羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

春の苦味

2015年04月21日 08時52分29秒 | Weblog
 朝取りの蕗をもらった。
「茎は細いので筋とりはしなくてもいいかも知れません」
 帰宅し包みを開けると、その瞬間から、春の匂いが届けられた。

 さて、大きな鍋に水をはって、ガスコンロにのせる。
 湯が沸くのを待つ間に、下準備をしながら、葉の様子を特に丁寧にみておく。
 いたんでいる葉もなく、少し厚みがあって柔らかな感触に、八百屋のものとは違う、としばらく指先でまさぐってみる。

 最初に茎だけを茹で上げ取り出し、続いて葉を湯の中につける。
 長めのお菜箸で浮き上がっている葉を下におして湯に浸す。
 しばらく待つうちに灰汁が出て薄茶色に変わっていく。
 そろそろか、と頃合いを見計らって、葉を一枚とりだし、小さく端をちぎりながら冷まし口に運ぶ。
「柔らかい。でもくたくたではないから、これが新鮮というもの……」
 茎もそうだった。火の通りはとてもよく柔らかいが、蕗独特のシャリシャリっとした触感は失われていない。

 さて、葉は思いのほか苦味が強く、しばらく灰汁出しをすることにした。
 ときどき水を替えながら、他の調理をおこなっていく。

 蕗の葉の佃煮は、春の味覚そのものであるから懇ろに調理したい。
 細かく刻んだ葉に、酒、砂糖、醤油をひたひたよりも少し多めにいれて、火にかける。ぐらぐらとしてきたところで味見をする。
 苦味が少し強い感じがあって、少量の昆布と鰹出汁に砂糖と醤油を加えて、いつもより濃いめの味付けに調節をする。それでも香りは失せないから、朝取り新鮮が証明される。
 殆ど汁気がなくなったら、焦げ付かせないように、更に汁気がなくなるまで煮詰めていく。
 カラカラの手前で火からおろし、すりごまと削り節をぱらぱらとふって器に盛りつける。

 炊きたての白米に、こんもりと蕗の佃煮をのせて、一口食べた時の「春の苦味」は、これを美味と言わずしなんとしょー。
 ほどよい苦味は、春のからだが欲する味わいなのだ、といつも思う。
 今朝は長ネギのあっさりしたみそ汁に、蕗の煮物、蕗の葉の佃煮、人参+大豆+あげ+ちくわ入のヒジキの煮付け、魳の干物、甘い卵焼き、蛇腹に切った胡瓜の甘酢漬けで、一日がはじまった。みそ汁と魳以外は、昨日の夕餉の残り物、作りおきしたものだった。
 苦味・酸味・甘味・塩味、醤油味、味噌味、出汁味、舌の上にのせて、それぞれを味わう朝からの贅沢。
 とりわけ春の苦味は格別で、実に、ご飯がおいしいのであります。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする