羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

失ってはじめて気づくこと

2012年11月26日 14時25分46秒 | Weblog
 土曜日に気づいた。なんと台所の水道蛇口、といってもシステムキッチンなので長く伸びた形の元に近いところに直径2センチ弱丸い穴が開いて、水を流すとそこから漏れるようになった。その日は、細く出すぶんには大丈夫なので、そのまま使い続けた。
 昨日、日曜日はオフだったので朝からシンクの掃除をした。
 綺麗になった!と喜んだのも束の間、足下を見ると水が流れてびしょびしょ状態になっていた。
 下水に流す方には問題がない。
 つまり水垢がたまっていたのを落としたために根本から下に、滴り落ちるようになって、それが外に漏れだしてきたのだ、と解った。

 日頃は何気なく料理をしている。洗物をしている。
 水が出せないと非常に不便だ。
 ペットボトルの水を使って調理をする。あれよあれよと言ううちに、空になっていく。これほど水を使っているとは今の今まで知らなかった。
 一方、食後の洗いものは洗面所から湯を運び、溜め洗いの後に流す方法をとった。いかに水を無駄に流しながら洗っていた事に気づく。

 母は外食をしたがらないので、こんな状況でも、三食とも自炊をしている。
 紙皿や紙コップを使わず、できるだけ少ない食器ですむ料理を考えてはいるが難しい。

 週があけて工務店に連絡をとった。そこから連絡をしてもらい、メーカーのメンテナンス係からの返事待ち、といったところだ。

 ここ数日は、知恵を絞って料理し、洗いものをするものと覚悟を決めた。
 家はまさに体の一部。恒常性がいかに大事か、ひしひしと感じる。
 いつもと変わりない日常を生きる!それができたらいちばん幸せなのだ。
 失ってはじめて気づくことって、ものすごく多い。
 
 安心してすえる空気や水。
 安心して植えられる土。
 
 火を自由に調節できる器具。
 ものの命をいただく刃物。
 からだを包む衣服や肌着。
 夜の安眠をもたらしてくれる寝具。

 挙げたら切りがない。
 身近な「もの」は自分のからだの延長だ、という事を身をもって感じている。
 そんな殊勝なことを書きつつ、しばらく不便な暮らしを満喫出来るとはいいがたい。
 早く、なおしてほしい!切に願う。
 ひたすら電話を待っている午後。
コメント
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