めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

被害者が増える社会

2018-07-09 14:45:00 | 日本人

私達は、幸せな人生を送る為に、便利で豊かな生活を目指して来たと言えますが、
近年、私達の生活環境は、誰しも、被害者と成り得る安心できない状態です。
かつて、日本は、夜道を子供や女性が一人歩きをしても、何の不安も無く、
財布や私物を落としても、確実に持ち主の元に帰って来る国でした。
しかしながら、いまや、人を見たら泥棒と思え、と言う諺の様に、
他人を信頼できない常識が生れています。
様々な悪質な犯罪が増え、日本人は、生活を、我が身を守る事を考える時代に
生きていると言えます。

この事は、かつて人が中心であった社会が、物や社会的経済的豊かさを基準とし
人間として個人としての価値が見失われて来た事を物語っています。
自分の欲望を叶える為には、他人の不幸は何とも思わない人が多くなっていて
豊かな生活を手に入れる為には、手段を選ばず、人を苦しめる事をいとわない
とする考えを持つ人も増えています。

加害者と成ったとしても被害者にはなりたくないとする考えが広がっていて、
目的を遂行するには、自分でなければ、犠牲が出ても構わないとするものです。
表向きは、博愛的な民主国家に見えて、実は、どろどろとした欲望の気持ちが
陰に潜んでいて、豊かに幸せに見せながら、実際は常に利益を目論む偽善者が多く
見た目での豊かさを求めて生きてきた人達は簡単に騙されたり被害を受けたり
してしまうのです。

問題は、何でも手に入り、社会の要求に応えられる人は良いのですが、
多くの人は、この経済社会に付いて行くだけでやっとの状態な事です。
例え、収入が増えたとしても、常に、散財するように作られた社会は
人々に満足と心の安住を与えません。
常に新たなる欲望を膨らませる事に依り、より多くの消費を促し
欲しいものを手に入れる為には、他人の事を構ている場合ではないのです。


経済的社会的な欲望を遂げる事が幸せへの道であるかのような社会は、
人々に小さい頃から競争意識を産み付け、他人の上に立つ事が幸せで
自分の思い通りになる人生を歩めると洗脳します。
子供達は、大人の思惑通りに成長した時、褒められ我儘を許される事を学び
他人との関わり合いは、自分の利益を得られるときしか考えられなくなります。

他人より多くの知識を持ち大人の望む成績を上げられれば社会的にも認められる
と考えるようになった時、子供達の世界にも、社会と同じ、差別社会が生れます。
ほんの一部の大人に認められる人間を目指して、子供通しは敵対します。
しかし、社会から歓迎される子供に成長すれば良いのですが、殆どの場合、
期待に応えられず、また、自分の未来が開かれない事を知った子供達は
その後、一生に渡って、格差社会の現実に苦しむ事となるのです。

子供の頃から自分の価値を認められないで育った時、多くの人々は、自分自身に
諦めと共に強い不満とプレッシャーを抱きます。
友達にいじめられたり、勉強に付いて行けなかったり、子供達の心の苦しみは
大人に成っても続きます。
しかし、子供の頃から教え込まれた、他人よりも豊かな生活をすれば幸せに成ると言う
考え方は、このプレッシャーを人に対する暴力や暴言、更には犯罪へと向かわせる
可能性を生む事になるのです。
どうにもならない現実から逃れる為に、安易に他人の物に手を出したり、嫌がらせをしたり
パワハラ、セクハラと様々な暴力行為に向かわせます。

今や、豊かな生活をすると言う事は、社会的に認められると言うだけでなく、社会的な暴力から
我が身だけでなく家族をも守らなければならない時代なのです。
学生時代に自分達が見下していた成績の良くない人達からの報復を受ける可能性があるのです。
人間としての成長を伴った社会的地位であるならいざ知らず、学校成績と同じく、経済的な
強さをもって社会的地位を成した人達は、必ずしも多くの人達から心から受け入れられている
とは言えないのです。

落ちこぼれ社会の中の選ばれた人間社会は、社会全体の標的と成る可能性は高く、差別社会は
時に、破壊的な行為によって壊滅される事も有り、日本社会における不平等さを感じる人達が
大きな力と成って、現代社会を変えてしまう事も考えられるのです。
集会に於ける規制を設け始めた現政府の行動は、明らかに、社会の不信感に対する圧力と言え
如何に、日本全体に不信不満が溜まっているかが伺わせます。

今や、学校教育は崩壊状態と言え、教師も生徒も、経済社会を継続発展させるための人材を
作るだけの、社会の予備校のメンバーに過ぎません。
子供達の人間的教育というより、経済社会を担うより優れた人材育成機関と成っているのが
問題と言えます。
年齢に応じた人間教育が疎かになり、建前としての道徳教育は、何の役にも立っていません。
人の心の成長は、単に、膨大なる知識を与え、良い成績を上げさせるだけの物では有りません。
子供の心と身体を健全に育てようとして教師に成った人も、直ぐに、成績だけを目的とした
現実の学校教育に取り込まれて行きます。
志を高く持った新人教師も、しばらくすれば、如何にトラブルなく定年を迎えられるか
と言った保身に入るのが普通でなのです。

日本社会は、全ての国民にとって素晴らしい国である言うのではなく、一部の選ばれた人が
自分達の欲望を満たせる社会と言えます。
現に、社会を作り上げる力を持った人達は、国民の数%の人達であり、彼らの生み出す資産は
国内総生産の8割にもなります。
ほんの一部の人達が、国民の生活をコントロールし、多くの人が負担を強いられる社会は、
独裁経済社会言ってもよく、日本人の殆どがいつまで経っても幸せに成れない
原因とも言えるのです。

経済的に豊かに成ると言う事が、決して幸せに成ると言う事ではなく、一部の人達の懐を
肥やしているに過ぎないと言う事実を知らなければなりません。
本当に日本人を幸せにするならば、日本人が生れた時から一生を通じた国やリーダー達の
個人を生かす支援が必要です。それこそが真の福祉国家であり、国民を育てる国と言えます。
現在の様な、豊かな人達をより豊かにする政策を続ける限り、日本人の殆どは、
いつまで経っても幸せに成れないのです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿