めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

人間が作る身勝手な環境

2018-07-07 13:41:27 | 日本人

日本各地で、集中豪雨による被害が出ているのに、東京は昼から
穏やかに晴れ渡っています。
ここ数日雨模様で有った事も有り、多少気温が下がった様で、
少し過ごしやすく感じます。
寒暖計を見れば、30度近くあり、決して涼しいとは言えないのですが、
人間の感覚のいい加減さと言うか、もし、この気温がお花見の頃であったら
とても外出する気分には成りません。


とは言え、ここ2週間程の我が家は、安住の地とは程遠い、騒然とした、
心休まらない状態でした。
トイレからの下水管が壊れていて、マンションの下に続くパイプ修理で
我が家の生活は一変しました。
限られた時間でしかトイレは使えず、仕方なく、近くの公共施設にまで
足を運んだり、工事の騒音を避ける為、早めに出勤したりと、家族全員が
ストレスに晒され続けました。

幸い、二日ほど前から、コンクリートの床を壊す工事も終わり、後はパイプを換え
周辺の細かい部分やトイレ近辺を直すだけと成りました。
しかしながら、下水工事と内装工事は業者が違うので、これからまだまだ先は長く
暑さと共に今年は気の休まらない夏になりそうです。

しかしながら、今進行中の集中豪雨は、私達の家庭のトラブル等、全く及びもしない
壊滅的なストレスを多くの方に与えています。
犠牲者と行方不明者の数が日に日に増して行く様で、日本の広範囲に渡り、甚大なる
被害が予想され、毎年の事ながら、私達に日本人は、この惨禍からは逃れられないのか
と思える程頻発しています。

集中豪雨に伴う大雨の恐ろしさは、大水害に在ったあの悪夢の様な日を思い出させます。
堤防が決壊し、濁流が押し寄せて来るのに気が付くのが5分遅かったら、我が家に
避難して来ていた近所に住む親せきと私達家族は、あっと言う間に全滅してしまったと思うと
何十年も経った今でも背筋が寒くなります。
当時、海抜が水面下2メートルほどの故郷は、決壊した堤防を修復し、水を抜くまでに
一か月以上、街が再建されるまで3年以上の月日が掛かりました。

多くの人が亡くなり、殆どの家が流されて街は一変してしまいました。
台風の被害としては、戦後最大と言われていますが、人々の心に与えた大きなストレスは、
街が破壊された以上に大きく、その後復旧した街の豹変ぶりと共に、何百年も続いた
街の風情も伝統もすべて失われ、残された人々は、巨大堤防で囲まれた異郷の地から
次々に去って行きました。
今では、高速道路が横切り、街には、都会から進出したコンビニが、夜遅くまで
煌々と蛍光灯の光を放っていますが、その周辺は、過疎化した街並みが、薄暗く
浮かび上がっているだけです。

田舎にはとても似つかわしくないコンビニは、全て都会の店と同じであり、中に入れば
まるで東京に帰ったかのような錯覚を覚えます。
あらゆる生活用品が売られ、ここに来れば何でも手に入れる事が出来る、いわゆる
コンビニエンスストアの力は絶大で、多くの町民だけでなく周辺の街からも、
買い物に来る人々で賑わっています。
しかしながら、一方で、城下町の街並みは、まるで櫛の歯が抜ける様に、一軒また一軒と
昔ながらの商店が消えて行きます。
そして、その空き地には、新興住宅地として移り住んだ県外の人や都会に働く人が
新たなる住居を構え、益々、故郷の匂いは消えて行く一方です。


とは言え、昔の故郷の風情を知っている人は、殆どが高齢者と成り、今の人達は
殆どが、今の新興住宅化した故郷を自分達の故郷としています。
そして、その多くが、より一層近代化され、都市の様な便利な街になる事を望んでいて
台風災害で破壊され、復興事業で別の街に変えられ、更に、今時の人達に、全く違う
街に帰られて行く事が、非常に残念でなりません。
しかし、これが、歴史の移り変りであり、当たり前の事なのかもしれません。
ただ、老兵去るのみ、と言った感じです。

今回、我が家の大修理の為に、初めて玄関に置かれていた金魚の水槽を寝室に
移しましたが、病気を患って瀕死の状態であったのに、急に元気に成って
泳ぎ回っているのに驚いています。
いま、長年飼っている丹頂と言う頭の赤い金魚が二匹いますが、そのどちらも
病気気味で、一匹は頭の赤い盛り上がりの部分が巨大化し、両目にかぶさって
ほぼ目が見えていません。更にもう一匹は、転覆病という病気を一年前に発症し
いつもひっくり返った状態で、殆ど水底に泳ぐことなく転がっています。

この二匹は、玄関の薄暗い場所で飼って来たのですが、観賞用なので、私達が
目覚めている時は、蛍光灯で明るく水槽を照らしています。
ライトを点けていない時は、玄関の薄暗い光の中で生活し、夜には、消灯して
いたのですが、ここ一年、まったく元気が有りません。
餌を与える時も、ゆっくりと動き始め、一時間程かけてようやく完食します。

所が、外の光が入って来る寝室に移した途端、急に元気になり、一日中
活発に動き回っています。
それまで、水底に常に横に成っていた一匹は、餌を与えると,必至に泳ぎながら
水面近くまで上がって来ます。目が見えない方は、餌の味が伝わってくると
水槽中を元気に泳ぎ回り、盛んに捕食します。
やはり、生き物は、太陽の光が大きく影響するのか、朝から夕方までの陽の光に
まるでカンフル剤を打たれている様な元気さです。


どんなに水質管理しても、玄関の陽の光の入らない場所で、人工の光で育てても
やはり太陽の力にはかなわないのかも知れません。
私達人間も、どんなに進化して、近代的な生活を行っていたとしても、大自然との
繋がりを失ってしまうと、心も身体も次第に病んでしまうのかもしれません。
地球の生き物の頂点にあるとはいえ、私達は自然から命を頂いて行かなければなりません。
しかし、その命は、更なる大きな命によって育まれている事を忘れてはならないのです。
人間の都合で作り変えられる地球は、生き物達にとって、もちろん、人類にとっても
決して好ましいものではないのです。

外見的に美しく選定された都会の公園は、私達が集うには都合がいい様に作られていますが
多くの生き物にとって非常に危険な地域と成っていて、頻繁に散布される殺虫剤は、生き物達が
その地で暮らす事を許さず、更に、多く植えられる植物は、虫が食わない、毒を持っているものや
動物が嫌う芳香を持っていたりと、様々な生き物を寄せ付けない様に成っています。
その為、美しい花が咲き乱れていても、その蜜に集まる昆虫を見る事無く、更には、季節季節に
産卵に集まる様々な昆虫類を見る事も有りません。

ウォーターフロントにそびえる高層マンションの下の海は、透明度こそ高く成っているものの
都会に於いては、殆ど生き物達の存在が確認できません。
波打ち際は、生き物の宝庫と言われる場所で有り、生態系の豊かさを示す場所でも有ります。
東京のお台場の海を見ても、そこに生きる海洋生物は、外来種が多く、例え透明度が高くとも
その中に生命反応は感じられません。
まるでプールの様な海を、人々は美しいと思っていること自体が、日本の未来を愁う事と成ります。

大都会周辺に作られる美しい自然の多くは、人間の都合で作られた、自然とは程遠い世界なのです。
私達日本人が生きて来た、見てくれさえ良ければ、経済的に豊かであれば良しとする姿が、
現代の大都市そのものと言えます。
人々は、そんな華やかな都会で生活する事こそ幸せと思うのですが、どんなに進歩して、近代的な
便利で豊かな生活をしても、私達は、生き物であることを忘れてはならないのです。

生きる為の手段は、見た目で有り本物に似せたとしても、人間自体が偽物に成ってはならないのです。
つまり、生き物として、食物連鎖の中の1つの生き物として、全ての生き物を生かすための努力を
怠ってはならないのです。自分達だけの利益を考え、地球の生態系を破壊していては、いずれ
人間自体の破滅に陥る事は明らかなのです。

食料や資源を摂り入れる事には夢中に成っても、食料を生み出す自然環境を豊かにすることを忘れては
自らの首を絞める事になるのです。
現在の異常気象、集中豪雨、地球温暖化と、様々な天変地異を生み出す多くの原因は、人間の身勝手な
地球環境破壊に在るのです。

年々酷くなる気象災害の原因が人間にある事は明らかであり、それを改めない事が人間自身を苦しめる
事態となっている事を多くの方が解っていません。
今や、地球温暖化を止める事すら難しくなっている段階なのにもかかわらず、多くの国や地域が、
地球の食料を乱獲し、大気を汚し続けています。
経済的に便利で豊かであると言う事は、どれだけ大きな責任を問われるか、一方的な考えの元での進歩は
いずれ、破滅への道をたどるしかないのです。

 

 

 



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