証明写真のボックスで写真を撮った時は

ちょっと値段の高い「美肌モード」を選んだ。

その時、顔はまあまあに写ったけど、髪の方が今ひとつ。

美肌用の強いライトのせいだろう、髪が光によって飛んでしまい

ペチャンコに見えて不満だった。

そこで、今回はどうしようかなぁ…と思いつつ、ボックスの中の人となる。


が、5年の月日は私に冷たかった。

この近辺も外国人が増えて、証明写真のボックスは

複数の外国語の自動音声が内蔵されていたのだ。

どこでボタンを押し間違えたのか、説明が中国語になっちまったじゃないか。


日本語に変えようにも、自動音声の女は早口でまくし立てるばかりで

何を言うとるのかわからん。

ヒ〜!もはや美肌モードどころじゃない!

焦った私は一刻も早くここを出るために当てずっぽうで選択ボタンを押し続け

何とか写真は撮れた。


が、美肌モードでなく通常モードで撮った私は傷んだお婆さんでしかない。

髪はちゃんと残っているけど、何だか色黒で小ジワとたるみがバッチリよ。

5年前に撮って免許証に載っている写真と比べたら

「この5年で何があった?!」のレベル。

まあ、色々あったのは確かだけど、ここまで老けるとはね。

髪の写りなんかどうでもいいから、次の更新は絶対に美肌モードで撮ると誓う。

その前に、中国語のボタンをうっかり押さんことじゃな。

いや、また間違えたら恐ろしいので、写真屋さんへ行こう。



5年前といえば…いや、もう6年前になりそうだけど

2018年7月の西日本豪雨。

あれは私の住む町にも、大きな影響をもたらした。

我が家は庭や前の道路が浸水した程度で済んだものの

多くの家々が浸水や土砂崩れで被害に遭い、犠牲者まで出て

そりゃもう大変な騒ぎだった。


あれから約5年と8ヶ月…一部の山を除いて町はほとんど復興したが

我々一家は豪雨の後遺症とでも言うべき、ある問題を抱えることになった。

その問題とは、クマネズミ。

目の前にある川が豪雨で増水したため、生態系が変わったらしい…

それまで我が家に何十年も常駐していた小さな家ネズミがいなくなって

10センチ超の大きなクマネズミ数匹が棲みついてしまったのだ。


自然豊かな田舎のこと、小動物との共存は致し方ないと諦めているが

小柄で上品な家ネズミと違い、クマネズミ戦闘的で悪辣。

丸くて小さい可愛らしい耳をしているから

クマネズミと呼ばれるのかどうかは知らないが

可愛いのは耳だけで、身体は大きいし意地も悪い。

ヤツらのやらかす悪さは家ネズミの比ではなく

壁や柱をガリガリとかじり、夜中には天井裏でドタバタと大運動会。

家もメチャクチャになるが、サツマイモ大のアレらは体重が重たいので

うるさいんじゃ。


我々とて、手をこまねいて我慢ばかりしていたわけではない。

手始めに、ドブネズミ用の大きな粘着シートを仕掛けた。

すると一発で、最初の一匹がかかった。

クマネズミには違いないけど、ずいぶん小さい子供だ。

おぼこいので、罠にかかるというヘマをやったらしい。


これに気を良くした我々は、粘着シートを買い足してあちこちに仕掛ける。

犬がいるので滅多な所には置けず、場所を考えながら設置に励んだが

二度とかからなかった。


ちなみにペットが粘着シートにくっついてしまった時は

ペットに小麦粉をまぶすといいそうだ。

獣医さんから聞いた。


粘着シートがダメとなると、夫家に伝わるネズミ獲りのカゴの出番。

そのカゴは私が嫁いだ頃、すでにあった。

長方形の金属製のオリで、オリの奥にエサを引っかける針金がぶら下がっている。

ネズミがエサに誘われて、ぶら下がったエサを食べ

針金が動くとオリの入り口がガシャン!と閉まって生捕りになる手はず。


その後はどうするのかって?

カゴごと水に沈めて他界していただく。

ぐったりしたその子をオリから出して廃棄するのはキツい作業だが

家庭だけでなく、食品を扱う店などでも使われる古典的な罠。

この装置最大の長所は、薬品を使用しないので安全なところである。

我が家もこの装置で、これまで多くのネズミが処刑されてきた。


ともあれ誘うエサの手を変え品を変え、カゴを仕掛けて数日後。

少し大きいのが、かかった。

その時のエサは、ウインナーだったと思う。

しばらく裏の納屋へ置いていたが、そこを通るたびに

カゴの中からシャーッ!と喧嘩腰の態度。

やがて帰って来た夫が水の中へ沈め、さようなら。


一度かかった罠には二度とかからないのか、その後は何ヶ月も不作が続いた。

そこで今度は毒物。

古典的な赤いお米みたいなのやスプレー式などを色々試し

行き着いたのがこれ。



イカリ印の殺鼠剤、メリーネコ。

パッケージのイラストが可愛いので買ってみた。

写真は野ネズミ用だが、家ネズミ用もある。

私はクマネズミが野ネズミか家ネズミがわからなかったので、両方を買った。

中身は3センチ四方ぐらいの紙パックがたくさん。

その紙パックの中に、ネズミに良くない粒状の毒が入っていて

ネズミが食すると屋外で絶命するそうだ。


これは効いた。

家のあちこちに置いたら次々に3匹、庭の植木鉢や花壇の隅で息絶えていた。


気をよくしてメリーネコを買い足し、またあちこちにばらまく。

が、それっきり成果は無かった。

やっぱり同じ手には引っかからないみたい。

クマネズミは数々の危険を学習したらしく

我が家には、最も頭のいいラスボスが残った。


「一匹、賢くて大きいヤツがいる」

彼?を目撃したり被害を受けたりするうち

我々はそいつを『クマよし』という名前で呼ぶようになった。

クマよしはその後、何年にも渡って我々を苦しめるのだった。


もちろん、プロに退治してもらう方法もある。

事実、同級生のマミちゃんは自宅に野生動物が棲みつき

天井裏でおしっこをしたり、壁や柱に足跡をつけたりと悪さをするので

プロに駆除を依頼した。


捕獲された動物は、テンという生き物だった。

料金は50万円で、5年間の保証付き。

向こう5年の間に再びテンが棲みついたら、無料で駆除をしてくれるそうだ。

だけど5年なんて、あっという間よ。

マミちゃんの家は日本建築の豪邸なので、動物に傷められるのは困るだろうが

うちは古いボロ家。

値打ちが無いので、ネズミのために大金を払うのは惜しい。


粘着シート、ネズミ捕りのカゴ、そしてメリーネコ…

この3点セットで捕獲を試みる日々は続いた。

が、敵もさるもの、一向に引っかかる気配は無い。


そのうちクマよしはさらに賢くなって、あからさまな悪事をはたらくようになった。

インコに与えた小松菜を鳥かごから引っ張り出したり

義母ヨシコが隠しているお菓子をかじったり

チューブのハンドクリームに穴を開けていたこともあった。

ヤツは天井裏や壁の中というマイナーな箇所だけでなく

人間のテリトリーに踏み入ってきたのだ。

我が家での暮らしにも慣れ、調子に乗ってきたらしい。

が、人間だろうとネズミだろうと、調子に乗ると落とし穴に落ちやすいもの。

私はその瞬間を気長に待った。


そして先日、ついにその瞬間が訪れる。

まだ夜明け前の早朝、長男が台所へ行くとガサガサと音がしたという。

あんまりうるさいので音源を探すと

台所のフキン掛けにぶら下げたスーパーのポリ袋の中で

出られなくなったクマよしがもがいていたそうだ。


クマよしほどの“手だれ”なら、ポリ袋を噛み破って外へ出られたはずだが

大容量のホットケーキミックスが邪魔をして、逃走に時間がかかったらしい。

食べ物に手を出し始めたクマよしを危険視した私は

少し前からホットケーキミックスやお菓子類をポリ袋に入れて

高い所へぶら下げるようになっていたのだ。


長男は急いで袋の口を縛り、クマよしを車で会社へ連行。

ホットケーキミックスもろとも、焼却炉へ投入した。

長男の話によるとクマよしはかなり大きく、コロコロに太っていたそうだ。

あれから数日、我が家は静かな夜を過ごしている。
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天のカラクリ

2024年02月19日 15時18分05秒 | 前向き論
決して悪い人ではないのだが、私を昔から馬鹿にする年上の女性がいる。

何を馬鹿にするかというと、仕事。

その人は誰もがうらやむ、安定かつ高給の仕事に就いていたので

当時、病院の厨房でパート勤めをしていた私を見下げていたのだ。

そんな人と会わなきゃいいんだけど、たまに会ってしまう機会があった。


「ちゃんとした仕事に就いてないと、少ない給料でこき使われて大変ね」

「私は老後も安心、誰にも迷惑をかけないで済む」

彼女は会うたびに仕事の話を持ち出し、得意顔でそのようなことを言った。

その一方、私は私で思っていた。

「あんたは両親に子守りをしてもらってたじゃん。

あんたと私の違いは、子守りのある無しだけじゃ」


現にそうなのだ。

昔は就職先がたくさんあった。

お役所、銀行、電報電話局に郵便局、近隣の大企業…

働く女性が少ない時代は、たいていの所に紹介で入れた。

しかし、どんなに良い所へ就職したって子守り…

しかも健康でしっかりした子守りがいなければ続けられない。

仕事を続けるには根性も不可欠なので

子守りさえいればオールOKというわけではないが

彼女に親への感謝は皆無。

自分だけが頑張った口ぶりで、武勇伝を語るのだった。


そして月日は経ち、彼女は定年退職。

さんざん子守りをさせた親は、とうに他界している。

来る日も来る日もハードワークと責任感の必要な子守りを続けると

くたびれて早めにいなくなることが多いものだ。

子供たちも独立しているし、年金は十分。

彼女を待っているのは悠々自適な老後…のはずだった。


やがて70代になり、運転免許を返納。

早めの返納に驚いたが、ご主人が運転するので困らないという話だった。

しかし、それからほどなくご主人が他界。

「私より給料が低い」と、さんざん馬鹿にしていたご主人である。


一人暮らしになった彼女、買い物やドライブに行くことはできなくなったが

強気は変わらなかった。

「車が無くても、買い物は町内でこと足りる。

お金さえあれば、人に迷惑をかけることは無い。

歯を食いしばって一つの仕事を続けてきて、本当に良かった」


彼女の暮らす町は、小さい。

小さいからこそ、たいていの所は徒歩圏内だ。

しかし小さい町の抱える問題といえば、人口減少。

年々過疎化が進み、店主の高齢化も相まって

食料品や日用雑貨を売る店は次々に閉店し

常連だった小さな惣菜店も無くなった。

かろうじてコンビニが一軒あるものの、年がら年中コンビニ弁当では飽きる。

彼女は三度の食事に困るようになった。


そうよ、この人はずっと働いてきたので、あまり料理をしたことがない。

若い頃から、食生活の大半をその惣菜店でまかなっていた。

ご主人も子供たちも、そこの惣菜で生きていたようなものだが

その現実に気づいていなかったらしい。


彼女は私だけでなく、他の女性たちのことも馬鹿にしていた。

パートで働く人を見下し、専業主婦には

「税金も納めずに、旦那の稼ぎでのうのうと生きるなんて」

と嫌悪感をあらわにした。

そのうち、私が仕事を辞めて親の面倒を見るようになると

ますます勝ち誇って言いたい放題。


人間性を置いてけぼりにして、気位だけがパワーアップの一途を辿る人…

つまり、あからさまに人を馬鹿にする人には

貧しかった生い立ちが見え隠れするものだ。

もっとも戦後の日本は貧しかっただろうから、彼女だけがそうなのではない。

社会に出て現金を握ったために

自分だけが偉くなったような勢いの人は数多く存在する。


聞かされる側の私は、その吐き捨てるような言葉の陰に

「自分の人生はこれで良かったのか?」

そんな疑問を払拭したい願望を感じていた。

県外で生活している子供たちは、知らん顔を通しているという。

ご主人が存命の時には気にならなかったが、こうして一人になると

そこにいるかとも言われず放置された身の上がこたえるらしい。

「自分の手で育ててないから、私に冷たいところがある」

強気な口調の端々に、本音が見え隠れするのだった。


それにしても何とまあ、勝手な言い草。

子守りをしてくれた親にも、祖父母に育てられた子供にも失礼だ。

だけど人を馬鹿にする人って、何でも自分の都合のいいように解釈するので

こんな寝言みたいなことを平気で言う。

私に言わせると、きついから子供たちが寄りつかないんじゃないのか。

そうでなければ、彼女の冷たい心を受け継いだに過ぎない。


ともあれ親切!な私は、困っていると言う彼女に生協の宅配を勧めた。

でも、年を取ってから急にカタログショッピングを始めるのには

向き不向きがあるらしい。

カタログを見て、細かい文字や数字の並ぶ注文表に

番号を書き込む作業は無理だった。

惣菜店に駆け込んでその日の夕食を買う習慣を

何十年もやってきた人が、あらかじめ一週間の献立を決めて

必要な物を計画的に注文するなんて至難のワザなのだ。


切った食材と調味料が届くヨシケイなどの宅配サービスも

一応は勧めてみたが、そもそも煮炊きが嫌いなんだから

案の定、これも無理。

最後の手段として宅配弁当もあるけど、お気に召すとは思えない。


もっと親しい人なら、たまには何か作って持って行くかもしれず

彼女にもう少し可愛げがあれば

専業主婦の底力を見せつけてやりたいところ。

が、さんざん馬鹿にされてきたので、その気は無い。

親切ごかしに差し入れをしても

こういう人はマズいだの何だのと絶対に文句を言うものだ。

関わらないに限る。

周囲の人たちも、同じ気持ちなのかも。


あ、そうか…

だから皆、彼女の周りには近づかなかったのだ。

それなのに私ときたら、一人で座る彼女に呼ばれては近づいて

馬鹿にされ放題だったわけか。

彼女は人を馬鹿にすることで、自身のストレスを解消していたのかもしれない。

何十年も経ってやっと気づく、このカラクリ。


カラクリといえば、「お金はあるのに店が無い」という

彼女の置かれた状況はどうだ。

まさか、お金はそのままに買う店を無くすとは。

なるほど、そう来たか…と思わずにはいられない。

「天はいつも、想像の先を行く」

面白いので、そう考えるのだ。

となるとこの先、私にはどんなカラクリが摘要されるのだろうか。

何だか怖いので、とりあえず口を慎もうかのぅ。
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悪趣味

2024年02月15日 11時15分07秒 | みりこん流
洋服はほとんど、おしゃれメイト・マミで買う。

同級生のマミちゃんが経営する洋品店だ。

今では全身、おしゃれメイト・マミの商品で生きているような気がする。


それでも、たまには他の店で洋服を見る。

巷で何が流行っているか、どんな素材や組み合わせが今どき風かを

自分の目で確認し、あるやなしやのファッション感覚を養うのは

年寄りにとって大事だ。

未だバブル期のコーディネートをしていたり

娘にそそのかされて似合わぬ若作りをしている同年代を見たら

特にそう思う。


そんな私には、去年から注目しているブランドがあるんじゃ。

シンプルなデザインと比較的手頃な価格により

私が若い頃、つまり昔はけっこう人気だったものだ。


そのブランドが、隣市の大型スーパーにある。

何があったのか、今はスーパーブランドに落ちぶれたため

テナントでなく衣料品売り場の一角に置かれているのだ。

デザインは相変わらずシンプル、しかし堅苦しくなく

どことなく柔らかい雰囲気…

私の好みとするコンセプトは昔と変わらないように思う。

「アルファ・◯◯◯◯◯◯だ!」

見つけた時は、懐かしくて駆け寄ったものである。


その中に、黒のパンツスーツを発見。

このブランドの特徴の一つになるが、上下が別売りになっているので

厳密に言えば薄手のジャケットと、同じ生地のパンツ。

上下を買うと3万5千円ぐらい。


黒のパンツスーツは、近年の私が探しているアイテム。

なぜって、葬式用よ。

マミちゃんの店では買えない。

取り寄せをしても、パンツの丈が短いからだ。

しかし、パンツの喪服は動きやすくて温かいので魅力的。

通夜葬儀には老若を問わず、パンツスーツの喪服が増加の一途。

私も持っているが、ある事情によって着なくなった。

ここはひとつ、その事情を避けられるデザインのを探したいところよ。


その点、この黒のパンツスーツは良さげだ。

薄手の生地で襟が無く、前身頃が打ち合わせになっている女らしいデザイン。

そして細身のパンツは、見たところ足首までしっかり長さがありそう。


試着したかったが、夫と一緒だったので遠慮して売り場を離れた。

夫を待たせるのも気が引けるけど

亭主の目の前で洋服を買うのはもっと気が引けるからだ。

それが昨年春のこと。


そのうち季節は巡り、冬がやって来た。

この日は長男とその彼女マーコと共に、かのスーパーへ赴いた。

例のコーナーへ行ってみると、まだあるではないか…

あの黒いスーツが。

しかも半額になっとる!


長男はどこかへ行ったので、マーコと二人だ。

「試着してみてもいい?」

私はマーコにたずね、マーコは

「もちろんです!着たら見せてくださいね」

と言った。

交際中の彼女というのは、彼氏のママに寛大なものである。


着てみたら狙い通り、ジャケットは優しく身体に添い

パンツの丈もちょうどいい。

試着室から出ると、マーコは驚いたように目をパチクリさせて言った。

「お母さん…すっごく似合ってますっ!」


わかってるよ。

こういうスーツ、わたしゃ似合うんだよ。

だけど似合うって、美しいとか素敵という意味じゃないのも

わかってるんだよ。

板につき過ぎてる…

つまり葬儀場の社員みたいにピッタリってことなんだよ。


黒のパンツスーツで通夜葬儀に参列し

これまで何度、葬儀場の人に間違えられたことか。

「お手洗い、どこですか?」

「献花を申し込みたいんですけど」

「火葬場行きのマイクロバスは…」

「お弁当の数を変更したい」

そう言って呼び止められる確率100%だぞ。

だからパンツの喪服を着なくなった。


間違えられるのは嫌じゃない。

元々世話好きの出しゃばりなんだから

私でわかることなら喜んで対応するし

わからなければ、本物の葬儀場の人に繋いで差し上げる。

しかし、私がただの弔問客と知ったその人たちの

申し訳なさそうな表情といったら。

こっちが申し訳なくなるじゃないか。


人を惑わせるのは良くないと思って、パンツスーツを避けるようになった…

これが、私の言う“事情”。

マーコの反応を見ると、また間違えられそうじゃんか。

よって、この日も買わずに帰った。


さらに季節が巡った、先日の連休。

やはり長男とマーコと一緒に、あのスーパーへ。

衣料品売り場は、春の装いで溢れている。


例のコーナーへ行ってみると、あのスーツがまだあるではないか。

が、値段は半額ではなかった。

値札が付け替えられ、また定価になっとる。

生地が薄いので、再び春物扱いになったらしい。


去年、発見した時も春物扱いで定価。

着る物が厚手になる冬には半額となり

今年の春が近づいたら、また定価に戻っているというわけ。

卒業式や入学式のシーズンなので、まかり間違って買う人がいるかも…

とでも思ったのか。

何だかアパレル業界の闇を見た気分。

じゃあ次の冬が近づくと、また半額になるのだろうか。

ぜひ確認したい。


売れてしまっていたらどうするのかって?

売れるわけないじゃん。

あの上下を着られる女子は、そういないはずだ。

袖丈やパンツ丈が長くてカットしたら台無しになるので

私みたいに長身で手足の長い人間でないと無理。


そんな人間が、そうたくさんいるとは思えない。

さらにその手足の長い人間が、このように特徴的なデザインを選び

しかもスーパーで買い求めるとなると、確率はかなり低くなる。

絶対に売れ残って、次の冬にはまた半額になっているところを

ぜひ見たい。

冬が来るのが、今から楽しみだ。
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プラスワン

2024年02月07日 09時14分11秒 | みりこんぐらし
同居する義母88才と、実家で一人暮らしの母90才にかまけ

何かと慌ただしい日々を送っていることは

折に触れてお話ししてきた。

ところが先月末からここに、夫が参戦。

この人だけは手間が要らないばかりか

私のハードな日常をさりげなくフォローしてくれていたのに

一番手がかかるようになった。


認知症ではない。

ヒザ関節症の悪化。

急に寒くなって、痛みがひどくなったらしい。

患部は左足なので運転はできるため

仕事には出ているが、歩行には難儀する状況。

よって、こちらが動いて彼の要望を叶えることが増えたのだ。


夫は元からマメだったわけではない。

女房にタバコの火を点けさせたり、足の爪を切らせたり

ゴルフ道具の手入れをさせていた男の息子なんだから

結婚当初は何もしないのが当たり前だった。


しかし、身辺清らかでない暮らしが長かったせいで

冷蔵庫から食品を出したり、着替えを取りに行ったり

うっかり床に落とした物を拾ったり、ゴミを捨てるといった

何げない日常の動作は妻を頼らずに自分でやるようになった。

よそのおネエちゃんのアパートへ住み込んだり

駆け落ちを繰り返している間に

自分のことは自分でやる癖がついたのである。


なぜって、よその旦那と遊ぶ女は横着者と相場は決まっとる。

横着だから、すでに仕上がった妻子持ちを自分の物にしたがるのだ。

その横着者、最初のうちは甲斐甲斐しいフリをするが

それは演技なので続かない。

続かないから、夫は自分のことを自分でする癖がついた。

女との蜜月を引き延ばしたければ

自分が甲斐甲斐しくなるしかないのだ。

可愛い子には旅をさせよ…じゃないけど、これも一種の成長。


言うなれば私は、身辺清らかでない夫を持ったお陰で

この手の細かい世話を免除されてきたというわけ。

それがどうよ。

これじゃあ、関白亭主にかしづく世話女房と同じじゃないか。


しかし最も困るのは、2匹の犬の散歩。

体力が有り余っている夫は、朝昼晩の1日3回

アレらを散歩に連れて行った。

それが癖になっているもんで、急に行けなくなると犬が納得しない。


そこで長男と手分けして散歩をするが

長男がいない時は、私が2匹を連れて行くことになる。

1匹ずつというわけにはいかない。

アレらは仲悪いくせして、散歩はニコイチでなければ動かないのだ。


かたや体重30キロ超の若い大型犬

かたや8キロと小さいものの、13才の老犬。

犬種と年齢が違えば習性やスピードも違い、非常に骨の折れる作業だ。

ただでさえ忙しいのに、この上、犬に時間を取られるのは厳しい。


そもそも夫は元々重度のO脚で

身長180センチ、体重85キロの巨漢。

この条件でバドミントンを週に3回続けていたら

重い体重を支えるヒザに無理が来るのは当たり前だ。


野球をやっていた夫に、バドミントンは合わない。

たまに走り、たまに打つ野球と違って

バドミントンは最初から最後まで動きっぱなしの激しいスポーツ。

あれは足がまっすぐで、身軽な人が楽しむものだと思う。

人より多い頻度でバドミントンをやるには、夫は大柄過ぎるのだ。


思い返せば夫がバドミントンに手を染めたのは、30年ほど前。

当時の愛人だった第一生命のおネエちゃんに誘われて始めた。

以来、バドミントンのトリコとなった彼は

生命保険のおネエちゃんと別れて以降も

私に隠れながら細々と続けていた。

この10年余りは複数の人から誘われるままに入会し

3つのバドミントンクラブを掛け持ちするありさま。


この男が限度というものを知らないのは

長い結婚生活で熟知しているつもりだった。

昔やっていた野球も、6チームか7チームぐらい入っていた。

どれがどのチームのユニフォームか、わからなくなったり

試合にどのチームから出場するかでトラブルになったことも

一度や二度ではない。

請われればホイホイと行ってしまう…

それはスポーツでも女でも同じ。

バドミントンはたまたま市内に3チームしか無いため

3つで留まっているだけである。


けれども近年、彼のヒザは悲鳴を上げていた。

壊れるまで秒読み段階になってからは

「早く辞めないと車椅子になるよ」

私は何度も言った。

そうなれば夫も辛かろうが

こんな大男を介護する身の上になったら、こっちも死活問題。


しかし、止められると意地になるのが夫。

「このまま進み続けたら大変なことになる」

頭ではわかっていても、引き返したり諦める勇気が無く

つい前に進んでしまう…

登山で遭難する人や、マルチ商法にハマる人と同じ心理である。


そしてとうとう、彼のヒザは使い物にならなくなった。

いずれ足が悪くなるのは予測していたが

せめて自分の親を見送ってからにしたらどうだ。


私におびただしい洗濯物を洗わせ、高いラケットを次々と変え

ヒザ痛で病院通いをしながら続けてきたバドミントンが

いったい何の役に立ったというのだ。

痩せたわけでもなく、品行方正になったわけでもなく

変な女に引っかかって、会社に入れただけじゃないか。

ちなみにその女、今回も教員採用試験に落ちたらしく

4月以降も続投決定。


ともあれ親に手がかかるのは、仕方がない。

誰でも年を取る。

年を取れば意固地にもなるし、心細くもなる。

自然なことだ。


しかし、夫のヒザは違う。

人一倍大きい身体とO脚に目を背けたまま

人並みに週1回程度の楽しみにしておけばいいものを

週に3回も続けた挙句に歩行困難となった。

誰にも訪れる自然の摂理ではなく

自身の欲望をセーブすることなく破滅にひた走った忌々しさ。

これで懲りるかといえば、絶対に懲りない。

それが夫である。


さて、このまま介護生活突入か?と思われたが

数日続いた雨が上がって気温が上昇すると

少し楽になってきたようだ。

夫も楽になったが、私も週3回やっていた膨大な洗濯が減って

よく考えれば楽になったかもしれん。


私は洗濯が苦になるタイプではないが、夫の洗濯物はマジで多い。

限度を知らないという呪われし悪癖は、ここにも発動。

バッグには入り切らないので

大きなゴミ袋へパンパンに入れて持ち帰る。

こんなにたびたび着替えて、バドミントンはいつするんだろう?

と不思議なくらいだ。


前に一度、洗濯が大変だと知り合いにこぼしたら

「あら、私は主人が週に一度、バレーボールに行くけど

その洗濯物を干しながら

主人が健康でバレーボールを楽しめることに喜びを感じるわ」

彼女は細い目を丸くして言ったものだ。

あんたの所は夫婦二人やんか。

週に一度やんか。

が、そういう考え方もあるのだと知った。


夫は現在バドミントンを休んでいるので、膨大な洗濯物は出ない。

動けない夫に世話が焼けるのと、寮母並みの洗濯…

どっちがマシだろうと考えてみる。

…今のところ、ドローだ。

いずれにしても、バドミントンは辞めてもらう。
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シワ改善?

2024年01月28日 19時16分23秒 | みりこんぐらし
先日、10キロ痩せたとブログで話した。

富永愛…とまでは言えないけど

“スラリ”という表現が使えそうな気がする。


しか〜し、手放しで喜ぶわけにいかない64才。

胸の肉がそげ落ち、骨が浮き出て

地獄絵図に描かれた亡者や餓鬼みたい。

それでもこっちの方は、服さえ脱がなければ隠せる。

問題は、顔の小ジワじゃ。


最も深刻なのが、頬の登頂部。

いくらペッタンコな私の顔でも

ここはわずかに盛り上がって、控えめなツヤをたたえていたはず。

それがどうよ。

微細な小ジワがひしめいて、しぼんだ風船みたいだ。

これが、かの有名な“ちりめんジワ”か。

ガ〜ン!


おまけに数少ないチャームポイントだったエクボは

もはやエクボにあらず。

両頬の下部からアゴにかけて、深い縦ジワを掘り込む

スタートラインになり下がっとるではないか。


一応、手当てはした。

同級生マミちゃんの店で買う美容液や栄養クリームをランクアップして

今までの倍の量を塗りたくるのだ。

しかし何ら変化は無く、変わったのは財布の中身だけ。

美容液とか栄養クリームって、とにかく高いのよ。


これではいかん…そう思っていたところへ

ひと月かふた月に一度訪れる置き薬のセールスマンが来訪。

置き薬って、今どきは家庭常備薬と呼ばれているが

定期的に顧客の家を訪問しては使われた薬の代金を受け取り

新しい薬を補充する仕事をする人である。


その昔、置き薬のセールスマンといえば

やさぐれた怪しげなオジサンがお決まりだった。

転職を繰り返して行き着く先は、誰でも入れてくれる営業職。

身内や友だちを顧客にし尽くすまでは、雇ってもらえるからだ。

あの本社雇用の松木氏なんぞ、ピッタリな感じ。

続かないので、家に来る人がしょっちゅう変わるのも特徴だった。


しかし今どきは、そんな人物だと警戒されて門前払いになる。

よって明るく爽やかで、闇を感じさせない人物が主流になった。

この男も30代後半の、太った人懐こいタイプ。

うちの息子と同年代なので、話しやすい。


うちはこの置き薬の会社が扱っている目薬と

葛根湯ドリンクが気に入っている。

いつものように支払いと補充を済ませると、彼はたずねた。

「そうそう、ヒアルロン酸ジェルはまだありますか?」

顧客に薬を貸して使った分だけ現金を回収するという

従来の営業形態に加え

その場で何かを販売するのも彼らの仕事である。


ヒアルロン酸ジェルは、全身に使える3千円くらいの保湿剤。

以前買って、風呂上がりの手足に付けていたが

プルプルと潤っているのはジェルだけで

付けた人間はちっとも潤わない。


そればかりか、ジェルから漂う花の香りに犬が激しく反応。

二匹が競って私を舐めまくるため、鬱陶しくなって長男に与えた。

あの子もはや中年、私に似て乾燥肌なので

風呂上がりには顔に何か付けないと、肌が乾燥するのだ。


そのジェルは大きな入れ物に入っていて、まだたっぷり残っている。

だから、「いらない…潤わないし」と答えた。

すると営業上手な彼は言う。

「新しいのが出たんですよ。

ナイアシンアミドが入ったクリームです」


ナイアシンアミド…

最近、テレビの通販番組でよく耳にする単語である。

「えっ?ナイアシンアミドが入って、このお値段?」

などと大袈裟に驚くやつよ。


「すごくしっとりと潤うんですよ」

彼はサンプルを取り出し、試すように勧める。

直径7センチぐらいの小さい入れ物だ。


化粧をしているので顔に付けるわけにはいかず

手の甲に付けるが、ハンドクリームと同じ感触でよくわからない。

それでも「しっとり潤う」と言われれば、心が揺れるではないか。

もちろん置き薬のセールスマンに、お肌の悩みなんか打ち明けはしない。

汗かきで脂性の彼に、乾燥肌や小ジワの話なんかしたって

わかるわけがないのだ。




30グラム入っていて、価格は4,800円だそう。

今使っている美容液や栄養クリームに比べたら、3分の1じゃんか。

ダメ元で飛びつき、使うようになったが

話の通り、ものすごく潤う。

ワタクシ史上、最高の潤いっぷりではなかろうか。

配合されているというナイアシンアミドが良いのか

クリーム自体が粘っこいからなのかは不明だが

一日中、これほど潤いっぱなしのクリームは知らない。


潤いさえ入手すれば、こっちのもんよ。

シワ問題は年齢問題でもあるので

整形でもしない限り解決しないとわかっているけど

ツヤが出て小ジワを多少、反射してくれるのと

笑ったら頬がピシッと音を立てそうな不快感が無くなった。

それだけでも幸せよ。


振り返れば、胎盤エキス、ヒアルロン酸、コエンザイムQ10、レチノール

プロテオグリカン、セラミド、ビタミンC誘導体、卵殻膜エキス…

店販、訪販、通販で、さまざまな成分を売りにした基礎化粧品を使ってきた。

が、まさか置き薬の男から栄養クリームを買う日が来ようとは思わなかった。

マミちゃんには悪いが、しばらくはこれを使うつもり。
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手抜き料理・茶色祭

2024年01月19日 15時53分19秒 | 手抜き料理
同級生ユリちゃんのお寺で料理を作る習慣は

昨年の10月以来、ご無沙汰。

20年前に父が他界して以来、一人暮らしを続けできた実家の母が

90才を迎えた途端に衰えたため

そっちが忙しくなったことに遠慮しているらしい。


口では忙しいとナンボでも言えるが、私の場合、見た目が証明している。

何だかんだで結局、10キロ痩せた。

その姿を見て、厚かましいユリちゃんもさすがに何も言えないようだ。


そうよ、本当に忙しければ痩せる。

「働くのは私ばっかりで、寝る暇も食べる暇も無い」

ユリちゃんの訴えを信じて同情し

「うちら同級生がやらねば誰がやる!」

そう思って始めたお寺料理だが、あれから5年…

ユリちゃんは順調に太り続けている。

そのありさまをドラム缶と表現していたけど、撤回させてもらう。

ドラム缶の方が縦長で、スラッとしてるぞ。



で、一回り細くなってご満悦の私だけど、問題は顔よっ!

急激に痩せたので、肌は小ジワ祭、目の下はクマ祭。

スキンケアを頑張っても、64才じゃ効果が出ないのよね。

スタイルを手に入れたら、顔が悲惨…

やはり何かを得るには、何かを失わないといけないみたい。

虚しいわ〜(ここ、笑うところ)。



さて、寒くなったので、おでんでもどうです?


忙しさを免罪符に、煮込み料理が多くなった。

この日のおでんの出汁は、牛テール。

こってりした良い出汁になる。

具は大根、こんにゃく、ジャガイモ、厚揚げ、練り物に

私の暮らす瀬戸内ではタコを入れることもある。

タコを入れると、なぜか男どもが喜ぶ。



豚の角煮


角煮を簡単に美味しく、そしてさっぱり仕上げたくて

長年研究していたけど、やっと作り方が確定。


①鍋に水を張り、豚バラをブロックのまま入れて強火で1時間煮る

②1時間後に火を止め、そのまま冷ます

③完全に冷めると豚から出た脂が白い膜になるので

それをすくい取って捨てる

④残った透明の汁はそのままにして

肉をフライパンに移し、全面を焼きつける

⑤肉と汁を圧力鍋に入れ替え、酒、ニンニクひとかけ

ショウガひとかけ、白ネギの葉を数本入れて煮る

圧力鍋が無ければ、普通の鍋でコトコト煮る

⑥圧力鍋から蒸気が出たら火を止め、冷めるまで放置

普通の鍋なら強火で1時間程度煮て、フタをして放置

⑦肉が冷めたら再び脂が膜になっているので、すくい取る

この時、ニンニク、ショウガ、ネギも取り除く

⑧砂糖大さじ1、少しの醤油を入れ、また煮てから火を止め放置

※醤油は最初にたくさん入れて煮ると肉が硬くなるので

この時は少しにしておく

⑨冷めたら味と柔らかさを確認し、醤油が足りなければ足して汁を煮詰め

また冷めるまで放置してから切り分ける

※冷めていないと、切る時にバラバラになる


脂をすくい取り、味を決めて煮詰めたものがこれ

ちょっと食べたので、減ってる


工程を言葉にすると長ったらしくて嫌気がさすけど

実際にやるのは放置祭。

ブロックのまま冷蔵庫に入れておくと数日は保存がきくので

おかずのない時、切って温めてから生野菜の上に置き

煮詰めた汁をかければ立派な一品。

細かく切ってチャーハンの具にしたり、ラーメンのお供にしたり

汁と一緒にご飯にかければ焼き豚丼。

この焼き豚丼に目玉焼きを乗せたら

焼き豚卵飯(やきぶたたまごめし)といって

愛媛県だったかの名物B級グルメになる。

私は年寄りなのでやらないけど、若い人は喜ぶ。



椎茸マヨ


生椎茸をサッと洗って水分を拭き取り

マヨネーズと塩胡椒をかけたらオーブントースターで焼くだけ。

これがあなどれない美味しさ。

しかも早い。

私はパセリをかけてみたけど、無くても大丈夫。


気づけば茶色のおかずばっかりね。

美しくて洒落たお料理は苦手どす。

すんませ〜ん。



『しおやさんへ』

前記事のコメント欄でお話ししてくださった前立腺癌の話。

昨日、経験者から詳しい話を聞いたのでご報告いたします。

その人は同窓会の会長、通称モトジメ。

4年前、同窓会の還暦旅行でカニの本場、城崎温泉に行きながら

カニを注文し損ねた男。


別件で久しぶりに電話をかけてきたんだけど

実は俺…ということで、闘病絵巻を聞くことになりました。

しおやさんと話したばかりなので、あまりの偶然に驚いた次第です。

ヤスヒロのケースと違うので

詳しくはコメント欄へお越しくだされば幸いです。
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開運のコツ…かもよ

2024年01月13日 09時59分23秒 | みりこん流
遅ればせながら、明けましておめでとうございます!

元旦から能登半島で大地震、驚きましたね。

皆様のお住まいの地域は大丈夫でしたでしょうか?

被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。


しばらくお休みさせていただきましたが

何のことはない、年明けから風邪引いてましてん。

わかっとります。

色々疲れたんですわ。


それにしても年寄りっちゅうのはどうして

「迷惑かけたくない」と言いながら

迷惑なことばっかり言うんでっしゃろなあ。

こっちは車でどこかへ連れて行ったり

代わりに何かやったりするのは迷惑と思わんのですわ。

ただ、何をして欲しいという要望に到達するまでの前置きが長い。

迷惑なのは、それを延々と聞いてる時間なんだけど。

年を取るって、要望を簡潔に言えなくなることなのかもね。


とまあ、のっけから辛気臭い話ですまんことです。

もう大丈夫、こんなことで負けてはおられまへん。

今年もぶっ飛ばして行きまっせ!



さて、私は子供の頃から…

正確には11才で母親が他界してから

自分は不幸だと思って生きてきた。

母親の一人や二人亡くしたぐらいで不幸を名乗るとは図々しい…

親と早く別れた経験の無い人はそう思うかもしれないが

子供にとって母親に死なれるのはきつい。


そのダメージが精神的な方面ではなく

肉体に影響するのが、大人と違うところだ。

身体中の関節という関節が全部外れたような感じで

糸の切れた操り人形になったみたいなんじゃ。

首、手足、指…ちゃんと繋がっているはずなのに

何だかブラブラして力が入らない。

初めての感覚に、私は戸惑うばかりだった。


「悲しみに負けず頑張ろう…」

一応は、そう思う。

しかし、この関節問題だけはどうしようもない。

ともすれば脱力してヘナヘナと座り込みそうになるため

両足を踏ん張ってどうにか立ち、平然を装うのがやっと。


とにかく「関節、外れてませ〜ん」を装うのに必死なもんで

子供であることを楽しむ余裕はあんまり無い。

そんな状態で普通の小学生を演じるには

視線をやや下に落とし、歯を食いしばって行動するしかなかった。


その姿はハタから見れば、不機嫌に感じられたと思う。

「みりこんさんは、いつもダラダラしています。

みんなが頑張っている時は、もっとやる気を出して欲しいと思います」

告発の快感を覚え始めた一部の級友は、そんな私を帰りの会で糾弾した。

「うるせぇわ!好きでダラッとしとるんじゃないわい!

首やら手足がブラブラなんじゃ!」

そう言いたいけど言えない、このつらさ(ここ、笑うところよ)。


何か言い返すと、母親のことに触れられるのは決定事項。

「お母さんが亡くなって悲しいのはわかりますが

元気を出さないといけないと思います」

「僕も、私も、そう思います」

上辺の励ましに、まばらな拍手。

おお、嫌だ。

だから何も言わない。


アレらは良いことを言っているつもりだろうが

何もわかっちゃいないし、わかってもらいたいとも思わない。

このような上辺のことを言われると

死んだ母親を悪く言われているようで、子供としては耐え難いのだ。


私は悲しみを引きずっているのではない…

死んだものは仕方がないというのは、あんたらよりもわかっている…

ただ、関節がブラブラなだけなんじゃ…

じきに治ると思うから、そっとしておいてくれ…

心で叫んだものである。

上辺で小美しい口をきく人間を忌み嫌う癖は、この頃からだと思う。


中学でブラスバンドに入ると、関節のブラブラ病?は徐々に回復した。

だってブラスバンドは、音楽が好きで入部した人間ばかりだ。

彼ら彼女らは音楽というアイテムで、自分の機嫌を取るスベを知っている。

だから、家庭で貯めたストレスを外で人にぶつける必要が無いのだ。

もちろん音楽に限らず、スポーツや他の趣味も同じで

一心に取り組む者は他人を気にしない。


安心できる仲間に囲まれ、より美しい演奏を追求する楽しさを知った私は

ブラスバンドだけが生き甲斐になった。

人並みの青春を謳歌できるようになったからか

急激に背が伸びて各関節に成長痛が訪れ

ブラブラどころか痛いので、そっちに神経が行ったからかは不明だが

中2になる頃にはブラブラ病から解放された。


そんなわけで復活した私だが、ブラブラ病に対する恐怖は残った。

あの不可解な症状は消えたものの、得体の知れぬ脱力感は

その後も長く続いたからだ。

新しい人間関係も、新しく始めた何かも

どうせ途中で嫌なことが起きる…

だったらいきなり全力を出さずに、しばらく観察して様子を見よう…

私はいつもどこかでブレーキをかけ、脱力感と共存する道を選んだ。


やがていつしか、あの不快な脱力感は消えたが

ブレーキの方は癖になったまま幾星霜。

しかし50代半ばのある日

ブレーキをかけるのが急にバカバカしくなった。

正確には義父が他界した頃だと思う。

一人片付いて余裕が出たので

このままブレーキをかけ続けるのがもったいない気がしてきたのだ。


そんな私が何をしたかというと、全然たいしたことではない。

ただ、集まりに早く行くようになった…それだけ。

友人や近所の集まり、参加せざるを得ない様々な活動

通夜葬儀にも、とにかく早めに行く。


それまでは時間を逆算して、いつもギリギリに行っていた。

早く行って熱心だの暇だのと思われ、アテにされたら困るからである。

だってアテにされたら、張り切るではないか。

私は自分の性分を知っている。

張り切ったら最後、パワー全開。

火宅の家や選挙で培った強烈なものだから、容赦ない。


それが良い結果を生むこともあるけど

集団の中には、山で言えば六、七合目あたりを頂上と信じ

登頂したと思っている人や

いつまでも裾野を漂っていたい人もいるものだ。

そういった一部の人たちにとって、私は迷惑な存在。

だから首を深く突っ込まないための予防策として

あんまり嬉しげに早く行かない。

私にとっては効果的なブレーキの一環…のつもりだった。


が、変に気を遣うことをやめたのだ。

早く行くと何がいいかって、主催者が安心して喜ぶ。

そして私と同じく早く来た人も、続いて早めに来た人も

誰か居ると安心する。

その安堵が周囲の空気を変えるのか

通夜葬儀は別として、自分もゆったりと楽しめることが判明。


のめり込んだっていい、突っ走ったっていい…

だって老い先短いんだもの…

そう思って解除したブレーキだが

今のところ、のめり込むことも突っ走ることも無い。

燃えるものが無いと言った方がいいかも。

自分が年を取ったら、周りも年寄りばっかりじゃん。

楽しくて無我夢中になってしまう集まりなんて、ほとんど無いのよね。

な〜んだ。


新しい出会いもしかり。

六十何年も生きてきて、今まで知り合わなかった人って

やっぱり縁の無い人なのよ。

な〜んだ。


でも、早めの集合は続けるつもり。

誰かに安心してもらうって、こちらも安心した気持ちになる。

人と良い関係を保ち、穏やかに生活する秘訣かもしれない。


『大晦日に作ったオードブル』


毎年大晦日の夕方、夫の叔母宅に届けるのが恒例。

叔母は義父の妹で、彼ら6人兄妹の中では唯一生存している。


今年は食材がたくさんあったので

もう一軒、知り合いの家にも持って行った。

確か、これを作るまでは元気だったはず。

無理をしてはいけないと、つくづく思った。
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靴底事件・アゲイン

2023年12月29日 21時21分03秒 | みりこんぐらし
先日、夫と市外のホームセンターへ買い物に行った。

愛犬パピのおやつを入手するためだ。


うちには13才のパピヨン、パピと

3才のダックスとセッターのミックス、リュウがいる。

犬種が違うので食の好みも違い

おやつはそれぞれ別の物を与えているが

近頃、パピが愛してやまないおやつ…

ドギーマンというメーカーの“きらり”が町内で品薄。

“きらり”にはプレーンやチーズ入り、野菜入りなど何種類かあって

パピの好きなプレーンタイプが売られてないことが増えた。


車で40分ほどかけて、大きな町のホームセンターに行けばある。

だから、その店へ行った時にはいつもたくさん買っておくのだが

町の人口が多いため、当然、車も多い。

週末なんか芋を洗うような賑わいで、ホームセンターの駐車場は無法地帯。

何かと消耗するため、比較的近くて人影まばらな田舎の店を開拓中なのだ。


しかし、どこへ行ってもきらりのプレーンタイプは見つからない。

ネットで買えばいいようなものの

きらりを買うと言えば義母がすんなり納得するので家を出やすいため

夫婦できらりを探す旅を楽しんでいるのである。


先日は、我々が以前住んでいた山間部のホームセンターへ

行ってみようということになった。

今から30年近く前の35才の時、夫の実家から九州へ出奔した私。

結局帰って来て夫や子供たちと合流し、5年ほど暮らしていた思い出深い町だ。

世話になった大家さん夫婦はすでに亡くなり

ほとんど行くことが無くなって久しい。


というわけで行ってみたが

やはりそこのホームセンターにもきらりは無かった。

仕方がないので同じ敷地にあるスーパーへ寄って帰ろうと

広い駐車場を歩いていたら、黒い喪服の集団と遭遇。

子供から年寄りまで10人ほどいるところを見ると

身内の葬式帰りらしい。


そうだった…この町の人々は閉鎖的で

かつ、ちょっと変わったところがある。

滅多に着ない喪服を着ると、すぐに脱ぐのがもったいないのか

あるいは娯楽が少ないからか、一族郎党が喪服のまま

スーパーなど人の多い所へ繰り出してゾロゾロと練り歩き

買い物をする習性があるのだ。


その中に、おそらく我々より少し年上の太ったおじさんが一人。

きつそうな喪服を着てポケットに手を突っ込み

一族と一緒に練り歩きながら、時々立ち止まってキョロキョロしている。


この行為も、この町の男性あるある。

たまに着た喪服姿を人に見て欲しいらしいのだ。

ついでになぜか肩をいからせて、ヤクザ映画さながらに

いかつい男を表現。

私が住んでいた頃から、この摩訶不思議な行為は続いていたみたい。

最初は意味不明だったが、何度も見かけるうちに彼らの意図がわかってきた。

今でこそ豊富な休耕田を活用してスーパーがたくさんできたが

元はそれほどすさまじい田舎だったということだ。


さて、田舎のショッピングモールは、やたらと広い。

ホームセンター寄りに停めた車から、遠くに見えるスーパーの入り口を目指して 

我々夫婦は延々と歩いていた。


と、やがて“バッタン、バッタン”という

大きな音が聞こえてくるではないか。

「近所の人が布団で干していて、それがこだましているんだろう」

私は思った。

広い駐車場に響くバッタン、バッタンは

誰かが布団を叩く音だと信じて疑わなかったのだ。


しかし、そこで夫が笑いながら耳打ち。

「ワシと同じヤツがおる」

夫が指さす方角には、例のおじさんが一人で歩いている。

彼はいつの間にか一族と離れ、単独行動になっていた。

バッタン、バッタンは、そのおじさんの足元から発生しているようだ。


「おおっ!」

素晴らしい光景を目撃した感動で、私は思わず声をあげた。

彼の右足の靴と靴底は、離婚寸前。

かろうじて、爪先だけがくっついている。

古い劣化した靴で歩き回っているうちに

土踏まずとカカトの部分がペロリと決別したらしい。


その状態で歩くたび、離れた部分が大きく波打ち

反動が足の裏を太鼓のごとく、派手に打ち鳴らしている。

その大音響に、他の一族はさすがに恥ずかしく思ったのか

あっさり彼を見捨て、どこかへ散ったようだ。


バッタン、バッタンはショッピングモールの建物に反響し

高らかに響き渡る。

しかし、おじさんはどこ吹く風。

相変わらずヤクザ映画の主人公にでもなったかのように

肩をいからせて歩き回っている。

まさか自分の靴と靴底が離れかけているとは、夢にも思ってない様子。

呼吸困難になるほど笑った。


思い起こせば、何年か前にあった本社の新年会…

人並外れた甲高幅広足の夫は、履いて行く靴が無くて古いのを履き

パーティー会場で靴のカカトが落ちた。

それを次男が見つけ、近くに居た人と

「終わってるね」と話して笑ったが

終わってるのは自分の父親だったというてん末。

あの時も腹がよじれるほど笑ったが

今回は目の前で見たというのもあり、もっと笑った。


「きらりを探しに行って良かった!」

夫も私も心から、そう言い合った。

しばらくは、このネタで笑えそうだ。
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人気者

2023年12月18日 09時10分31秒 | みりこんぐらし
次男夫婦の間で今、モンちゃんが熱い。

モンちゃんは、ここでもよく登場する私の同級生。

家が近かったため、幼稚園に上がる前からの友だちだ。


彼女と私は共に商売をする家の長女に生まれ

彼女の父親はマスオさん、私の父親は養子として

義理親の家に入り、家業に従事していたこと…

彼女も私もたまたま同じ町の男と結婚し

双方の伴侶もたまたま二つ年上の同級生同士だったこと…

彼女の方は仕事が続かない旦那、私は浮気者の旦那に

それぞれ手を焼いて数十年…

そしてモンちゃんの方はすでに見送り済みだが

姑仕えに苦心した身の上など

お互いの生活基盤に共通点が多いため、心からわかり合える大切な存在だ。


次男夫婦がモンちゃんのファンになった発端は、半年ほど前。

車を運転中のモンちゃんが路上でパトカーに止められたのを

嫁のアリサが偶然目撃したことから始まる。

しかも同じ月に2回だ。


モンちゃんの罪状は、どちらも歩行者進路妨害。

7〜8年前だったか、信号の無い横断歩道の手前に

道路を渡りたい歩行者が立っている場合

車は停止して歩行者を渡らせなければいけない規則ができた。

モンちゃんはそれを怠って通過し

後方に居たパトカーに止められた様子だったとアリサは言う。


アリサは、モンちゃんと会ったことが無い。

「顔の部品が浮世絵の“ピノキオ”」

私の話したモンちゃんの人相風体から

「間違いない」と踏んだそうだ。


顔の部品が浮世絵というのは、浮世絵に描かれた美人画から。

モンちゃんは面長(おもなが)で

糸目鉤鼻(いとめ・かぎばな)の古風な顔立ちなのだ。

江戸時代なら浮世絵のモデルになって、もてはやされていたかもしれない。

あれが髪を段カットにしてトレーナーを着たら、モンちゃんになる。

ピノキオの方は、昔のアニメ“樫の木モック”でもいいのだが

身体が細くてカクカクしているのが由来だ。


私はアリサからモンちゃんの目撃談を聞いた時

「そんな偶然があるものか。

一回はモンちゃんであったとしても、さすがにもう一回は別人だろう」

と思った。

しかし後日、モンちゃん本人から告白が。

「横断歩道の歩行者が目に入らなくて、ひと月に2回もパトカーに捕まった。

財布が痛い」

やっぱりビンゴだったのだ。


それをうちの嫁に見られたと知ったらショックが倍増すると思い

「悪かったねぇ…交通事故よりマシと思おうや。

モンちゃんが無事で良かった」

と言った。

そして自分が目撃したのがモンちゃんかどうか

結果を待ち焦がれていたアリサには

「本当だった」と伝えた。


それからが大変。

俄然モンちゃんに興味を持った次男夫婦は

彼女の話を聞きたがるようになり

最新ネタが入らない時は、子供時代の思い出を話せとうるさい。


そこで、モンちゃんがお母さんの着せ替え人形で

いつもフリフリの可愛い洋服を着ていたこと…

書道、ピアノ、バレエ、絵画、日舞、茶道、華道など

たくさんの習い事をしていたこと…

遅刻の女王で、遠足や校外行事の度に大幅な遅刻をし

いつもタクシーで合流していたこと…

中学時代に『学生街の喫茶店』という歌が流行り

それを歌っていた“ガロ”というトリオに夢中だったこと…

メンバーの中で“マーク”と呼ばれていた

ロングヘアのビジュアル系に魅せられていたこと…

彼のトレードマークはレイバンのサングラスだったので

モンちゃんもマークと同じタレ目型のレイバンが欲しくなり

お母さんの協力で入手したこと…

それに近視用の透明レンズを入れて、学校で使っていたこと…

細面のモンちゃんにレイバンは似合っていたが

アメリカ製のサングラスは大きくて重いため

いつも小鼻の辺りまでずり落ちていたこと…

などを話したら、大喜びする次男夫婦。


ちなみにモンちゃんの華麗な子供時代を知る者は

頻繁に行き来していた私しかいない。

彼女が自ら人に話すことは、一度も無かったからだ。

話す以前に、彼女は自身の日常に興味を持っていないフシがあった。

口数少なく、羨望も嫉妬もライバル心も無く

ただひょうひょうと生きる姿はまさに仙人。


口うるさい田舎町で、モンちゃんだけは

何をしようと完全にノーマークだった。

他の者が派手なレイバンのメガネなんかをかけていたら

速攻で揶揄の対象になっていたはずだが、モンちゃんだけはスルー。

遅刻に至っては先生と私以外、誰もその事実を知らないままである。

あまりにも悠々と現れるので、違和感を感じないのだ。

影が薄いというのか、気配を消せる特技を持っているのか

いまだに謎。


先日も次男夫婦がねだるので、最新ネタを披露。

モンちゃんが、うどんかラーメンかで悩んでいた話だ。

私と会う前夜、彼女の家の晩ごはんは湯豆腐だったそう。

「だから今夜は湯豆腐の残りの汁に

うどんかラーメンを入れて食べるつもりなんだけど

どっちにするか、迷ってる」


湯豆腐の残りを翌日の晩ごはんにするのって

いかにも節約家のモンちゃんらしい。

旅館の娘として贅沢三昧に育った彼女だが

働かない旦那と暮らしているうちに倹約が身についたようだ。


「湯豆腐なら、うどんじゃろ」

私は言った。

しかしモンちゃんは首を振る。

「それがさ、冷凍のギョウザとシューマイも入れたのよ」

「それはもはや…湯豆腐じゃないのではっ?」

「豆腐がメインだから、私の認識では湯豆腐なのよ。

でも味は中華に寄ってるし、決められない」

ロダン作、“考える人”のブロンズ像みたいにうつむき

真剣に悩むモンちゃん。


「じゃあ、うどんとラーメンを1個ずつ買って時間差で入れたら?」

無責任な提案をしてみたが、モンちゃんは首を振って断言する。

「どっちか一袋しか買わない」

そうだった…この夫婦は食が細い。

何はさておき、まず酒なので

うちでは考えられない少食なのだった。


うどんかラーメンかの悩みは、帰るまで続いた。

その後、私と別れてスーパーへ行ったモンちゃんが

どっちを買ったかは知らない。



モンちゃんは20代の頃、あと半月で結婚式という段になって

突如相手の男が嫌になり、彼女の親が結納金の倍返しと

ホテルのキャンセル料などを支払って婚約解消した武勇伝を持つ。

その数年後に今のご主人と出会って結婚したが

彼に決めた理由はいたってシンプルだ。

「マークに似ている」

これもやはり武勇伝として、次男夫婦に話した。


ちなみにそのマークもどき

私には散髪嫌いの変わり者にしか見えなかった。

しかし、こっちも結婚を決めた理由は

「舘ひろしに似ている」だったので、人のことは言えない。


ともあれ人生を左右する大決断には躊躇せず

うどんかラーメンかではクヨクヨと悩むモンちゃん。

このギャップが、次男夫婦のハートを掴んで離さないらしい。

この人気は、しばらく続きそうだ。


『コタツでお休みになる、うちの人気者リュウ・3才』


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詐欺電話

2023年12月12日 15時43分53秒 | みりこんぐらし
近頃、誰でも知っている電力会社を名乗り

料金のシステムが変わるだの、お得なプランだのと

ひたすら自動音声を聴かせる電話が増えた。

言われるままにプッシュボタンか何か押したら

とんでもない外国へ繋がって厄介なことになるタイプだ。

他人から金銭をせしめようとしながら、自動音声に任せるとは何と横着な。

詐欺の風上にも置けない。


また数日前には、とある商店を営む知り合いの所へ

年金の還付金詐欺の電話がかかってきたそうだ。

手違いで年金を少なく支払っていたので返す…

年金事務所の職員を名乗る男が言う、その金額は23,850円。

多ければ警戒されるし、少なければ飛びつかないため

微妙な線を突いている。


相手は23,850円を振込むための確認と称して

年金を受け取っている通帳の口座番号をたずねたので

知り合いは受話器を置き、通帳をしまってある部屋へ移動しようとした。

が、そこへたまたまうちの次男が居合わせており

電話機のナンバーディスプレイに表示されている

相手の電話番号をスマホで検索したところ、“詐欺電話”と出たので

通話を打ち切らせた。

今どきは警察や一般人が、怪しい電話番号をネットで公開しているそうで

調べるのは常識なんだと。


これは、そのまま話し続けていたら銀行へ行かされ

うまいこと言いくるめて残高をどこかへ送金させられるという

今ではすでに古典となった手口と思われる。

知り合いは確かに年金受給者ではあるが

頭も身体も私よりずっとしっかりして若々しいのに

急に電話がかかると、うっかりこういうことになるみたい。

他人事ではない。

今どきは怪しげな電話がかかるため、電話を解約したり

自動音声で「この電話は録音されます」とかなんとか

長ったらしい前台詞を流して相手の気力を削ぐ措置を取る家庭が増えているのも

うなづけるというものだ。


一方、うちには電話イノチの義母ヨシコがいるので無防備を続けている。

つい先日の夕方、そんな我が家へ電話がかかり

ヨシコは何やら話していたが、代わってくれと言ってきた。

「◯◯市(うちらの居住する市)から、何か来るんだって。

私じゃようわからんから、聞いてみて」

そう言われて交代したら、生身の女性の声。

「こちらは⬜︎⬜︎⬜︎と申します」

社名らしきカタカナを並べたが、忘れた。


「この度、私どもは◯◯市と提携いたしまして

戦争や災害で被害を受けた方々への支援物資を集めております。

現在、お近くをスタッフが回っておりますので

食品や衣類など、支援に役立ちそうな物がお家にありましたら

ぜひお出しいただきたいと思います」

年の頃は30半ば、しゃべり慣れた美しい声だ。


意地の悪い私は、ここで言う。

「食品や衣類の他に、不要な貴金属なんかもでしょ?」

「はい、それはもう。

現金に換えて支援することができますので」

「支援だったら、うちがしてもらいたいわよっ!」

「えっ?あの、ホホホ…」

向こうがたじろいているうちに電話を切った。


公共機関の名をかたる手法、昔は確かにあった。

「消防署の方から来ました」と言って、高い消火器を売りつけようとしたり

「教育委員会の方から来ました」と言って

高い幼児教育の教材を売りつけようとしたり。

もちろん買わなかったが、このようなセールスに何度か遭遇したものだ。


幼児教育の教材を売りつけようとした女なんて、感じ悪かったぞ。

「文部省(当時)の決定で

来年から教育指導要項がガラリと変わるので

教育委員会の方も急いでいるんです。

この教材は即決された方が優先されるので今、決めてください。

でないとお子さんが小学校に上がられた時、勉強から置いて行かれます」

40過ぎの長男が未就学の頃だから、どんだけ昔かわかるだろう。


教育委員会という名称がお初だったらビビっていたかもしれないが

うちの両親の仲人が市役所の偉いさんだったため

聞いてはいけない内部の話など、わりと耳慣れていた。

あの教育委員会が文部省のお達しに敏感に反応し

取り急ぎ有料の教材を販売して回るなど考えられなかったのだ。

それで断ったら、「親なのに、お子さんの成績に興味が無いんですねっ」

と捨てゼリフ。

心配せんでええ。

教材を買おうが買うまいが、うちの息子はパッパラパーだ。


時代は移ってセールスはネットや電話が主流となり

相手の顔が見えなくなると、使うアイテムが大胆になった。

どこそこの方から来ました…というセリフは

後で都合が悪くなると、「あれは方角のことだった」

と言い逃れをするための伏線だ。

しかし面が割れていなければ、堂々と市役所の名前を出すことができる。

電力会社や年金事務所の件もそうだけど、まずは揺るぎない固有名詞を出すと

カモは信用してしまうのだ。


老人は加齢と共に、公共の名前に弱くなる。

年を取って心細くなると、冷たい身内より公共機関の方が

より身近で頼り甲斐があるように感じるらしい。

ヨシコも“市”と聞いて、強い反応を示した。


そして支援という言葉で、老人の心をくすぐる。

年を取っても人の役に立ちたい老人は多い。

気の毒な人たちに手を差し伸べることができたら…

公共機関と福祉のダブル攻撃で、老人のハートを鷲づかみ。

よく考えたものだ。


広島の息子に引き取られ、老人ホームに入った隣のおばさんが

まだ隣に住んでいたら、絶対に騙されていると思う。

貴金属などの金めな物を売るのは本人の自由だけど

市の名前をかたって嘘を言うヤツに騙されて売るのはシャクじゃないか。


それにしても電話をかけてきた女性は

張りがあって滑舌が良く、それでいながらソフトな

本当に美しい声だった。

ちょっとジャブを撃ったら狼狽えるところなど

人柄もそこまで悪質ではないと思われる。

これだけしゃべれるのなら、人を騙すバイトをするより

衆議院の解散も近いことだし、ウグイスをやったらどうだ。

もったいない。
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外食難民

2023年12月08日 09時08分11秒 | みりこんぐらし
気がつけば、もう師走。

先月は、ブログを3回しか更新しなかった。


11月で90才になった実家の母の体調が思わしくなく

急きょ駆けつけたり、病院へ連れて行くことが増えたのだ。

それから、私の居住するシルバーストリートのシルバーたちが

相次いで5人他界。

どの人も平均寿命前後の男性だ。


コロナ禍以降、家族葬が主流となり

通夜葬儀の参列や手伝いが無くなったので

以前ほどの慌ただしさは無く、忙しいのは気分だけなのだが

バタバタと過ごしているうち

あっという間に11月が終わってしまった。


げに、老人が衰弱したり

近所の人が競争みたいにバタバタと亡くなるのは

やっぱりこの夏の暑さが影響しているように思う。

ものすごく暑かったのが急に寒くなるという容赦の無い温度変化が

彼らの心身を弱らせたのだろう。


ともあれ短期間に5人のシルバー男性を失った、我がシルバーストリート。

「次はワシじゃ」、「いや、ワシよ」

老人たちは寄ると触るとこの話をしていて

中にはそれを言った人が実際に亡くなり、戦々恐々の状態だ。


先週まで元気に老人体操教室に来ていた86才の男性Kさんが

今週は来ないので有志が誘いに行ったら

一人暮らしの家で息絶えていたというのもあった。

一応は変死扱いなので、警察が介入。

シルバーストリートは、ものものしい雰囲気に包まれた。


第一発見者と、最後に携帯で話した相手が呼ばれて事情聴取が行われる。

玄関には数日分の新聞が溜まっていて、机に広げてあった新聞の日付けと

最後に電話をした日が同じだったので、死亡日が判明したそうだ。


その事件が起きる3日前、やはり元気そうだった84才の男性が

わずか数日の入院の後、奥さんを残してあっという間に亡くなった。

前の週にはピンピンして体操教室に来ていたので

仲間のショックは大きく、その話で持ちきりだったが

Kさんはその前に亡くなっていたらしい。


このように何かと落ち着かない日々を送る我が家では

外食の頻度が上がった。

私の時間が取れなくて、ごはんが間に合わないことが増えたのだ。

月に一度あるか無いかだったのが

月に二度は家族で食事に出るようになった。

男共は外食が好きではないため、シブシブ付いて来るが

人前に出るのが好きなヨシコは喜ぶ。


しかし夫とヨシコを同伴した外食は、非常に気を使う。

彼ら母子には、呪われし悪癖があるからだ。

それは、テーブルに座る時に起きる。

アレらはまず、テーブルに両手をつき

その両手に全体重をかけて、ドスンと椅子に座る癖。


夫はバドミントンで痛めたヒザが原因、ヨシコは持病の腰痛が原因で

椅子を手前に引きながら普通に座るのが難しい。

ゆっくりやればできそうなものだが、つい楽をしようと

短絡にテーブルを利用して座る。

すると、どうなるか。

信じてもらえないかもしれないが

テーブルが引っくり返るという大惨事が発生する。


人的要因としては、どっちも太めなので体重が重い。

さらに我が家のテーブルはその昔、ヨシコがヘソクリをはたいて買った

頑丈な無垢材。

体重をかけてもビクともしないため、その習慣が身に付いてしまい

よそのテーブルのコンディションなんて気にせず

家と同じ動作をやらかしてしまうのだ。


一方、店の物的要因も存在する。

近頃の飲食店は安上がりに作ることが多いので、テーブルがヤワなのだ。

そりゃ高級店に行けば、アレらの体重にびくともしない

重厚なテーブルがあるかもしれないが

予算には限りがあり、各自の好みもあり、田舎でもあり

しっかりしたテーブルを備えている店はほとんど無い。


最も危ないのは、テーブルの脚が真ん中に1本だけの店。

丸か四角の天板を1本の脚で支えているためバランスが悪く

夫とヨシコにかかれば、ひとたまりも無い。

テーブルは大音響と共に床へ横倒しになり、醤油や爪楊枝が散乱。

客は何事かと注目し、店の人は血相を変えて飛んで来る。

悪びれる様子もなく、テーブルに罪をなすりつける母子。

穴ったら入りたいとは、このことだ。


そのうち私にも知恵がつき、カフェや横文字料理の店は

弱々しい造りのテーブルが多いので避けるようになった。

テーブルの天板がガラスになっている店はさらに危険なので

はなから近づかない。

麺類など安価な商品を提供する店も、商品価格に見合ってヤワ。

ファミレスも重厚に見えて案外ヤワなので、要注意だ。


ここだけは大丈夫と思っていた店も

いつの間にか危ないタイプに交換していることがあるので

油断はできない。

町内のビジネスホテルのレストランが、そうだった。

バブル期の開店当初は予算がふんだんだったらしく

テーブルも椅子も頑丈なので安心していたある日

椅子はそのままでありながら、ガタのきたテーブルだけが

一般家庭で使う普通の食卓に変わっていた。

上に掛けてあるテーブルクロスはそのままだったので

気がつかなかったのだ。

4本脚なので倒れはしなかったが、アレらが座る際にグラリと傾き

冷や汗をかいた。


一番安心なのは、座敷。

テーブルの脚が短いので、倒れようが無い。

しかし足の悪い二人がいるとなると、座敷の店は選択外だ。


そこで夫とヨシコを向かい合わせに座らせて

体重バランスを分散させるように心がける。

いざ座る時は「手を椅子に」、「そうそう、ゆっくり」

などと言いながら手を添え、厳しく指導。


食事中も安心はできない。

すでに料理が運ばれているテーブルで、アレらが何かの拍子に立ち上がり

再び座ることになったら、さらなる大惨事だ。

薬を落とした…車のキーが見当たらない…

トイレ…知り合いが向こうに来ている…

そんな理由で安易に立ち上がろうとするのを全力で止める。


以前、ヨシコと近所のおばあちゃん達を連れて

町内の小洒落た洋食店に行った際

「内装が真っ白だから目が疲れる」と口々に言い出し

年寄りの外食は何と大変なことよ…と驚愕したものだが

まさかテーブルにまで気を使う羽目になろうとは思わなかった。


安全なテーブルのある店は年々減少し

私はどこへ行っても、テーブルの強度を案じている。

初めての店や、しばらく行ってない店は

先に入ってテーブルのチェックをするほどの念の入れよう。


唯一、安心できる店が市外にある。

そこは、テーブルが石なんじゃ。

大きな石の上っ面を綺麗に磨いてあるだけなので、脚すら無い。

だから絶対に倒れないし、グラつかない。

その店だけはリラックスできるが、車で40分かかるので

時間のある時しか行けないのが難点だ。

外食で楽をするはずが、かえって疲れる私である。
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米寿の祝い

2023年11月27日 13時31分37秒 | みりこんぐらし
同居する義母ヨシコは、88才。

88才と言えば米寿。

「次(99才の白寿)はもういないと思うから、今回は盛大にやっておこう」

という夫の姉カンジワ・ルイーゼの発案により

ヨシコの誕生日当日に、町内のホテルで米寿の祝いを催すことにした。

「ぜって〜、いるよ…」

私はそう思ったが、お祝い事をするのはやぶさかでないため

二つ返事で賛成。


このホテルにはヨシコの友人、骨肉のおトミの娘である聖子ちゃんが

パートで勤めている。

そこでルイーゼが、聖子ちゃんに頼んで予約してもらった。


ちなみに骨肉のおトミは認知症が順調に進行し、今では廃人同様。

一昨年、足を骨折して以来、歩けなくなったので徘徊や乱暴は無い。

ずっとボンヤリして車椅子に乗っている“おとなし系”だ。


元気な頃は骨肉の嫁姑を繰り広げていたため

おトミに手がかかるようになっても、お嫁さんは一切関わらない。

だから母親の世話は、聖子ちゃんが一人で行っている。

もっともお嫁さんは昨年、交通事故に遭い、姑の介護どころではなくなった。

怪我をしたから介護ができなくなったのか

介護をしたくないから後遺症を強調しているのかは定かではない。


ともあれ、おトミの症状からしてとっくに施設案件。

しかし聖子ちゃんが、母親を離さない。

精神的な母子依存もあるだろうが、施設に入れると

母親の年金がそっちの支払いに回ってしまう。

身体が丈夫でないこともあって、若い頃はほとんど働かず

60半ばの現在まで独身を通してきた聖子ちゃんにとって

おトミの施設行きは死活問題なのであった。


が、家で面倒を見るとなると、どうしても怪我が多くなる。

おトミは転んだりベッドから落ちたりして、あちこちを骨折しながら

聖子ちゃんの介護を受けている状態だ。

それでも聖子ちゃんはわけわからんおトミを車に乗せ

ヨシコを誘ってドライブに出かける。

「話してもわからんから面白くないし、車椅子を押せと言われるのも嫌」

ヨシコはそう言いながらも聖子ちゃんに誘われると断れず

シブシブ出かけている。


おトミはヨシコより二つ年上。

トイレもままならない彼女の状態を見るにつけ、ヨシコはつくづく元気だと思う。

うちは手がかからないだけマシ…

そう考えるようにしているのだ。



やがて、まだまだ先と思っていた米寿の祝いが近づいてきた。

ルイーゼはヨシコに金のチャンチャンコと頭巾(ずきん)を着せると言い

うちの次男の嫁に頼んでネットで買ってもらっていた。

60才の還暦に赤いチャンチャンコは誰でも知っているけど

88才の米寿には金のチャンチャンコを着せるそうだ。

私の身内に88まで生きた者はいないので、知らなかった。


そして先日、いよいよお祝いの日だ。

12時が近づき、主役はお召し替え。

深いグリーンのロングドレスを新調していたのでビックリ。

ルイーゼが買ってくれたそうだ。

このところルイーゼとよく出かけていたのは、これを調達するためだったらしい。

グリーンのドレスにグリーンのバック、二連の真珠、黒のハイヒールと

ゴージャスが得意なヨシコの本領発揮である。

人に買わせた服で主役を張るって、いかにも他力本願のヨシコらしい。


私もたまたま似たような色を着て行くつもりだったので

色がかぶってはいけないと思い、慌てて着替えた。

はしゃぎまくるヨシコを連れて、ホテルに到着。

ルイーゼ夫婦、おみっちゃんちゃん夫婦と一人娘のもみじ様

うちの次男夫婦も来て、和やかな宴会が始まった。

開会の言葉と乾杯の音頭は、僭越ながら長男の嫁である私。

夫がやるべきだと思うけど、無口なので仕方がない。


「本日は母ヨシコのためにお集まりくださいまして、ありがとうございます。

米寿を迎えるにあたり、一番驚いておりますのは本人でごさいまして

ここまで長生きするとは思わなかったと常々申しております。

中年期以降は病気のデパート、手術の女王と呼ばれてきた母が

現在も健康寿命を更新し続けておりますのは

本人の明るい性格と、ご覧頂いておわかりのように

いつまでもおしゃれ心を忘れない情熱もさることながら

何よりも皆様の愛情と、ご支援ご協力のお陰でございます。

母に代わりまして、厚く御礼申し上げます。

そんなありがとうの気持ちを込めまして

ルイーゼ家と合同で、ささやかなウタゲをご用意させて頂きました。

お時間の許す限り、心ゆくまでご歓談くださいませ。

それではヨシコさんのますますの長寿を願って、乾杯」

あんまりベラベラしゃべるからか

ホテルの人たちは顔を見合わせて呆然としていたが、構うもんか。


ルイーゼが着せたキンキラキンのチャンチャンコは

グリーンのドレスとよくマッチして、意外にもスタイリッシュ。

色物のチャンチャンコを着せる時は、服の色との組み合わせを考えると良いようだ。


これといった写真も無いから、食事の一部でも見てちょ。







和やかで楽しい会だった。

次にこのメンバーが集まるのは、11年後の白寿の祝いか、それとも葬式か。


さて、この日の支払いはルイーゼ家と我が家で折半することに決めていた。

一方、ヨシコは独断で、ホテル仕様のフルーツケーキ7個を

引き出物として用意していた。

「これはね、私が特別に頼んで用意したのよ。

どうぞ持って帰ってね、私の気持ちだから」

帰りには、さんざんええカッコしながら皆に配ったが

請求書では食事代と一緒くたになっていた。

詰めの甘いヨシコのやりそうなことだ。


とはいえ、本人に払う気無し。

「払おうか?払おうか?」

財布を出してそう言いつつ、ジリジリと後ずさりして遠ざかっていく。

外食や買い物で必ずやる、いつもの手段だ。


この日はさらに芸が細かい。

いきなりバッグを取り落とし、中身を床にぶちまける。

あらあら…とつぶやきながら、ゆっくりしゃがんで拾っているうちに

支払いが済んでいる寸法。

わざとだ、とまでは言わないけど、この芸は初めてじゃないのよね。


バッグの中身を拾うヨシコを見捨て、引き出物も含めてルイーゼと折半した。

別にいいんだけど、確信犯にまんまとやられたのは何か悔しい。

本人は支払いが済むと、全てを忘れた模様。

何でも忘れたことにできる年寄りが、うらやましいぞ。
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年を取る幸せ

2023年11月16日 10時15分24秒 | みりこん流
近年、年取ったな〜と感じることが増えた。

肌はもとより、指に潤いが無くなって不便なことといったら。

スーパーのビニール袋が開けにくいのは、もはや当たり前。

財布の小銭を取り出すのにも時間がかかる。


昔は必要にかられたら、脳で「指に汗出ろ」と命令できた。

命令で滲み出た水分を利用して必要な小銭を指に吸着させ

素早く支払いができたのだ。

それが今じゃどうよ。

命令したって何も出んぞ。

若い頃はレジでトロトロする年配者を蔑視していたというのに

自分がそうなっとるじゃないか。

それどころかスマホやカードで

スマートに支払いをする年寄りまで出現している。

負けた。


それから食欲が落ちて、食べる量が減った。

周囲が驚くほどの大飯喰らいだったのが

胃もたれが怖くてセーブするのが当たり前になり

そのうち本当に食べたいのかどうかも怪しくなって

早々にやめてしまう。


バランス感覚もおかしくなって

ちょっとよろけると元の体勢に戻るのに数秒かかる。

よろけるなんて、私の辞書には無かったはず。

筋力が低下して、踏ん張りが効かなくなったと思われる。

これらの現象は、顔に増えてきた小ジワより残念だ。


が、肉体の衰退とは裏腹に心の方は年々軽くなり、幸せを感じる。

私の言動を制限していた人々の多くが、あの世へ行ったからだ。

町内に4人いた義父の兄妹たち、義父母の取り巻き、出入りの商売人…

ひと世代上の人たちって、そりゃうるさかった。

私が外で誰かに話したことや、スーパーで買った品物までが義父母に伝わり

家に帰ると、それをネタに小言を頂戴したものだ。

要するに、どいつもこいつも暇だったらしい。


一人消えるたび、その人物に同調していた人々もおとなしくなり

最後に義父が消えて以降、私はかなりの自由を手にした。

何を言っても何をやっても怒られないって、すごく楽。


完全な自由を手にするには

ラスボスの義母が消える日を待つ必要があるが

私もそこまで欲張りではない。

腹八分目で我慢…これぐらいが自分にふさわしいと思っている。

完璧を望んでそれを手にしたあかつきには

また新たな、どうにもならない厄介が訪れるものだ。

多くを望まないのが、幸せの秘訣かもしれない。


幸せと言えば、もう一つ。

夫の姉カンジワ・ルイーゼの里帰りが減った。

近所の公民館で体操教室が始まり、パーキンソン病の旦那を運動させるため

毎週木曜日には夫婦で通うようになったからだ。

そして金曜日には、義母ヨシコが近所の体操教室へ行く。

こちらへ来ても母親がいないので、金曜日も来なくなった。


さらにルイーゼの初孫、もみじ様の存在も大きい。

広島市内に暮らす2才のもみじ様はカンの強いタチらしく

しょっちゅう熱を出す。

彼女の母親マヤちゃんは去年、産休が明けて仕事を再開したが

熱が出ると保育園で預かってもらえないため

病児の身柄はルイーゼに託されるのだ。

マヤちゃんの実家も広島市内にあるが、そこには預けにくいらしい。

彼女のお母さんは再婚しているので、継父に気兼ねという話だ。


そこでもみじ様の父親であり、ルイーゼの一人息子のおみっちゃんちゃんが

高速を走って連れて来る。

おみっちゃんちゃんはアパレル関係の仕事なので、出勤が遅いのだ。

帰りはマヤちゃんの方が早いので、彼女が迎えに来る。

小さい子供を育てながら働くって、本当に大変ねえ。


そういうわけで、もみじ様はほぼ毎週ルイーゼの家に来る。

よって体操教室のある木曜と金曜、そしてもみじ様が訪れる一日か二日は

ルイーゼがうちに来ない。

つまり週の半分は、ノー・ルイーゼデーになった。

結婚以来43年、元旦を除いて雨の日も風の日も欠かさずの実家詣では

ついに途絶えたのである。


思えば長い年月であった。

小姑が毎日来たって、気にしなきゃいいじゃん…

そんな生やさしい問題ではない。

親は、娘が婚家で苦労していると思いたいものだ。

そして娘は、親が嫁に苦労させられていると思いたいものだ。

この両者が近づくことで思い込みは増幅され

そのまま他人である嫁への憎悪となる。

精神的に幼い親と、よそへ嫁いだ娘の組み合わせは

煮ても焼いても食えない凄まじい集団なのだ。


彼らは意地悪なのではない…多分。

近い血縁が集まると、そうなってしまう…

それが血の結束というやつよ。

結果、こっちは複数の上司から

監視とハラスメントを毎日受ける新入社員状態。


8年前に義父が他界して以降、遺された母と娘はかなり大人しくなり

ずっと頭の上に置かれていた漬物石は軽くなったが、鬱陶しいのは同じだ。

義母は息子夫婦を怒らせたら生活できないのをわかっているし

義姉は母親を押し付けられたら困るので、静かにしているだけである。


この鬱陶しさが週の半分無くなったのは、ひとえにもみじ様のお陰。

先はどうなるかわからないが、彼女に感謝しつつ

この隙に英気を養うとしよう。


幸せなことといえば、もう一つ。

次男の嫁と、長男の彼女の存在。

彼女らは、私を“お母さん”と呼ぶ。

親ではないから、名前を呼ぶように頼むつもりだったが

あの子らは初対面から、ごく自然にお母さん、お母さんと連発。

今さら変えてくれと言いにくくなり、そのままになった。

娘ぐらいの年齢の女の子から「お母さん」と呼ばれるのって嬉しいもんだね。


一緒に出かけて、何かと気遣ってくれるのもありがたい。

長男の彼女がスーパーのフードコートで注文した飲み物を

私の分まで運んでくれた時は、信じられなくて感動した。

長い間、こういうことは私の仕事だったからだ。

セルフサービスの店やファミレスのドリンクバーでは

両親や義姉の分を調達するために、一人で何往復もしたもんよ。


それを人がしてくれる…

手持ち無沙汰で落ち着かなくて、だけどありがたくて泣きそう。

同時に「年寄りって、気を遣ってもらい慣れて

だんだん図々しくなるんだな」

と実感し、この優遇にアグラをかくまいと心に誓った。


自分を『幸薄(さちうす)民族』と自覚して生きてきたけど

幸薄民族にもそれなりの幸せがある。

ハードルが低いもんで、感動する事柄が多いという幸せ。



『レストランでお食事中の猫ちゃん』

海外旅行が復活し、モロッコへ行った友人が現地から送ってくれた。




『サハラ砂漠の夜明け』



元々旅行があんまり好きじゃないので、自分で行く気は全然無いけど

こうして知らない所の風景が見られる時代になったのも

気にかけてくれる友だちがいるのも、幸せの一つ。
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京都日帰りツアー

2023年11月11日 16時14分28秒 | みりこんぐらし


昨日は日帰りで京都へ行った。

旅のメンバーは長男とカノジョ、そして私。

カノジョは京都が大好きで、年に何度かはお母さんと訪れているそう。

私とも行きたいと誘ってくれたので、お邪魔虫を承知で同行。


日頃の行いが悪かったらしく、うちらが行った日だけ雨だった。

いいのさ、旅の目的は駅地下のポルタにあるカフェ、リプトンだもんね。



ここで紅茶を飲みながら、エッグベネディクトを食べるのじゃ。





紅茶とセットで1,200円也。

エッグベネディクトなんて、うちらの田舎には無いもんで

どげに素晴らしい食べ物かと期待していたけど

普通のマフィンの上に、普通の薄いハムを生のままで2枚

その上にポーチドエッグを重ね

ホワイトソースとマヨネーズを混ぜたようなソースがかけてあるだけだった。

な〜んだ。


目的を達成し、その後の行き先に困った我ら。

惰性で祇園へ向かい、ベタに八坂神社。





紅葉の時期と踏んでいたけど、まだだった。



八坂神社の隣にある知恩院。


奥の階段を登る自信がないので、写真だけ。

あっ!前庭の松は、もう剪定が済ませてあるじゃんか。

うちのボロ庭もそろそろだわ…

景色より、そっちが気になるワタクシ。


祇園は少し中に入ると、観光客がほとんどいない。

町家の立ち並ぶ通りを散策して


珍しい雨コート姿の舞妓さんを発見し


「ここは舞妓さんが髪を結いに来る美容院」

カノジョにウンチクをたれるワタクシ。



やがて雨がひどくなり、傘をささなくて済むアーケードということで

錦市場へ行ってみたけど、みんな考えることは一緒ね。

ものすごい人で、前に進むのがやっと。

日本人も外国人もいっぱい。

あんなにたくさんの人間を久しぶりに見たわ。


夕方が近づいたし、疲れたのでタクシーを拾って駅へ戻り

お土産を買うことにした。

個人タクシーの運転手さんは、うちらの住む町を観光で訪れたことがあるという。

このグレートな京都から、ショボいうちらの町へわざわざいらっしゃるなんて

物好き…いや、職務に熱心な人だ。

降りた後で、次に京都に来た時は指名して観光したいと思ったが

連絡先を聞いてなかった。

残念だ。


チップは渡したので、まあいいか。

私はタクシーに乗ったら、チップを渡す主義。

偉そうにチップと言っても千円だけどさ。

そんなことをして何になるか?

町が明るくなる。


到着してすぐに食べたエッグベネディクトが祟り

以後の食事はマトモな物をたべられないまま。

雨はザーザー降るし、人が多くて息も絶え絶え。

早めに帰った。

次に行く時は泊まりがけにして、もっと良い物を食べたい。


四条大橋のたもとにある、前から気になっていたビルは中国料理屋さんだった。

こういう所でお食事したい。




京都駅の大階段。




どちらも40代の息子とカノジョ。

大人のカップルは、靴がペア。
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