電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

寒の早朝、目覚めのコーヒーとアップルパイの楽しみ

2011年01月16日 06時03分05秒 | Weblog
連日、さすがに寒い日が続いております。こう寒いと、さすがのアホ猫元気母娘も、玄関を開けてやっても外へ出ようとしません。妻のために台所の暖房を入れ、痔疾の(^o^)いや自室の暖房も入れて、コーヒーを淹れます。

先日妻が作ってくれた、中身がぎっしりのアップルパイがありますので、熱いコーヒーで温まりながらパソコンを立ち上げ、当ブログをはじめいつものサイトを開き、メールをチェックしてニュース等を見るのが楽しみです。



ところで、我が家のアホ猫、母猫のほうは台所のストーブの前に陣取り、娘猫のほうは私の書斎のヒーターの前に長くなります。一緒に並んで暖をとることはないようです。このあたり、ジコチューでわがままなアホ猫の本性が現れているようです(^o^)/

さて今夜は、山形市の文翔館議場ホールで、山形弦楽四重奏団の第38回定期演奏会の予定。楽しみです。
コメント (4)

古書店でユーゴー『レ・ミゼラブル』を探す

2011年01月15日 06時04分33秒 | 読書
このところ、ノンフィクションばかりを続けて読んでおりました。そろそろ物語を読んでみたいという気分になってきました。そういえば、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』を読んでだいぶになります。これと同レベルの、ドキドキ・ワクワク舶来大長編物語を読んでみたいと、ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』を探しました。ところが、あるはずの新潮社の世界文学全集三冊本が、どうしても見つかりません。もしかすると子どもに貸してそのままになっているのか、それとも書棚の奥の方にもぐりこんでしまったのか。

しかたがありません。書店で文庫本を探しても、すぐに全巻そろうことは期待できず、たぶん古書店には在庫があるだろうとあたりをつけて行ってみました。大正解~!筑摩書房の世界文学全集の二巻本が見つかり、しかも単行本半額セールとのこと。2冊で300円でした(^o^)/

自宅の固定電話更新で「日本経済に貢献」などと言う舌の根も乾かぬうちにこの台詞ですから、まったくしょうもない話ですが、ついでにジョン・ウィリアムスのギターで、J.S.バッハ選集のCDを1枚、250円で入手。これもちょいとうれしいのですが、中古書店でもCDの扱いはどんどん縮小しているようです。ニュースによれば、米国SONYの某CD工場も閉鎖されるとか。いよいよこれは、メディアの末期症状を呈してきているのでしょうか。デジタル配信に急激に移行する現実に、当方、いささかとまどっております。
コメント

プロコフィエフ「ピアノソナタ第6番」を聴く

2011年01月14日 06時03分04秒 | -独奏曲
最近の通勤の音楽は、厳冬期のスリリングな路面にあわせて、プロコフィエフのピアノソナタを選んでおります。今回は、イェフィム・ブロンフマンの演奏で、プロコフィエフのピアノソナタ全集から、第6番を取り上げます。第6番、第7番、第8番の3曲は「戦争ソナタ」と呼ばれ、プロコフィエフのピアノソナタの代表的な作品なのだとか。4つの楽章からなるこの第6番は、動的な気分が特徴的な曲です。

第1楽章、アレグロ・モデラート。出だしは荒々しく独特の響きで、つるつるに凍った路面をタイヤを滑らせながらカーブに突っ込んでいく、腕力タイプの運転みたいな主題を持った音楽(^o^)/ でも、主題の変奏はかなり幻想的・神秘的で繊細なところもあり、いかにもプロコフィエフらしい多彩さです。
第2楽章、アレグレット。快活な、はずむようなリズムで。ハンドルを持つ手が、ひとりでに動くような楽しさがあります。後半の、リズムを強調しないところから再び快活なリズムが戻ってきて終わるところが、とってもチャーミングです。
第3楽章、Tempo di valzer lentissimo。かなり遅く、ワルツのテンポで、というような意味か。いかにもプロコフィエフらしい、ゆったりとした、非常に美しい音楽です。あえて言えば、ロシア的陶酔の音楽の面もあるような。
第4楽章、ヴィヴァーチェ。よくまあ指が回るものだと、素人ながら思わず妙な感心をしてしまう、すごい音楽。ときおり第1楽章を思い出しながら吹雪の夜をクールに疾走するような、度胸というか、肚の座り具合を試される種類の音楽かもしれません。

1939年から40年にかけて作曲され、1940年の春に、モスクワで作曲者自身の演奏により初演されたそうです。作曲者は49歳、ちょうどバレエ「ロミオとジュリエット」が初演される前後にあたりますが、まさに内憂外患です。トロツキーが暗殺され、フランスがナチスドイツに降伏し、最初の妻であるリーナと離婚することになる時期ですから、おそらくスターリン主義の圧力と恐怖をひしひしと感じていたことでしょう。

演奏は、イェフィム・ブロンフマンで、SONY SB3K87747 という型番の3枚組CD、プロコフィエフのピアノソナタ全集となっています。私はあいにく他の録音を知りませんけれど、この人の見事なプロコフィエフ演奏は、もう驚くばかりです。

■イェフィム・ブロンフマン(Pf)
I=8'57" II=4'49" III=7'33" IV=6'49" total=28'05"
コメント

仁木英之『僕僕先生』を読む

2011年01月13日 06時04分30秒 | 読書
新潮文庫で、仁木英之著『僕僕先生』を読みました。最近は、中高生の夏休みの読書にも取り上げられているのだそうで、おもしろい書名に惹かれて手にしたものです。

物語の発端は、人は良いがやる気のない無気力な青年の日常生活に業を煮やした父親が、自分が凝っている道術について仙人の教えを請うて来いと、ぐうたら息子を送り出すところからです。ところがこの道術の先生は、仙人というから白髪三千丈の老人かと思いきや、なんと、どう見てもティーンエージャーにしか見えない少女の姿をした不思議な人でした。で、お約束の一目惚れ(^o^)/

何千年生きているのかわからないという少女仙人のお供をして、青年は旅に出ます。行く先々で出会う奇妙な体験・冒険の数々が、この物語の中核をなす、というしかけです。

なるほど、気のいいぐうたら青年による、『聊斎志異』風味の冒険譚。これは人気があるのも頷けます。マンネリになりやすい気もしますが、どこまで気を持たせられるかは作者の腕しだいでしょう。今のところ、著者の試みは成功しているようです。
コメント

自宅の固定電話機を更新する

2011年01月12日 06時03分36秒 | 手帳文具書斎
私が知る限り、我が家の構成人員は、最盛期には四世代で八人でした。田舎家の特徴で、無駄に広い敷地だけでなく家屋もけっこうな広さがあり、固定電話が鳴っても間に合わないほどです。そのため親子電話が必須で、しかも子機が二台必要でした。子供たちが独立し始めた今も、私の書斎の親機と、茶の間と二階の二台の子機が必要です。これまで使っていたシャープの親子電話の子機一台が故障し、後継機を探しましたが、製造中止とのことで、実際これには弱ってしまいました。

妻と相談し、もうだいぶの年数を使ったことでもあるし、この際、思い切って親機ごと更新してしまおうと決めて、このほど子機二台を使える新機種に更新しました。こんどはパナソニックの機械で、ファックスも内容を画面で確認してから印刷する方式だそうです。それなら、無断で送りつけてくる無遠慮な広告宣伝ファックスも、気持ちよくスルーできそうです。



たいていの用件はメールで済みますし、かかってくる電話はしょうもない電話営業ばかり。ファックスを使うことなどまずは考えられないのですが、電話はご近所の連絡用途に使うことがあり、なくすわけにもいきません。子機二台を使える機種というと、このタイプになってしまうようです。それはそれとして、日本経済にちょっぴり貢献したことになるのでしょうか(^o^)/
コメント

眼と画面解像度

2011年01月11日 06時05分02秒 | コンピュータ
その昔、コンピュータのディスプレイが14インチくらいあって、画面解像度が 320×200 とか 640×480 だとかだった頃には、文字が小さくて読めないという心配はまったくありませんでした。小型のコンピュータが登場して、ThinkPad 220 の 7 インチモノクロ液晶画面で 640×480 の解像度になったときにも、「うわー、文字が小さいな~」とは感じましたが、読めないということはありませんでした。



現在、PHS の PremiumBar の画面は、対角 6cm、四捨五入して 2.4インチ液晶で、320×240 の画面解像度を公称しています。ここで表示される文字サイズは、デフォルトの「小」ではとてもじゃないが読むのがつらい。文字サイズ「中」にして、ようやく安心できます。こういう小型の画面でフルブラウザというのは、すごいとは思いますが、私のような老眼世代には現実的ではありません。

「葦の髄から天を覗く」という言葉がありますが、小さな画面から従来型のインターネット利用をしようというのは、そんなイメージを持ってしまいます。制約の大きくなった視力で利用する将来のネット世界は、やっぱりネットブックとモバイル・ルータのような組み合わせのほうがありがたい。そもそも私の場合は、出張時のホテル泊を除き、外出時にネット利用するという局面がほとんどないというのが実態です。だから、それで間に合っているのかもしれませんが。
コメント (2)

「仁」再放送をきっかけに、角田房子『碧素・日本ペニシリン物語』を読む

2011年01月10日 06時08分36秒 | -ノンフィクション
先の「JIN~仁~レジェンド」2夜連続放送がたいそうおもしろく、とくにペニシリン精製法のところ(*1)など、理系魂をくすぐります。ペニシリンに猛烈に興味がわき、あちこち検索して調べているうちに、角田房子著『碧素・日本ペニシリン物語』という書名に行き当たりました。そういえば、学生時代に岩波講座『現代生物科学』の月報で、戦時中のペニシリン研究の話を読んだことがあり、大学で恩師と話題にしたことがあることを思い出しました。チトクロムの奥貫一男先生や東北大医学部の黒川先生なども研究しておられたはずだ、というようなことを聞いて、へぇ~と驚いたものです。

残念ながら、昭和53年に刊行された本書は、すでに絶版品切れになっているようで、書店で入手することは望めません。そこで、山形県立図書館のホームページ(*2)から、山形県内の図書館蔵書の横断検索を試みたところ、県立図書館と天童市立図書館に、各一冊ずつ所蔵されていることがわかり、先日借りてきたところです。



太平洋戦争の開戦を間近に控えた昭和16年、アメリカから最後の交換船で帰国した陸軍の軍医が持参した雑誌『フォーチュン』に、ペニシリンという新薬の記事が掲載されていました。これに興味を持った陸軍軍医学校教官・稲垣克彦は、文部省科学局調査課で、数冊のドイツの週刊医学雑誌を借り出し、この中に「カビ、細菌より得られた抗菌性物質による化学療法について」という論文を見つけます。これが、稲垣とペニシリンを結びつける出会いでした。この総説によれば、ペニシリンは当時用いられていたサルファ剤が効かない、破傷風、ガス壊疽、敗血症などに顕著な効果があるといいます。稲垣は、同世代の梅沢浜夫、佐藤弘一、鳥居敏雄、増山元三郎らをブレインとして研究会を組織することについて、上層部に上申しますが、そんなものは敵の謀略だろうと、いっこうに取り上げられる気配がありません。

ところが、昭和18年末のカイロ会談に際し、「ペニシリンによりチャーチルの肺炎が回復」というニュースが飛び込み、同19年初めには大きく新聞に取り上げられたために、陸軍省医務局が、日本のペニシリン研究を発足させることになります。このペニシリン委員会は、柴田桂太、奥貫一男、坂口謹一郎、田宮猛雄、細谷省吾、梅沢浜夫ら、医・薬・農・理の錚々たるメンバーが集まり、共同研究という形で、日本のペニシリン研究がスタートします。

まず、日本国内で入手できる様々な青カビ菌株から、ペニシリン産生株を見つけ出し、その産生能力を安定して発揮させるような培養条件を確定しなければなりません。何千種類の株を培養し試験した結果、有望株が三種類、候補として浮上します。また、合成培地では継続が不安定になる培養方法も、蛹の煮汁やコンニャク添加などにより、安定してペニシリン産生株の培養を継続維持できることが分かってきます。

戦局が次第に悪化する中で、研究会とは独自に研究を行っていた東北大学の黒屋政彦らの臨床試験成功のニュースが伝わり、陸軍の極秘ペニシリン研究も着々と成果を重ねていきますが、こんどは大量生産という課題がたちはだかりました。表面培養法では青カビの培養に限度があり、米国のような深層培養法を採用しなければ、多くの負傷者の命を助ける量のペニシリンを製造することはできないのです。しかし、激化する空襲の中、研究会は菌株および資料の一切を、山形県上山市に疎開させることになりました。



「仁」の再放送がきっかけというものではありましたが、終戦までのわずかな期間に、実地に臨床治療に用いられるところまで行った日本のペニシリン研究の、思わず感動してしまう実録物語です。深層培養法の開発まではたどり着けず、大量生産には限界があったとはいうものの、敗戦を見通しながら、目の前の命を救いたいと願った人たちの努力を、ぜひ文庫として再版されることを望みたいものです。

そうそう、私が学生時代に読んだ、岩波講座『現代生物科学』月報も、ぜひもう一度探し出して読んでみたいものです!

(*1):「JIN~仁~レジェンド」を観る:その2~「電網郊外散歩道」2010年12月
(*2):山形県立図書館ホームページ
コメント

ドヴォルザーク「交響的変奏曲」を聴く

2011年01月09日 06時01分07秒 | -オーケストラ
昨年の暮に、通勤の音楽としてドヴォルザークの「伝説曲」と「交響的変奏曲」をずっと聴いてきました。現在、プロコフィエフのピアノソナタに交代していますので、こちらをパソコンに取り込み、自室のデスクで聴くことができるようになっています。今更ながら、便利なものです。

「交響的変奏曲」のほうは、1877年に作曲し、初演はされたものの、長らく演奏されなかったのだそうです。それが、ドヴォルザークの名前も広く知られるようになり、とりわけ英国での人気は大変だったようで、10年後、1887年のウィーンフィルの英国楽旅の際に、リヒターがロンドンで再演して大成功をおさめたのだそうな。で、本来ならば作品番号も28番とかの若い番号になるべきところを、商売人ジムロックが、いかにも新作であるかのように、作品78とかいう番号を付けて売り出したのだそうです。な~るほど、それでジムロックとドヴォルザークの仲のぎくしゃくが始まるわけですね(^o^)/

それはさておき、曲の価値判断は目利きであるジムロックが、78という作品番号を付けても大丈夫と判断したほどに、曲そのものは充実した出来栄えです。1874年にブラームスが発表した「ハイドンの主題による変奏曲」に刺激を受けて作曲されたと Wikipedia にはありますが、なるほどと頷けます。まあ、正直に言ってしまえば、主題と変奏のストイックな構成感はブラームスのほうが魅力的ですが、活発な管弦楽の躍動感と旋律の親しみやすさの点ではドヴォルザークのこの曲もずいぶん魅力的です。

始まりは、レント・エ・モルト・トランクィロで。ゆっくりと、非常に静かに、くらいの意味でしょうか。遠くでティンパニのトレモロが鳴る中で、弦楽が主題を示し、2本のフルート(1本はピッコロ?)が小鳥のように歌い交わします。第1変奏は、ウン・ポコ・ピウ・モッソ、クアジ・アレグレット。そこから少し急いで、アレグレットくらいに、というほどの意味かと思いますが、木管が主役になり、金管はちょいとお休みで、という具合。以後、27の変奏とフィナーレまで、スラブ舞曲みたいな親しみやすいリズムと旋律が出てくるところもあれば、ちょいと悲しげなところもあり、性格的な描き分けもしっかりとあります。最後の、poco a poco cresc. 以降は、ティンパニがフォルテでばんばんぶっ叩く中で次第に高揚し、盛大にすかっとした終わり方です。

1976年に録音された、ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団によるおよそ20分強の演奏は、オーケストラ音楽を聴く楽しみを味わうのに十分な、魅力的なものです。「伝説曲」も大好きな音楽ですが、フィルアップされた「交響的変奏曲」も、オマケではない魅力を持った音楽だと感じます。

■クーベリック指揮バイエルン放送響(CD:UCCG-3945)
コメント

中村桂子『ゲノムが語る生命』を読む

2011年01月08日 06時04分59秒 | -ノンフィクション
昨年から読んでいた(*1)、中村桂子著『ゲノムが語る生命』(集英社新書)を、ようやく読み終えました。「新しい知の創出」という副題は、それほど大きな意味のあるものとは思えず、新書編集サイドで付けたキャッチフレーズのように思いますが、内容は著者らしい考えに満ちたものです。構成はつぎのようになっています。

はじめにー生きものとしての人間
第1章 変わるー科学技術文明の見直し
第2章 重ねるー分ける方向からの転換
第3章 考えるー第二のルネサンス
第4章 耐えるー複雑さを複雑さのままに
第5章 愛づるー時間を見つめる
第6章 語るー生きものは究めるものではない
あとがき

「生命誌」を提唱する著者らしい展開であり、主張です。全体の論旨については云々するつもりはありませんで、例によって気づいたことを断片的につまみ食い的に抜き書きしてみました(^o^)/



「この(がん)遺伝子が、本来は細胞増殖に関わるものであり、それが変異した場合、増殖異常が起こる、つまり細胞のがん化が起きる」(p.53、「組換えDNAとがん研究」)

「生活習慣病は、複雑な生体システムのバランスの崩れであり、一つの要素を変化させれば全体が動くというタイプの変化の結果生じる症状です。ここでは正常と異常の区別さえ難しいと言えます。ゲノム研究が明かにしたことは、すべての人のゲノムにある種のはたらきの欠損はあるということです。その中でバランスを維持していくのが生きることなのです。」(p.62)

「伸びる子を伸ばす、ついていけない子を救うことは教育として悪いことではありません。しかし、それは遺伝子で説明することではなく、日常の中で見ることでしょう。」(p.72)

「いかにも無駄が多そうな、そうかといって無駄と思ってきたものがまったくの無駄ではなさそうなというゲノムの姿」(p.86)

(マウスの眼を作っていることがはっきりしているマウスの遺伝子をハエの細胞に入れるとハエの眼を作るというように)「遺伝子は決して『眼を作りなさい』と命令しているわけではなく、決まったタンパク質を作るだけなのです。それがどこに置かれるかによって、行うべきことが決められるのです。また、それが本来はたらくべきではないところでも自分の出すべき情報を出し、しかも置かれたところの影響を受けるのです。」(p.87)

「生物界にある遺伝子は、少しずつ変形しながらさまざまな生きものの中に散らばっているのであって、それがたまたまヒトの細胞の中に存在してはたらいているときには『ヒトの遺伝子』とされ、マウスの中ではたらいていれば『マウスの遺伝子』、ハエの中ではたらいていれば『ハエの遺伝子』ということになります。」(p.93、「私の遺伝子」もない)



たいへん面白いです。"1 gene, 1 protein" 説は、遺伝子はたんに特定のタンパク質を作るにすぎない。それがどんな役割を果たすかは、置かれた場所による、という考え方は、納得できるものです。

(*1):いま読んでいる本、聴いている音楽~「電網郊外散歩道」2010年12月
コメント

雪が降り、妻のパソコンが不通になった理由

2011年01月07日 06時03分04秒 | コンピュータ
今朝は、5時半に起きて自分の部屋の掃除をし、ブログ記事を1本更新して出かけました。道路状況は、圧雪凍結とまではいきませんが、いかにも冬の道路という感じに滑ります。ぐっとスピードを落として走りました。こういう時の通勤の音楽は、やっぱりプロコフィエフに限ります。ブロンフマンのピアノで、ピアノソナタ第5番~第7番を聴いています。

ところで、夜、自宅に戻ったら、妻のパソコンが不通だと言います。そんなはずはないと思って見てみたら、たしかに LAN 接続が不通になっています。あれえ、おかしいな、と思って私の Linux マシンで確かめてみましたが、こちらは問題なくつながります。妻の Windows パソコンから、コマンドプロンプトで ping を試してみると、物理的には接続されている模様。そこで、LAN ケーブルから先を一つ一つ確かめてみました。その結果は!

朝、部屋の掃除をしたときに、スイッチングハブを引っ掛けて、ケーブルが1本、抜けそうになっていた!

ということが判明し、無事に開通。知らんふりして「僕はコンピュータの天才なのさ」とでもうそぶいていれば良かったのですが、妻が終日大きな胸を痛めたかと不憫に思い、つい正直に説明したものですから、早起きして部屋の掃除をするなどと珍しいことをするからだとスルドク指摘されてしまいました(^o^)/
しかも、雪が降ったのもそのせいだというのです(^o^)/
そりゃないよ~(^o^)/
雪が降ったのは、私のせいではないよ~(^o^)/

いやー、それにしても、厳冬期のプロコフィエフはよいですなぁ~(^o^;)>poripori
コメント (4)

PHSに登録されていたデータの件数は

2011年01月06日 06時04分29秒 | 手帳文具書斎
先日、10年ぶりに更新した携帯電話(PHS)は、電話番号とメールアドレスは変わりませんが、残念ながら機種が古すぎて、アドレス帳を引き継ぐことができませんでした。しかたがないので、古いPHSと手帳を手元に置き、1件ずつデータを書き留めていきました。なんと、その数はおよそ230件!リフィル9頁に及びました。もう、この段階でうんざり。

これを一気に再登録するのはあまり現実的な話ではありませんので、主だったものだけをポチポチと入力していきました。幸いに、あいうえお順に並んでいますので、先読み変換という機能が、案外便利ではありますが、数十件入力してギブアップ。やっぱり私は、携帯電話のテンキー入力というのは苦手です。キーボードとかな漢字変換と言う優れたインターフェースがあるのに、何を好き好んでこんな不便な入力を使わなければならんのか、せっかくのタッチタイピングも役に立ちません(^o^;)>poripori

うーん、先日は、よっぽどスマートフォンにしようかと悩んだのでしたが、「お客様の年代であれば、電話番号が変わらないことのほうが重要なのでは」という店員さんのアドバイスの価値をいまさらに痛感。



ちなみに、写真の花は、テンキー入力に飽きて痙攣している脳みそを反映しているかのような、過日の花束の一部です(^o^)/
コメント

10年ぶりに携帯電話(PHS)を更新する

2011年01月05日 06時02分37秒 | 手帳文具書斎
昨年の秋頃から、常用しているPHSを更新する必要性を痛感しておりました(*)。2001年の1月2日に購入して以来10年、毎日ただ待ち受け続きで、たまの外出時に家族間の連絡に使う程度。夜はタイマーで電源を切断し、明け方に電源が入るよう設定しているために、電池の持ちもたいへんよろしく、今でも一週間は大丈夫です。

そうはいうものの、通話の品質というか、安定性に不安が生じましたので、10年超を契機に更新を決意。過日、某店に相談に行きました。応対してくれた店員さん、「ずいぶん長持ちしましたね~」と絶句。平均して3~4年なのだそうな。まあ、気の長い私自身も驚いているくらいですから、販売店の店員さんが驚くのも無理はありません。

で、いろいろ相談した結果、

(1) 通話とメールが主体で、あまり利用度は高くない。
(2) 今までのポイント利用で、機器代金の月額はだいぶ割引される。
(3) 「誰とでも定額」でも、通話料は今までより安くなる。
(4) Android 携帯では、月毎の引き去り額が今の数倍になりそう。

という結論になり、PHS のままで機種更新することになりました。

で、選んだのが、ストレート型の「Premium Bar」の白色タイプ。京セラの製品のようです。電話番号とメールアドレスはそのまま引き継がれますが、残念ながら電話帳は引き継ぐことができません。この機会に、電話番号やメールアドレス等を思い切って整理しておこうかと思っています。



(*):そろそろ更新時期かな~10年目のPHS~「電網郊外散歩道」2010年9月
コメント (2)

新年の初めての音楽はコレルリで

2011年01月04日 06時02分16秒 | クラシック音楽
2011(平成23)年の元旦は、早朝から寺の役員として年賀対応にかりだされ、二日は自宅で新年の来客対応のあと某飲み会で山形にでかけ、なんとも落ち着かない正月を過ごしておりますが、三日目にようやくゆっくりできました。
少々大げさに言えば、「音楽聴きた~い」の禁断症状が出ておりましたので(^o^)、新年らしく(^o^)クリスマス協奏曲を含むコレルリの合奏協奏曲集Op.6を。このCDは、イタリア合奏団による DENON の2枚組ですが、パソコンに取り込むことによって、CD交換なしに全12曲を番号順に通して聴くことができます。もう、ほとんど BGM と化していますが、コーヒー等をいただきながら(一部に居眠りしながらという説もありますが ^o^)ぼーっと聴き流すのもいいものです(^o^;)>poripori

昨日の某飲み会では、なんと過分の花束まで頂戴し、恐縮の限り。冬はカラフルな花の写真が少なく、当ブログも色合いに困ります。殺風景な雪景色の中にも、時折、みごとな花をクローズアップで挿入することといたしましょう。



さて、今日から出勤。道路状況が良好なのがたすかります。
コメント (4)

フォーラム東根で「最後の忠臣蔵」を観る

2011年01月03日 06時04分16秒 | 映画TVドラマ
歳末の某日、フォーラム東根に出かけ、「最後の忠臣蔵」を観てきました。独立系映画館フォーラムについては、以前、取り上げた(*1)ことがありますが、「敬愛なるベートーヴェン」「魔笛」「ラ・ボエーム」など、音楽映画のほとんどは、山形市にあるこの映画館で観ています。ところが最近では、山形市嶋地区にできた、八文字屋書店と同居している「ムーヴィーオン山形」という複合施設が便利で、そちらを利用することが多くなっていました。同様の観客が少なくなかったようで、フォーラムの運営側も、東根市に新館を建設するという決断をしたようです。

東根市は、山形県内で唯一の人口増加地帯。天童市、村山市、河北町、尾花沢市、大石田町などの周辺市町村の人口を単純合算すると、山形市に迫る20万人の人口規模となります。なるほど、立地場所としては、いい視点かもしれません。

では、施設の出来具合は?まずはこのシートの出来具合!ゆったりとしていて、足元も広々です。



この日、一番最初に入ったみたいで、ご覧のとおりお客さんも少なかったのですが、上映時間まぎわにはまずまずの入りになりました。



あるいは今のうちだけかもしれませんが、駐車場もかなりの広さがあり、混雑の少ない曜日・時間帯には、長時間並ばなくても予定が立てられるというのはありがたい。スタッフはまだ慣れていないところもありますが、熱心に仕事を覚えようとしていることは感じられます。今後のプログラム次第ではありますが、楽しみな映画館になったという印象です。

さて、「最後の忠臣蔵」は?

うーん、それがどうも、先日の「JIN~仁~レジェンド」の9時間一挙再放送に負けてしまい、印象が吹き飛んでしまった感じなのですね~(^o^)/
役者さんの演技は重厚ですし、画面も見事なのですが、大石内蔵助の庶子であることを隠し通して16歳に成長した娘っ子が、育ての親にあたる孫左に心を寄せるという不自然さや、育て上げた娘を茶屋四郎次郎の息子に嫁がせたら役目は終わったとばかりに切腹するという筋立てが、どうにも腑に落ちません。「仁」が荒唐無稽な筋立ての中に変わらぬ真実を浮かび上がらせたとすれば、「最後の~」はどこまでもリアルな映像表現の中に本質的な作意と嘘くささを感じてしまう、といえば言い過ぎか(^o^;)>poripori

これは、原作もそうなのか、一度読んでみる必要がありそうです。幸いに、池宮彰一郎著『最後の忠臣蔵』(角川文庫)を入手済。映画の中身の方は、もう一度考えてみたいと思います。

(*1):フォーラムという映画館のこと~「電網郊外散歩道」2007年1月
コメント (4)

2010年の主な出来事と、読書・音楽の概況

2011年01月02日 06時05分34秒 | Weblog
新しい年が明け、元旦から寺の役員として年賀の対応に当たっておりました。まことに田舎風の正月を過ごしております。

さて、振り返って見れば2010年もいろいろな出来事がありました。孫の幼稚園入園など、内輪の事件(^o^)をのぞき、主なところを順不同で挙げてみると、次のようになります。吉も凶も混じり合った、まだら模様の一年であったかと思います。

(1) 転勤で単身赴任解消、自宅から通勤可能に
(2) 高速道路の無料化で高速通勤を始める
(3) 果樹園農業が軌道に乗り、サクランボ、スモモなどを収穫
(4) 亡父の三回忌と曾祖母の百回忌を自宅で行う
(5) 樹齢200年の松が松食い虫にやられ、やむなく伐採
(6) 春先の風邪がもとで咳が長引き、喘息を発症
(7) 山響および山Q定期演奏会、アフィニス音楽祭、「紅藍物語」などを楽しむ
(8) 動力刈払い機を購入し、夫婦で果樹園の草刈りをするようになる
(9) 雪かきでぎっくり腰になり、正月早々寝込む
(10) 依頼プレゼンにOpenOffice.orgで対応、まずまずの成果
(11) CDの取り込みが本格化し、SONYウォークマンEを購入
(12) デジカメ故障で交換修理となる
(13) ブラザーのレーザープリンタを購入しOSを問わない環境に

それから、年間の読書の中で、印象深いものをひろってみると、次のようになります。印象的なノンフィクションが多い年だったように思います。

1月 青木やよひ『ベートーヴェンの生涯』
2月 アル・ゴア『不都合な真実』、伊坂幸太郎『重力ピエロ』、NHKスペシャル取材班『ワーキング・プア』上下
5月 ジャレド・ダイヤモンド『文明崩壊』上下
11月 佐原真『遺跡が語る日本人のくらし』
12月 クリフォード・ストール『カッコウはコンピュータに卵を産む』上下

また、映画も、私としてはけっこう観たほうでしょう。
1月 「沈まぬ太陽」、原作も読みました。
2月 「花のあと」
4月 「のだめカンタービレ最終楽章・後編」
8月 「必死剣鳥刺し」
12月「最後の忠臣蔵」

2010年に購入したCDの中で、印象的なものは、
11月 シューマン「子供の情景、クライスレリアーナ」ホロヴィッツ(Pf)

などでしょうか。

けっこういろいろなことがありました。全体的には、大きな病気もせず、事故にもあわず、平々凡々ではありますが、まずまずの年だったのではないかと思います。

さて、新年も健康で、普通の日常を淡々と過ごしていきたいものです。

写真は、先日、老母が作ってくれた冬至かぼちゃとコーヒー。毎年のことながら、この組み合わせがけっこうお気に入りです(^o^)/
コメント (8)