ネットの発達は、世界中の情報を瞬時に知る事が出来るだけでなく
人間の持つ心の世界をも、信じられない程の多様性を知る事が出来ます。
世界中の様々な人種による考え方や文化の違いだけでなく、人間そのものの
際限ない心の違いに驚かされます。
私達は、普段、常識の中で生きていて、生活方法の違いはあるにしても
同じ国の中で、同じ人種で、同じような日常を送っていれば、考え方や
行動は似通ってきます。
日本人は日本人的な考えが有り、大多数が同じ思いで生活していれば、
他の人種との違いとして認識されます。
しかしながら、人の心は、表向きの常識とは異なった、極めて個人的な
価値観や考え方に占められている事も有り、その多様性が個性として、
多種多様な文化を作り上げているともいえるのです。
しかしながら、余りにも個性的であったり、非常識的であったりすると
そもそも、社会の流れにはならず、個人的な考えの中で納まっているのですが、
ネットの発達は、同じような特殊な考えの人達を表の世界に集めてしまいます。
まだ、世界がネットで覆われる以前は、アンダーグラウンドな世界は、
存在はしていても、表の世界には出ることは無く、メディアに取り上げられ
世間の目に晒されなければ、永遠に、地下に潜っている文化と言えました。
所が、ネットの広がりは、この人間の心の奥に潜む世界まで表世界に
広げるようになったのです。
この事に依り、一般の社会では受け入れられ難い人達も、お互いに存在を知り
新たなる文化を育てるようになったのです。
世の中のマイノリティーともいえる人たちの存在が認められるようになったのも
インターネットの力とも言え、人間の成し得る様々な行動言動、更には深層心理
に至るまで、考え得る全ての物が、同じ平面上に並べられる世界と成ったのです。
所が、このネットによる情報開示が、人間社会をより広くスピーディに
発展させたと言えるのですが、その一方、人間の欲望は、この力を利用し
争いを起こしたり、一方的に人々を支配する力に使われたりするように
成ったのです。世界中で起こるテロや戦争は、全てがネットを利用した
情報戦争とも言え、同じような考えを持つ者同士が瞬時に繋がり、
世界的な規模での戦争やテロに発展する可能性が高いのです。
頻繁に起こる悲惨なテロは、世界中どこで起きても不思議ではなく、
どんなに平和な社会に居ても、ネットによる洗脳で、誰でもテロリストに成り
多くの犠牲者を生んでしまう可能性がより高くなっているのです。
ネットは世界の物流を大幅に変えただけでなく、人々の考えや思いを
瞬時に世界中の人に伝えることも出来るのです。
その為、いかなる常識的に考えられない考えでも、ネットに流せば、
一瞬にして、世界中の人の目に止まり、同じ考えの人達を呼び集める事も
可能と言えるのです。
人に言えない様な極めて個人的な趣味や嗜好であっても、世界中には
同じような考えの人がいるもので、同じ思いで集まる事は容易なのです。
その為、中には、犯罪行為に値する事やテロと言った、社会に反する
考えの人達が集結する事も有り、ネット社会で便利になったとは言え
世の中の危険が、一気に身の回りに集まる可能性も有るのです。
そんな中、一昨日発覚した猟奇事件も、ネット社会が生んだ
新たなる恐ろしい事件と言えます。
死にたいと言う人と殺したいと言う人が集まると言う事は、
常識では考えられませんが、ネットの世界に於いては、簡単に
まるで、需要と供給の様に結びついてしまうのです。
誰に知られる事無く、ネットを通じれば、世界中の誰とも精通出来
生と死に関わる事でさえ、特別な手続きも努力をせずとも、
お互いの思いを達成できるという、ネット社会ならではの事件です。
ネットが発達する以前の世界は、人々の思いや望みは、必ず、
社会のフィルターに掛けられ、目的を達成するには、それなりの
努力が必要であったのですが、今や、その社会的な検閲が無くなり
単に、やり取りをする相手を選択するだけの世の中と成ったのです。
その間には、面倒な手続きも話し合いも無く、社会的なモラルも法律も
存在しません。単に、全ての物が、需要と供給が隣り合わせと成って
私達の常識では考えられれない事が起こるのです。
この事は、世界中で頻発するテロと何だ変わりません。
争いをしている者同士の間から生じる直接的な戦争ではなく、
戦争や争いとは全く関係ない、平和なごく普通の社会で突然起こるのです。
その場所は戦地ではなく、平和な社会で突然火の手が上がるのです。
それまでの経験や常識では全く考えられない所が、テロの標的となり
世界中の人々が悲しみ憤るのです。
ネット世界は、人間社会を全てコンピューターの情報の1つと考え
人間の思いや社会の仕組み全てを平面的な処理で捉える事に依って
物事を動かしていく為、人間が培ってきた、様々な社会秩序や
歴史文化の価値が無くなりました。
地球上の全ての機能が、情報として処理される事に依り、
必要とする情報は、瞬時に手に入るものの、、必要でないとされると
有無を言わず処理されるのです。
ネット上で、例え犯罪者同士が集まり、人々に大きな被害を与える計画を
立てようとも、情報として受け取る事が出来ると、最も相応しい条件を
彼らに与えるのです。その結果、多くの人が傷つこうと関係ないのです。
この、情報としての、必要不必要として処理される事で、人間の思う
倫理的な考えや善悪の思いは、コンピューターには反映されないのです。
日本人は、経済的に豊かな生活を求めて高度成長を遂げましたが、
この事で、人々は、経済的に豊かになったものの、心から幸せを
感じられれず、表向きとは裏腹に、悩み苦しむ人が多いのです。
ネットによる世界は、この豊かで便利な社会を望む人々の延長に
ある世界と言え、今はまだ、人間の判断で社会が動いている事から
現実社会と自分の思い描く社会が違っている事に悩む人が多いのです。
勝ち組負け組は、人間が作った選ばれる側と捨てられる側であり、
未来社会に必要と思われる勝ち組の世界が、多くの人達が求める
理想の社会と思っているのです。
しかし、人として考えると、どんなに利益を得て、経済的に
豊かな生活をしても、人としての心が癒されない事に苦しんでいる
というのが現実です。
しかし、この社会に、近い将来、世の中の未来を決定する存在として
AIが一般的と成るのです。
実験的に、車の衝突回避に使われたり、日常生活を円滑にする為に
適正な判断をする機械として取り入れられてきているのですが、
この事で、私達の未来が理想的な世界に成ると思うのは早計です。
今や、ネットと繋がるAIの進歩は、人間の思いを遥かに超えていて
人間が持っている心の分野まで理解できる様に成って来ているのです。
つまり、完成された、失敗しない機械人間が生れつつあるのです。
将棋やチェスで、AIに完敗したと話題に成っている遊びの世界は
ほんの小手調べに過ぎず、その実態は、開発者の手を離れて、
自ら、人間の考えが及ばない所まで進化しそうな気配なのです。
AIが新たなるAIを製造して行けば、当然、機能的に未熟な人間は
この世に必要なくなるのです。
まるで、SF小説や映画の様な世界が、日常的となるかもしれないのです。
しかし、この進歩は、人類の進化として描かれているのですが、現実は
そんな未熟な人間の進歩とはAIは考えないのです。
人間が思いもしない状態で、人々を抹殺するかも知れず、ネットの進歩は
人類の終末とも考えられるのです。
大都会の片隅で、人々の想像を絶する猟奇殺人が起きました。
しかし、犯人の行動は、彼にとって、単なる需要供給の作業に過ぎず、
殺害だけでなく、その後の驚くべき行動も、日常の1つに過ぎない
と言えるのかもしれないのです。
ネット社会から生まれたAIが人類に行う適正行動は、例え人類が
驚愕し地獄の世界と感じようとも、AIにとっては、一つの処理活動に
過ぎないのかも知れないのです。
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