寒暖の差も激しく、雨も多いこの頃。
先週の月曜日の晴れ日には、単なる鉢植えと化した盆栽の植え替えを行った。松と真柏は今年も見送ってしまったが、小鉢や中鉢の他去年しなかった花梨と紅葉が植わっているやや大きめの鉢物を思い切って植え替えた。
そして、昨日の日曜日には、蔵のぐるり、生い茂った龍の髭や鞍馬苔を間引きし、雑草を抜き、曲がってしまった木瓜の4本の支柱を立て直したり、紅葉の枝をおろしたり、半日の作業でよしとした。
数年に渡って左手の親指の付け根を中心に腱鞘炎で家事が億劫だったが、植え替えや蔵周りの掃除でも気にかからずに終えられた。きっとまだ時折通っている鍼灸の治療と、自宅でのお灸の効果が出ているようだ。
その上、別件だが「野口流ヨガの逆立ち」を練習していると、背骨がすごく柔らかくなったような気がする。いや、背骨の周辺がほぐされてきたのだと思うが、表現としては背骨が一つずつ方向を変えて、重さを受けてくれる様な実感が持てるようになった。おそらく昨年末から感じていたことだが、鍼灸効果も手伝っているのは錯覚ではないと思う。
そして雨の日は読書。
『身体はどうか変わってきたか』アラン・コルバン 小倉孝実鷲見洋一 他 藤原書店
『日本人の身体観の歴史』養老孟司 法蔵館 いちばん読みやすかった!親近感が湧く本。
『ナチスのキッチン』藤原辰史 水声社
授業がはじまる前に、読み終わってよかった。
長年の懸案だった野口体操の問題も、方向が見えはじまった。
基本は「自立した個人がゆるやかにつながる」こと。
法人化もすすめられたが、あまりしっくりこないと思う気持ちが明確になった。個を大切にする野口の思いを、もうもうしばらく尊重していきたい気持ちを押してくれるのが養老先生の本だった。
グローバル化に背を向けるわけではないし、外国人の参加を断ることはしないが、「ローカル・スタンダード」としての野口体操のあり方を探ってみたい。
英訳は、その道のプロの方におねがいして、体操の意味を深めるために始めてみるのも悪くなさそうだ。
日本語というより“野口体操語”でしか表現できない言葉は、注をつけてそのまま使う方法を採りたいと思うのだが、いかがだろうか。
さて、今日も雨。
本日は、朝から大学の事務に電話を入れて16日から始まる授業のために、枚数の多いレジュメ印刷をおねがいした。
午後には大学まで行くつもりだったが、データを添付ファイルするだけでよい、ということで思いがけず自由時間をいただいた。
それで本格的に降り出す前に、はやめの買い物をすませ、皮付きの筍と蕗を仕入れてきた。筍には糠もついているので、茹で上げてそのまま冷めるのを待っている。夕方には煮物を始めたいと段取りがついたところだ。
というわけで春学期の準備が整いつつある。
アッ、ゴールデンウィーク前には、もしや、ゲラが来るのだろうか。それとも連休明けだろうか。どちらにしても6月には『野口体操入門』が現代文庫から再刊される。
野口先生への墓前報告も終わっているし、心置きなく過ごしたいのだが。
一つ心配ごとは、知人の癌治療経過である。こればかりは、何もしてあげられない。無念である。
先週の月曜日の晴れ日には、単なる鉢植えと化した盆栽の植え替えを行った。松と真柏は今年も見送ってしまったが、小鉢や中鉢の他去年しなかった花梨と紅葉が植わっているやや大きめの鉢物を思い切って植え替えた。
そして、昨日の日曜日には、蔵のぐるり、生い茂った龍の髭や鞍馬苔を間引きし、雑草を抜き、曲がってしまった木瓜の4本の支柱を立て直したり、紅葉の枝をおろしたり、半日の作業でよしとした。
数年に渡って左手の親指の付け根を中心に腱鞘炎で家事が億劫だったが、植え替えや蔵周りの掃除でも気にかからずに終えられた。きっとまだ時折通っている鍼灸の治療と、自宅でのお灸の効果が出ているようだ。
その上、別件だが「野口流ヨガの逆立ち」を練習していると、背骨がすごく柔らかくなったような気がする。いや、背骨の周辺がほぐされてきたのだと思うが、表現としては背骨が一つずつ方向を変えて、重さを受けてくれる様な実感が持てるようになった。おそらく昨年末から感じていたことだが、鍼灸効果も手伝っているのは錯覚ではないと思う。
そして雨の日は読書。
『身体はどうか変わってきたか』アラン・コルバン 小倉孝実鷲見洋一 他 藤原書店
『日本人の身体観の歴史』養老孟司 法蔵館 いちばん読みやすかった!親近感が湧く本。
『ナチスのキッチン』藤原辰史 水声社
授業がはじまる前に、読み終わってよかった。
長年の懸案だった野口体操の問題も、方向が見えはじまった。
基本は「自立した個人がゆるやかにつながる」こと。
法人化もすすめられたが、あまりしっくりこないと思う気持ちが明確になった。個を大切にする野口の思いを、もうもうしばらく尊重していきたい気持ちを押してくれるのが養老先生の本だった。
グローバル化に背を向けるわけではないし、外国人の参加を断ることはしないが、「ローカル・スタンダード」としての野口体操のあり方を探ってみたい。
英訳は、その道のプロの方におねがいして、体操の意味を深めるために始めてみるのも悪くなさそうだ。
日本語というより“野口体操語”でしか表現できない言葉は、注をつけてそのまま使う方法を採りたいと思うのだが、いかがだろうか。
さて、今日も雨。
本日は、朝から大学の事務に電話を入れて16日から始まる授業のために、枚数の多いレジュメ印刷をおねがいした。
午後には大学まで行くつもりだったが、データを添付ファイルするだけでよい、ということで思いがけず自由時間をいただいた。
それで本格的に降り出す前に、はやめの買い物をすませ、皮付きの筍と蕗を仕入れてきた。筍には糠もついているので、茹で上げてそのまま冷めるのを待っている。夕方には煮物を始めたいと段取りがついたところだ。
というわけで春学期の準備が整いつつある。
アッ、ゴールデンウィーク前には、もしや、ゲラが来るのだろうか。それとも連休明けだろうか。どちらにしても6月には『野口体操入門』が現代文庫から再刊される。
野口先生への墓前報告も終わっているし、心置きなく過ごしたいのだが。
一つ心配ごとは、知人の癌治療経過である。こればかりは、何もしてあげられない。無念である。