めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

対人的なやり取りができない人たち

2019-01-08 16:18:25 | 日本人

経済的豊かな社会を求め続けると、幸せに成れそうに
思いがちですが、現実には、対人的トラブルをより
増す事と成り、自分の事しか考えらえない我儘な
性格を生んでしまう事が多くなりがちです。

特に発展途上国が経済的な豊かさだけを求めると
国民は、人の気持ちを考えられない、自分の欲望にしか
関心がない対人的トラブルを生みやすい性格と成りやすく
他国に対しても、自分の主張しか行えず、平和で安全で
友好的な関係を保てなくなります。

この事は、日本が、戦後経済的発展を重視して、国民の
人間としての心の成長をおろそかにした事に因り、
経済的に豊かな生活ができるようになっても、一向に
人々の心は幸せと成れず、お互いに助け合うと言うより
競い合って傷つきやすい国民を生む事と成りました。

子供達が大人になる為の勉強も、人間性を高めると言うより
将来経済的に豊かになる為の術を身に付ける為の教育が
行われることで、小さい時から人の気持ちよりも自分の利益を
優先する人間を生んでしまう事と成ってしまっているのです。

世の中の流れが、他人よりもより多くの利益を得て、経済的に
より豊かな生活を送る事が幸せと考える人が多くなると
世の中はどんどん殺伐とた社会へと変って行きます。
経済的な幸せは、比較社会に於いて、どんなに頑張ろうと
より豊かな人がいる限り、自分の生活に満足することが出来ず
幸せは、より経済的に豊かになる事と考える、いわゆる、世の中で
膨大なる利益を狙っている人達の罠に陥ると言えるのです。

小さい時から大人になっても、自分の努力は、外見的な地位や
財産で評価されると言う事は、いくら頑張ったとしても、
他の人と比較される事に因り、簡単に幸せが不幸になってしまい
止まることない経済戦争に巻き込まれて行くのです。

この国民の体質は、そのまま国家政策に反映され、多くの国が
自国の利益のみを主張し、例え自分たちが間違った事を行っても
非を認めない我儘な国家を創り上げる結果と成るのです。
この事は、経済的発展は果たせても、国民の心は常に欲求不満で
国内外を問わず、自己主張しかできない国民性を作ってしまいます。

私達の日常に於いても、人の考えを認められない、自分の思いだけを
主張する人がとても多く、他人との関わり合いは利益関係が有る時のみで
人としての暖かい心の交流や心の成長が伴わない事が少なくありません。
多くの人が対人的に孤立していたり、相手の思いが解らない事から
自分勝手な考え方で人を差別したりハラスメントを起こす人が
とても多くなっているのです。

近年の近隣者国との諍いも、経済優先社会が生み出しているとも言えます。
資源や食料の奪い合い、国境近くでのせめぎ合いと、いずれも、自国の
一方的な主張を行っている事が多く、お互いの立場や考え方を理解できず
自国の利益のみを考える事で国際関係の悪化を多く生んでいます。
近頃の大国アメリカと中国の熾烈な貿易戦争も、双方とも自分の主張を
繰り返すのみで、一向に歩み寄りが見られません。
これまでの歴史を見ても、戦争の原因の多くが、お互いに主張を崩さず
一方的な考えが、武力をもって相手を捻じ伏せようとしたものです。

今や、世界的に食料や資源が不足し、更には、異常気象も有って、
未来に対する夢や希望を持てない時代と成って来ました。
アメリカの様に、世界の国々と同調するのではなく、常に自国の利益を
主張する国が多くなると、世界情勢は益々緊迫度を増し、最終的には
お互いの主張を繰り返す事で人類の破滅を導きかねません。
何とか友好的に世界の苦境を克服しようとする国々の考えを他所に
自国だけでも生き残ろうとする、極めて危険な時代になって来ました。

国と国の関係は、人々の関係ともリンクし、国内に於いても内乱や内戦
暴動が頻発している国も多く、相変わらず繰り返されるテロの恐怖は
人々の心を益々戦々恐々としています。
安心安全と思われて来た日本に於いても、この事は、決して他国の話ではなく
日常生活に憤りを感じてる多くの国民がいる事は否めません。
不穏な行動活動が行われない様に、様々な圧力をもって自治を推し進めようと
躍起に成っている日本政府も、国民の中に次第に高まる不穏な空気を抑えるには
次第に術を失いつつあり、これ以上の治安を守るには、武力を使った強制的な
手段に訴える事と成りかねなくて、またもや戦前の恐ろしい時代に逆戻りと
なってしまう可能性もあるのです。

人が人を治める時、本来ならば、多数の意見をもって全体の幸せを考え
リーダー達は、常に多くの人達の未来を保証しなければなりません。
所が、経済的社会的価値が人の価値とされる世の中が続くと、上に立てば
何でも自分の思い通りになるとする考えの人が多くなり、その結果、
彼等の我儘で大衆は常に振り回され、挙句の果ては、国家間の争いに
巻き込まれ、多くの犠牲者を生むことと成るのです。
人間の歴史を紐解いても、様々な戦争が、国民同士の争いと言うのでなく
リーダー達同士の自我のぶつかり合いに国民が巻き込まれている事が多く
勝っても負けても、被害を被るのは多くの国民に成るのです。

私たち人間社会は、多くの人達が幸せに生きて行く事が大切です。
その為には、社会全体を経済的に動かしていく人たち、そして
政治的に統制していく人たちが必要です。
社会的に国民をリードしていく人たちが、常に、国民全体の幸せを
考え続けている事が重要です。
我欲におぼれて、自分の欲求を満たすことに心を傾けている様では
国民の代表とは言えず、国民の幸不幸は、リーダー達の正しい采配に
掛かっていると言えるのです。

昨今、景気は回復していると言うのは、経済的に豊かな人達の景気が
良くなっていると言うだけで、中小企業や一般サラリーマンにとって
特に、家計を預かる主婦にとっては全く感じられない言葉なのです。
と言うより、毎年のように上がる物価、更には、消費税アップのニュースは
国民感情をより暗くしているのは間違いないです。
どんなに国民総生産が上がろうと、一部の人達の利益が上がっている
だけでは、戦争中の大本営発表の日本軍勝利の文言と同じと言えます。

今や、世界的な食糧不足資源不足や異常気象と、人々にとって
生きて行くための術が無くなっていく不安が多くなっていますが、
本当の不安は、人々の間に膨らんでいる相互不信不安なのです。

人は人を信じ協力し合うことで文明を築き上げてきました。
しかし、現代社会に於いて、人々は互いに社会的優劣をつけ
経済的豊かさをもって人の価値とする風潮がある事から
誰もが人を心から信じられない社会と成っているのです。

人が信じられなければ、ネットの力を持ってその代行をすれば良い
とか、AIに任せれば、何でも代わりにやってくれるから便利と
安易に考えれば、益々人と人の関わり合いが薄れ、便利である一方
対人的な信頼関係は益々薄くなっていくのです。

しかしながら、欲望はさらに強くなって行けば、自分の思いを
達成する為に、更なる危険な道を選んでしまう可能性もあるのです。
人は人によって自分の価値を認められた時、心に安心と喜びを
感じられるものです。人の気持ちが解らず、機械によって自分の
欲望を果たし、力で自分の存在を認めさせると成ったら、その時は
人は人でなく、単なる殺戮マシンと変わりません。

人々は、便利な社会が幸せを生むと思っていると、いつの間にかに
とんでもない時代に巻き込まれてしまうかもしれません。
道具である機械が暴走すると言うSFのような社会は、もはや
小説や映画の世界ではなく、間違いなく現実の社会なのです。

国民の多くは、自分が、そんな社会に組み込まれ、リーダーたちの
思うが儘に動かされていると思っていません。
リーダーたちも、国民を支配するためには便利な道具が手に入ったと
思っているでしょうが、その道具がリーダー達が考えるよりも
遥かに高度の知識を持って、新たなる社会を築き始めている事に
いまだ気づいていないのが現状なのです。

現在の世界は、便利なネットやAIを使って、自分たちの考えを
思い通りに展開しているとする人たちによって作られていますが、
この一部の支配者たちが、非常に近い将来、自分達が利用していた
便利な道具によって支配されかねない事を知っていません。

面倒な人に関わらないで、多くの利益を得るとしたネットシステムは
人と関わらない事で、人々の心を分断している事を知らなければならず
之こそ、機械によってすべての人間が支配される道筋といえるのです。
人間は、便利を追及する事で人間同士の絆を無くし、個としての支配を
受けやすく成っているのです。

例え数十億の人間がいたとしても、全てのつながりが無くなれば
ネットによるコントロールは瞬時に行えるのです。
既にその基盤は、世界中のリーダー達が国民に行っているからです。
私達人類は、近い将来多くの生き物と共に絶滅する事がないとしても
冷たい機械によって奴隷の様に支配される可能性は極めて高いのです。
機械によって、人間の存続が有りとするか無しとするかは、私達人間が
多くの人々の未来を考える選択よりも簡単であり、単なる、イエスかノー
の二択で瞬時に決まってしまうのです。これぞ、究極の便利で経済的な
選択といえるのです。

 

 

 

 



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