電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

池宮彰一郎『最後の忠臣蔵』を読む

2011年01月22日 06時04分45秒 | 読書
暮れに観た映画『最後の忠臣蔵』(*)の原作、池宮彰一郎著『最後の忠臣蔵』を読みました。平成16年秋に初版が刊行されて以来、すでに十版を数える角川文庫です。

第1話:「仕舞始」。足軽の寺坂吉右衛門は、大石内蔵助の命により、討入りの後に一統から離れ、江戸から逃亡します。大石の命とは、討入りの際に伝令を務め見聞した一部始終を後世に伝えること、また、赤穂の遺臣が生活に困窮し、名を汚すことのないよう手助けをせよ、というものでした。身分の低い足軽ゆえに、一統を離れて逃亡しても、深く追求されることはあるまいという深謀遠慮も功を奏してか、吉右衛門はついに江戸からの脱出に成功します。

第2話:「飛蛾の火」。幕府の追求は逃れたものの、浅野の本家では、余計なとばっちりを受けぬようにと、吉右衛門の暗殺に動きます。他家に移った赤穂の旧臣たちは、討入り以降、それぞれ卑怯者の侮蔑を受けて苦しんでおり、吉右衛門の朋輩であった麦屋佐平もその一人でした。ただし他と異なるのは、佐平には妹があったことです。左平を助けるため剣を持って立ち向かう羽目になった相手は、大垣藩戸田家きっての武芸達者です。

第3話:「命なりけり」。各務八右衛門は討入りの前に逐電し、家には妻女が残されますが、後々暮らし向きが立つように吉右衛門が口添えしたのが縁で、今は茶店の女主人となっていたのが、槇という女性です。吉右衛門は、槇と所帯を持つ成り行きとなり、わずかに幸福を味わっていたところへ、持ち込まれたのが幕府を相手の大博打でした。将軍綱吉と柳沢吉保に挑んだのは、近衛家の家宰の進藤長保です。寺坂吉右衛門は、自首という大芝居からお構いなしの沙汰を得て辛うじて生還しましたが、槇さんには理由も告げずに立ち去ったわけですからね~。「命なりけり」のタイトルが切ない。

第4話:「最後の忠臣蔵」。討入り前夜に逐電した瀬尾孫左衛門という実在の赤穂浪士のその後に思いを寄せ、大石内蔵助の隠し子の姫を守るという役目をひそかに果たした、と想定する物語で、映画「最後の忠臣蔵」の原作にもなっています。ストーリーの大筋としてはほぼ原作に忠実ではありますが、映画と原作との相違もあちこちに見られます。本作を基準にいくつか思い出せば、

(1) 内蔵助の姫である可音を慈しみ育てた尼寺の庵主はすでに亡く、初老の孫左衛門と可音が二人だけで暮らしています。映画では尼さんではなくて、元は名のある太夫で可音に女性としての行儀作法、芸事全般を仕込みながら、孫左衛門を慕っているという想定です。
(2) 映画では、可音が孫左を慕うという無理な(^o^)想定になっていますが、原作では孫左が可音に秘かに一方的に思いを寄せており、吉右衛門と孫左が刀を抜き合わせるという場面はありません。むしろ、孫左は吉右衛門に「おぬしにだけは言える。言わずば耐えられぬ気がするのだ」と言い、「おれの心には・・・魔が住んでいた」と、禁断の恋情を告白します。
(3) 孫左の切腹の理由として、原作で色濃いのは、禁断の恋情を断ち切り、かつての同志の後を追う絶望と凄惨さですが、映画では少女の淡い恋慕を断ち切り、役目を終えた武士として命を断つ姿の美化が目立ちます。

おそらく、映画「最後の忠臣蔵」は、原作に秘められたロリコン性をあからさまにせず、役目を終えた武士の、忠義の最期として描くために、可音という少女を初老の孫左に恋慕させ、死んだはずの尼さんを色っぽい女性に変えて孫左に寄り添わせるという変更を行ったのでしょう。それがねらいどおり大衆性を獲得する結果になったのかどうか、どうも、微妙なところだと思いますね~。

(*):フォーラム東根で「最後の忠臣蔵」を観る~「電網郊外散歩道」2011年1月
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