羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

野口体操のなかの普遍、そして一般化するとは?

2010年09月06日 18時42分37秒 | Weblog
《「普遍」とは、すべての物に共通に存すること。哲学:すべての、または多くの対象に共通のもの、また、問題にしているすべてのものを含むもの。⇔特殊。
 「特殊」とは、普通とは質的に違うこと。性質が特別であること。⇔一般。哲学:普遍に対し、その個個の場合・事物になるもの。
 「一般」とは、特殊の物・事・場合に対してだけでなく、広く認められ成り立つこと。
 【ー化】特殊な物・事・場合から、普遍的な法則や概念を引き出すこと。》

「個別」「主観」を大切にする野口体操であはるけれど、文化が異なる人に普遍性を担保しながら伝えるには、どうしたらよいのか。その問題を夏を通して考えつづけていた。しかし、何らこれといった良い答えも見つからないうちに、とうとう九月に入ってしまった。
 しかたがない、おぼろげながらもわかり始めたテーマを選んで、去る4日の土曜日・朝日カルチャーのレッスンは命がけでやってみた。
「野口先生がなさったことを、そっくりそのままナゾルのではなく、自分の問題として考えていることを加えてすすめる時期に来た。今日、上手く伝わらなかったら、このクラスは閉めさせてもらおう」自宅を出るときは、悲壮感が漂っていた。

 野口体操の特殊な身体の見方、身体との関り方、身体の動き、といったもろもろから、普遍を見つけ出したい。この体操の命を失わず一般化(↑前述の意味)できることはないのか。ぎりぎりまで試行錯誤を繰り返して考えてもいた。

 さて、実際にレッスンで扱ったことは、「野口流ヨガの逆立ち」。
 思いのほか、よい雰囲気だ。おかげさまで緒に就くことができたような気がしてる。
 縦糸は『原初生命体としての人間』をテキストにする。横糸は‘バランプレー’に乗ったときの「微細で微妙なゆれ感覚」する「ヨガ逆立ちにおけるゆれ感覚」を探ること。どちらも止まろうとしないこと、がテーマだ。
 
 ことばは的確ではないかもしれないが、このクラスは‘精鋭部隊’の面々が集まっていて、毎回のレッスンは難しさを感じている。しかしこの日は久しぶりに教室に活気が漲った。

 今週は、野口体操では‘生きものの進化’とその進化のなかに人間が存在する意味をどのようにとらえるのか、をテーマにしてみたい。
 このことは野口体操の方法・身体観・価値観のなかから、普遍的なテーマや一般化できる問題を探る最初の手がかり・足がかりとなるかもしれない、と思うと心も逸る。
 
 きっと「ゆり・ふり」といった技法を中心にすえた体操は、おそらく世界に稀だと思うが、その真の意味をなんとか普遍的に一般的にわかってもらえる確かな証の一つになるのではないか、と思うのだが。さて、どうなりますかね~。
 昨日(日曜日)の取材も無事に終わってホッとしたのか、今日のブログは大上段に構えてしまって気恥ずかしいけど、このままアップします。
 こんな日もあり、ごめんなさ~い。
コメント
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