めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

他人から見た自分の存在の小ささ

2018-12-12 12:53:01 | 社会

私達は、誰もが、自分を中心に世の中を見ています。
自分が見えたもの、聞こえたものが、どんな物で有ったかは
自らの判断基準で決めていて、多くの場合、自分の判断は
正しと思っています。と言うより、正しいとしなければ
何も出来なくなってしまうのです。

その為、小さい頃から教育を受け、多くの知識を身に付ける事で
より正確な判断が出来、トラブルを生まない様にしているのです。
一人一人の頭の中には、生まれた時からの膨大なる知識が在り
その判断の元、自分の生きている環境でより豊かに幸せに生きたいと
考えるのです。

しかし、例え、どんなに多くの知識が有ったとしても、物事の答えは
決して一つではなく、また、常に流動的である事が多いのです。
個人の知識は、自分自身にとっては膨大であっても、他人から見れば、
本当に微々たるものと言え、まして、関心の無い知識であれば、例え
どんなに多く身に付けていたとしても、無いに等しいのです。

他人から見て、持っている知識の価値は、他人が関心を抱いた時のみ
感じられる物であり、一般的には、どんなに著名な方であっても
その社会的著名度や社会的な力を知らなけらば、単なる一人の外見に
過ぎないのです。
それ故、個人の心を他人に知ってもらう事はとても難しく、外見的な
姿を持ってしか認めてもらう事が難しいのです。

自らの価値を何だかの形で発信し、それを受け止めてもらえて初めて
存在価値を認められると言えるのです。
現代社会に於いて、その力を発揮する画期的な方法がネットであり、
これ程にも発展したのは、人々の思いをより広く豊かに知らせる事が出来
瞬時に、その反応を知る事が出来るからと言えるのです。

欲しい物、見たい物、聞きたい事が、瞬時に手に入れられる世界が
ネット社会と言えるのです。
人類の歴史は、何か欲しいものが有れば、それ相応の努力が必要であり
多くの人を介してしか得られなかったのですが、ネットの発達は、
流通を画期的に変え、他人との関わり合いを極限にまで無くしました。

この事は、何でも欲しいものが有れば、瞬時に手に入れられると言う
人間の欲望を限りなく満たす事と成ったのです。
何かを手に入れるまでに、多くの時間と人を介していた人間社会に於いて
流通が根本的に変わって、人の欲望を叶える時、他人を介さない事で
多くのトラブルを回避し、さらには、沢山の時間が節約できる様に
成ったのです。

更に言えば、対人関係を大幅に変え、他人の気持ちを考える必要なく
欲しい物を手に入れる事が出来る様に成ったのです。
手に入れるまでに、様々な人の思いが有れば、それだけ、時間が掛かり
更には、個人的なやり取りの違いで、思い通りの物が手に入らない
可能性も高く成るのです。

自分が望む通りの物が、瞬時に手に入る事は、対人的なトラブルを全て
回避できるとも言え、流通が劇的に進化するとも言えるのです。しかし、
ネットの発達は、私達の生活を著しく進歩させ、より豊かな生活が
手に入ると思いがちですが、ここには大きな落とし穴が潜んでいるのです。

より便利に成ると言う事は、個人的な欲望がより優先されると言う事であり
誰もが、他人の事を気にしないで、自分の事だけを考えれば良い世の中と
成って行くのです。
人類の歴史は、他人と如何に関わるかと言う事で進化して来たのですが、
ネット社会は、他人と関わらずとも、欲しいものが手に入ると言う事であり
日常生活が全てネットで支配されるとなると、例え、同じ屋根の下で生活
していると言っても、お互いに何も助け合う事も相談する必要もなく、
自分にとって一番好ましい方法が選択できるのです。

つまり、集団で生きる必要が無くなるのです。
大都会の雑踏の様に、沢山の人に囲まれていても、完全に一人ぼっちと言う
華やかな大都会に在っても心の中は寂しさに満ちている状態と同じ事が、
日常的に起きていると言えるのです。

お金が有れば、都会に集まる様々な魅力的な商品を何でも手に入れられようが
その事で、周囲の人とは何の関わり合いも生まれて来ません。
つまり、自己満足だけの世界が広がっていると言えるのです。
しかし、多くの人は、他人より豊かな生活をする事で満足を得ようとし、
その豊かさを多くの人に認めてもらう事で満足をしたいと願っています。
つまり、手に入れた物によって、自分の人間的な価値を上げたいとしているのです。

所が、多くの人達は、同じように自分の事にしか関心は無く、ただ、自分より
より豊かな生活をしているとするだけで有って、それを所有している人には
何の関心も無いのです。
多くの人が、社会的地位を得たり膨大なる資産を獲得しても、実際には、だれも
その持ち主には関心は無く、その身に付けている社会的価値に関心があるのです。

経済的価値を生み出す現代社会は、人間的価値を生み出さないと言うのが
人々の心を苦しめ続けると言えるのです。
貧しい生活をしていようが、豊かな生活をしていようが、社会的な価値として
人を判断する為、どんな地位に在ろうとどんな生活をしていようと、他人の生活や
考え方に何の興味も無い方が多いのです。

私達人類は、生き物の中で究極の進歩を得たとしても、個人としての喜びが
いまだ見つけられないのが現状と言えるのです。
生きている価値観は社会によって決められ、個人的な思いは他人からは何の関心も無く
人間としての社会的な関心は、殆ど無いと言っても良いのです。
多くの人の関心は、如何に自分の思いを豊かにして生活を便利に豊かにしてくれるか
と言う自分の欲望を叶える事しかないのです。

つまり、そこに人が関わったとしても、相手の事を構っている気持ちは無く、
関わると成れば様々なハラスメントを起こしかねないのです。
本当は、人は、自分の持ち物や社会的な価値よりも、本当の自分自身を認めてもらい
唯一無二の存在として存在価値を感じて欲しいのです。

他人を介さない、自分の欲望を全て叶えてくれる生活を望みながら、その一方で
自分の存在を知って欲しいと言う、人間が長い間培って来た感覚が有るのです。
現代社会は、その矛盾の中で多くの人達が苦しんでいるのです。
他人より秀でる事で、より豊かで便利な生活が出来るとするも、その社会的価値を
求めつつも、本当の自分を認めて欲しいと言う欲求が誰にでも有るのです。

何故、人々が苦しむのか、それは、幸せに生きる為の対人的条件が満たされず
世の中が、社会的な豊かさのみを求めているからと言えるのです。
日本人は、長い歴史の中で、経済的な豊かさ以上に人としての心の豊かさや
他人への思いやりを求めて来ました。
如何なる地位に在ろうも、他人に対する礼儀を重んじ、他人を含め自分の生きる周囲の
自然環境に心を配って来たのです。

人や自然に対する思いやりが、様々なハラスメントを生むことなく、温和で心豊かな
日本人を育てて来たと言えるのです。
現代の日本社会は、経済的に豊かに成る為の方法ばかりを子供達に教え、集団生活をする
人間教育の意味を教えて来なかったのです。
我儘なままに育った成績優秀な人が人の上に立てば、当然、自分の事しか考えません。
日本中で発生する対人的トラブルの根源は、他人との関わり合いの教育を受けなかった
自分だけの欲望を育てて来た人達によって生まれていると言えるのです。

様々な世界で頻発するハラスメントも、悪質な犯罪も、国民を代表する政治家たちの
狡猾な利益享受も、基本的には、人間としての心を成長させなかった結果とも言え、
多くの国民が幸せに成りたいと思う反面、自分の欲望で多くの人を傷つけている
と言う事も考えられるのです。

加害者にも被害者にも成りたくないとする心の叫びは、自分自身の心の中が如何に満たされず
常に不安に満ちている事を表しています。
如何に他人と付き合って良いか解らず、必要以上の神経を使い、まるで腫れ物に触るがごとく
人の目を気にしながら生きているのが日本人と言えるのです。

自分自身の考えを持てず、心が安心できない生活をしていれば、リーダー達の言い成りに
ならざるを得ないのです。
ほんの一部の人達に社会を牛耳られ、日々の暮らしにあくせくしているのが現代日本人です。
他人が信じられないだけでなく自分自身にも自信が持てないのです。
その為、メディアを通した情報に流されやすく、良いとされる事には、有無をいうことなく従い
いつまで経っても不安の種を消し去る事は出来ないのです。
自分の言動行動に自信を持てず、他人から否定されたりする事に怯える人がとても多いのです。

しかし、他人は同じく誰しも不安で怯えているとも言えるのです。
自分が思っている程恐ろしい存在ではなく、誰もが、弱い存在と言えるのです。
自分が他人を思う様に、他人は、自分に関して殆ど関心は無いのです。
ただ、一度、何か行動に移したり個人的な言動を行えば、多感に反応するのです。
この反応は、反対したり拒否したりと言うより、日本人の性質上、まず自分の立場の構築となり
どの様に振る舞うかの準備に過ぎません。

自分の意見を主張する事で対人関係を保とうとする国と違って、日本人は、まず、他人の考えを
聞こうとする努力をするのです。
消費経済社会と成っても、いまだ、他人の気持ちを気にする心がある事から、社会的トラブルが
諸外国より起こりにくいと言えるのです。
しかしながら、国民の心のうっ憤は、戦後溜まり続けているとも言えるのです。
和をもって尊しとした日本国民の気持ちが、現代社会に於いて、より多くの日本人の心を
かえって苦しめる事と成っているのです。

諸外国で有れば、暴動が起こりかねない事であっても、日本人はジッと黙って静観する傾向があり
それ故、様々な巨悪や極悪が野放しと成っているとも言えるのです。
今や、国民一人一人が、自分の思いを社会に訴える時と言えます。ネットを通じて個人的な賛同を
得るだけでは、国民全体の心は晴れないのです。
毎年、リーダー達の都合で、国民生活は益々苦しさを増しています。
しかし、この苦しみを作っている人達は、豊かな生活を続けているのが実情です。
日本人にとって最も求められる社会は、一部の人達だけの豊かさではないはずです。
本当に国民全体の幸せを考えるならば、坊ちゃんお嬢ちゃんとして育った国民の気持ちが解らない
我儘な人達から、本当に日本人の幸せを考えられる器の人を選ぶことが肝心と言えます。




 





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