電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ラタトゥイユに似ているが少し違うメニュー

2007年08月16日 20時57分16秒 | 料理住居衣服
先にご紹介したイタリア風オリジナル料理(*)、実は「ラタトゥイユ」という類似のメニューがあるのだそうです。で、調べてみましたが、材料はほぼ同じで、茄子とトマト、ピーマン、パプリカ、ズッキーニなど。私は、これらに加えてベーコンと生姜を使っています。調味は塩コショウだけ。こんな感じです。



調理法も、生姜をいためる点が違いますが、あとは途中までだいたい同じです。要するに、材料をかきまぜないでそのままにして火を通します。湯むきしたトマトは、ざくざくに切って加えます。一度材料をひっくり返して、再び火を通します。



ここからが、私の場合は少し違っていて、写真のようにワインをどばどば加えるのですね。そして、塩味を加減しながら、再び火を通します。



したがって、自動車のドライバーには出せません。食べていて、ぽっぽとアルコールが回ってくるのがわかります。あつあつでも美味しいですが、実は冷たくなってからがいっそう美味しいです。パスタに乗せてもオッケーです。

晩のメニューが決まらない方、ぜひお試しあれ(^o^)/

(*):茄子+ピーマン+トマト+ベーコン=?
コメント (6)

白石まみ『フラガール』を読む

2007年08月15日 09時17分14秒 | 読書
少し前になりますが、映画『フラガール』を見ました。石炭から石油へ、エネルギー転換のさなか、斜陽の炭鉱で働く鉱山夫の生活の貧しさと厳しさを背景に、町を支え、貧しさから抜け出そうとする少女(+α)たちを中心とした物語。圧巻だったのは、最後のフラダンス・ショーの場面でした。色彩とリズムと圧倒的な群舞が素晴らしかった。

メディア・ファクトリー刊『フラガール』という原作?あるいはノヴェライズ本を読みました。もちろん、圧倒的な音楽とリズムと色彩は再現できません。これは映画でなければ味わえないものです。しかし、一度見ただけではとらえきれない細部が、本の形で文章となると、とてもよくわかるのですね。ダンス教師として炭鉱の町にやってきたまどか先生につきまとう借金取りの件は、まどかが母親の不始末を尻拭いしていたのですね。私は「母」のセリフを聞き逃し、まどか本人の借金とばかり思っていました。

そういえば、今は500円DVDで入手できる『パリのアメリカ人』の最後のほう、バレエの長大な群舞シーンがありますが、色彩といい衣装といい背景といい、記憶に残る素晴らしさでした。あのシーンは、何度見ても素晴らしいですね。

最近、映画「スゥイング・ガールズ」のジャズ演奏シーンや、「ウォーターボーイズ」の演技シーン、あるいは「フラガール」の群舞シーンなど、音楽やダンスをまとまって聴かせ(見せ)る映画が印象的です。細切れにして小出しにしないのは、聴衆(観衆)の音楽的(映画的)成熟を意味するものでしょう。いいことだと思います。
コメント (2)

本多孝好『真夜中の五分前』を読む

2007年08月14日 10時43分28秒 | 読書
文庫になると、普段は手にしそうにない本を読みます。今回のこの本『真夜中の五分前』もそう。手頃な薄さの、side-Aにside-BとLPを模した二冊本です。

広告会社に勤務する、有能だがプレイボーイと噂の主人公は、つき合っていた女性がまた去っていっても、淡々と見送ります。実は、学生時代に恋をした水穂という女性を交通事故で失ったときから、感情の深い部分がしなびてしまっているのです。
たまたまプールで知り合った双子の姉妹の一人、かすみと親しくなり、婚約した妹かおりのために贈り物を探す手伝いをします。
この双子の姉妹は、完璧にそっくりで、区別がつかないほどでした。ですが、姉かすみにはある秘密がありました。そして、再び起こった事故により、秘密は哀切な色を帯びて浮かびあがります。

とまあ、こんなふうに紹介できるのでしょうか。結末は書かないでおきますが、本多孝好さん、たいへんにうまい作家ですね。水穂さんの墓の前の場面など、中年オジンもちょっと切ない気分になりました。

いくつか、しょうもない感想を。

(1)どんなに見かけがそっくりでも、双子を見分けることはできるのでは。姉妹が全く同じバランスで育つことはできません。一方がわがままを抑えないと、関係を保つことができません。だから、会話の文脈を離れて観察すると、視線の上がり具合・目を伏せる頻度が、確実に違います。でも、それを言ってしまうと、そもそもこの物語が成り立たないのでしょう。
(2)セヴィリヤの礼拝堂で古いロザリオを盗む場面、シャーマン(巫女)のような描写は必要なのでしょうか。事故などで人が亡くなるのは唐突なものです。なにも劇的に飾る必要はなかろう、と思います。
(3)事故の後、本人自身がどちらの人格だかわからなくなる、という想定は、ちょっと不自然。作者は、男性の双子の場合でも、同じ想定をするでしょうか。むしろ、作者の女性観の現れでしょうか。
コメント (4)

飯森・山響のモーツァルト交響曲全曲演奏「アマデウスへの旅」第1回を聴く(2)

2007年08月13日 21時54分49秒 | -オーケストラ
昨日は来客があり、以前相談を受けた二人が結婚し披露宴を開くそうで、ご招待を受けました。アドバイスが役だったかどうかはわかりませんが、目出度いことです。9月30日(日)の予定。まてよ、それって、山形弦楽四重奏団の定期演奏会の日じゃないか~(^_^;)>poripori

さて、山響モーツァルト演奏会の続きです。

休憩の後、演奏前に再び指揮者の飯森範親さんが登場。後半のトークはこんな感じ。
1778年頃、モーツァルトはザルツブルグを後にウィーンへ出て、ヨーゼフII世に可愛がられますが、一癖あるモーツァルトに対し長期の契約はしませんでした。でも、一度贅沢をすると元には戻れないのですね。1788年、三大シンフォニーを作曲した頃には、ワインで体をこわし病が悪化しただけでなく、交響曲全体が聴衆から疎まれるようになっていました。今でこそ感じられるロマン性ですが、当時の聴衆にとっては前衛的な現代音楽のような斬新な音楽に、ついていけなかったのでしょう。そして1791年に死去します。交響曲第39番は晩年の作風で、ベートーヴェンの「エロイカ」と同じ変ホ長調。序奏は違いますが主部は同じ4分の3拍子など、ベートーヴェンはエロイカでこの交響曲を意識したのかもしれません。

なるほどなるほど。エロイカと共通点を持つ交響曲第39番、オーケストラもフル編成となり、演奏開始です。
第1楽章、アダージョですが、序奏はやや速めで、音の響きが澄んでいます。純度が高い感じ。バロック・ティンパニの音も抜けが良く軽やかです。
第2楽章、アンダンテ・コン・モート。木管の対話。奏法は鋭いのに、弦の響きが澄んでふっくら、ふんわり、やわらかいですね。
第3楽章、アレグレット。メヌエットは、はずむようなはやいテンポ、トリオ部はややゆっくり落ち着いてのどかに。再びはやいテンポではずむように終わります。
第4楽章、プレスト。快活な速いテンポで、よく統率が取れ、演奏家の真剣さが伝わります。曲は転調が生きています。

演奏が終わると、余韻を味わうように少し間をおいて、一斉に大きな拍手。私も手が痛くなるほど拍手。いい演奏会でした。これからの演奏会が楽しみです。

ところで、今回、8年間24回の演奏会のスタンプカードが配布されました。これは、飯森さんの発案だそうで、6回、12回、18回、そして24回と、スタンプラリーの要領で山響グッズやオリジナルCDなどの景品を出すのだそうです。長丁場ですので、励みになるかも(^_^)/
コメント (2)

飯森・山響のモーツァルト交響曲全曲演奏「アマデウスへの旅」第1回を聴く

2007年08月12日 18時40分26秒 | -オーケストラ
昨日の11日(土)夜7時から、山形テルサホールにて、飯森範親指揮山形交響楽団による、8年越しの企画「アマデウスへの旅」第1回演奏会を聴きました。これは、モーツァルトの交響曲の全曲を中心に、協奏曲や声楽曲なども織りまぜて、オリジナルスタイルを取り入れながら現代のモーツァルトを演奏し、録音するというものです。

会場の山形テルサホールには、プレトークぎりぎりに到着、すでに座席は満席に近く、指揮者の飯森範親さんが「マイクが聞き取れますか?」と問いかけます。いつもながら、語りかけが届くホールの大きさが、聴衆との一体感を生むんだなぁと感じます。

35年の生涯で約600以上の音楽を作曲したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの作品については、19世紀の初めにケッヘルがほぼ年代順にまとめています。最後のK.626が「レクイエム」。これらの楽譜をまとめたものが、旧モーツァルト全集と呼ばれます。これに対し、モーツァルトの没後200年にあたる1991年にまとめられたのが新モーツァルト全集で、ベーレンライター社から出版されました。ここで取り上げられている交響曲は、Anh.(アンハング、疑問)つきのものを含めて47曲。「でも、最近もう1曲楽譜を入手しちゃったんですよねぇ!もしかすると、1曲増えるかも」と飯森さん。

1曲目の「交響曲ヘ長調K.Anh.223」は、9歳の頃に書いたと言われています。父レオポルドに連れられて、貴族の前で名人芸を披露しお金に替える旅の合間に、いつ作曲したのでしょう。ロンドンで、大バッハの息子のヨハン・クリスチャン・バッハの影響を受け、父の病床で書かれた第1番と同じ3楽章の交響曲です。

そして団員の皆さんが登場。男性はいつもの正装スタイルで、女性はカラフルなドレス姿です。コンサート・ミストレスの犬伏さんは、エメラルドのような少し緑がかったブルー。皆さん、とてもきれいです。

交響曲ヘ長調はいつもより少人数で、配置は第1ヴァイオリンがステージ左、第2ヴァイオリンが右に、その奥に左がチェロ、右にヴィオラ、次の列には管楽器が、最奥部にコントラバスとバロック・トランペットが陣どります。

第1楽章、アレグロ・アッサイ。飯森さん指摘するとおり、石畳の上を馬車が走るときの規則的なリズムとテンポ感が、この楽章にはあります。そして第2楽章アンダンテ。ここは、出会った女の子に寄せる感情のようなチャーミングな曲。短い終楽章はプレストで。疾風怒涛と言えばよいのか、快速な音楽です。

曲間に飯森さんが再び登場してトークをいれます。メモによれば、あらまし次のような内容。

次の曲目は、ヴァイオリン協奏曲第5番。ザルツブルグ時代に書かれた協奏曲ですが、この頃モーツァルトは第31番「パリ」まで交響曲を書かなくなります。この協奏曲は、初めの魅力的な旋律がテーマだと思うとそれが実は主部の対旋律、伴奏だというこった作りになっています。オスマン・トルコの支配により、イスラム文化が欧州に入り、ウィーンで流行したのがトルコマーチでした。流行に敏感なモーツァルトは、さっそくこれを取り入れます。当時は専門の指揮者はなく、ソリストが指揮を兼ねていました。今日は高木さんが弾き振りをします。私(飯森)は客席で聴かせてもらいます!

で、ヴァイオリンを片手に、高木和弘さん登場。小編成は変わりありませんが、中央の指揮者の立ち位置に高木さんが立ち、演奏が始まります。二本のマイクにぶつからないかとはらはらしましたが、第1楽章、アレグロ・アペルト。緊張の中にも愉悦感を感じさせるカデンツァが素晴らしい!
第2楽章、ソリストのヴィヴラートもほとんどありません。もちろん、オーケストラのほうもノン・ヴィヴラート奏法。奏法は鋭い切れ込みを特徴とするのですが、響きが透明で純度が高いように感じられ、たいへんに繊細優美な音楽になっています。第3楽章、ロンド~テンポ・ディ・メヌエット。ソロと第1、第2ヴァイオリン、チェロとヴィオラのトップ各1名、それに時折コントラバスやホルンなども入って、室内楽ふうのかけあい。そして全オーケストラの音楽になるときには曲想も大きく変化します。トルコ風の軍楽隊のリズムを刻むのは、チェロが弓を打ち付けるようにして演奏するのですね。あの音をどうやって出しているのか、ようやくわかりました(^o^)/

そして演奏会は休憩に入ります。当記事も、ここでいったん休憩。
コメント

山響のモーツァルト交響曲全曲演奏プロジェクトについて

2007年08月11日 06時03分53秒 | クラシック音楽
本日は、飯森範親指揮山形交響楽団による、モーツァルトの交響曲全曲演奏プロジェクト「アマデウスへの旅」が始まる、第1回演奏会の日です。8年間、全24回をかけて取り組む、オリジナル楽器とオリジナル奏法を取り入れた壮大な企画で、現在、シンフォニー全47曲を生演奏で聴くことができるのは、たぶん山形県だけかも。昨日は米沢市の伝国の杜で同プログラムによる演奏会が開催されましたが、響きの素晴らしい山形テルサ(*)ホールで、交響曲だけでなく協奏曲なども随時取り入れてプログラムが組まれるようで、私にとってもこんなチャンスはもう二度と巡りあえないことでしょう。できれば健康で、全曲を聴き通したいものです。

人気はかなり高いようで、チケットはすでに完売。事前に全3回通しで予約入手してありましたので、良かった~。日中、桃「あかつき」の収穫をして、シャワーで汗を流した後、夕方から会場に向かう予定。妻は婦人会の役員の会議があるとかで同行できず、残念無念と口惜しがっております。

(*):山形テルサ モーツァルト シンフォニーサイクル「アマデウスへの旅」第1年 -交響曲全曲演奏 定期演奏会

※山形テルサのこのページ、インターネットでは使用を自粛すべき半角カタカナが満載の作りになっています。たぶん、職員の方の手作りなのだと思いますが、歓迎されることではありません。念のため。
コメント (2)

モーツァルトの交響曲第39番を聴く

2007年08月10日 06時29分35秒 | -オーケストラ
高校時代に、芸術の選択があったのですが、音楽の希望者が多すぎて、あぶれてしまいました。で、泣く泣く書道へ。残念無念(T-T)
でも、高校生のときに購入したLPのことは、一枚一枚、たいへん鮮明に記憶しているものですね。
学生の頃に書店でポケットスコアというものがあることを知り、初めて購入したのが、この交響曲第39番、変ホ長調、K.543。昭和26年に初刷が発行されてから、およそ20年経過しておりまして、定価が160円でした。ポケットスコアを見ながらLPを聴くのは、ちょいと生意気でスノッブな楽しみ方でした。もっとも、LPは日本コロムビアのダイヤモンド1000シリーズ等の廉価盤が中心で、高価なレギュラープライス盤はなかなか購入できませんでしたが。

で、この39番。
第1楽章、アダージョ~アレグロ。ゆったりした堂々たる序奏で始まります。解説書によれば、序奏部を持つソナタ形式、というのだそうです。明るく快活な主要部に続き、なだらかで流麗な楽想と切れのいいリズムを持つ楽想とが交互に登場します。情熱を感じさせる音楽です。
第2楽章、アンダンテ。第1主題は優しいものですが、フルートに導かれて印象的に登場する第2主題は、やや暗い印象。二つの楽想が交互に現れ、やがて第3の主題が登場しますが、フルートに導かれるやや激しい楽想の転換は、当時の聴衆にも新鮮だったことでしょう。初演の記録が残っていないのが残念。
第3楽章、メヌエット。アレグレットで。大きなホールで展開される舞踏会の伴奏音楽のような雰囲気の、たいそう優美な音楽です。トリオ部の冒頭、フルートと対話するファゴットの表情が楽しい。
第4楽章、フィナーレ、アレグロで。単一動機から派生する形の主要主題と副主題からなるソナタ形式、だそうです。たしかに、同じ音型がくりかえされながら、見事なフィナーレとなっています。快速テンポに、思わず興奮しそうな音楽です。

たぶん、後期の三大交響曲の中では、一番手にする回数の多い音楽かも。響きの新鮮さ、純粋さが、魅力の源だと感じます。

ところで、いくつかの演奏を聴いていて、はてな?と思ったことがありました。演奏データと聴いた感じがずいぶん違うのです。特に第1楽章と第4楽章。
たとえば、演奏データ上では、大きく分けて、第1楽章が8分台のものと11分台のものとがあります。では、8分台のものがせかせかした演奏で、11分台のものがゆっくりした演奏かと言うと、さにあらず。例えばカール・ベームとBPOの演奏。第1楽章の繰り返しの指定をほとんど全部省略しています。ところが、バーンスタインやクーベリック、ブロムシュテットなどは、繰り返しの指定を忠実に実行しているようです。やっぱり、11分台のものがテンポがゆっくりとは限らないのですね。こうしたことは、LPのジャケット裏面に記載の演奏データからはわかりません。やっぱりポケットスコアを眺めてみないとわからないことです。
ジョージ・セル指揮クリーヴランド管の演奏は、FM放送のエアチェック・テープです。セルとクーベリックは、繰り返し記号の省略によると思われる違いはありますが、基本的なテンポはだいたい同じくらいかな。マリナーははやいほうではないでしょうか。

速いと言えばノン・ヴィヴラートの古楽器奏法、たいへんダイナミックな例が多いようです。ノン・ヴィヴラート奏法の魅力と言うのは、速いテンポで生き生きと演奏するのに適している、ということかと思います。こんどの山形交響楽団のモーツァルト全曲演奏も、古楽器奏法でオリジナルにこだわって演奏するのだとか。8月11日(土)の第1回には、この第39番が取り上げられる予定。すでにチケットは完売だそうで、どんなテンポで、どんな演奏になるのか、今から楽しみです。

■ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレ
I=11'30" II=9'05" III=4'02" IV=8'13" total=32'50"
■クーベリック指揮バイエルン放送響
I=11'27" II=9'11" III=4'14" IV=5'44" total=30'36"
■マリナー指揮アカデミー室内管
I=10'42" II=8'14" III=4'01" IV=5'14" total=28'11"
コメント (2)

新潮文庫の愛読者サービスに応募する

2007年08月09日 06時07分28秒 | Weblog
先頃、購入した新潮文庫の中に、Yonda? CLUB のプレゼントの案内が入っておりました。とりあえず、手近なところで数えてみたら、応募マークが30冊分ほどあるようでしたので、応募することとしました。
マークをハサミで切り取り、ちょいちょいと固形のりを付けて、ピンセットで台紙に貼りつけます。希望賞品は、キャンバス地のバッグとしました。前回、黒地にパンダのワンポイントが付いた、同種のバッグをもらったのでしたが、息子が気に入って、持って行ってしまいました。丈夫なので、大学に持っていっているようです。
今回のデザインは、梨地に茶色と黒の短冊仕立て風のものです。写真で見る限り、明るいイメージで、中年ヲジサンがちょっとした資料を運ぶにも使えそうです。

ひきつづき、"Romantic Oboe Concerto" という2枚組CDを聴いております。オーボエのロング・トーンは、たいへん魅力的です。
コメント (2)

同じ曲を何度も記事に取り上げることについて

2007年08月08日 06時19分48秒 | クラシック音楽
クラシック音楽のブログを何年も継続しているうちに、同じ曲を何度か記事に取り上げてしまうことが起こります。好きな曲は、日常的に何度でも繰り返して聴きますから、どうしてもその可能性が高くなりやすいものです。

KechiKechiClassics の 林 侘助。さんは、自分の体調やその時々の状況・気分によって、受ける印象や演奏評価がずいぶん違うことを、率直に、何度も語っています。変わることの自覚ーこれは、同じ曲・同じ演奏を何度も取り上げる根拠として、正直で強い理由だと思います。

「クラシック音楽のひとりごと」の mozart1889 さんは、同曲異演を取り上げ、その演奏や録音の特徴を、時々の身近な出来事とともに綴ります。同じ曲でも、演奏が異なれば何度でも取り上げるーこれもまた説得力があります。最近は、自分の備忘のために、記事の末尾に自分の記事のリンクを掲載し、「うっかり二重掲載」防止を心がけておられる(*)ようです。
(*):ブラームスのピアノ協奏曲第1番~ゼルキン(Pf)、セル/クリーヴランド管

私の場合は、同じCDを二重に掲載することがあります。はじめは「通勤の音楽」として聞いています、という身辺雑記ふうのもので、次に音楽を正面から取り上げ、感想や録音データ等の記録をまとめます。

このように、同じ曲や同じ演奏を何度も記事に取り上げることはありうることです。ついうっかり「同曲・同演奏」を何度も記事にしてしまうことはちょっぴり恥ずかしいですが、感想も年代や環境によって変わりうるもの。意図を持って何度か取り上げることには、じゅうぶん一貫性があると思います。

写真は、今が花盛りの凌霄蔓(ノウゼンカズラ)です。ぽとりと落ちた花が地面をうずめ、けっこう迫力がある花です。漢字ではこんなふうに書くのですね。
コメント (2)

雷のおかげで固まっていたみたい

2007年08月07日 21時12分28秒 | Weblog
昨日の雷のせいか、昨夜からインターネット接続できず。モデムのADSLランプが点灯しているのですが、ブラウザを立ち上げても「サーバが見つかりません」とエラーになります。ping も届きません。モデムの電源を切り、再度立ち上げたり、いろいろ試しましたが、だめでした。しかたがないので、昨日はブリリアントの2枚組廉価盤CD「Romantic Oboe Concertos」を聴いて寝ました。

今朝も不通でしたので、そのまま出かけましたが、帰ってからふと思い立ち、ルータとモデムとを一緒に電源を落とし、再投入してみると、おや不思議!ifconfig で見えなかった eth0 が見えるようになり、ping も通ります。Mozilla も Firefox も、ちゃんと当ブログを表示しました。やれやれ。どうも、雷のノイズにびっくりして、ルータも固まっていたみたい。

教訓。面倒がらずに、ちゃんとステップを追って原因追及すべし。

「Romantic Oboe Concertos」のCD、モーツァルト、アルビノーニ、ヘンデル、バッハ、ベルリーニ、マルチェルロ、ロセッティなど、近現代を除く代表的なオーボエ協奏曲を網羅しています。なかなかいいですね。
コメント

幕末の英和対訳辞書草稿の発見と吉村昭『黒船』を読む

2007年08月06日 05時28分28秒 | -吉村昭
しばらく前の山形新聞夕刊に、「開国への息遣い」と題して、幕末の「英和対訳袖珍辞書」草稿の発見を解説した記事が掲載されました。「近代化示す超一級史料」と評価されたのは、名古屋学院大学の堀孝彦名誉教授です。氏は、幕末の通詞・堀達之助の玄孫でもあります。この発見は、すでに3月に共同通信等を通じて報道されていましたが、このほど第一人者の手により解説されたことで、その意義が理解できるようになりました。

堀達之助は、幕末の長崎オランダ語通詞であり、吉村昭『黒船』の主人公です。ペリーの来航に際し、首席通詞として交渉にあたります。しかし、オランダ語から英語へと移り変わりつつあった時代に、英会話に長じた森山栄之助らにその役をゆずっただけでなく、ドイツ商人リュドルフの私的な文書の取扱いをめぐって罪に問われ、伝馬町の獄につながれます。安政の大獄に際し入牢した吉田松蔭の手紙の中に、堀達之助への感謝が記されているのは、この時期のものだそうです。
獄中に救いの手を差し延べたのは、蕃書調所の頭取であった古賀謹一郎でした。西洋の文献書籍を系統的に翻訳する役割を果たしていたこの役所で、堀達之助は英和辞書の編纂を命じられます。オランダ語には熟達していた堀も、英会話については自信がありませんでした。しかし、英蘭辞書を底本としてオランダ語を日本語に直すだけでなく、品詞名を確定し、用例を追加するなど、独自の工夫が盛りこみました。たとえば、

any, adj. 一。一二ノ。或ル。或ル人。尚。
any thing, 或ル。総テノ物。少シ。
any where, 或ル所。
any one, any body, 或ル人。各々。
take any, 汝ノ気ニ入ル物ヲ取レ。
any how, ドノ仕方ニテモ頓着セヌ。

という熟語なども追加されたとのこと。現代の英和辞書の基礎となる、貴重な業績と言えましょう。

この『英和対訳袖珍辞書』は、英字の部分が鉛活字、日本語の部分は木版で、洋紙を用いて印刷され、200部を製本し、価格は2両で頒布されたとのこと。しかし、当時の洋学の必要度から言ってこれではとても足りず、市中ではついに20両まで高騰したそうです。

さて、堀達之助の晩年は不遇の一言に尽きます。恩人の古賀の依頼で蝦夷に渡りますが、獄中生活で会話から離れ、すっかり苦手となってしまっていた英語での通訳の仕事は苦痛に感じるばかり。おまけに、英国領事の不法な人骨収集事件の対応という難しい国際事件に遭遇し、屈辱を覚えます。

不遇な時代にも、たまたま出会った美也という美しい未亡人と正式に再婚し、家庭の幸せを得ますが、美也さんも病没してしまうのですね。本当にお気の毒です。端正で充実した内容の本作品(写真左上)は、堀達之助の子孫が丹念にほりおこした資料に基づいて書かれたものだそうです。その子孫が、先の新聞記事にあった英語学者というわけです。なんとも不思議な因縁です。

(*):日本初の英和辞典、原稿発見=オランダ語から英語へ-群馬の古書店~「一言語学徒のページ」より

写真は、私の手元にある黒船関係の本や雑誌類です。
コメント (4)

リスト「エステ荘の噴水」を聴く

2007年08月05日 08時18分03秒 | -独奏曲
リストの音楽は、積極的に集めて来なかったこともあり、あまり多くを聴いておりません。ピアノ協奏曲の第1番と第2番、ハンガリー狂詩曲、それにロ短調のピアノソナタくらいでしょうか。

そのロ短調ソナタのCDに併録されたこの曲は、「巡礼の年」第3年に含まれている曲だそうです。若い頃は華麗なヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして有名だったリストも、ヴァイマールに落ち着いた1950年頃から、某侯爵夫人と恋をして、作曲に勤しむようになり、多くの代表的な作品はこの時代に生まれたのだとか。1860年頃以降、晩年はむしろ病気に悩む生活を送ったようで、作品がシンプルになり、宗教的な内容が多くなっていった、とされています。

「エステ荘の噴水」は、作曲者66歳の年(1877年)に作曲された晩年の作品のせいか、「ドビュッシーのように近代的」と形容したいほどの新鮮な響きを持った、好ましい音楽に感じます。この種の音楽は、やはり自宅のステレオ装置で、音量を大きめにして楽しむに限ります。

イェネ・ヤンドーのピアノ独奏、1990年12月にブダペストのリフォームド教会でデジタル録音されたCDで、型番はナクソスの8.550510です。録音はたいへん鮮明です。
参考のために、演奏データを示します。
■イェネ・ヤンドー盤
total=7'05"

台風ですが、日本海上を通過し青森県に再上陸、太平洋に抜けたようです。お天気も回復し、雲の切れ間からの穏やかな陽射しを背景に、泉のようなピアノの美音の噴水を堪能しました。

コメント

魔法の言葉

2007年08月04日 08時57分30秒 | Weblog
ある日本人女性が、日系オーストリア人の男性と結婚したそうです。何度目かの結婚記念日にケーキを焼こうとした若い奥さんが、誤ってお気に入りのガラス製ケーキ型を取り落とし、割ってしまったとか。大爆発(?!)する奥さんに、若い夫がとっさに言った言葉が、ドイツ語で
"Scherben bringen Glueck" (破片は幸せを導く)
だったそうです。

いい言葉です。子供に限らず、人はパニックに陥ることがあります。そのときにかけた不用意な言葉のおかげで、時として長くうらまれたりすることさえあるほどです。ガラスを壊したときに発する、ドイツ語に伝わる古い言い回しには、昔の人々の智恵が感じられます。

そういえば、古来日本でも言っていました。子供が転んで泣きだしたとき、
"痛いの、痛いの、飛んでけ~"
と歌うように言うあれも、実はパニックに陥った子供にかける魔法の言葉の一種なのでしょう。ある種の言葉の、不思議な力です。
コメント

文筆に目覚めたかな?

2007年08月03日 06時29分44秒 | ブログ運営
だいぶ昔の話ですが、高校に入学したての頃、進路希望調査というのがあり、将来の職業というらんに記入するようになっていました。たしか、雑誌の編集者か、自然科学者と書いたような気がします。担任から、理系と文系に分かれるので、どちらか一つを選べ、と言われ、より好きそうな理系を選んだために、以後、雑誌の編集者にはなれませんでした。
ですが、不思議なもので、現在私が継続しているこの「電網郊外散歩道」というブログは、まぁ一種の雑誌のようなものです。写真もけっこう入っていますので、総合雑誌ではなくグラビア雑誌に近いかもしれません。
音楽・読書・コンピュータ・散歩・週末農業など田舎暮らしというジャンルは、さしずめ団塊中高年のちょい下くらいの年代の共通項かもしれません。これらに関するエッセイふうの文章を書き、デジカメ写真を掲載する、これは高校生の頃に憧れていた「雑誌の編集」そのものです。違うのは、経営のための経済的苦労や、広告のために筆を曲げる必要がないことくらいでしょうか。



ブログ記事を継続して三年目も半ばを過ぎ、理系の固い文章も少しはほぐれて来たでしょうか。近頃、文筆に目覚めたような気がします。べつに、文筆家として立とうとか、そんな大それたことではなく、写真と文章で、なにがしかの継続ができそうだ、という見通しができるようになった、ということです。Weblogという形式が、自分の性分にあっているという気がします。高校生の頃の進路希望は、案外自分自身をよくとらえていたのかもしれません。

写真は、先日購入して妻への土産にした胡蝶蘭です。人工的ですが、造花ではありません。きれいな花ですね。
コメント (2)

台風が上陸、当地もたいへんな暑さです。

2007年08月02日 21時12分49秒 | 季節と行事
台風5号が、宮崎県に上陸したそうです。低気圧が北海道方面にあり、台風が運んで来る高温の湿った空気が流れ込み、山形地域もたいへんな暑さでした。人間にとっては、東北地方と九州地方はだいぶ離れていまるわけですが、台風の視点では写真のようにほんのわずかの距離です。いわば、鳥瞰する視野です。しかし、被害を受ける側にとっては、たまったものではありません。特に、先の地震の被害を受けた地方の方々には、二重・三重の痛手となることでしょう。早く台風の勢力が弱まり、あまり激しい雨を伴わず、通過してくれることを祈るばかりです。



写真は、涼しいところを探す天才、夏でも毛皮を着ている、わが家の母ネコです。爪とぎの上に寝ています。まだ少~しマタタビの匂いがするのかな?
コメント