今朝、Facebookを開いたら、一年前に書いたブログのことが知らされていた。
「あの日、2017年4月1日は、寒かったなー」
懐かしく思い出された。
さて、「野口体操の会」創立2年目の春。
施設入所した母の様子も落ち着いたこともあって、積極的に野口三千三ゆかりの方々に連絡をとって時間をいただき話を伺っている。
鹿児島に93歳になられるNさんを訪ねたことは、このブログでも報告させてもらった。
先日は、拙宅に野口体操教室の先輩Tさんが、わざわざ来訪してくれた。
戦後、野口が演劇に関わった昭和20年代後半から30年代の貴重な話を伺うことができた。
今度の日曜日には、「ぶどうの会」「民藝」の演出家・岡倉士朗に野口をめあわせた藝大の卒業生の方とお目にかかれる約束がかなった。
また、5月になってからは、野口とは時間のズレはあるものの、戦後の間もない頃に江口隆哉・宮操子舞踊研究所にいらしたモダンダンス界の大御所の方にも話を伺うことができそうだ。
早、野口三千三が亡くなって21年目に突入した。
皆さまかなりのご高齢である。
しかし男性は矍鑠とし、女性は凛とされて、揃って素敵なお歳のめされ方をなさっている印象である。
それとは別に、3月23日(金)には、座・高円寺で催された「ソマティック・ダイアローグー竹内敏晴ー」に参加して、かつて「竹内レッスン」に在籍していた方々に会うことができた。
手紙や電話で打ち合わせをすることからも感じられるのだが、これまでも、ここからも、お目にかかる人に共通していることは、「からだ」と「ことば」への関心が深く、独自の価値観をしっかり育んでおられることだ。
すでに泉下の野口と出会っていらっしゃる方も少なくない。
もっと早く動き出したかった。
が、こればかり言ってもせん無いこと。
「野口三千三・野口体操についてお話聞かせてください」
何方もそれぞれの青春と重なっている。
ご自分の来し方を振り返って、丁寧に誠実に語ってくださる。
聞く私には、戦前・戦中・戦後と、過ごされた時代と社会の様子が、ありありと伝わってくる。
これは醍醐味である。
野口体操は「個を尊重する体操」である。
にも関わらず、俯瞰してみると、時代と社会が求めた独自の体操でもあると思えてならない。
こうして人を訪ね、土地を訪ねる”私の巡礼の時”は、始まったばかりである。
ひとえに、会報『早蕨 SAWARABI』に、「野口三千三伝」を載せましょう、と提案してくださった事務局の近藤早利さんのお蔭です。
そして快く引き受けてくださるお一人おひとりの野口への熱い想いに支えられていることをお伝えします。
「あの日、2017年4月1日は、寒かったなー」
懐かしく思い出された。
さて、「野口体操の会」創立2年目の春。
施設入所した母の様子も落ち着いたこともあって、積極的に野口三千三ゆかりの方々に連絡をとって時間をいただき話を伺っている。
鹿児島に93歳になられるNさんを訪ねたことは、このブログでも報告させてもらった。
先日は、拙宅に野口体操教室の先輩Tさんが、わざわざ来訪してくれた。
戦後、野口が演劇に関わった昭和20年代後半から30年代の貴重な話を伺うことができた。
今度の日曜日には、「ぶどうの会」「民藝」の演出家・岡倉士朗に野口をめあわせた藝大の卒業生の方とお目にかかれる約束がかなった。
また、5月になってからは、野口とは時間のズレはあるものの、戦後の間もない頃に江口隆哉・宮操子舞踊研究所にいらしたモダンダンス界の大御所の方にも話を伺うことができそうだ。
早、野口三千三が亡くなって21年目に突入した。
皆さまかなりのご高齢である。
しかし男性は矍鑠とし、女性は凛とされて、揃って素敵なお歳のめされ方をなさっている印象である。
それとは別に、3月23日(金)には、座・高円寺で催された「ソマティック・ダイアローグー竹内敏晴ー」に参加して、かつて「竹内レッスン」に在籍していた方々に会うことができた。
手紙や電話で打ち合わせをすることからも感じられるのだが、これまでも、ここからも、お目にかかる人に共通していることは、「からだ」と「ことば」への関心が深く、独自の価値観をしっかり育んでおられることだ。
すでに泉下の野口と出会っていらっしゃる方も少なくない。
もっと早く動き出したかった。
が、こればかり言ってもせん無いこと。
「野口三千三・野口体操についてお話聞かせてください」
何方もそれぞれの青春と重なっている。
ご自分の来し方を振り返って、丁寧に誠実に語ってくださる。
聞く私には、戦前・戦中・戦後と、過ごされた時代と社会の様子が、ありありと伝わってくる。
これは醍醐味である。
野口体操は「個を尊重する体操」である。
にも関わらず、俯瞰してみると、時代と社会が求めた独自の体操でもあると思えてならない。
こうして人を訪ね、土地を訪ねる”私の巡礼の時”は、始まったばかりである。
ひとえに、会報『早蕨 SAWARABI』に、「野口三千三伝」を載せましょう、と提案してくださった事務局の近藤早利さんのお蔭です。
そして快く引き受けてくださるお一人おひとりの野口への熱い想いに支えられていることをお伝えします。