行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2010年1月10日(日)の日記

2010年01月10日 | 日記

今日は正月の旅行の間に録画しておいた映画を3本続けて見る。

最初は「電送人間」(東宝1960年)。自分が母親のお腹にいた頃作られた映画。

主役は事件を追う新聞記者役の鶴田浩二だが、事件の中心になる電送人間役は昨年(2009年)に亡くなった中丸忠雄。中丸忠雄というと1968年(昭和43年)、日本発の超高層ビル-36階建の霞ヶ関ビルができた年に作られたドラマで、霞ヶ関ビルの架空の37階に事務所を持つ私立探偵を主人公にした「37階の男」を思い出す。小学生のときだったが、初回放映と再放送も3、4回は見たと思う。その主人公役はかっこよかったが、「電送人間」での冷たい表情は最初ちょっと驚いた。

実はこの顔は本物のように見えるが仮面で、その下には大やけどを負った顔が隠れているというのが物語の後半で明らかになる。

中丸忠雄が電送人間になったのは、作品内の時代=映画が作られた1960年の15年前の終戦のときにあった。科学者を東京から長野の松代の大本営に移す任務のときに、敗戦のどさくさに紛れて金塊を盗もうとした上官たちに逆らって科学者とともに殺されたはずが実は2人は生き延びていて、科学者の研究していた物質電送技術で自らを電送して現れ、元上官たちに復讐していくという展開。

人間や物を別の場所にテレポーテーションさせるというのはスタートレック(最初のは1966年)のビーム転送を思い出すけど、SFではそういうのはもっと前からあったようだ。自分が見たことがあるのはアメリカの特撮ヒーローTVドラマの「スーパーマン」。1950年代(日本だと昭和20年代後半から30年代前半の時期)の作品だけど、1975年(昭和50年)頃に大阪の関西テレビが夕方の時間に放映していて、中学3年で高校受験の年だったが、けっこう気に入って見ていた。そこでも人間を電送するという話があった。電送人間と同じように電送した先で犯罪を犯しても、アリバイが成立してしまうという内容だったが、その電送は電話線と電話機+特殊な装置を使うというものだった。

だけど東宝の「電送人間」はストーリーを十分に練り上げずに作ってしまったという感が強く残る。特に白川由美演じるヒロインの扱いはまったくご都合主義で、見ているとどうしても突っ込みたくなってしまう。

電送の装置を動かすには絶対温度4度にしなければならないので冷却装置が必要になる設定。白川由美がメーカーの営業部社員役なのはいいとして、最初に殺された男と同じアパートに住んでいて、鶴田浩二の新聞記者が取材に来て廊下を歩いているときに、たまたまドアを開けてぶつかって知り合うというのは偶然過ぎ。ここまではドラマ、映画、漫画等でよくある話として何とか許容するにしても、次はやりすぎと思えた。会社帰りの白川由美が夜の人気のない倉庫街を歩いている。若い女性がそういう場所へ一人で来たりするのは危ないのに。そして、2回目の殺人を犯して警察に追われている電送人間と遭遇する。しかも、それより前に会社の応接で中丸忠雄と会って、無表情な冷たい顔にぎくっとする場面があったが、顔を見ても同一人物と気が付かない。そのあとは電送人間が第3の事件を起こすときのアリバイ工作で証人に使われたりするが、最後のクライマックスには全然登場しない。

一つ驚いたのは、中丸忠雄の元上官たちが経営している”軍国キャバレー”。男の従業員はみんな旧日本軍の軍服姿。だけどホステスたちの服がすごい。超ミニスカートのセーラー服姿。セーラー服と行っても学校の制服ではなく、水兵のセーラー服。実際にそうしたキャバレーがあったかどうかは知らないが、映画やテレビドラマはその時代を反映するものだ。終戦から15年経過した時代に、日本人が戦争の時代をどう捉えていたかを示す一つの資料といえるだろう。

ラストは電送人間の破滅で終わる。それが尻切れトンボのような終わり方だとか、いろいろ思うところはあるが、つまりはあまり心に残らない作品だった。

これに対して、高校か大学の頃にテレビ放映で中盤からしか見ていないのに強く印象に残っているのが「ガス人間第1号」。これも東宝で1960年の作品。

一つはその音楽。オープニングタイトル前に製作会社、つまり東宝の名前が出るところから鳴っているのが「ウルトラQ」(それに「ウルトラマン」)で耳にした音楽。劇中でも聞いたことのある曲が何度も流れ、「ウルトラQ」や「ウルトラマン」を見ているような錯覚を起こす。でも、「ウルトラQ」も「ウルトラマン」もこの映画より数年あとの作品だから、曲の流用ということになる。権利関係などいろいろとあるだろうにどうして流用できたのかと思えたが、「ガス人間第1号」も「ウルトラQ」も「ウルトラマン」も音楽担当が宮内國郎で、つまり同じ作曲家だったからということのようだ。

だが音楽だけでなく、この映画は登場人物が繰り広げるドラマも練り上げられたもので、かつて見たときも強い印象を受けた。特に八千草薫演じるヒロインが美しい。

日本舞踊の落ち目になった家元で、最後まで伝統を守り抜き、ガス人間とともに死んでいくという役だから滅びの美と言ったほうがいいかもしれない。

科学者の実験材料にされガス人間になった水野(土屋嘉男)は、意志の力で普通の人間体にもガス体にもなれ、ピストルで撃たれても死ぬことはない。そのため、自分を全能の存在のように思って、愛する春日藤千代(八千草薫)を助けるために銀行強盗を繰り返し、行員や警官に犠牲者が次々と出て行く。

警察は藤千代が舞踊の発表を行うホールに無毒・無臭の可燃性ガスを充満させ、ガス人間を爆殺しようとするが、ガス人間が電気回路を壊していたために失敗。しかし、ただ1人の観客、ガス人間・水野の前で踊りを終えた藤千代は、水野と抱き合いながら隠し持っていたライターを取り出して着火し、ガス人間とともに自爆する。

その直前の場面だが、藤千代にずっと付き従ってきた爺や(左卜全)は、藤千代がこれ以上の犠牲を出さないためにガス人間とともに死ぬ覚悟であることをすべて知りつつ、静かにその時を待つ。この人の表情が前に見たときも印象に残っている。なんとも言葉にできないほど。

50年前の特撮映画だが、特撮をあまり前面に出さず、このように人間ドラマを深く描きこんだ作品は他にはあまりないのではないかと思う。

あまり前面に出なかった特撮だが、最後にホールが炎上する場面が印象に残る。

昔、見たときも一瞬、実物のホールを燃やしたのかと思えた。そんなわけはなく、大きな縮尺のミニチュアで撮影したのだろう。テレビの円谷プロ作品で昭和40年代の前半に作られた「怪奇大作戦」にも、そうした場面があった。「呪いの壷」というエピソードで京都のお寺が炎上する場面。実際にあるお寺の大きい縮尺のミニチュアを燃やして、まるで本物が炎上しているようだった。お寺の檀家の人たちはさぞ驚いたことだろう。

「ガス人間第1号」や「電送人間」は”変身人間シリーズ”と呼ばれているらしい。正月の日本映画専門チャンネルの番組表には他に「美女と液体人間」も載っていた。これは20代の頃にテレビ放映を見たことがあるが、あまり面白くなかったので、今回は録画はしなかった。液体人間は核爆弾の放射能の影響でそうなったようなのだが、行動原理がよくわからない。復讐なのか単に殺戮を行なうモンスターとなったのか、ストーリー上、はっきりと示されることなく終わってしまっていた。白黒はっきりしないのは、ある意味、リアルなのかもしれないが。

3本目は「マタンゴ」(東宝1963年)。高校か大学の頃に特撮ものを特集した雑誌(かムックか)で読んだことはあるが、ずっと未見で今回初めて見る。

キノコ人間が大量に出てくるのは終盤で、それまではサバイバル・シミュレーションのような展開。心理劇的な話という印象が残る。ラストで主役の久保明が文明批判のようなことを口にするが、取って付けた感じ。

キノコ人間はもし子供の頃に見ていたら夜、トイレに行けなくなっただろうけど、後の時代のもっと進んだ特殊メークを見慣れた目には可愛く映った。

キノコ人間の声だけど、後の「ウルトラQ」のケムール人や「ウルトラマン」のバルタン星人の声だった。「ガス人間第1号」の音楽→「ウルトラQ」、「ウルトラマン」と同じパターンだ。

 

さて、昼飯はバイパスのラーメン屋友蔵えび塩そば

ここまでの分を夕方に書いて、夜は串揚げの喜多朗へ。

馴染み客として連絡先を登録してあると、いろんなキャンペーンのメールやはがきが来るが、この正月には年賀状が来た。持って行くとお年玉の串揚げ3本サービス。飲むほうはまず中生。

そのあと8本コース。ビールの後は地酒2種類の飲み比べセット。三十六人衆福祝のにごり酒。

8本コースのあとはアラカルトでカキたまねぎのり巻きウィンナー。あとは焼酎で薩摩古秘のロック。

そしてまいたけを1本食べて終わり。

次の日が休みの日曜の夜は楽しい。