羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

たかがデジタル されどデジタル

2013年02月09日 07時31分49秒 | Weblog
 住職のいない寺、住人の目が届かないお堂から、仏像等々が盗まれるニュースを聞くようになって久しい。
 そこで、本物の仏像は博物館に寄贈し、レプリカを置くことになった寺がある。
 たった今、NHKのニュースで報道されていた。

 高校生が作り上げた仏像は、見事な出来映え。
「芸大生も真っ青だわね。でも、美術高校があるのかしら」
 いぶかしく思いながら見続けた。
 そのレプリカは彫刻ではなく、レーザー機器で測定され、3Dプリンターで制作された物だった。
 凹凸はもとより、細部の傷までそっくりそのまま復元されている。
 そして何体でもつくることができる、という。

 和歌山県立工業高校の実習だそうだ。
 通常のレプリカ制作では百万はくだらない、らしい。
 この方法だと、5万円~6万円程度で出来るというだけでなく、実習生が作った物が、実際に地域の寺で信仰の対象として拝まれることになる。単なる実習でおわらず、社会に貢献できることを学ぶという一石二鳥。

 iPS細胞関係の本を読んだ時に、3Dプリンターのことを知ったが、すでに制作者の間ではいろいろな場面で使われて行く将来の姿がはっきりした。
 
 工業高校の授業の様子も取材されていたが、なかなかにスマートだった。
 で、スタジオでは女性サウンサーが、同じレプリカの仏像を手にしていた。もう一体だそうだ。
 高校生が手にした社会貢献の実感だともいう。

 確かに、美術大学の修復の有り様も変わるに違いない。
 これから求められることは、発想力、発進力、創発力、これまで以上の創造性だろう。
 しかし、古くから培われた職人の手技を絶やす事なく、新しい技術革新との折り合いを上手くつけていくこととも一つの課題となってしまった。
 杞憂かも知れない。老婆心かもしれない。
 が、時間をかけて修復作業を行う事によって学ぶこと、気づくことは多い。そこから発見する創造の魂は、機械に置き換えることはできない。そもそも芸術と社会貢献はマッチするのだろうか。マッチする芸術もあるだろう。しかし、社会貢献を最初に考える芸術は、そもそも芸術とはいわない、のが私の感覚だった。結果の一つとして社会貢献になった、ということはありだ。
 とうとう、難しい時代に入った。
 たかがデジタル、されどデジタル!
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