羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

野口流ヨガの逆立ちにおける「支え」と「ぶらさげ」の感覚

2013年02月16日 07時09分31秒 | Weblog
 野口体操で大事にしている「上体のぶらさげ」は、鉛直方向に一致した骨が支えとなって、骨盤を含む上体がぶらさがるのが理想だ。実際のところ筋肉は支えとして足の骨の位置を維持するために働く。といってもこの場合も、最も少ない力で支えるられるような在り方を探っていく。
「ぶらさげ」には「支え」が前提条件となる。実感としては、今の言い方とは逆で、「支え」があってはじめて「ぶら下げられる」と言える。

 さて、野口体操での「ヨガの逆立ち」も考え方は同じだ。
 できるだけ余分な緊張を解いて、つまり「解緊」して、鉛直方向にからだの長い軸を一致させる。言い方を変えれば、頭の中心に重さが乗って、その上に骨が真っ直ぐに積み重なっている感覚をつかむことが大切な一歩である。
 もちろん筋肉での支えも当然のことに行われている。

 もうひとつ「呼吸」もまた「支え」なりうるのではないか、と思ったのが二週間ほど前のことだった。
 この場合の呼吸は「腹式呼吸(横隔膜式呼吸)」である。
 たとえば「スクワット」の実感を例にとるとよいかもしれない。
 頭の後ろに両手を当てて行うスクワットの場合は、どちらかというと後ろへの重心がかかってくる。したがって大腿直筋、腿の前側の筋肉が主に働く。
 それに対して両腕を胸の前に組んで、前傾姿勢のなかで行うスクワットは、前に倒れそうになることを防ぐために腿の後ろ側の筋肉が働く。
 で、「ヨガの逆立ち」に話を戻すと、この逆立ち姿勢になったとき、背中側に倒れそうになることを意識下・無意識・非意識のなかで避けようとする。するとからだのあちこちに余分な力が入って緊張状態が維持される。
 
 そこで「呼吸」による支えの可能性をイメージしてみよう、というわけ。
 腹式呼吸の場合には「横隔膜」が緊張してからだの内側に支えができる。このときパンパンに張った状態だと、案外と一気に息が抜けてしまいやすい。そこですこし手前くらいの吸気量にとどめておく方と、吐く息のコントロールがしやすいことを多くの方が経験しておられると思う。その感覚である。
 逆立ち姿勢の場合には、直立姿勢とはことなり、横隔膜の上に内臓が乗ってくる。しかし、そのことにあまり気遣うことはない。内臓は液体的である。流れるように形を変えることができる。そして肋骨の籠が支えとしての働きを二重の意味でしている。胸郭部内の肺や心臓の重さがあり、さらに丸い頭部も腹部内臓を支えることに手助けとなる。横隔膜が隔てる胸部と、頸が繋ぐ頭部をひっくるめて、全体として「たまご型」のイメージを持つことで、「生卵を立てる」あのときの実感に共通点をもとめて探ってゆくとよい。とはいえそう簡単ではないけれど。
 そこから足を巻き込んだ状態で、逆さまになっているからだ全体(腰部・腹部・胸部・頭部)を卵型のイメージに膨らませてゆく。実際の形は無視して、からだの内側の感覚としての「生卵」ということになる。
 
 まとめるとからだの中心部では保息状態の横隔膜が、内部の支えとなる。液体的な内部状態を筋膜が支えてもくれることを添えておきたい。

 ついで「呼気」の場合は、一気に息を吐くのではなく、細く長く少ない量の静かな呼息を行う。この場合は初期は横隔膜が働き続けている、それから腹筋がはたらくようになる。最後の領域でははっきりと腹筋が緊張して呼息が終わる。この息を吐き続けている間は軽くアキレス腱を伸ばして、足全体にごくごく僅かな緊張があってかまわない。その緊張感は、意識にのぼらないくらいの緊張にとどめておきたい。
 そこで逆立ちしている腰の中心部に、息を吸い込む感じで腹式呼吸を行う。

 倒れそうになる背中側とは逆の腹側、腹筋と横隔膜(後があっても意識的にはみぞおち辺りが支えの中心点に感じられる)が支えとなる実感がもてれば、余分な筋肉の緊張感は失せゆく。

 いずれにしても頭の中心に重さがすとんと乗っている実感がいちばん大切なのだが、補助的に呼吸に伴う「腹筋」と「横隔膜」の僅かな緊張感が、「ぶらさげ感」を促してくれるように感じる。

 今日の話は、玄人の域に達する前の段階で、多少の意識を持って練習をする方へのメッセージということですが、わかりにくい話となったようです。
コメント (2)
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