めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

肩書き外見が自らの道を閉ざす

2019-02-02 12:35:44 | 社会

私達は日常的に外見を気にし、社会的な地位を気にしがちです。
自分が如何に他人から見られているか、自分はこの世でどの様に
位置づけられているかを、無意識のうちに感じ続けています。
特に外見的に自分自身を見る事は難しく、周囲の環境における
反応をもって自分の存在を確認する事に留まりがちと言えます。

その為、自分自身の判断は、自らが考え出したというよりも、
周囲の状況によって生み出された考えや行動と成る事が多く、
思っている事と現実の行動や考え方が違っている事は珍しくなく
ややもすると、社会の流れに押し流されて、思いもしない
状況に陥ってしまう事も有るのです。

しかしながら、誰もが常に、自分の意思をもって行動し、
自分が思うが儘の人生を送りたいと考えているのです。
その為、誰一人として同じ感性を持っているとは言えず、
十人十色と言われる様に、人は、其々の個性が生れるのです。
自らが持つ思いが達成された時、本当に心が癒され、人生が
豊かに感じられるのですが、現実は、思い通りにならないで
苦しみもがく事も少なくないのです。

この事は、人其々の思いが違っている事から、集団生活を
行う事を常とする人類は、社会性を持って生きる為に
自らの考えを社会に合わせ修正する事が要求されるのです。
しかし、時に、思いと裏腹の言動や行動をしなければいけない事に依り
様々なストレスが生れて来ます。
現代社会は豊かで便利に成ったとは言え、人々の心が一向に休まらず
常に癒されない不満のたまった状態に成りやすいのが問題です。

外見的には、世界的な先進国家として豊かな社会生活を見せながら
日常的にストレスに晒され、心はいつも満たされないで苦しんでいる
と言うのが現代人の真意とも言えます。
人は、視覚的に情報が80%以上入って来るとも言われ、ネット社会は
ますますこの傾向が強まっています。
世界中からあらゆる情報が手に入る一方、情報によって自分の考えや
行動が変えられる事は常で有り、自分自身は、自らの考えで行動している
と考えていても、実際は、情報によっていつの間にか動かされている事が
とても多いのです。

多くの情報が手に入ると言う事は、より正しい考えや判断が出来るとあって
とても喜ばしい事とも考えられるのですが、情報によって簡単に自分の考えが
変えられると言う事は、現代社会における最大の問題を生む事にもなるのです。
便利であるはずの情報によって、多くの人達が簡単に管理される社会が
現代社会と言っても良いのです。
膨大なる数の人々が、より豊かな生活を目指してお互いの考えを共にする
と言う事は、巨大社会を関連付ける為にも、非常に素晴らしいと言えますが、
この情報を、一部の人達が管理するとなると大きな問題と成るのです。

民主主義は、多くの民意が反映されるはずなのですが、ネットを利用した
情報管理社会は、ややもすると、情報によって国民が管理され、一部の人達の
思うが儘に動かされる危険性が高く成るのです。
現実問題として、ネット社会になる前も、テレビなどを使った情報操作は、
商業活動に多く利用されて来たのですが、国民の生活すべてに関わる管理が
国によって行われる様に成ると、便利に成った様に思える反面、国民生活が
全て丸裸にされ、リーダー達の、より独裁制を助長する事になっているのです。

戦後、全てを失った生活から、高度成長期を経て世界的な経済大国へと
成長したのですが、この近代国家への道は、国民が望んだものではなく、
時のリーダーや経済界のトップの人々が、自分達の理想とする社会を
作ったものです。
私達一般の国民は、便利で経済的に豊かな生活が出来れば、自分達は
幸せな人生を送れるとしたのですが、この経済社会の仕組みは、
決して国民一人一人を本当に豊かにするものではなかったのです。
その証拠に、経済発展と共に、多くの負の遺産を生み、自然だけでなく
多くの国民を傷つけるだけでなく、いまだに、解決される事無く
未来までその後遺症が続いているのです。

便利で豊かと思える私達の環境は、衣食住すべてに、便利さと豊かさに
隠された危険性が存在していて、身近な食品を見ても、その裏に記された
食品添加物は年々種類を増し、常に私達日本人の体内に取り込まれて
いる事を忘れてはならないのです。
国と企業は、経済発展を前提としている事から、その安全性を口にしますが
日本国内で許されている添加物で有っても、欧米諸国では危険な薬品として
ずっと以前から禁止されている物も有り、かつてのサッカリンやタール色素
を使った食品と同じく、これから先、その危険性が表沙汰になる事も
充分に考えられるのです。

私達は、便利で豊かと言う言葉に従って、疑うことなく与えられるがままの
日本経済社会で生きていますが、日本人だけでなく、日本国土全体が
世界的に見て、数多くの危険物質に汚染されている事を知らなければ
なりません。

農耕地ののみならず、都会の緑地帯の土、更には、一般住居の庭の土に至っても
諸外国の土壌とは比べ物にならない程化学物質が存在している事実を、殆どの
国民は知る事無く、生きる全ての環境が汚染された中で生活しているという
驚くべき実態が黙認されたままである事を知って欲しいです。

海や川が汚れているとメディアは伝えますが、本当は、私達の住む環境自体が
多くの化学物質によって汚染されているのです。
問題は、この全ての原因が、消費経済社会をもって豊かに成ろうとする人達の
勝手な思惑で生じていると言う事です。
経済的に豊かな暮らしが出来ると言う事で、国民の健康と日本の美しい自然が
犠牲に成って来たという事実を多くの人達が感じていない事が問題です。

日本は世界的に見てもトップクラスの長寿国として知られていますが、
実際は、健康で長寿であるかと言えばそうとも言えないのです。
戦後、高度成長と共に生活は便利に成ったと言え、国民の疾病率は急上昇し
特にかつてなかったような難病が数多く出現し、多くの国民が、死ぬまで
様々な病で苦しんでいるのです。

多くの人の死因が、悪性腫瘍、つまり癌である事が知られている様に、
個人的な問題と言うより、生活環境で有ったり、それまで摂取して来た
様々な食品が問題である事が解っています。
病に伏すと、更なる化学薬品を投与され、日本人は、人生の全てを、
経済社会の発展に利用されているとも言えるのです。
まるで、日本人全体が経済社会を発展させる為のモルモットの様に
利用され、心も身体も傷つきながら生きて行かなければならないのです。

私達人間は、一人では生きてはいけません。
多くの人達と助け合い、様々な生きる糧を与え合って豊かな人生を
送れるのです。
しかし、他人と関わり合う重要性は、自分自身の心と身体が、他人との
関わり合いで生まれるからであって、その関わり合いで傷つけられては
成りません。
一見便利で豊かな様に思われる消費経済社会が、実は、自分達の心と
身体を、そして美しい日本の自然を傷つけている事を知らなければ、
成りません。
本当に自分自身が幸せになる為に、更には、日本の美しい大自然が
未来永劫続いて行く為には、一体どうしたら良いのかを常に考える
必要が有るのです。
膨大なる知識だけでなく、日常的に溢れる食品や便利グッズが
本当に自分にとって必要な物であるかを、しっかりと判断できる力が
必要であると言えるのです。

 

 



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