めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

便利なネット社会に隠された恐怖

2019-01-22 10:38:48 | 社会

ネットの発達によって、今や世界は、あらゆる情報が
手に入るだけでなく、自分から世界に発信できる世の中
と成って来ました。
その為、自分が求めるものは、何でも、居ながらに知る事も
手にすることもでき、私たちの暮らしは、急速に変わると共に
この変化にいかに付いて行くかが重要と成りました。

確かに便利な世界と成ってきたのですが、この急速な変化に
誰もが付いて行けている訳では有りません。
特に高齢者にとって、これまで縦社会に生きてきたことも有り
全ての事を同次元で考える事は至難の業と言えるのです。
物事のみならず、社会的な事に関しても、その道筋を考え
段取りを踏んで行動する習慣は、瞬時に物事を解決していく
現代のネット社会は、多くの高齢者にとって苦痛とも言えます。

何とか生活に関わる事は、その便利さを利用して理解しようも
仕事と成ったり対人的に利用するとなると、途端に、難解な
未知の機械に変わってしまいます。
高齢者のネット利用とは、生活に必要な極めて表面的な部分であり
生活全てをネットによって運営していくと言う事は至難の業と言えます。

しかしながら、公共の手続きから日常生活までも、次第にネットにより
繋がるようになってくると、たとえ高齢者といえ、理解できなければ
生活自体が成り立っていかないのです。
ネットが生まれた時からあった世代は良いのですが、人生の途中から
全く違った社会に投げ出された旧世代は、まるで荒波の大海に漕ぎ出た
小舟の様で、日々社会の動きに翻弄されていると言えるのです。

とは言うものの、本当に、ネット社会は、我々人間にとって
幸せをもたらしたと言えるのでしょうか。
一瞬にして世界を繋ぎ、流通だけでなく社会機構を変えてしまった為
便利になった反面、人々の心が付いて行っていないのが問題です。
高齢者のみならず、社会を動かす多くの人達も、便利さには同調しても
機械がもたらす社会トラブルまで意識が向かいません。

特に、対人関係は、便利さが先行することで、人と人との関わり合いが
極めて事務的で、お互いの繋がりが利益の享受を基準としていて
人として心のやり取りが出来ない人が多くなっています。
自分の要求を得る事には夢中になっても、目の前の人の思いが感じられず
お互いに傷つけあったりハラスメントを生じたりしています。

深い信頼関係の元、豊かな感情で繋がっていると言うのではなく、いかに
多くの利益を得るかが中心と成っている人間関係は、希薄で脆弱です。
簡単に他人を傷つけたり、差別したりと、便利で豊かな生活を叶えても
常に対人的に心休まることなく、何でも手に入れられる社会になった
とは言え、孤独に苦しむ人が多くなっているのです。

人は人によって育てられ認められてこそ、生きている証と安心が得られます。
自分の生活手段や社会的豊かさをもって自分の価値とされれば、いつまでも
心は休まらず、安心で幸せな生活を得るためには、より豊かで便利な生活を
求め続けなければならないと思ってしまうのです。
しかし、社会的価値は流動的であり、社会の流れで簡単に変わってしまい
いつまでも目的を達成することは有りません。
その一方、対人的には、お互いに認め合う事も癒し合う事もなくなれば
益々、自分の心は孤独にさいなまれ、外見とは裏腹の、寂しい人生を
送る事と成るのです。

ネットの発達は、あらゆることをマニュアル化し、誰もが、決められた
社会システムに則って生活するようになっています。
人間が、コンピューターによって作られた社会システムに組み込まれ
様々な仕事をよりスピーディに行う事が出来るようになって来ましたが
多くの人がより便利な社会に成ってきたと思うものの、実際は、作られた
社会法則に組み込まれて行っている事に気が付いていません。

今や、誰もが、自分の生活のすべてをネットにより管理されていて、
個人情報も簡単に流出する状態と成っているのです。
社会を動かす管理者たちにとっては、非常に都合のいいシステムと言えますが
その一方、国民が全て奴隷化すると言う危険性もはらんでいるのです。
ネットによって管理された社会は、人々の横のつながりを断裂させ、
どんなに不都合なことがっても、その思いを共有する人同士の繋がりを
持つことが出来ない、一部の人達の欲望が、大多数の人達の自由を
奪ってしまう可能性すらあるのです。

メディアを通じて連日流される情報は、多くの人が共有する事が出来
その事が、大量消費に繋がり、より社会発展を促す事と成ります。
社会を牛耳る人達が思い描くままの、自分達にとって理想的な社会は
常に利益が一点に集中し、さらなる一極集中型の社会と成ります。
誰もが自由で平等な世界と言うのは考えられず、何でも自由に出来そうで
それら全ては、支配者や管理者達によって作られて行く事を知らなければ
いつの間にかに、私達は、全ての自由を失ってしまうかも知れません。

戦後の高度成長期は、少しでも所得を上げて、消費経済を高めていく事が
幸せへの道と多くの国民は信じていましたが、その結果は、国民がお互いに
社会的経済的地位を競い合うだけで、自分の幸せは、他人よりも経済的に
優るとした考えが、本当に自分が求める物を見失い、必要でない物の
大量消費を生んだに過ぎません。
自分自身の価値観は、他人と比較する事でしか感じられず、より経済的に
豊かな物を身に着け、社会的な地位を上げる事が人間の価値とする考えが
多くの国民に根付き、常に心休まらない、果てしない欲望を満たす事しか
喜びを感じられない人々を増やす結果と成ってしまったのです。

特に、対人的な成長を怠った事が、自分自身の行いや考え方が、他人を
傷つけたり苦しめたりする事が解らず、地位が上がる事で他人より勝るとし
時に、様々なハラスメントを生んでしまうのです。
世界的に豊かと成った経済大国に日本の最大の汚点は、日本人としての
豊かな人間性を失い、経済的な価値に幸せの基準を定めてしまった事です。
どんなに我儘な事であっても、社会的地位を成せば許されるとする考えが
たとえ国のリーダーであっても、常識を逸脱した振る舞いを行っても
許されるとする空気を生んだのです。

経済成長と共に、まるで常に新しいオモチャを与えられて満足している様な
大人に成長できない多くの日本人を育ててしまったのです。
特に、日本のリーダーと成って社会を動かして来た方々が残した物は、
国民の共通の財産である美しい大自然を破壊し、様々な化学物質や汚染物質で
国民の健康を損ねました。
自分達の利益を得る為に、大切な日本の自然を破壊し、国民の健康を損ねた罪は
戦争によって国民を地獄に陥れた時に匹敵します。

消費経済社会は、著しい進歩と共に、人々の生活を豊かに幸せにすると思われがちですが、
その陰で、大切な物を多く失っているという事実を知らなければ成りません。
見た目だけの豊かさは、人々に真実を隠し、より豊かな生活をもって人々を翻弄します。
一見ゴミが無くなって綺麗に成ったとする海や川は、その水底部や海底を覗けば、
高度成長期から捨てられて来た多くの汚染物質や危険な化学物質で溢れています。

何故、透明度が高く成って綺麗に成った海や川に、一向に水生生物が復活しないのか
その理由はひた隠しにされ、いつの日か、負の遺産として告発されるまで、深い水の底で
まるで時限爆弾の様に眠っているのです。
情報開示と言う社会風潮から、食品パックの裏を覗けば、使われている様々な化学薬品が
驚く程多く並んでいますが、その聞いた事の無い様な薬品が次々に増え、しかも、消費者が
その危険性を知る事無く、表示してあるから安全と言うがごとく、日本人の全ての人の身体に
日夜取り込まれています。

見た目美しく美味しそうに見せる為、より長く商品価値を有する為、様々な添加物が使用され
その危険性を感じているものの、殆どの消費者は、商品の裏を覗く事も無く、見た目の綺麗さ
新鮮さを見て、信じて購入している状態です。
国からすれば、様々な安全基準を通過している薬品の為、人間に影響は無いと豪語しますが
これまで、それらの安心は、時間と共にことごとく覆されているのです。

今日本で使用されている食品添加物の中には、既に欧米では禁止されている薬品も有って、
本当に国民の事を考えているのか、というより、利益をもたらしてくれる人達の事だけを
考えているのが日本のリーダーであるとも言えるのです。
今や、日本人は、ネットの発達によって、あらゆる情報を手に入れているように思えますが
実際は、その情報の多くは、一部の人達の都合によって作られている事を知らなければ
成りません。
必ずや真実は有るのですが、世の中に在る真実の多くは、より多くの利益を目論む人達によって
改ざんされている事も多いのです。

テレビの健康番組を見ていると、出演する著名な医師たちの茶番が目立ちます。
数年前まで、健康に成る為の常識と豪語していたことが、今や簡単にひるがえり
当時、多くの国民が必至に行っていた健康対策が全く間違っていたり、かえって
健康を損ねていたことが解ると、その間違った情報を力説する事を誤る事無く
新情報として堂々と居直る姿は、正に、医は算術としか言いようが有りません。

この様に、世の中の中心と成る私たち国民の健康を守ったり政を行ったりする人達が
自分達の欲望の為に国民を利用したり、更には、ネットを使って管理している事実は
どんなに国民が努力しても幸せに成れない理由であると言えます。
法治国家であり、全ての国民は法の下に平等に裁かれるはずとは言え、より豊かで
社会的に地位のある人達がルールを無視して私欲に走る現実は、日本社会が如何に
外見的に豊かに見えて、実際は心寂しい国民を生んでいると言えるのです。

ただでさえ、食糧も資源も枯渇してきているのに、本当に国民が幸せに成らない
現代の消費経済国家を推奨して行く事は、如何に無駄で、意味の無い事ともいえます。
より消費を高め、経済的に豊かに成れば国民は幸せに成るとするリーダーの考えは
明かに国民に背を向けた自分達の豊かさを堅持する為のものと言えるのです。
全ての国民が本当に幸せを感じられるには、少なくともリーダー達が、本当の
国民の心の声を知り、一部の人達の幸せではなく、大多数の国民が幸せに成る為の
全く新しい社会を創り上げる努力を行う事が肝心と言えるのです。

 

 



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