めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

社会が求める求人と高齢者の思う求人

2019-01-15 08:19:26 | 日本人

時代が進むにつれて、社会が大きく変わって行くのは常なのですが、
時代の中に生きている時と、時代に遅れまいと必死に生きている時では
その対応に大きな違いが生れて来ます。
現代の日本社会は、空前の高齢者社会と成っていて、年々若者達が
減って行くだけでなく、社会における生産性のある人間が少なくなって
高齢者を始めとする非生産性の人々を支える人口が減っています。

若者達の負担は増える一方であり、生産性の無い高齢者の増加は
日本社会の発展に大きなブレーキと成っています。
その為、政府は、現役を引退した高齢者に対して、更なる雇用を増やし
一生涯労働者として経済に貢献できる様に日本社会を変えようとしています。
確かに、仕事からリタイアしても高齢者達には出費が多く、食べて行くだけでも
やっとの方々も少なく無くて、出来るならば、収入の道を得られれば、
生活だけでなく、仕事をする事で健康面のメリットも考えられます。

しかしながら、唯でさえ高齢化している身体がこなせる仕事は限られ
高齢者の再雇用によって、国の経済が上向きになるとは言えません。
しかも更なる問題は、高齢者の仕事に対する感覚が、多くの場合
バブルのころの日本社会と同じで有って、現代社会のネットを中心とした
多目的な労働とは異なっている事で、一つの仕事に固執して来た高齢者の
仕事に対する感覚と大きくづれているのです。

今の若者達の仕事に対する感覚は、多くの選択肢の中から、自分の現在の
条件や要求する支払状況によって自由に職種を選び、今の自分を生かせる
経済的に豊かに出来るものを優先します。
つまり、昔の人の様に、仕事と心中するかの様な執着心は全く無く
いかに効率よく利益を得るかしか考えていないのです。

この事は、雇用主側も同じような考えであり、労働者達に、仕事に
命を掛けてくれとは考えず、とりあえず、会社の利益を上げる様に
努力してくれればよく、出来なければ、他の人を選択するのです。
その為、個人的な能力に執着すると言うのではなく、能力の有る者を
常に選択し、必要でない者は、何の躊躇いもなく辞めさせるのです。

それ故、労働者と雇用主は、経済的な部分でしか繋がりが無く、
ネット時代を反映する様に、お互いに、利益享受が出来なければ
簡単に他を探すのが普通なのです。
しかしながら、高度成長期やバブルを経験して来た高齢者達にとって
仕事とは、他人との関わり合いであり、労働者と雇用者が協力し合って
会社を運営して行くという感覚が強く有ります。
その為、一度就職するとなったら、お互いに納得した上で、出来るだけ
長く居つく事を前提とします。

会社への忠義を求められて働いて来た世代にとって、就職も退社も
何のためらいもなく出来る現代社会に生きる事は、非常に心苦しく
仕事があるからと言って、直ぐに飛びつく事も出来ないのです。
簡単に言えば、高齢者達は、仕事にも生き甲斐を求め、働く事に
意義を求めてしまうのです。

若者達にとって、この感覚はむしろ不自然であり、どうしてそれ程にも
面倒くさく考えるのかと思う様ですが、その若者と高齢者のギャップが
如何に埋められるかが、高齢者が新たに社会の一員と成って働けるかに
掛かっているのです。
仕事が無いというより、自分の主義主張に合った仕事が無いというのが
高齢者達の言い分と成るのです。

特に、かつて会社や組織を牽引する立場にあった人達にとって、多くの人を
導いて来た考えが基本から否定されるとあって、中々新たなる職種に手を
伸ばせないのです。
ただ、女性に関して言えば、新しい時代の簡単に馴染んで行くのは
女、子供と言われます。

主婦として長い人生を送って来ると、日常的に、次から次へと家事をこなし
何からすると考えている暇は有りません。
ともかく一日のノルマを果たす事で精一杯の毎日を繰り返して来た事から
ネット時代になっても、多くの種類の仕事に対しても、何のためらいもなく
生きる為には簡単に乗り換えて行く事が出来るのです。

問題は、高齢者と言うより、高齢の男子と言えるでしょう。
日本社会を担って来たと自負する人達は、現代社会に付いて行く事さえ難しく
増して、新たに仕事を選択する事は至難の業と言えるのです。
しかしながら時代の変遷とは、常に新しい波に乗れるかに掛かているのです。
本人の理屈はともかく、高齢者であっても、現代社会の波に乗れ無ければ、
この時代は生きて行けないのです。
ただ、国の援助で残り少ない人生を生かされているだけでは、本人だけでなく
日本の経済も苦しい状態が続いてしまうのです。

今や、世界中から日本で働きたいとする海外の人達が増えています。
彼らは、日本人が求めない低賃金で重労働の仕事に対しても愚痴をこぼさず
一生懸命働きます。
最近のコンビニや飲食店は、多くの海外就労者で溢れています。
日本産業の底辺を担いつつあるのは、こういった特に発展途上国からの労働者が
主体と成っているのです。

産業構造は、底辺から変革して行くのが常なのです。
近い将来、日本の中小企業や一般職の下請けの多くは、海外就労者で占められるでしょう。
この時、あらゆる仕事から生活の糧を得られなくなった日本の高齢者達は、いったい
どうやって生きて行けば良いというのでしょう。
国からの補助は益々難しくなると思われ、日本人は高齢に成れば、悠々自適の生活を
遅れると言うのは夢物語であり、それこそ本当に、厄介者として日本社会の隅に
追いやられる運命と成るかもしれないのです。



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