電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

デスクを交換する

2008年03月16日 05時59分45秒 | 手帳文具書斎
これまで、自宅で使っていたのは、30年も前に購入したスチールの事務机でした。機能的ではありましたが、いかにも冷たく殺風景なものでした。何度かデスクを新調しようかと思いましたが、中身の入れ換えを考えると、なんだか面倒で(^o^;)>poripori

このたび、大学院を修了した中の娘が、就職を機に自宅に戻ることになったうえ、息子のほうも引っ越しで、今度はデスクもベッドもみな付いているから、送り返すとのことです。急にわが家の机の数が増えて、さすがに置き場所がなくなりました。結局、子どものお下がりではありますが、念願のマイ・デスクの新調が実現しました。

今度の机は、奥行きはやや浅くなりましたが、昔のブラウン管の時代とは違い、常用ディスプレイが液晶タイプですので、特に大きな支障はありません。むしろ、横幅が少々広くなりましたので、小ぶりの本立を置くことができるようになりました。読みかけの本や当面必要な書類のファイルなどは、ここに立てることができます。机上はたいへんすっきりしました。まだ引出しの中の整理が終わっていませんが、思い切って処分するつもりです。



写真は、ようやく雪融けの下から茅を出した水仙です。奥の方にまだちょっぴり白い雪が見えますが、あっという間に咲いて、あっという間に春が来ることでしょう。山形の花の春も、もうすぐです。
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新聞で個人が取り上げられる記事の面積

2008年03月15日 08時57分30秒 | Weblog
新聞で、ある個人が記事として取り上げられることがよくあります。社会的関心度の高い人ほど、大きな面積を占めることが多いようです。たまたま記事が少なくて、紙面を埋めるために大きく取り上げられることもあるでしょうが、長い年月を通して見れば、一つ一つの記事の面積が、その人物の取り上げ方の大きさを表しているといえそうです。

では、個人別ではなくジャンル別に見たらどうなるか?これは、圧倒的にスポーツ優先でしょう。政治家よりも学者・文化人よりもお医者さんよりも、もちろん普通の庶民よりも、スポーツに関わる人たちが、新聞の面積の相当部分占めています。

芸能スポーツ方面の興味関心が欠落しているワタクシめは、ちょっとスネております(^o^)/
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せっかく書いた記事が消失しないためには

2008年03月14日 05時44分32秒 | コンピュータ
せっかく書いたブログ記事が、突然、消失することがあります。原因は、通信回線やブログのシステム側の問題だったり、自分のコンピュータの調子だったり、自分自身の操作の誤りなどさまざまですが、せっかく書いた記事が消失したときの気分は最悪です。おおげさに言えば、しばらく立ち直れないほど(^o^;)>poripori

では、こういう事態を避けるには、どうしたらよいのでしょうか。私は、Windows なら「メモ帳」などのテキストエディタを使って、あらかじめ原稿を保存しておき、必要な部分を copy & paste でブログに貼りつける方法をお勧めします。

画像は、山形交響楽団の定期演奏会等のスケジュールを示した、先日の「電網郊外散歩道」記事の原稿ですが、これくらいの量になると、一度に入力するのはなかなか大変です。システム手帳に挟み込むために数日かけて少しずつ入力し、ブログ記事にも流用したのでした。こんなふうに、少しずつ時間を都合していけば、けっこうな分量の記事を書くこともできます。テキストエディタで原稿を書きためる、という方法は、せっかく書いた記事が消失しないというメリットとともに、すき間時間の活用、という意味もありました。

そういえば、常時接続など一般的でなかったパソコン通信の時代には、電話代の節約のために、「オフラインで書き、オンラインで投稿する」という手法が常識になっていましたが、常時接続が常識になった近年は、オンラインで書くことがむしろ普通になっていたのですね。

突然の記事の消失にお悩みの方は、ぜひ一度お試し下さい。
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宮城谷昌光『風は山河より』第5巻を読む

2008年03月13日 18時32分25秒 | -宮城谷昌光
最近、風邪をひいたのか、ひどく咳こみます。昨日のうちに休みを取っておりましたので、本日はゆっくり朝寝坊をして、一日休養しました。おかげで、少しずつ読んでいた宮城谷昌光著『風は山河より』第5巻を読み終えることができました。

歴史小説というのは、だいたいにおいて、悲劇の英雄(義経)、立身出世(秀吉)、互角の名勝負(謙信と信玄)、忍耐自重(家康)などの違いはありますが、それなりに華々しい、雌雄を決する合戦の場面を持っています。ところが、この物語がいっぷう変わっていると感じるのは、守城の戦いを主な場面にしている点です。「見事な籠城戦」という形容自体が、ずいぶん新鮮な視点です。

面白かったのが、武田信玄の襲来を予想し、大野田城に住みながら、近隣に樹木に隠された野田城を別に築いていた周到さです。これが、銃砲の時代に対応した堅固な城で、武田信玄の攻撃を受けてもびくともせず、一ヶ月も野田合戦という籠城戦を展開し得た理由でした。さらに、武田の金堀り衆により水の手を断たれ、菅沼側が絶体絶命になったとき、野田城側の求めどおり水を与えた信玄の対応。そして「水を断たれて降伏せず、水を与えられて降伏する」という菅沼新八郎の心意気、人質の交換による主従の再会。まるで、歌舞伎の一場面のようです。

あらすじは省略いたします。というよりも、もう一度読まないと、同じような名前が頻出し、どういうストーリーかを充分に把握できていない、といったほうが正しいかもしれません(^o^)/
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モーツァルト「フルート協奏曲第1番」を聴く

2008年03月12日 06時37分23秒 | -協奏曲
このところ続いている日中の陽気に誘われて、モーツァルトのフルート協奏曲第1番(ト長調、K.313)を聴きました。マンハイム時代のモーツァルトの、軽快で楽しく美しい音楽。1778年、フルート四重奏曲や、フルートとハープのための協奏曲と同じ年の作品で、楽器編成は独奏フルートと弦5部、それにオーボエ(2)、ホルン(2)というものです。

第1楽章、アレグロ・マエストーソ。冒頭の出方がいかにもマエストーソ。続く第2主題は優しく柔らかです。展開部の技巧的なパッセージは、アマチュアのフルート奏者だったオランダ人の依頼主の腕前で吹けたのでしょうか。
第2楽章、アダージョ・マ・ノン・トロッポ。幻想的な雰囲気のソナタ形式。ゆったりした気分の中にひたることができます。
第3楽章、ロンド:テンポ・ディ・メヌエット。明るく喜々としたフィナーレは、写譜師ウェーバー家の娘たちとの恋愛の影響もあるのかも。次々と湧き出るような曲想に、ただびっくり。

CDは、DENON の My Classic Gallery の中の一枚、型番は GES-9269 です。参考までに、演奏データを示します。

■アンドラーシュ・アドリヤン(Fl)、ハンス・シュタットルマイヤー指揮ミュンヘン室内管弦楽団
I=8'58" II=9'14" III=7'03" total=25'15"

先日の DENON の記事にあった川口氏の話では、バイエルン放送交響楽団の首席フルート奏者となっているらしい、アンドラーシュ・アドリヤンのフルート・ソロです。指揮者とオーケストラについては、残念ながら情報を持ちません。
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平成20年度の山形交響楽団定期演奏会等の予定

2008年03月11日 06時37分35秒 | クラシック音楽
2月に行われた山響モーツァルト交響曲全曲演奏「アマデウスへの旅」第3回のパンフレットに、平成20年度の定期演奏会等の予定が発表されておりました。いずれも意欲的かつ魅力的なプログラムとなっておりますが、備忘のために、その概要を記します。A定期、B定期等の区分をなくし、単純に日付順に並べましたので、手帳に転記する場合などには役立つかと思います。

■第188回定期演奏会
2008年4月19日(土) 19:00~、山形県民会館、指揮:ゲルハルト・ボッセ、tp:井上直樹
「ハイドンの朝、昼、晩」
ハイドン トランペット協奏曲、交響曲第6番「朝」、第7番「昼」、第8番「晩」
■第189回定期演奏会
2008年5月10日(土)19時~、11日(日)14時~、山形テルサ、指揮:飯森範親、Pf:仲道郁代
「究極のロマンティシズム」
キラール 「オラヴァ」、ショパン「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」、ラフマニノフ 交響曲第2番
(※前日5月9日に、酒田市民会館で同プログラムで庄内定期演奏会)
◎さくらんぼコンサート2008
2008年6月21日(土)、19:00~、東京オペラシティ、指揮:飯森範親、Pf:仲道郁代
「究極のロマンティシズム」
キラール 「オラヴァ」、ショパン「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」、ラフマニノフ 交響曲第2番
■第190回定期演奏会
2008年7月13日(日)14:00~、山形テルサ、指揮:飯森範親、Vn:川久保賜紀
「東欧の谺(こだま)」
レズニチェク「ドンナ・ディアナ」序曲、バルトーク ヴァイオリン協奏曲第2番、チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」
■第4回モーツァルト定期
2008年8月2日(土)16:00~、山形テルサ、指揮:飯森範親、Sp:飯田みち代
モーツァルト 交響曲ト長調「旧ランバッハ」、アリア「私は、あなたに明かしたい。おお、神よ」K.418、モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618、アリア「ああ、情け深い星たちよ、もし天にいて」K.538、アンティフォナ「レジナ・チェリ」K.108、交響曲第33番
(※前日8月1日に、鶴岡市文化会館で同プログラムで庄内定期演奏会)
■第191回定期演奏会
2008年8月23日(土)19:00~、山形県民会館、指揮:阪哲朗
「エスプリ・ド・フランス」
ドビュッシー 組曲「子供の領分」(ローソン編)、サン=サーンス 交響詩「オンファールの糸車」、ミヨー バレエ音楽「屋根の上の牛」、デュカス 交響曲ハ長調
■第5回モーツァルト定期
2008年10月10日(金)19:00~、山形テルサ、指揮:飯森範親、fl:足立祥治、Hp:内田奈織
モーツァルト 交響曲ヘ長調K.76、フルートとハープのための協奏曲、交響曲第36番「リンツ」
■第192回定期演奏会
2008年11月22日(土)19:00~、23日(日)14:00~、山形テルサ、指揮:飯森範親、Vn:神尾真由子
「師弟の絆」
ワグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」序曲、ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲、シューマン 交響曲第2番
■第193回定期演奏会
2008年12月20日(土)19:00~、山形テルサ、指揮:工藤俊幸、二胡:チェン・ミン
「田園の奏楽」
シャブリエ 「田園組曲」、劉文金 二胡協奏曲「長城随想」、ブラームス 交響曲第3番
(※前日12月19日に、酒田市民会館で同プログラムで庄内定期演奏会)
■「第九」演奏会
2008年12月25日(木)19:00~、山形県民会館、指揮:飯森範親、合唱:県民有志
西村朗 ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲、ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付」
■第194回定期演奏会
2009年1月17日(土)19:00~、18日(日)14:00~、山形テルサ、指揮:飯森範親
「樹氷に響く天空のコラール」
ブルックナー 交響曲第5番(ハース版)
■第6回モーツァルト定期
2009年2月28日(土)16:00~、山形テルサ、指揮:飯森範親、Pf:田村響
モーツァルト ピアノ協奏曲第23番K.488、交響曲第6番K.43、交響曲第27番K.199
■第195回定期演奏会
2009年3月13日(金)19:00~、山形県民会館、指揮:バイロン・フィデチス、Vn:犬伏亜里、Vc:宮城健
「バッカスの饗宴」
ベートーヴェン 劇音楽「アテネの廃墟」序曲、ブラームス ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲、ベートーヴェン 交響曲第7番
(※翌日3月14日に、鶴岡市文化会館で同プログラムで庄内定期演奏会)
■「オーケストラの日」コンサート
2009年3月29日(日)、山形県民会館、ワークショップとコンサート

特に、ボッセ教授のハイドン、仲道郁代さんのショパン、川久保賜紀さんのバルトーク、阪さんのデュカスの交響曲、神尾真由子さんのベートーヴェン、チェン・ミンさんの二胡、山響トップ奏者二名によるブラームスの二重協奏曲、田村響さんのモーツァルト、バイロン・フィデチスさんのベートーヴェンなどが注目されますが、飯森さんと山響によるチャイコフスキーの「悲愴」交響曲やラフマニノフ、シューマンの2番、そしてブルックナーの5番と、期待の曲目が並びます。モーツァルト定期も工夫をこらし、コンサート・アリアなども楽しめそう。定期会員(17,000)+モーツァルト定期会員(9,000)+特別演奏会(4,500×2回位?)と、1年間あわせて3~4万円くらいでこんなに充実した音楽を楽しめてよいのでしょうか。山形にUターンして、本当によかった(^o^)/
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新車の通年の燃費

2008年03月10日 06時35分47秒 | Weblog
昨年の1月から乗り始めた、ニッサン・ティーダ・ラティオ(TIIDA Latio)について、春・夏・秋のシーズンの燃費状況を、これまでも記事にして(*1,*2)きました。しかし、冬期間を含めた通年の結果は、今年が初めてです。車のドアポケットに常置している野帳(*3)に記載した給油記録から、通年の燃料消費率をグラフにしてみました。



通年の平均で、15.2km/l の結果となりました。排気量 1500cc、トランスミッションは CVT、さらに 1.2トンという車重から考えると、立派な結果だと思います。10月のデータは、長距離運転が多かったことが影響したものでしょう。特に、(*4)と比較して見ると、ニッサン・マーチ1000以前の冬季のデータと比較して、信じられないほど向上しています。これは、屋根つきのカーポートの設置のおかげで、フロント・ウィンドウの凍結がとけるまで暖気運転をしていた分がなくなり、すぐ走り出せるようになった点が大きいと思われます。

参考までに、当「電網郊外散歩道」の省エネ運転関係記事です。

(*1):郊外ドライブ省エネ運転法
(*2):ニッサン・ラティオの燃料消費率データは
(*3):給油記録ノートを準備する
(*4):十年間の車の燃費統計データより
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DENONのクラシック録音の裏側

2008年03月09日 06時12分36秒 | クラシック音楽
日本コロムビアというレコード会社が、日本ビクターと並ぶ老舗であることは、中年世代にとっては自明のことでした。ところが、1969年にCBSがソニーと合弁してCBSソニーというレーベルを立ち上げたことは、さすがに大きな痛手だったことでしょう。クラシックの売り上げなど、当時の歌謡曲の隆盛からは比較にならないものだったかもしれませんが、その直接的な対応策が、あのクラシック・レコード界初の「ダイヤモンド1000」シリーズ(*1)の企画だったのではないかと推測しています。本来は競争力が低下した録音を、廉価盤シリーズとして普及させようとした苦肉の企画は、当初の意図を超えて、クラシック音楽愛好者の裾野を広げることに貢献したと思います。

それでも、まだパイヤール管弦楽団等を擁するエラートがあり、バロック・ブームでヴィヴァルディの「四季」がベストセラーになる時代ですので、なんとか老舗の格を保っていたわけですが、その稼ぎ頭のエラートがビクターに移籍するに及んで、これはなんともならない。残ったのはチェコのスプラフォンと東独のオイロディスクだけという有り様では、金銀飛車角みな失い、桂馬と香車で将棋をさそうというようなものでしょう。

70年代初頭、技術的にはほとんど手作りに近いとはいえ、PCM録音機の第1号機が完成しており、付加価値の高い国内録音によって自社レーベルを育てて行く、という選択肢は可能でした。初めはややキンキンした弦楽の録音に辟易させられたものの、ピアノの低域の鮮明さは格別でした。やがて、技術的な進歩とともに録音会場も海外へ移行し、ホールの音を生かした、優れた録音を輩出するようになりました。このあたりの事情を、ぜひ当事者の証言で知りたいものだと念願していたところ、プロデューサーの一人である川口氏のインタビューがあることを、本ブログにしばしばコメントをいただく 望 岳人 さんのサイト「日々雑録 または 魔法の竪琴」(*2)で知りました。

ここに紹介された、「音楽プロデューサーという仕事」という連載インタビュー記事(*3)が、いや~実に面白い。抜群の面白さです。今は会社を離れたためか、歯に衣着せぬ物言いで、語ってくれています。必ずしも客観的で公平な視点というわけではなく、プロデューサーとしての川口氏独自の見方ではありますが、デジタル録音黎明期から普及期にいたる、我が国の代表的クラシックレーベルの内幕を知ることができます。



読むためには会員登録が必要ですが、別に個人情報を詳細に正しく記入する必要はなく、あまり影響のなさそうなWEBメールアドレスなど、必須情報だけをちょいと記入すればよいようでした。

(*1):大木正興氏とダイヤモンド1000シリーズのこと~「電網郊外散歩道」記事より
(*2):日経ビジネス オンライン(NBonline)の音楽記事~「日々雑録 または 魔法の竪琴」より
(*3):NBonline記事より、「音楽プロデューサーという仕事」
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宮城谷昌光『風は山河より』第4巻まで読み進む

2008年03月08日 14時44分38秒 | -宮城谷昌光
北国も、ようやく暖かくなりはじめました。このところ、就寝前に少しずつ読んでいた本、宮城谷昌光の『風は山河より』、ようやく第4巻まで読了。東三河の野田城主、菅沼貞則、定村、定盈と続く菅沼三代の物語、家康に連なる松平家との関わりなど、なかなか面白いです。桶狭間の戦いが転機となり、松平元康が今川家から独立し、菅沼新八郎定盈もまた今川家から離反し武田信玄の駿遠侵攻により今川家が滅ぶまで、苦難の時期を送る前後が描かれるのが、第3巻・第4巻。図書館から借りて来たものですので、本日返却に行くところです。

歴代の名前がみな似ていて、判断に苦しむところがありますが、昔はみなそんなものでした。わが家でも近年まで同じような名前を襲名していたようですし、何代目の◯◯◯とか、村の役職名◯◯をした誰某とかで判断をしておりました。

ひきつづき、第5巻を借りて来ることといたしましょう。この2連休に、なんとか読めればと思います。
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カラヤンとベルリン・フィルの「シベリウス/交響曲第1番」を聴く

2008年03月07日 06時54分37秒 | -オーケストラ
日が長くなり、確実に春の気配が近付いておりますが、時おり小雪が降る気候で、まだまだ油断はできません。最近は、通勤の音楽として、カラヤン指揮ベルリンフィルによる、シベリウスの交響曲第1番を聴いております。カラヤンとベルリン・フィルがEMIに録音した、1980年代のデジタル録音です。(CC28-99004)

第1楽章、アンダンテ・マ・ノン・トロッポ~アレグロ・エネルジーコ。ひそやかなティンパニの連打の上で、クラリネットがゆったりと主題を奏します。さらに弦楽器が主題を奏しますが、これはいかにもシベリウスらしい、雄大さを感じさせるところです。展開部は幻想的な雰囲気で、終結部のピツィカートによる終わり方も、緊張感があり、かっこいいものです。
第2楽章、アンダンテ・マ・ノン・トロッポ~レント。ゆっくりとした、弦楽による叙情的な始まりが、次第に力を増して行くあたりは、カラヤンとベルリンフィルの面目躍如。
第3楽章、スケルツォ:アレグロ。ティンパニと組んだ終わり方が、なんともかっこいい。
第4楽章、クワジ・ウナ・ファンタジア。指定にもあるとおり、幻想曲ふうの味わいのある楽章です。最後の盛り上がりが消え入るように終わるところが印象的。

Wikipediaによれば、この交響曲第1番ホ短調作品39は、ベルリンで聴いたベルリオーズの「幻想交響曲」に刺激を受け、1898年に創作に着手、1899年に完成したものだとか。1865年生まれのシベリウスは32歳、1897年に国家から終身年金を受けられるようになったものの、酒に溺れ、浪費を繰り返し、自堕落な生活をおくっていたといいます。

終身年金を受けて何が悲しいのか、ちょいと悲劇的な要素のあるシベリウス青年期のこの音楽も、まるで雄大に飛翔する冬空の鳶のようです。

■カラヤン指揮ベルリンフィル盤
I=10'27" II=10'17" III=5'34" IV=12'04" total=38'22"

【追記】
トラックバックをいただいた eyes_1975 さんの記事によれば、作曲当時のシベリウスは、世間に認められ終身年金も受けられるようになっておりましたが、母と愛娘を亡くし、必ずしも幸福な時期ではなかったようです。なるほど、それでこの気分かと納得した次第。
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「経済一流でない」の真実

2008年03月06日 06時35分55秒 | Weblog
新聞を整理していて気がつきましたが、2月4日付けの日本経済新聞に掲載された、「『経済一流でない』の真実」という東大の岩本康志氏の記事が、たいへん興味深いものがありました。ややおおげさに言えば、日頃から疑問に思っていたことが氷解したと感じられるほどでした(^o^)/

先頃、内閣府は、2006年の国民1人当りの国内総生産(GDP)をドル換算して国際比較を行い、OECD諸国中で18位に転落、1993年2位、2000年3位から低落傾向にあると発表。このことを受け、太田弘子経済財政担当相が「もはや『経済は一流』ではない」と国会で演説し、波紋をよびました。ところが岩本氏は、国民1人あたりGDPを比較するのに、為替レートで比較するのは不適切で、各国の物価水準が違うのだから、購買力平価で比べるのが適切だろう、と言います。

購買力平価で比較した1人あたりGDPは、OECD加盟国平均を少し上回る水準で推移し、「もはや」ではなく「かつて」経済が一流であったためしはない、生活水準の指標とされる1人あたり現実個人消費を購買力平価水準で見ても、日本はOECD平均を超えたことがない、と言うのです。

この考え方は、理解できます。地方生活者の実感にあっています。昭和の後期、1ドルが360円だった頃と比較すると、1ドルが120円になった頃には、ごく単純化すると国民は3倍豊かになった(なるはずだった)ことになりますが、はたして現実はどうでしょうか。経済学にはとんとうとい、理系の素人考えですので、無理・まとはずれは承知の上で、「豊かさ」を全く違う観点で見るとどうなるだろう。当方の備忘録から「豊かさ」で検索してみると、こんなメモを発見。

2003/09/09 一人当たりの居住室の畳数 総務省統計局が発行した「住宅・ 土地統計調査のお知らせ」によれば、平成10年の調査の結果、一人当たりの居住室の畳数は、昭和48年に6.61畳、53年に7.78、58年に8.55、63年に9.55、平成5年に10.41、平成10年には一人あたり11.24畳という具合で、1.7倍に増加しているという。実質的な経済的豊かさの反映とすると、興味深い指標だ。総務省統計局ホームページは、http://www.stat.go.jp/

ふむふむ、昭和の後期と比較すると、1.2~1.3倍の増加といったところでしょうか。こまごまとした買物などを含めても、2倍近くにはなっているかもしれませんが、3倍という実感はありません。では、3倍豊かになったはずの残りはどこへ行ったのだろう?ごく一部の人が、国民全体のGDPに相当するほどお金持ちになっているとは思えないしなあ。

ふと、ヒラリー・クリントンさんとオバマさんの顔を眺めているうちに、思い当たりました。そうか、90年代のアメリカの長い繁栄を支えたのは、日本だったのか!もしかすると、米国国債にでも変わってしまっていたりして(^_^;)>
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黄色のラインマーカー

2008年03月05日 06時46分00秒 | 手帳文具書斎
パソコンが日常的な文房具の中心になり、特殊な文房具は不要になってきましたが、逆に利用頻度が高くなっているものもあります。その一つが、ラインマーカーでしょう。特に、コピーを取っても影ができない、黄色の活躍が目立ちます。昔は赤鉛筆や青鉛筆でチェックした要点も、今は黄色のラインマーカーでなぞるだけ。白黒のコピーやレーザープリンタの出力に、黄色のラインマーカーはよく似合います。

ところが、便利なラインマーカーも、すぐインク(?)がなくなってしまうという欠点があります。もっとインクがたくさん入っていると良いのですが。色々な製品を試してみた中で、黄色いダーマトグラフ(クレヨンのようなもの)のマーカーもありましたが、繰り出した芯がぽろりと落ちて来てしまい、これも不採用。今のところ、できるだけインクの量が多めのものを何本もストックしておき、なくなったら補充するようにしていますが、なかなかこれぞ!というものを見つけておりません。文房具店めぐりのテーマの一つです。
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巌本真理弦楽四重奏団と山形

2008年03月04日 06時37分45秒 | クラシック音楽
高校生の頃だったでしょうか、山形県民会館の前を通ると、毎年冬に「巌本真理弦楽四重奏団演奏会」の大きな看板が掲げられておりました。どんなだろう、聴いてみたいなぁと憧れはしましたが、当時はそんな余裕はなく、たぶん全国をまわる演奏旅行の一環なのだろうと思った程度でした。

ところが、山形交響楽団のヴィオラ奏者「らびお」さんのブログ(*1)のコメントらんで、音楽ジャーナリストの「やくぺん先生」こと渡辺和さん(*2)が、「山形は黒沼俊夫氏で弦楽四重奏との縁がある場所ですね」とのコメントを残していることに気づきました。

さらに、1984年に新潮社から刊行された、山口玲子著『巌本真理 生きる意味』の198ページに、次のような記述があることを発見。

年が明けると、恒例の新春コンサートに続いて、山形へ行き、山形大学のオーケストラに仲間入りして手伝い、翌日カルテットの演奏会を開いた。このところ毎年、正月中旬には必ず山形へ行くのが定例となっていた。練習魔の真理は学生と一緒にひく場合にも、丁寧に練習を重ねる。そうして、純朴な青年オーケストラとの協演をたのしみに待ち受けた。東京、名古屋の定期の他にも、山形のように年中行事になっているのがいくつかあった。

そこで、このカルテットと山形の縁は、けっこう深かったらしいと知ったのです。そうか、高校生の頃の、あの大きな看板は、単なる偶然ではなかったのか。

巌本真理弦楽四重奏団と山形の御縁は、また、このカルテットの要だったというチェリストの黒沼俊夫氏と山形の接点は、いったいどこにあったのでしょうか。Google で「巌本真理弦楽四重奏団 山形」あたりで検索してみましたが、これだというような結果は得られませんでした。どなたか、ご存知の方はぜひ教えてください。

(*1):「らびおがゆく Vol.3」より「カルミナQ」
(*2):「やくぺん先生うわの空」
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ブラームスの性格形成

2008年03月03日 06時36分59秒 | クラシック音楽
三宅幸夫著『ブラームス』(新潮文庫)を再読して、ブラームスの少年期について、いろいろと考えさせられました。ブラームスは、精神的には母の影響が大きかったと言われます。ブラームス一家の生活は決して豊かではなく、どちらかといえば下層階級の生活であったようですが、母親は教養ある中産階級の出身だったそうです。ブラームスは、幼年期には母に、そして中学生に相当する年代には、私立学校で語学と数学と自然科学を学んでいます。また、二人の音楽の師に学びましたが、13~14才の時期には、夜の酒場でピアノを弾くことで生活をしなければなりませんでした。しかも、働き過ぎて健康を害し、保養を余儀なくされています。

中学生時代に、家庭の暖かさを充分に得られずに育った、音楽の才能豊かな少年。常に酔客の機嫌をとらなければならなかった、ストレートな自己主張の苦手な少年。それが少年ブラームスの姿だったとしたら、後年の不器用さや晦渋さや忍耐の姿勢は、よく理解できるような気がします。
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ブラームス「ピアノ四重奏曲第3番」を聴く

2008年03月02日 07時44分23秒 | -室内楽
先ごろ入手したばかりの、ブラームスのピアノ四重奏曲第3番、ハ短調Op.60を聴いております。ヤン・パネンカ(Pf)、コチアン四重奏団の演奏で、作品34のピアノ五重奏曲に併録されているものです。CDの型番はDENON COCO-70923というもので、1988年の10月にプラハの芸術家の家でのデジタル録音、スプラフォンの共同制作と記載されていますが、制作・録音ともに、実際はチェコ側の主導によるもののようです。

第1楽章、アレグロ・ノン・トロッポ。ピアノの打鍵が開始する、暗く重々しく劇的な音楽世界。なにか悲劇的な事件を思わせる、かなり規模の大きなソナタ形式の楽章です。
第2楽章、スケルツォ:アレグロ。焦燥感と悲劇性を感じさせる速い楽章です。シューベルトの「魔王」のように、とぎれとぎれにうわごとを言う病人を運ぶような音楽。
第3楽章、アンダンテ。なんとも心にしみる音楽です。出だしのチェロの旋律に魅了されます。それに、ピアノの音が無類に美しい。これは、クララ・シューマンを想定したものでしょう。
第4楽章、フィナーレ:アレグロ・コモド。シューマンが好んだ、崩れ落ちるようなピアノの下降音型が特徴的な、劇的な音楽です。

この曲の成立には、かなりの時間がかかっているようで、CDに添付された門馬直美氏の解説によれば、1855年に最初の楽章が書き始められ、1873年から74年にかけて改訂を行い、1875年に出版されたとのこと。この1855年と言う年を、三宅幸夫著『ブラームス』で調べてみると、ちょうど恩人シューマンが精神を病み、デュッセルドルフの精神病院に入院した翌年、そしてシューマンが没する前年にあたります。であるならば、この音楽の悲劇性は、まさにシューマン家を襲った悲劇を、まず考えるべきなのでしょう。ブラームスが語ったという、「ピストルを頭に向けた人の姿」とは、恩師の妻クララに対する報われない愛に絶望したブラームス自身ではなく、若き日に目にした恩人シューマンその人の、絶望の姿なのではないか。「ウェルテル四重奏曲」というよりは、むしろ「ローベルト四重奏曲」と呼びたいくらいです。シューマン家の悲劇の、音楽によるレポートであったために、共通の友人達の助言を受け入れ、後年まで何度も改訂を必要としたのかもしれません。

参考までに、演奏データを示します。
■パネンカ(Pf), コチアン四重奏団
I=10'19" II=4'19" III=9'05" IV=11'03" total=34'46"

再び入院した老父は、イレウス・チューブも取れて、点滴のみになりました。今回はかなり弱気になっておりますが、もうじき本が読める状態になるのが楽しみのようです。司馬遼太郎と新田次郎を所望、何冊か運びました。

【追記】
第3楽章、アンダンテは、NHK-FMの「大作曲家の時間」の「ブラームス」のテーマとして取り上げられていました。ああ、あれか、と、どこかで耳にした方も多いことでしょう。
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