もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

毛利元就系譜

2011年09月11日 | 歴史探歩

 大内氏の墓所を訪ねたら、急に毛利元就の墓所も尋ねてみたくなった。
  そこで吉田郡山城近辺をふらっと…
 ちょっとタイトルは大袈裟ですが、ダイジェストのダイジェストでどうぞ!

 

 毛利氏の系譜を遡れば、源頼朝の重要ブレーンであった大江朝臣広元にたどり着く。
 鎌倉のヤツ(谷間)の一角にある、大江広元の墓所。
 これは以前訪ねた時の資料映像です。

 

 一説では元就の生誕地と伝わる鈴尾城(福原城)。
 母の故郷でもある。

 

 右が父毛利広元、左が母(福原女)の墓だと云う。
  場所は元就が家督を継ぐ27歳まで過ごしたとされる、多治比猿掛城の中腹にある。

 

 吉田郡山城を俯瞰する。
 周囲を川と谷が取り巻いており、山城構築には絶好のポジションであることが分かる。

 

 中国地方の覇権をかけて争った、宿敵尼子氏が陣を張った“青光井山”。
  向かい合う郡山城に立て篭もった毛利勢:3千と、尼子勢:3万が半年に亘って、激戦を繰り広げたと言う。
  両陣営間の距離はおよそ1キロ程か?

 

 墓所への道に建つ大鳥居、長州藩の祖先として崇められているのか?

 

 元就の墓、墓石はなく右側の枯れた木がお墓。
 この日(9月9日)もお掃除の方が、周囲を綺麗に掃き清めていた。

コメント
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