電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

同じ曲を何度も記事に取り上げることについて

2007年08月08日 06時19分48秒 | クラシック音楽
クラシック音楽のブログを何年も継続しているうちに、同じ曲を何度か記事に取り上げてしまうことが起こります。好きな曲は、日常的に何度でも繰り返して聴きますから、どうしてもその可能性が高くなりやすいものです。

KechiKechiClassics の 林 侘助。さんは、自分の体調やその時々の状況・気分によって、受ける印象や演奏評価がずいぶん違うことを、率直に、何度も語っています。変わることの自覚ーこれは、同じ曲・同じ演奏を何度も取り上げる根拠として、正直で強い理由だと思います。

「クラシック音楽のひとりごと」の mozart1889 さんは、同曲異演を取り上げ、その演奏や録音の特徴を、時々の身近な出来事とともに綴ります。同じ曲でも、演奏が異なれば何度でも取り上げるーこれもまた説得力があります。最近は、自分の備忘のために、記事の末尾に自分の記事のリンクを掲載し、「うっかり二重掲載」防止を心がけておられる(*)ようです。
(*):ブラームスのピアノ協奏曲第1番~ゼルキン(Pf)、セル/クリーヴランド管

私の場合は、同じCDを二重に掲載することがあります。はじめは「通勤の音楽」として聞いています、という身辺雑記ふうのもので、次に音楽を正面から取り上げ、感想や録音データ等の記録をまとめます。

このように、同じ曲や同じ演奏を何度も記事に取り上げることはありうることです。ついうっかり「同曲・同演奏」を何度も記事にしてしまうことはちょっぴり恥ずかしいですが、感想も年代や環境によって変わりうるもの。意図を持って何度か取り上げることには、じゅうぶん一貫性があると思います。

写真は、今が花盛りの凌霄蔓(ノウゼンカズラ)です。ぽとりと落ちた花が地面をうずめ、けっこう迫力がある花です。漢字ではこんなふうに書くのですね。
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