めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

断捨離されない様、本当の幸せを考える

2019-01-29 16:56:11 | 日本人

私達は、いつも、自分の考えで思い通りの生活を行っていると
思いがちですが、実際は、社会の流れに大きく翻弄されている
と言っても過言では有りません。
自分で考え、自分自身が決定して日常生活を行ていると思っていても
その判断を下す情報は、多くの場合、環境であり、日々降り注ぐ
メディアを通した限られたものである事が多いのです。

現代社会は、正にネットを中心とした情報社会である事も有って、
私達は、常に、情報によって簡単に感化され、多くの人達が
社会の流れに有無を言わさず従わされているのです。
子供達が学校に行くのも、大人に成って社会で働く事も、私達の行動は
組み込まれた社会システムの中で操られていると言っても良いのです。

しかしながら、自分達の考えや行動が、誰かによって支配されているとは
誰も思っていなくて、この自由主義社会に在って、何でも自分の考えで
決定していると信じて疑いません。
所が、現代社会に限らず、私達人類の歴史は全て、その時々の支配者に
思うが儘に作られていて、多くの一般の民衆は、その考えに従わざるを
得ないのが事実なのです。

その為、支配者によって、大衆は幸福にも不幸にもなってしまい、
これまで幾度となく、支配者たちの横暴で、人々は苦しい思いを
強いられて来ました。
最も過酷な時代は、やはり、戦争が続いている時であり、国民の多くは
お互いに憎み合い殺し合うと言う、人間として最も不幸な日々を
耐え続けなければなりません。

日本に於いて、近世には幾度となく大戦を重ねて来ましたが、犠牲と成るのは
常に何の罪もない国民であり、国の為に戦うと言うのはあくまで口実であり
実際は、一部の人達の利益の為に多くの国民が犠牲になっていると言えるのです。
多くの指導者たちは、平和であろうと戦争中であろうと、自分達の利益の為に
戦争を行っているのであって、正義の為に戦っているというのは、あくまで
国民に対するパフォーマンスに過ぎません。

膨大なる利益を得る為には、国民を挑発し、他国民を憎ませる様に仕向ける事は
現代社会に於いても、多くの国のリーダー達が行っている事です。
彼らにとって、平和で有ろうが戦争で有ろうと、どちらであっても良いのです。
平和である方が利益を得られるとすれば平和を選択し、戦った方が利益が多く
得られるとすれば、戦争を選ぶのがこれまでの歴史なのです。

多くの国民に支持を得る為に様々な口実を設けますが、言い訳の裏には必ず
膨大なる利益が存在しているのです。
大国アメリカが、世界中に派兵しているのも、戦争に興じて、それらの国々から
多大なる利益を得る為であり、世界のポリスと言って、世界平和を願っての
海外進出では有りません。

戦争をする事に良い悪いという判断は無く、利益が得られるか得られないかと
言うのが世の権力者たちの考えと言えるのです。
国内政策で有っても、国民に豊かな生活を新たなる保障する為にと、消費経済社会を
遵守すると言っても、それは方便で有って、現実は、国民から膨大なる利益を
得る為の社会機構を創り上げる為なのです。

国のリーダー達は、国民の代表と成って国民の豊かな生活を作る為に努力する
と言うのはあくまでリップサービスに過ぎず、心の中は、常に、算術が働き
この事が、政治家の贈収賄事件が一向に無くならない理由でも有るのです。
ネットやメディアを通じて流れる様々な素敵な情報は、魚を釣る為の撒き餌と
同じであり、私達はまんまと釣り上げられていると言っても良いのです。

確かに、沢山の消費が出来る事は、人々にとって快感でも有るのですが、
次から次に与えられたものを消費する事が、果たして幸せに繋がるかと言えば
振り返って冷静に考えれば、単なるカモに成っているに過ぎないのが解ります。
身に付けた地位や財産によってしか自分の価値を見いだせなく成れば、その欲望は
果てしなく、どんなに欲しい物を手に入れようと、本当の満足と幸せは得られず
環境によって自分の心が翻弄される毎日に、心が休まる事は無いのです。

この何でも亭主手に入る時代の於いて大切な事は、本当に自分にとって必要であり
大切であると思える事や物を選択できる事です。
見渡せば、部屋の中一杯に溢れる消費物資、そのどれもが、買った時から色あせ
それ以上の喜びを得るには、更に買い足さなければ満足は得られません。

今や、国民の間で、断捨離という考え方が流行しています。
自分の持っている物を思い切って捨て去る事で、本当の幸せを感じるのです。
必要だと思われる物を次々に買い求めて、使うことなく部屋を占拠している物品を
思い切って捨て去った時の快感は、多くの人達を虜にしています。

この快感を、社会に対して抱かなければ成りません。
多くの情報の中から、本当に自分にとって大切なものだけを選択する力を持つ事
それこそが、この消費社会に於いて本当に幸せに成れる道と言えるのです。
どの家庭に於いても、絶対必要と思えるものが如何に少ないかが解ります。

ネット社会は、世界中から膨大なる情報を与えてくれます。
この社会で本当に幸せに成るには、多くの情報を取り込まないと言う事も大切です。
自分の心と身体にとって本当に必要な物なのか、一時の流行で有ったり、メディアの
商業的な誘いで有るのか、しっかりと見極める事が重要なのです。

人間が一人生きて行く為に必要な物は、それ程多くは有りません。
多くしているのは、自分自身の心を見つめないで、社会の多くの人々と比較するからです。
より多くの便利な物手、高価なものを手に入れる事が幸せであるかのような社会風潮に乗って
何でも手に入れようとすれば、あっと言う間に心も身体も押しつぶされてしまうのです。

人の価値は、その人だけが持っているものであり、唯一無二の存在です。
生きる為の付加価値に自分の価値を見出そうとすれば、その膨大さに心も身体も
疲弊してしまいます。
人は、一人一人心も身体も違っているからこそ、自分を満足させるものも他人と違うのです。
本当に自分が欲しているものは何なのか、自分自身にしかない満足を得る事が大切です。

人其々が自分を大切にして、更には、自分とは違う周囲の人を理解する事が出来れば
本当の意味で争いは無くなるのです。
メディアやネットの情報は、全ての人の喜びを一括して商業的利益を得ようとする事から
どんなに欲しい物を手に入れても人々の心は満足できないのです。
様々な便利な品物は、自分の気持ちを一時的に喜ばす事は出来ても、そのものが自分の
本当に求める物では無い事を知らなければ成りません。

どんなに高価な物であっても、それは社会的な価値で有って、自分の心に置き換わる程
価値のあるものではないのです。
この心の価値観は、一人一人が違っていて、その心の価値を認め合う時初めて、本当の
喜びを知る事が出来、心から幸せと感じるのです。
今や、多くの人が、人の心を感じる事が出来ず、更には、自分自身が一体何を求め
何に向かっているのかが解らなくなっています。

与えられた魅力的な品物をもって心を満たそうとするも、新たなる物が出てくれば
それまで心酔していた物は、あっと言う間に色あせて、幸せな気持ちは消え去ってしまいます。
この様な社会生活に於いて、本当に喜んでいるのは、そんな社会を創り上げている、一部の
商業的利益を常に考えている人達に過ぎません。

そう、残念ながら、消費経済社会に於いては、全ての国民が心を満たせず幸せを感じられず
常に、新たなる魅力的な商品を買い求める事で成り立っていると言えるのです。
その結果が、どんどん家の中に溜まって行く消費物資であり、社会的に豊かと思わせる
豊かな生活なのです。

私達は、自由に生きている様で、実は、そんな物達に支配され、振り回されているのです。
そんな集めに集めた消費物資を捨て去る断捨離が流行るのは、明かに、人々の心を解放させ
幸せを見つめ直す事になっているからと言えるのです。
しかしながら、この断捨離で、一番捨て去りたいのは、世の亭主だと言う主婦たちの声もあり
私達男も、単に消費経済国家における物の1つと言えるのかも知れません。
かつて、亭主元気で留守がいい、という言葉が流行したことが有りました。
まさに、留守でいいというのは、いなくていいと言う事なのかも知れず、いつの間にかに
断捨離されない様に、世の亭主たちは心しなければならない時代なのかも知れません。

 



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