11年前に亡くなった父は、先の大戦中、青島に上陸し、その後軍用トラック輸送部隊に配属されて、満州で終戦を迎えた。
復員してから昭和22年~23年頃には、大型自動車免許を取得した。鮫洲で受験し、その時の車はシボレーだったと聞いた。シボレーは、あえて言うまでもなく大型アメ車である。
当時アメ車は、豊かさの象徴であり、自由の象徴でもあり、さましくアメリカンドリームの象徴だった。戦後復興の目指すべき車で、キラキラした輝きはどこまでもまぶしかった。負けた日本は追いつけるのだろうか、と半信半疑でありながらも、アメリカ手本にまっしぐらに突き進んだ昭和があった。
しかし、本当の車への尊敬は“ロールスロイス”であり、車への愛着は“ルノー”や“フォルクスワーゲン”の丸い可愛らしい姿に抱いていた。つまり、欧州車に対する思いは、アメ車に対するのとは別格なものだったのだ。
さて、昨日から今朝にかけて、デトロイト市の破産申し立てのニュースが入ってきた。
殊に、今朝の朝日新聞は、一面トップに『自動車の街 無一文』と大見出しを掲げている。負債額は180億ドル、日本円にして約一兆8千億円を超えるという。
GMのビルが放つ青い光だけが夜空に向かい、目を下に転じると真っ暗闇に包まれたデトロイトの街の映像が昨晩のニュースでは映し出されていた。
「映画、グラントリノを見たのは何時だったかしら」
イーストウッド監督・主演のこの映画は、日本では数年以上前に公開された。
アメリカが誇る自動産業で働らく中産階級の人々が住まなくなり、スラム化し荒廃していく街。そこで起こる事件に立ち向かい命を落としたひとりの男の物語を通して、「人生における老い」と一つの誇りである自動車産業の衰退を重ねて描いた秀作だった。衰退のなかで失われていく人間の尊厳と誇りを描いていた作品だ。
人件費は高く、潤沢な年金を受けて暮らす退職者たちを支える大会社の財務はきゅうきゅうとしていた。
あの映画が描いた出来事の先に今回の市の破綻があった。主人公の息子は、皮肉にも日本のトヨタ自動車のセールスマンとして働き、それなりの安定を得ている姿が描かれていた。
「アメリカ人にしてみれば、悔しいのなんの、忌ま忌ましいと言ったらない!と言った心境だろう」と、トヨタの席巻ぶりには、日本人だってそう感じて久しかった。
街から工場は移転していく。当然、働く人々は出て行く。一度去った製造拠点は戻らなかった、と朝日の記事にはある。
《連邦政府から独立して運営される地方自治体の場合、財政破綻するケースは珍しくない》と13面【国際】
10自治体が破産予備軍だそうだ。
いやはや、そのトヨタも日本国内の生産を減らさない、といって頑張っていたものの現地生産に切り替えた部門もあるニュースの記憶は新しい。
ものつくり産業の衰退はどの分野も深刻だ。
先日来、話題にしている本『人口減少という希望』の49㌻に「表 主な国の輸出依存率(GDPに対する輸出額の割合[%])(出所)『世界統計白書』 2012年版」を見て、驚いた。
日本の場合GDPに占める輸出入の割合は10%強で、アメリカの8%につぐ低さだ。いろいろな見方はあるが、と著者は断って、『日本は国際比較で見ると「内需」によってささえられている割合が大きい国であり、高度成長期を中心に”貿易立国”、つまり日本は貿易や輸出によって成り立っている国という面が過度に強調されてきた面があるのだ(ちなみに日本の輸出依存率は1960年で8・8%、70年で9・2%、80年で11・9%であり、高度成長期に特に高かったわけでもない)。』とある。
すると内需を支える国力こそ大事なのだ。それには1%の富裕層に99%の貧困層の国の形は非常に危うい。中間層をしっかり再生させることが必須。
そして社会保障を破綻させない方策を考えることが大切なのだが、参院選の争点にはあまりならなかったかなと足下に注意が向く。
そうだ、日本では、最近になって、急に女性の子宮年齢がかまびすしく言われはじめた。35歳以上で子どもを生んでいない女性の肩身が狭くなるのだけは哀しいよね~。そんなに早急に人口を増やしたかったら、移民を受け入れるしかないでしょ、と言う人もいない。その気持ちも判るけれど、むしろ日本では移民はタブーだからか。
原発、TPP、憲法、いろいろあるのに、投票率は低くなりそうだ、という予想が早々と出てしまった。
いやいや、何となく冷めてはいけないのに、冷めている今回の参院選だ。
さて、いよいよ明日は投票日。
とても難しい選択を日本人一人一人が迫られていることは皆が承知している。それでも行動が伴わないのは、この人に入れたい、この党に入れたい、というやむにやまれぬ思いがなかなか湧いてこない。
それでも最善の道、と思われる判断はしなければならない、というわけだ。
今朝は朝刊を読みながら「豊かさとは、何か。よーく考えよ!」と自分に言い聞かせた。
そして映画『グラントリノ』が描いた街と人の荒廃を肝に銘じた。
デトロイト市の破綻は、他国の火事では決してない。
しかし、産業を見直し、少子高齢化社会の有り様を直視し、全体のプログラムデザインを見直すターニングポイントに立っているのが21世紀の今なのだ。
復員してから昭和22年~23年頃には、大型自動車免許を取得した。鮫洲で受験し、その時の車はシボレーだったと聞いた。シボレーは、あえて言うまでもなく大型アメ車である。
当時アメ車は、豊かさの象徴であり、自由の象徴でもあり、さましくアメリカンドリームの象徴だった。戦後復興の目指すべき車で、キラキラした輝きはどこまでもまぶしかった。負けた日本は追いつけるのだろうか、と半信半疑でありながらも、アメリカ手本にまっしぐらに突き進んだ昭和があった。
しかし、本当の車への尊敬は“ロールスロイス”であり、車への愛着は“ルノー”や“フォルクスワーゲン”の丸い可愛らしい姿に抱いていた。つまり、欧州車に対する思いは、アメ車に対するのとは別格なものだったのだ。
さて、昨日から今朝にかけて、デトロイト市の破産申し立てのニュースが入ってきた。
殊に、今朝の朝日新聞は、一面トップに『自動車の街 無一文』と大見出しを掲げている。負債額は180億ドル、日本円にして約一兆8千億円を超えるという。
GMのビルが放つ青い光だけが夜空に向かい、目を下に転じると真っ暗闇に包まれたデトロイトの街の映像が昨晩のニュースでは映し出されていた。
「映画、グラントリノを見たのは何時だったかしら」
イーストウッド監督・主演のこの映画は、日本では数年以上前に公開された。
アメリカが誇る自動産業で働らく中産階級の人々が住まなくなり、スラム化し荒廃していく街。そこで起こる事件に立ち向かい命を落としたひとりの男の物語を通して、「人生における老い」と一つの誇りである自動車産業の衰退を重ねて描いた秀作だった。衰退のなかで失われていく人間の尊厳と誇りを描いていた作品だ。
人件費は高く、潤沢な年金を受けて暮らす退職者たちを支える大会社の財務はきゅうきゅうとしていた。
あの映画が描いた出来事の先に今回の市の破綻があった。主人公の息子は、皮肉にも日本のトヨタ自動車のセールスマンとして働き、それなりの安定を得ている姿が描かれていた。
「アメリカ人にしてみれば、悔しいのなんの、忌ま忌ましいと言ったらない!と言った心境だろう」と、トヨタの席巻ぶりには、日本人だってそう感じて久しかった。
街から工場は移転していく。当然、働く人々は出て行く。一度去った製造拠点は戻らなかった、と朝日の記事にはある。
《連邦政府から独立して運営される地方自治体の場合、財政破綻するケースは珍しくない》と13面【国際】
10自治体が破産予備軍だそうだ。
いやはや、そのトヨタも日本国内の生産を減らさない、といって頑張っていたものの現地生産に切り替えた部門もあるニュースの記憶は新しい。
ものつくり産業の衰退はどの分野も深刻だ。
先日来、話題にしている本『人口減少という希望』の49㌻に「表 主な国の輸出依存率(GDPに対する輸出額の割合[%])(出所)『世界統計白書』 2012年版」を見て、驚いた。
日本の場合GDPに占める輸出入の割合は10%強で、アメリカの8%につぐ低さだ。いろいろな見方はあるが、と著者は断って、『日本は国際比較で見ると「内需」によってささえられている割合が大きい国であり、高度成長期を中心に”貿易立国”、つまり日本は貿易や輸出によって成り立っている国という面が過度に強調されてきた面があるのだ(ちなみに日本の輸出依存率は1960年で8・8%、70年で9・2%、80年で11・9%であり、高度成長期に特に高かったわけでもない)。』とある。
すると内需を支える国力こそ大事なのだ。それには1%の富裕層に99%の貧困層の国の形は非常に危うい。中間層をしっかり再生させることが必須。
そして社会保障を破綻させない方策を考えることが大切なのだが、参院選の争点にはあまりならなかったかなと足下に注意が向く。
そうだ、日本では、最近になって、急に女性の子宮年齢がかまびすしく言われはじめた。35歳以上で子どもを生んでいない女性の肩身が狭くなるのだけは哀しいよね~。そんなに早急に人口を増やしたかったら、移民を受け入れるしかないでしょ、と言う人もいない。その気持ちも判るけれど、むしろ日本では移民はタブーだからか。
原発、TPP、憲法、いろいろあるのに、投票率は低くなりそうだ、という予想が早々と出てしまった。
いやいや、何となく冷めてはいけないのに、冷めている今回の参院選だ。
さて、いよいよ明日は投票日。
とても難しい選択を日本人一人一人が迫られていることは皆が承知している。それでも行動が伴わないのは、この人に入れたい、この党に入れたい、というやむにやまれぬ思いがなかなか湧いてこない。
それでも最善の道、と思われる判断はしなければならない、というわけだ。
今朝は朝刊を読みながら「豊かさとは、何か。よーく考えよ!」と自分に言い聞かせた。
そして映画『グラントリノ』が描いた街と人の荒廃を肝に銘じた。
デトロイト市の破綻は、他国の火事では決してない。
しかし、産業を見直し、少子高齢化社会の有り様を直視し、全体のプログラムデザインを見直すターニングポイントに立っているのが21世紀の今なのだ。