羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

身体講座の伝統・・・そこから見つけられた我がライフ・ワーク

2018年04月08日 07時00分51秒 | Weblog
 今年に入ってから、2月と3月に、会の中身は異なるものの、朝日カルチャーセンターで「身体系」の講座を受け持っている方々と席を共にする機会を持った。
 身体といっても、からだだけの問題ではなく、40年前には「こころとからだ・心身一如」的な講座の流れを組む講師たちである。

 野口体操が朝日カルチャーセンター新宿校で開講されたのが、確か1979年だったと記憶している。
 1970年代から80年代は、「身体の復権」の時代だった。
 敗戦後、長らくアメリカ的な価値観による医療や訓練法一辺倒だったが、そこに風穴が開けられたのがこの時代である。
 それまで座布団の下に隠されて息を潜ませていた東洋的・日本的な身体の見方に光が当てられたのだ。

 ホリスティック医学(医療)、野口整体、西式健康(呼吸)法、漢方、鍼灸、ヨーガ、太極拳・・・・・様々なものの活動が始まった。
 欧米内におけるアンチ西洋的な活動としては、アレクサンダーテクニークやフェルデンクライス、少し遅れてロルフィングなどが日本にもたらされた。
 哲学はメルロポンティ。文化人類学も脚光を浴びていった。
 野口三千三の野口体操は、哲学や文化人類学の視点から、戦後における「第一次身体ウェーブ」にふわっと乗せられた感がある。

 それからほぼ20年。
 野口が1998年に亡くなった頃から必修科目であった大学の体育が選択科目になった影響から、スポーツやトレーニング中心に加えて、ヨガや太極拳、インド武術等々、古今東西の文化的な価値観の裏付けを持つ身体技法を学ぶ講座が正課体育中に導入された。身体のコンディショニングの東洋版でもあった。
 つまり野口没後、「野口体操」は、唯一日本生まれの独自価値観による体操として選ばれ、芸術系とは別の東京六大学の正課体育に導入された経緯がある。
 この時期が「第二次身体ウェーブ」と言えるかもれない。

 20年経ったこの時は、第一世代の大御所のほとんど鬼籍に入られていた。
 したがって、その方々の助手的な存在だった数少ない人材が、登用されていったような印象を持っている。

 さて、大学とは別に、朝日カルチャーセンターでも、70年代・80年代の第一ウェーブについで、さらに積極的に講座が次々と生まれていった。
 第二次ウェーブは、若者から年齢の高い方々まで網羅して、単なる「健康志向」だけではない方向が求められている。

 ここまで経過をたどってみる。

 第一次ウェーブは、身体に軸をおいた哲学的な欲求を持つ人々に選ばれた活動。

 第二次ウェーブは、感性・感覚を軸としたもう少し幅広い一般人をも巻き込んだ活動に変化していった。

 第三次ウェーブは、東西が融合されるかのような新たな時代が到来している。
 それは、まさに、今である。
 第一次の始まりから、ほぼ40年の節目、今年になってより顕在化してきた感がある。

 ブログの最初の話に戻ると、それらの活動を中心として担っていくであろう指導者に、図らずも、直接、出会う機会が得られたことは偶然ではない、と思っている。
 久しぶりに会った同年輩の方からも、あまり馴染みない若手の方々からも、必ず私に託される言葉がある。
「僕たち(私たち)が、こうして今あるのは、朝日カルチャーの二階さんのお陰なんです。お会いになったらよろしく伝えてください」

 40年前、まさか、このような流れになるとは、彼女とて想像だになさらなかっただろう。
「二階は、何をやっとる」
 上層部からの批判の声を聞いたのか聞かなかったのか、それはわからない。
 しかし、直接世話になった方々も、ならない方々も、カルチャーの身体(心と体)講座の伝統に組み入れられて、それぞれが立ち位置を持ち得るのは、伝説の二階のぶ子を置いて語ることはできない、と私は確信した。

 10年ひと昔、というけれど。
「あれから、40年である」
 長かった。いや、あっという間でもあった。

 私は思う。
「老兵は去るのみ」時も近い、と。

 時代が、逆巻いて変わっていく。
 今、この時、変わらないのは何か?

 最近になって、変わらないものの手がかりとして、残しておきたいことが見つかった。
 残された時間で、我がライフ・ワークを丁寧に紡いていくことができたら幸せ。
 そんな気持ちを後押ししてくれような太陽の光を浴びた灌仏会の朝である。
コメント
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