めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

日本の老人たちは、経済的に満たされても、心から安心できず死んでいく

2019-01-13 16:22:56 | 日本人

現在の日本社会における大きな問題の1つが、少子化に伴う高齢者の増加です。
出生率が年々下回り、高齢者が増える一方の日本社会は、ますます、若者が減り
労働者不足が深刻と成っています。
政府も、外国人労働者の受け入れを容認する様に成って来て、いずれ、日本社会を
支えているのは多くの海外からの労働者であるという時代がやって来るでしょう。
観光客だけでなく、日本全国、何処に行っても外国人労働者が多く成っていて
日本社会が、次第に多国籍民族の社会と成って行くのは時間の問題と言えます。

所で、この労働者不足だけでなく、高齢化した日本人の問題は、一向に解決するどころか
日本経済を傾けさせかねない程深刻と成って来ています。
年金を供出するだけでなく、様々な福祉活動を行う事で、国家予算の多くの部分が
高齢者対策に使われるとあって、日本経済自体に多くの負担を強いる事と成っています。
増え続ける高齢者を生かすために、若者達の負担も年々大きく成っていて、家族に於いても
社会に於いても、深刻な事態と成って来ているのです。

とは言え、社会的には、福祉国家を目指し、高齢者対策が手厚く施されているのですが、
この事で、果たした高齢者達は、本当に満足しているかと言えば、殆どの高齢者は
残り少ない人生を思いつつも、不安な毎日を送っていると言えるのです。
確かに、医療施設や高齢者施設の充実は目を見張るものが有りますが、便利で豊かな
生活が送れる様に成ったとは言え、本心から喜んでいる高齢者が多いとは言えません。

何故なら、それらの施設は、本当に高齢者達が望んでいるものではなく、高齢者が
残された人生を安全に健康に生きる為の道具に過ぎないからです。
バリアフリー化もあり、何でも便利で安全に作られた多くの施設は、高齢者達にとって
喜ぶべき事と言えるのですが、便利で豊かな暮らしが出来たからと言って、
高齢者達は、心から幸せとは感じてはいなくて、ただ、その様な施設を作ってくれた
人々に対して感謝の気持ちを口にしているだけの事です。

高齢者達は、近い将来この世を去る運命に有ります。
家族と身近な人達と別れる日を常に感じているのです。口には出さなくとも、若者に無い
近い将来への不安と恐怖の中に生きているのです。
その日は、一年後なのか二年後なのか、いや、明日なのかもしれないのです。
そんな言いようもない心の不安と戦っているのが高齢者なのです。
どんなに豊かな暮らしをしていても、その日は確実にやって来るのです。

高齢者が求めているもの、それは、その日が明日であろうと安心を与えてくれる
暖かい人の心を感じたいのです。
バリアフリーの整った立派な高齢者施設を求めているのではないのです。
身近な、肌で感じる心の安心が一番なのです。
しかしながら、現代社会は、たとえ家族であっても同じ屋根の下に住む事が
出来ない事も多く、多くの高齢者は、若い人達に囲まれたり、心を許せる人に
身を委ねている訳でもないのです。

多くの高齢者達は、暖かい人の心に飢えていると言ってもいいのです。
自分の不安な心に、常にそっと寄り添ってくれる人がとても少ないのです。
特に、国の高齢者対策は、被災者達に対する方法と同じで、自分達の勝手な思いで
対策を行っているというパフォーマンスに過ぎません。
見た目の施設や法令を創る事は出来ても、一人一人の心を満たす事は出来て
いないのです。

高齢に成ると言う事は、それまで何も考えずにできた事が、一生懸命努力しなければ
出来なくなってしまうと言う事です。
まるで、拘束衣を着せられたように、自分の身体が自分の身体でなくなって行くのです。
この時、一番の辛さは、自らの身体が動かなくなる事では無く、その事で、周囲の人と
対等にやり取りが出来なくなっていく事です。

つまり、思った様に動けなくなっていく事で、周りの人の思いを受け取れなくなるのです。
高齢者の不安の1つは、自分が人として周囲の人の為に思うが儘に物事が出来なくなる事です。
自分の存在意味や価値が無くなって行く不安が有るのです。
この世に生きて行く、周囲の人や社会の人の為に出来る事が無くなって行く事の不安が
心の中で大きく成って行くのです。

身体が老化する以上に、自分が必要とされなくなっていく事の不安の方が大きいのです。
高齢者達は、ただでさえ、この世に必要のない世代と社会から考えられていると
心の中で思っている人が多いのです。
使えないのに生かされている辛さは、自分の存在価値の無さとなって、生きる意味が無くなり
心から寂しさを感じてしまうのです。

今の国や地方自治体の高齢者に対する施しは、人道的に安心安全の生活をさせる事に依って
自分達の高齢者に対する義務を果たしているに過ぎません。
高齢者達に、この世に生きていて欲しいという強い願望は有りません。
自分達の社会的立場を良くする為の福祉活動と言っても過言ではないのです。

何故なら、立派な施設は多く作っても、本当に高齢者達の心に寄り添う対策が余りにも少なく
死ぬまで心から安心安全を感じる事が出来ないからなのです。
この事は、日本よりも遥かに生活が貧しい国に於いて、高齢者が心豊かに死を迎えられるのは
何故かと言う事を、行政に携わる方や国のリーダー達は考えなければ成りません。

社会的経済的に豊かにすれば、人々は幸せに成るとする経済対策が、一向に国民を幸せに
出来ない事と何だ変わりなく、自分達の勝手な考えか方に依る対策が如何に無駄であり
人々の気持ちを理解できないかが解ります。
ハードの面ばかり強調しようとして、無駄な国家予算をつぎ込めば、当然その費用を捻出
する為には、国民からより多くの利益を得なければ成りません。

度重なる課税対策は、どんなに収益を多くしても、やっている事が的を得ていないが為に
国民生活を疲弊させるだけで、高齢者の心を満たす事にはならないのです。
今や、益々国民生活は二極化へ移行し、多くの経済的に満たされない国民とほんの一部の
日本経済を牛耳っている人達に分けられる様に成っています。
しかし、問題は、日本社会の成り行きは、この一部の人達によって決められていて、
常に、彼らの利益を守る為に経済も社会も政治も動いている事です。

弱者に厳しく勝者達には優しくというのが、日本社会の実態と言えるのです。
しかしながら、絶対的に多い庶民の中で、次第に増え続ける高齢者達の未来は、
明かに、日本経済を傾けさせる問題と成って来ているのです。
今や、労働者不足と言う事で、多くの海外からの働き手が日本に入って来ていますが、
これとて、消費経済社会を継続する為の手段に過ぎず、この事で、高齢者問題が解決する
という物ではないのです。日本人自体の高齢化が急速に進んでいる事実は変わらないのです。

この増え続ける高齢者が日本経済を再建で生きる立場と成らない限り、高齢化問題は
解決しないのです。海外からいくら労働者を入れたとしても、日本の高齢者が増え続け
日本経済を圧迫して行く事実は変わらないのです。
つまり、政府や企業は、高齢者達に、この国で生きて行く意味と価値を与えなければ
日本人としての未来への安心は得られないのです。

増え続ける高齢者を、無能化してただ死ぬまで生かしていくだけの対策をしていては
高齢者だけでなく若者達も自滅してしまうのです。
今の福祉政策は、無駄な予算を多く使い、表向きだけの本当に高齢者の気持ちを考えた
心に寄り添った政策で無い事が大きな問題なのです。
如何に高齢者達を日本の利益を生み出す存在にするか、その事こそ、日本人が高齢化しても
未来を生きて行ける方法と言えるのです。

富裕層の人達であっても人間ですからいずれ同じ道を辿ります。
しかし、その日を迎えるまでの間、経済的社会的立場や地位をもって生かされるよりも
一人の人間として生きている価値を認められながら生きる方が遥かに安心と言えます。
日本人は、いかなる環境に有ろうと、一生を通じてこの世に存在する意味と価値を感じ
満足してこの世を去る事が大切です。
見てくれの豊かさや満足で誤魔化す様な人生では、いかなる豊かな暮らしを仕様と
死の恐怖からは逃れられないのです。



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