めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

個性と才能が育たない現代社会

2018-11-29 04:20:09 | 社会

人が持っている才能とは、本来優劣を決めるものではなく
其々の個性として伸ばされて行くべきものです。
しかしながら、多くの場合、人々の関心を集めたり
利益を生じる場合に認められ、それ以外のものは、特異なもの
無駄なものとして社会から排除されることが多いです。

その為、うまく育てられれば、人々にとって社会にとって
素晴らしい貢献をする可能性のある人が、才能の芽を摘み取られ
時には異端者として排除されることも有るのです。
私たちの社会は、長い歴史を経て、近代文明を築いて来ましたが、
その真価は、多岐に渡るとはいえ、人々の英知が全て発揮された
結果とは言えず、人の持っているほんの一部の部分、社会的な
利益を生じる部分のみが発展してきたと言えるのです。

特に子供たちの才能は、現代教育のもとで発揮されるとされ
多くの国に於いて、将来の社会貢献を考えた経験的教育が
子供たちの未来を創り上げていきます。
しかしながら、子供たちが持つ個性や才能が現代教育で
全て養われると考えるのは早計であり、子供達を教育しようと
する事に因って、子供一人一人が持っている能力を失わせ
育つべき大切な才能ともいえる個性を消してしまうのです。

学校教育を行うことで、子供たちは成長していくと思うのは
大人たちの勝手な思い込みであり、例え、長年培われてきた
教育法とは言え、全ての子供を立派な大人に成長させるとは言えず
むしろ、教育によって、子供の持っている豊かな才能を
失わせている可能性が大きいのです。

多くの子供たちは、大人が決めた教育方針に従い、言われるがまま
勉学に励むのですが、本当に自らの興味を持って行っていると
言うより、誰もが行っているから、親に薦められるからと言った
周囲の目を気にした他者の考えで行っている場合が多く、
当たり前と思われる子供の教育が、子供の心の成長を阻み
豊かな才能の開花を抑えてしまう事が多いのです。

この教育の問題点が、子供たちの心をゆがめてしまい、ある者は
大人の期待通り優秀な成績を収め、自分の思うが儘の生活を行い
またある者は、自分の思いと大人の与える教育に大きな溝を感じ
激しく抵抗したり、登校拒否をしたりして苦しみます。

学校における様々な子供たちの問題は、子供達の持っている
才能や個性を無視した、一方的で押しつけがましい大人の考えで
生まれる事が多く、子供たちの能力の差ではないのです。
しかし、この時点で、子供たちは、比較社会の洗礼を受ける事と成り
成績の良し悪しで、人間としての価値を決められてしまうのです。

将来の社会的貢献が期待できる子供は優遇され、反発する子供や
勉強に付いて行けない子供たちは、大人たちによって差別され、
心の中に傷を負っていくののです。
人の成長は、其々の持っている人としての資質によって様々な形態を
示すものであり、一律に育てると言うのは、本来無理ともいえるのです。
社会で生きる為の基本的能力や知識を身に付ける事は大切ですが、
その中で、個人の持つ個性を如何に育てていくかが、社会にとっても
とても大切であり、個人の才能こそが人類の未来を創ると言えるのです。

所が大きな問題は子供たちと言うより、彼らを教育する教育者や親達
更には、社会の大人たちに有ると言えるのです。
多くの大人たちは、子供の頃から、親や先生の教えに従って、社会の
一員として消費経済国家を支えるように育てられてきたことから、
同じように子供たちを自分たちの考え通り育てようとしてしまいます。

特に学校の先生は、教育委員会や上司たちの監督のもとに、ノルマに
沿った教育をしなければならず、例え、子供たちの個性が失われ、
豊かな才能が損なわれようと、自分の生活を守る為、子供たちの
大切な個性や才能を摘み取ってしまいます。

子供の事を本当に考える熱血教師と言うのは、ドラマの中だけであり
現実は、縦社会に組み込まれたサラリーマンに過ぎません。
更に問題と成るのは、日頃生活を共にする親たちの身勝手な考えであり
自分の子供の将来は、学校などの教育者が責任を担うものとしていて
子供としっかりと向き合わないで、親としての役割を果たさず、
ただ学校の成績のみで我が子を判断してしまう事が多いのです。

子供達も成績さえよければ、何でも我儘が出来るとしたり、
悪ければ、一方的に怒られることから、親との関わり合いは
学校成績の良し悪しで決まってしまうのです。
この外的評価は、その後の人生に於いて付きまとうものであり、
大人になっても大きな心の負担と成ってしまうのです。

消費経済社会の人間評価が、社会的地位や財産によってなされ
個人の人間的価値ではかられない事に因る苦しみが続くのです。
日本人は、世界的に見て教育が行き届き、博学な人が多いと言えます。
しかしながら、その知識は、誰にでも共通な社会的な価値を図る
知識であり、個人の能力を示すものでは有りません。

その為、日本人と言えば、誰でも少数のサンプルを見れば解り
物事の考え方が非常に共通化しているのが特徴と言えます。
かつては、人より目立つことを控え、常に右に習えが日本人であり
この特性は、いかに日本人が社会に管理されて教育されているかが
解ります。確かに、人々が統一されて行動したり、同じ考えでいる事は
社会にとって都合が良いのですが、その反面、間違った方向に進んだり
行き詰まったりしたときは、混乱を生じたり暴走したりする事が多く
これまで日本が多くの窮地に立たされたり暴走した時の原因が、
日本人の個性が失われた教育に有るとも言えるのです。

過去の砂鉄を反省することなく、日本人は、経済社会に組み込まれる
個性を育てない教育を行い続ける事は、社会にとって安定となると
思われるのは過去の事であり、この昔からの考え方が、現代社会の
閉塞を生んでいる事を考えなければなりません。
同じ考えを持った者同士が意見を出し合っても、新たなる道は開けず
日本社会が一向に明るくならない原因とも言えます。

ネット社会と成って、世界中の情報が誰にでも手に入る様になった様に
社会も、あらゆる可能性を求めて世界に開かれて行かなければならず、
これまでの方法を周到し、過去の豊かさを求めていているだけでは、
一向にらちが明かないと言えるのです。

教育とは、特定の人達に委ねるのではなく、社会全体が社会を担う
人材を育てて行く事が重要です。多岐に渡る社会システムを発展させ
より豊かな社会を創っていくには、多方面にわたる能力を持った
才能豊かな人材を育てて行く事が必要です。

その為には、学校や家庭に子供たちの教育を託するのではなく、
様々な地域社会が一体と成って、子供たちの個性を発見して
才能として育てる事が重要です。
将来の日本を支える人達は、私たちの生き方を参考にしても
そのまま周到していては、何の進歩も生まれないのです。

才能豊かな子供たちは、大人達の思惑に多感に反応して
大人の欲するようにするもの、反発して自分の個性を主張するもの
全く無視して自分の世界に引きこもるものと、様々な反応を示し
自分たちを守ろうとするのですが、その外見的行動をもって
子供を評価している事が、大人たちの浅はかさと言えます。

様々な子供の態度は、自分たちが持っている個性や才能を
守りたいが故の行動であり、大人たちの都合で子どもの価値を
決めている事から、様々な問題を持った大人にしてしまうのです。
世の中には、多くの国が有るように、様々な社会形態が有り
その地で生きて行くには、それぞれの地域で作られた社会規範や
ルールを守る事は必要ですが、個人の個性が失われることは
どの社会にとっても損失と言えるのです。

日本人は、まじめで博学であるにもかかわらず、知識を、使えない
道具として持っているだけで、自分自身を生かすものと成って
いないのが問題です。
肩書を得るための知識を得るために多くの時間を費やしたところで
自分自身の個性や能力を育てる事になっていない事が多いのです。

今や、海外から多くの人達が日本に訪れる時代と成りました。
観光客だけでなく就労の為に沢山の人が日本を目指しています。
街を歩けば外人だらけとも言えます。
まさにこの事は、強烈な個性が集まって来たと言えるのです。
世界は個性と才能で溢れているのです。

なのに、日本は、その大切な個性を無くしてしまう社会を創ろうとし
従来の縦社会を堅持する為の教育を国民に強いているのです。
先進国と言いながら、実際は、過去を見ているのが日本社会と言えます。
一部の人達が、自分たちの社会を守るために、世界と異なった生き方を
国民に支持しているともいえるのです。

今や日本国民のすべてが、自分の個性を見失って、与えられた価値観で
苦しんでいるとも言えます。
例え社会的地位を得たとしても、自分自身の価値を認められたと思えない
不安と悲しさが日本人の心に有るのです。
なぜ、経済大国となったのに、何時も欲求不満で心が安心できないのか
それは、私たちが、自分自身を信じられない生活を行い、社会的な価値を
自分の価値として置き換えてしまった事に有るのす。

 

 

 

 

 

 



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