行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2010年1月31日(日)の日記

2010年01月31日 | 日記

午前中にポタリングのレポートを仕上げて、屋根裏部屋自転車ページにUPする。

昼頃に葛西のなじみの床屋へ散髪に行く。葛西へ行くので昼飯は環七通り沿いのうどんのおたふくにする。

釜あげうどん定食を食べる。ここの釜あげうどんは気に入っている。

ブルーレィディスクでもう一つ買っておきたいと思うものがあったので、Amazonに発注したのが昨日届いた。1993年公開の「ゴジラvsメカゴジラ」。

「ゴジラvsビオランテ」(1989年)は映画館へ見に行ったが、そのあとの「ゴジラvsキングギドラ」、「ゴジラvsモスラ」は見に行かず、3作ぶりに映画館で見たのが「ゴジラvsメカゴジラ」だった。

この映画でどこが印象に残ったかというと、最初のほうに端役で登場する中山忍。

スーツにめがね姿の女性エンジニアという役だが、パッと見て
「うわ、この子、可愛いな。」
と思ったのだった。

中山忍はこの5年ぐらい前にアイドルデビューしたときに、雑誌の表紙に載ったりしているのを見て名前は知っていたし、刑事ドラマに新人女性刑事役で出ているのをチラッと見たこともある。だけど、このときは誰だか分からず、無名の新人女優だと思った。

好みのタイプの女優がまだ無名のときに特撮ヒーローものや怪獣ものに出ているのを見つけ、世間に先んじて注目していたことに喜びを感じるのが自分という人間なのだが、1984年以降のゴジラシリーズで注目したのは「ゴジラvsビオランテ」の鈴木京香と、「ゴジラvsメカゴジラ」の中山忍だった。だけど、中山忍については無名の新人と思ったのは大間違い。

中山忍が1988年ごろにアイドル歌手でデビューしたとき、何かの雑誌の表紙で見て好みのタイプだと思ったが、紹介記事を見て冷めた気持ちになったのだった。すでに有名だった中山美穂の妹と書いてあって、つまりは姉の七光りデビューだったわけだけど、自分も若かったから七光りのようなものはあまり好きではなくて、冷淡な目で見てしまっていた。そして、「ゴジラvsメカゴジラ」の端役で気になって、この2年後の「ガメラ大怪獣空中決戦」で見て(劇場公開時ではなく少ししてからレンタルビデオだったが)、しだいにファンになっていった。

中山忍がアイドル歌手だったころにどんな歌を歌っていたかは知らなかったが、YouTubeが普及してから当時の映像を見て見ると、はっきり言ってヘタ。歌がヘタなアイドル歌手というと1970年代には浅田美代子や大場久美子がいたが、二人とも数年を経ずして歌はやめている。中山忍がデビューした頃もまだ、アイドルデビューは「とりあえず歌手で」というものだったようだ。いずれにしても中山忍が歌手をやめて女優に転向したのは、今も活動を続けていることを考えると正解だろう。「ゴジラvsメカゴジラ」のときは、芸能人としては多少のキャリアはあったが、女優としてはまだ無名な存在ということになるから、自分が無名の新人女優を見つけたと思ったのも、まったく外れではないということになる。

なお、「ゴジラvsビオランテ」の鈴木京香は名字も名前もない「スーパーX2女性オペレーター」だったが、「ゴジラvsメカゴジラ」の中山忍は「片桐ゆり」という役名が付いていて、劇中でもその名前が出てくる。それから、登場は最初のほうだけだと思っていたが、今回、見ていたら後半に一瞬だけ登場する場面があった。

 

この映画でもう一つ記憶に強く残っていたのは京都の場面。ゴジラが街を破壊しつつ進んでいるのに、手前の京都駅に新幹線が到着する。

ゴジラと新幹線というと、1984年「ゴジラ」で警察と自衛隊しかいない銀座・有楽町に新幹線だけが東京駅を発車してきてゴジラに襲われるという場面を思い出す。自分が見た映画館でも場内から失笑がおきた場面。この場面で興醒め気分にさせられた。推測だけど、1984年版の新幹線は東宝のお偉いさんが、ゴジラが新幹線を襲わせるのを先に決めてしまって強引に入れさせたのではないかと思っている。

その頃のお偉いさんなら、さらに30年前(1954年)の最初の「ゴジラ」に関わっているだろう。1954年にはまだ新幹線はないが、品川の八ツ山橋のところで東海道線の列車がゴジラの足に激突する場面がある。それで「(30年後の)今は新幹線時代だから、今度は新幹線を襲わせろ!」となったのではないかということ。でも、人がみんな避難した場所に新幹線だけが走ってくるなんて、あまりに不自然。1954年版は自分がまだ生まれる前だから、そんな時代なら情報も十分届かず、東海道線の列車に連絡が行かなかったのではないかとも思えるが、DVDでよく見て見ると列車が襲われる場面の前は八ツ山橋の上を群衆が避難している場面。テレビ放映はちょうど始まった頃だけど、劇中でラジオやテレビがゴジラ襲来を伝える場面もちゃんとある。鉄道だけに情報が伝わらないのも変だし、当時の国鉄関係者が見たら「こんな場面、絶対におかしい」と言っただろうと思う。トンネルが連続する山の中の区間なら、土砂崩れと出会い頭に遭遇するように怪獣と遭遇することもあるかも知れないが、都市部でそんなことは不自然だ。

お偉いさんたちが無理に入れさせたとしたら、まったく迷惑な話。その人たちは最初の「ゴジラ」の頃は、それまでにない新しい作品を世に送り出そうと情熱を燃やした若手だったのだろうけど、30年経てば時代の感覚からずれた老人。なまじっか思い入れがあるために、口を出しすぎたとすればそれは単なる老害としかいいようがない。

「ゴジラvsメカゴジラ」は1984年版から約10年後の作品。1984年ごろの偉い人たちも多くが引退していただろう。それで、この映画でゴジラが来ても新幹線が走っているというのは、それまで頭を抑えられていた若手が、最初の「ゴジラ」や1984年版の場面を皮肉ったギャグとして作ったのかも知れないと思った。これも含めてあくまでも自分の推測だけど。

「ゴジラが来ても列車は走る」という不自然で、あり得ない場面を見ていると、こんなことを考える。ゴジラシリーズを初め東宝特撮に出てくる自衛隊は「東宝自衛隊」と呼ばれているのだから、同じように怪獣が来ても走っている東海道線や新幹線は国鉄でもJRでもなく、「東宝東海道線」や「東宝新幹線」と呼んだほうがいいのではないかと。

 

それともう一つ、最後まで見たところで、公開当時、この映画で1984年以来のシリーズが打ち止めになると言われていたことを思い出した。それで映画館へ見に行ったのだった。「ゴジラvsビオランテ」からのレギュラーメンバーだった超能力少女-三枝未希(小高恵美)にラストで「さよならゴジラ」と言わせ、エンディングも海に去って行くゴジラへの惜別を感じさせるものになっていた。ところが実際はこの映画では終わらず、「ゴジラvsスペースゴジラ」と「ゴジラvsデストロイア」と2本作られてそこで打ち止めだった。

 

晩飯は大谷亭。年明け後では初めて。

ぶりの照焼き定食を食べる。

今日で1月終わり。ずいぶんと早い。明日から2月だけど、明日の夜には寒気が来て雪になる可能性があるらしい。昨日と今日は昼間はぽかぽか暖かかったが、まだまだ寒いのが戻ってきそう。