東京を修学旅行で初めて訪れた若者たちが
渋谷でインタビューを受けているのを、
たまたま人との待ち合わせで近くに立っていて
聞くことが出来ました。
定番のディズニーランド巡りを兼ねていて、
少し素朴な感じの学生たちでした。
東京に来て驚いたことは、人の多さであり
毎日お祭りがおこなわれているようだと
声を揃えて答えていました。
しかし、印象に残ったのは、東京に来て、
田舎のコンビニと同じコンビニが在ったことに
驚くとともにホッとしたという意見でした。
初めて東京を訪れた人たちがまず思う事は、
人の多さであり、私が30年前に上京した時も
同じような思いがあったのを思い出します。
しかし、今の子供たちの思いは、それだけでなく
田舎に有る店の代表がコンビニだと言う事です。
つまり、東京と同じコンビニが全国にあり、
同じ商品が売られていると言う事です。
そして、彼らは、その商品を地元の商品として
感じていると言う事です。
この事は、確かに日本中に流通が行き届いていて
日本どこでも同じ物が手に入るという点では
素晴らしい事でもあるのですが、その反面
どの地方においても、地元の産業が衰えていて
外部資本が地方経済を牛耳っている現状が
浮き彫りにされているのです。
私の故郷も、ここ10数年来、中央のコンビニが
幾つも進出し、東京で売っていた商品と同じものが
田舎で同じセールとして売られているのに驚きました。
夜遅くも煌々と光り輝く店の明かりは、真っ暗の
田舎の夜道に浮かび上がり、一日中若者たちや
地元の方々でにぎわっています。
しかし、古くから営業している商店は、日が落ちると
殆ど店を閉めてしまい、真っ暗な街並みから、
少し離れた暗闇に光るコンビニが異様な光景です。
何でも手に入って、ほとんどの物を手に入れらえる
とあって、地元の人たちも、頻繁に利用することで、
新参者とは言え、結構一年中流行っていていたのですが、
この事が、地元の商店の閉鎖に拍車をかける事ともなって
今や、大きな問題となっています。
中央一極化が叫ばれる日本に於いて、地方産業の疲弊は
将来の日本にとってもいい事とは言えません。
地元での職が減ることで若者たちは都会へと集まり、
更に、地元に住む人たちの資本は、中央の大手産業に
吸い上げられていく構造は、日本社会の崩壊につながり、
国民の生活をますます厳しくさせていく事と成るのです。
大手企業からの後ろ盾による政治は、中小企業には厳しく
大企業には甘くという、官民癒着の賄賂汚職への悪政へと
続いていく過去の例が幾つもあります。
幾つも政党が作られ、様々な政治家が日本を立て直そうと
努力してきましたが、当選した当初は、輝いていた眼も
月日が経つに連れ大きく見開くと言うより、片目をつむったり
時には両目をつむり、両手を差し出して催促すると言った
国民不在の個人的欲求を満たす政治屋に変身していった
多くの議員を見てきたものです。
日本全体では、日々の暮らしに苦慮している方々が多くいる一方
莫大なる資本の元、何不自由ない生活をしている方もいます。
当然民主主義、自由競争社会の中にあるのですから、それぞれの
所得の差は否めません。
しかし、常に、低所得者から高額所得者へ財が流れる世の中の
システムは、一方的な利益を生むのみで、ほとんどの国民の利益とは
程遠いものです。
今や、富める者はより豊かになり、貧しい人々は、より貧しくという
同じ国に住んでいても、大きな心の格差が生まれているのです。
この事は、今の世界経済も同じ事が言えて、発展途上国と先進国の差は
テロと言う世界を震撼させる問題を生んでいるのです。
戦争は、力による圧制であり、多くの人々が傷つき、沢山の資産資本が
強奪される事により、勝者と敗者の差を見せつけるものですが、
経済的に豊かな人と貧しい人を作り上げる事は、真綿で首を絞めるような
陰湿な戦争にも匹敵する人々への弾圧ともいえるのです。
民主主義社会で、法的に正しい方法で行っている事だから許されると言った
合法的搾取が日本全体を息苦しい社会にしているのです。
世界各地で起こる争いも、多くが大国のエゴが原因であり、争いに関わる事で
多くの利益をもくろむことが目的である事から、戦火が消える事は決してなく
貧しい国はいつまでも貧しく争いはなくなることは無いのです。
今や、日本で問題となっている事は、世界の問題と本質は同じなのです。
国と国との争いも、しょせん、いかに利益を得るかが最大の目的であり
どんな口実正論を述べようと、その裏には、はかり知れない欲が渦巻き
それが無くならない限り、どこでも多くの人々が苦しみ、トラブルは
永遠に尽きないのです。
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