羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

巡礼……ひとやすみ HOSHINO DIARY

2016年08月24日 13時12分11秒 | Weblog
「羽鳥さーん、ほら、これ上げる」
 息せき切ってやってきた井上修美さんから手渡された本は、新潮文庫『HOSHINO DIARY』。
 表紙に目が釘付けになる。
 目を閉じた顔を少しだけ空にむけている白熊。なんと穏やかな。

 てっきり星野道夫の写真と文だとおもった。
 それが一瞬にして裏切られた。
「なに、これ?」
 私の言葉を受けて、彼はニヤニヤとわらっている。

《 1月1日(  曜日)元日 1月2日(  曜日) ……》

 曜日が書かれていない手帳だった。
 15日ごとに見開きページをつかって写真が挿入されている。
 最後には、2012 2013 2014 2015  
 1ページを使って、各1年分のカレンダーが載っている。
「つまりーこれは、4年間のどこかで日記帳のようにつかえばいいのね」
 そのとき、すぐにも合点がいった。

 2016年8月23日のこと。
 久々に楽譜棚にしまい込んでいたの本(DIARY)を思い出し手に取ってページをめくった。
「せっかくいただいたのに、つかえなかったんだ」
 奥付をみると平成二十三年一月一日と記されている。
 西暦にすると2011年ということになる。
 あれから5年の歳月は流れたのだ。
「分厚い5年間だった」
 来し方を振り返って、ちょっぴり溜息をつく。
 
 本日8月24日から、銀座松屋で星野道夫写真展が開かれることも新聞で知った。
 すでにその前日、FBに『BRUTUS 9/1』の特集『こんにちは、星の道夫 心を満たす、極北の物語』が発売されたという書き込みを読んで、さっそく書店に寄った。
 雑誌の表紙も白熊である。
 実は、この表紙の写真を見て『HOSHINO DIARY』を思い出したのが順序だった。

 思い起こせば野口三千三が亡くなってそれほど時間が経たない頃だった。
 銀座松屋で写真展が開かれたことがあった。
 そのときには福井から上京してきた女友達と出かけた。
 一部屋、一部屋、巡るごとに写真と文に引込まれる度合いと深さが増してゆく。
 最後の部屋では涙が止まらなかった。
 写真家が急逝をしたときの衝撃も思い出す。
「まさか、よりによって、熊に……」
 
 さて、『BRUTUS』のページをめくると、星野が残した写真と文、それに作家や動物写真家、なかにはプロデューサー等、それぞれに嫌みのない星野讃歌が次々に現れる。
「あッ、養老先生だ」
 手が止まる。
 目が止まる。
 プロフィール写真がいい!
 なんてたって時流に抵抗しているのだから。
 いや、ご本人には抵抗意識はないのだろう。
 ただ自然にご自分の嗜好を楽しむ姿を写してもらっているだけ。
 内容は、養老節健在である。
 読んでいて、清々しいとしか言いようのない思考に引きずりこまれる。
 自然、社会、生きもの世界、人工の世界、生と死……星野を軸に多岐にわたって話を展開しておられる。
 しかし、すべてが一本の道に通じている。
《星野さんのような男はもういない。だから熱心に読まれるのかもしれません》養老孟司

 おもむろに、雑誌の上に文庫手帳をのせてみる。
 下を向いて眠る白熊、顔をもたげて眠る白熊。
「安らかに死んでいるようにも見え……いやいや、安らかに眠っているのよね。ちがちがう。眠っているのよ」
 白熊の見る夢はいったいどんな夢なんだろう。

 自然の流れで、文庫をプレゼントしてくれた人を思い出す。
 一緒に写真展を見に行った人も思い出す。

 しかし、一人は還暦の年に、もう一人は還暦を前に、この世を去った。
 私よりも若い二人だった。

 そういえば龍村仁監督が星野道夫の世界を映像化したかった『地球交響曲』も、生きている星野の姿をおさめることができない哀しい作品となってしまった。あれは鎮魂歌だった。
 その鎮魂歌を、野口三千三が見ることは叶わなかった。
 野口もまた封切りから間もなく、死で旅路に出られたから。

《生きる者と死す者。有機物と無機物。その境とは一体どこにあるのだろう。》星野道夫
 
 今度の写真展は、一人で見にいこう。
 そう心に決めた朝。
 宇多田ヒカルの歌が聞こえてきた。
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