めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

騙され続ける日本人

2018-11-13 14:12:59 | 社会

今の日本社会は、まるでおく病な若者達の様に、常に自分の事しか考えられず、
比較と批判でしか物事を解決できません。
被害者にも加害者にも成りたくないとする為に、被害妄想と成ったり、物事の良し悪しが
自らの考えというより、社会の目を気にして、本当の自分の気持ちや考えを持つ事が出来ず
寄らば大樹の陰と言った、経済社会を動かしている人達の思うが儘に国民が動いています。

街中が近代化し、あらゆる物が華やかに成る事で、自分達の生きている社会は、とても楽しく
幸せな世界だと思いがちですが、現実の人間社会は、相変わらずの、生き馬の目を抜くとは
言わないものの、お互いに足を引っ張る事を日常とし、至る所でハラスメントが起こっている
のが現状と言えます。

資本主義社会に於いて、人々がより豊かに成るにつれて、個人個人の経済力が増して来ましたが、
経済力が増す事が、自分自身の価値が増していると勘違いしている人も多いようです。
社会的に地位が増せば、自分の我儘が利くと思ったり、他人を比較したり差別したりする事を
何のためらいもなく行ったりと、外見とは裏腹に、人間の資質を疑われる人が増えています。

そのくせ、自分より社会的に地位が高い人に対しては、まるで別人の様に媚び諂いの態度で
周囲の人達の顰蹙を買っている人もいる様です。
対人的なやり取りやマナーをシッカリと習わず、単に、学校成績だけで社会的地位を成した人は
様々な場で、多くの人々に精神的肉体的にストレスを与えている事が解りません。
何しろ、学校成績が良ければ、人としての行いが優れなくとも大切にされて来た事も有って、
自分自身の言動や行動が、他人に対して不快感を与えているなんて思った事も無いのです。

マナーと言えば、多くの人が、他人に対する礼儀だとしていますが、それだけでなく、
他人からの礼儀を尽くされるために大切と言えるのです。
人に対する行いは、そのまま、自分の人格であったり人間性であると判断される事が多く
周囲の人にどの様に思われているかが、本当の社会的地位である事を知らなければ成りません。

人に対して心を尽くさなければ、同じように自分に対する周囲の態度は、不快なものと成ります。
まるで鏡の様に自分の行いが人から反って来るのが人生とも言えます。
日本人の場合、長年、周囲の国から侵略を受ける事無く、歴史的にも、日本人としての
考え方を育てて来る事が出来た事もあり、国民の基本的な考えや感じ方は、非常に似通っていて
しかも、近年は、マスコミの影響も有り、様々な社会現象に対して共通の反応を示します。

つまり、自分の思う事と周囲の人達の思う事は、海外の人達にに比べて、非常に似通っていて
自分が思っている様に他人も思っている事がとても多いのです。
つまり、自分が嫌だと思う事は、同じように他人も嫌と思い、自分が楽しいと思う事は、同じように
周りの人達も楽しいと思うものなのです。
特に日本人同士は、同調が社会的に見られ、長年島国で発展して来た独自の文化が影響してるとも
言えるのです。

しかしながら、多くの人達が協力体制を取るには良いのですが、個人的な考え方に対しては
大多数の考えによって否定される事も多く、新たなる考えが反映される事無く、いつまでも
古い考えに固執して、より良い結果を生む事が出来ない事も少なく在りません。
現代日本の社会問題は、多くの人々の考えが政治に反映されず、リーダー達の一方的な考えで
社会が動かされている事です。
民主主義社会と彼らは言いますが、実際は、これまで周到されて来た事を繰り返しているだけで
社会が大きく変わっているにも関わらず、本質的には全く変わっていなくて、高度成長期以来
経済発展は遂げたものの、日本人の体質は相変わらず、自分の価値は人と比較してしか感じられず
本当に自分にとって幸せなのか、常に不安を抱えている人が多いようです。

今や日本社会は、経済的に豊かであるのに、いつも周囲が気になり自分自身に確信が持てず
常に心が揺らいでいる人達と、経済的に苦しい状況に置かれていたり、高齢と成り健康不安や
経済不安で安心した余生が送れない人達がとても多くなりました。
かつてバブルの崩壊後、経済的に破たんした人達が、経済力を失った事に因る生活不安で
先行き不安に陥ったりすることは有ったのですが、その後、高度成長期以上に所得を増して
経済的に豊かと成ったと思われる人達であっても、自分自身に安心感が持てず、働けど
より多くの利益を得て、欲しい物を手に入れていながらも、心の底では不安から逃れなれない
生活安定層の方々がとても多くなっています。

この事は、一つは、日本人が、幸せに生きると言う事に対して、様々な日本社会の変動を経験し
精神的に成長したことにも依ります。
高度成長期には、ともかく、経済的に豊かと成って、欲しい物を手に入れれば幸せと思っていたのが
現代社会では、いくら高額所得者と成っても、それだけでは自分の心が満足できなくなっているのです。
その大きな原因は、どんなに豊かと成っても、自分と比較して、多くの人が苦しい生活をしていると言う
現実の生活における経済格差を豊かに成れば成程感じる様に成ったからです。

それと共に、自分の豊かな生活は、自分の力ではなく、多くの人との関わり合いであり、自分よりも
遥かに所得の低い人達からの利益の搾取によって成されている事を感じるからです。
この事は、世の中には、その様な生活レベルが低い人達が居る事を知ったと言うだけでなく、自分自身の
身の回りの人間関係が、経済的な部分で繋がっていて、人間的な部分で繋がっていない事を実感して
生活している事から、余計に、対人的な不備を感じてしまうのです。

世界の富裕層の人達の多くが、世界中の恵まれない人達に高額の寄付をしたり、支援を行うのは、
単に、貧しい人達を助けると言うだけでなく、自分自身の社会的地位に対する不満と不信が後押しし
心のバランスを保つ為でも有るのです。
人は、どんな社会で、どんな生活レベルで生きていても、その環境における自分自身を周囲の人から
認められていなければ安心して生きて行けないのです。

確かに経済的に豊かであれば、利益を得たいがために多くの人から認められると言う事も有るのですが
その一方、一人の人間としての価値を認めてもらわなければ、安心した人生を送る事が出来ないのです。
人類は、産業革命の頃から、急激に経済的な発展を人類の幸せと考えて生きて来ました。
豊かな生活を送る為に、地球の食料資源を独占し、世界中にテリトリーを広げて行きました。
確かに人類の進歩は、私達に多大な幸せを生み出し、より豊かで健康な生活を送る事が出来るように
成ったのですが、その一方、豊かさの独占は、同じ人間同士の争いをより一層はげしいものとし、
頻繁に戦争が起こり、多くの人々が傷つく様に成ったのです。

豊かさを求める一方で、不幸の極致とも言える戦争を誘発して来た人類の歴史は、経済社会における
人々の心を休める事無く常に不安に陥れる結果と成ったのです。
現代社会に於いても、より豊かさを求める事で多くの国々が諍いを起こし、世界情勢は常に不安な状態に
置かれ続けています。国内に於いても、豊かさを求める事で、人々の間には常に比較と競争が起こり
いわゆる、勝者と敗者が生れることによって、一国の中に於いても、誰もが幸せであると言う事は
あり得ない状況となっているのです。

日本の様に、一見、平和で幸せな国家であるように思えて、現実は、多くに人々が日々苦しみ、
より豊かに成ろうとする人々が、大多数の人達に大きなプレッシャーを与え続けているのです。
豊かな人達は、より自分達が豊かに成るため、更には、その地位を失わない為、多くの国民から
常に経済的搾取を行います。

暴力的に取り上げると言うのではなく、様々な魅力的な物を与えて、消費させる事に依って
お金の流れを継続的に作る様に仕向けています。
多くの国民は、何でも欲しいものが手に入ると思い、手に入れた財を次々に消費する生活に身を置き
どんなに働いても有るだけ使い果たす様な日々を送る事と成ります。
この事は、かつて身分制度が有った頃、常に食料の多くを支配者たちに貢ぐ生活を強いられていた
農林水産業の人達と何だ変わり有りません。

使いきれない程の財を成していればともかく、国民の殆どは、身銭は簡単に使い尽くしてしまうのが
普通であり、様々な物を手に入れ、税金を払い続ければ、生活の余裕がなくなるのが普通です。
消費経済社会とは、豊かな人達がばらまいた餌に国民が食い付いている様な社会なのです。
問題は、生活するための必要経費を出費すれば、思う様なものを簡単に手に入れられないまで
国民生活が貧窮している事実をリーダー達は黙認し、更なる消費を求めている事です。

豊かな消費をする為には、生きて行く為の基本的人権が守られ、将来への不安が無い社会を
作らなければならないのです。
しかし、日本人の殆どは、常に将来に対して不安を感じているのが実情です。
不安を感じない人達は、ごく一部の富裕層でしか有りません。
一度病に伏したら、災害に遭ったら、仕事を失ったら、日本人の多くが路頭に迷うのです。
大病を患おうも、大災害に遭遇しようも、仕事を失っても、安心した将来が有って初めて
個人的な幸せを感じる事が出来るのです。

いまや、日本で生活するには、全てにおいて、経済的に豊かでなければ保障されません。
殆どの国民は、安心した人生を送るには、高齢者が口にする、ピンピンコロリでなければ
生きて行けないのが現実なのです。
都会の華やかな街並みも、正に砂上の楼閣であり、そこを行き交う多くの人々も、
消費を促すための様々なトラップの中を行き交う獲物に住みません。

消費経済社会を創り上げている人達の利益の為に作られた見てくれの美しさ豊かさに
翻弄されて、常に、幸せを自分自身の心に見いだせない状態に置かれているのです。
欲しいものが手に入れられる事は素晴らしいのですが、それ以上に、国民一人一人が
人生に不安を感じない社会を作る事がリーダー達の役割であり義務なのです。
その義務を果たさないで、国民に負担を与え続けていながら、自分達の利益ばかりに
舌なめずりをしている社会的に地位の在る方々がいる限り、日本国民は、本当に
幸せと感じる事は無いのです。

しかしながら、唯一、世の中が殺伐としたものに成ったり、暴力行為が起こったりしないのは
日本人が長年創り上げて来た、日本人の、和を持って尊し、とした生活感に在るのです。
もし、発展途上国の血の気多い国民の国家であったなら、今の政治家の多くや富裕層の多くは
これまでの様な安穏とした生活を送って来れなかったのです。
国民の優しさに感謝すると共に、自分達の置かれた立場をシッカリのと見極め、政治家になる為
声を枯らして演説した時の様に、常に国民本位の考え方を貫けるリーダーと成る事が責務と言え
現実の豊かな経済社会にどっぷりと浸かっている生活に不安の無い人達への叱咤としたいです。

 

 

 

 

 



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