日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

10の国から来ている、21人の学生たち。

2022-07-21 08:47:12 | 日本語学校

曇り。

「蝉」の声に送られるようにして、やってきました。暑いのは嫌だし、喧しいのも嫌。とはいえ、暑くない、「蝉」の声も聞こえないというのは…もはや日本の夏とは言いがたい(「花火大会」も中止が続いたし、「お化け屋敷」なんてのも、この二年ほど無かったようですが)。いやはや、人間というのは、全く身勝手でわがままな存在。

ここは日本語学校ですから、日本語を学びに来ているのは、異国の人たち。また日本国籍を持ってはいても、基本的に日本語とは関係の無い世界で育ってきた人たち。日本についてわずかなりとも知識のある人もいれば、全く知らないという人もいる。

彼の地では、経済的にある程度恵まれており、それ故に、天狗になっている人もいれば、そういう色が全く感じられない人もいる。語学に才能が見られる人もいれば、そうでない人もいる。

年齢も、留学生の場合は、だいたい二十歳前後から25歳くらいが一番多く、語学を教える上で年齢による気遣いは要らないのですが、在日の人となると話が違ってくる。年齢のばらつきが、かなりあり、40歳を超えて来ると、こちらとしても、教え方や内容を工夫したり、彼らの要求を理解した上で、こちらの望む方へ引っ張っていくという辛抱が必要になってくる。

また、(日本で)高校へ行きたいという人も、時々、親御さんに連れられてやってくるのですが、例えば、自宅で1人で勉強ができるか否かも鍵になってくる。暗記が勉強、テストは暗記したものを書くだけという教育を15年ほども受けていれば、字を書いて覚える、本を読んで理解するということがなかなかできない。別に責めているわけではないのですが、まず最初から、この手当てをしなければ、先には進めないのです。すぐに、「違うな」とこちらのいうとおりにできる人もいれば、何ヶ月経っても、授業中に、教師の顔を見ているだけという人も出てくる。

「日本ではこうだ」と素直に納得できれる人なら、まだ若いのですから、1、2週間くらいで「ひらがな」「カタカナ」は書けるようになります。それが、「ひらがな」が書けるようになるだけで二ヶ月以上かかる人もいるので、さあ、大変。書けるようになっても「50音図」上でのこと。「ひらがな」を遣って書かれている「日本語(単語)」は読めない。読めないから授業中、こちらが本を見るように指示を出しても、ずっと教師の顔を見ているだけということになる。

「みんな違うからいい。多様性は大切だ」とは、こういう場合、なかなか言えないのです。彼らは、日本で高校へ行きたいとやってくるわけですから。「ひらがな」「カタカナ」を覚えていれば、「数学」の初歩(小学校レベル)の計算に入れます。計算式はおそらくどこでも同じでしょうから。ところが、ここで、「分数」が判らない、「小数点」が理解できないとなると、用うべき日本語がわからないので、教えようがない。まずは、「『ひらがな』を覚えてね。そして読めるようになってね」で、停まってしまう。親御さんは判らないでしょうね。自分の子供は優れているとは思わなくても、普通だと思っていますから。どこの国でも、教育レベルは同じだと思っていますから。異国で基礎的な知識を学ぶことの難しさが理解できない。で、子供だけが苦労すると言うことになる。

以前、中国人の留学生が、「国では数学が全然判らなかった。教えてもらいたい」といいに来たことがあったのですが、「中国人の先生に、中国語で教えてもらって、判らなかったのに、日本人の先生に、日本語で教えてもらって判ると思うか。日本語と中国語とどちらの方が上手なんだ」と詰問調で言ったことがあったのですが、中学を卒業するかしないかの人に、さすがにそれは言えません。

もとより、一番大切なのは「本人にやる気があるか否か」ということなのですが、やる気があっても、自分を過大評価している人もいて、現実を認識するのに、半年以上もかかる場合があります。

留学生の中には、頭がいいなと思えても、成功体験が邪魔をするのでしょうか、彼らの国の勉強方法から抜け出せず、日本で望むような仕事に就けない人が出てきます。遠回りして、やっとあきらめがつくというのは、可哀想は可哀想なのですが、素直にこちらの話を聞かなかったからだと腹立たしく思えてくることがあります。一見、迂回しているように見えても、こつこつと漢字を覚え、文章が読めるようになった方が勝ちなのです。

異国に来て、そこで何事かをやろうと思うならば、まずは言葉でしょう。言葉がわからねば、その地の人と意思疎通を図ることも難しい。それに何よりも、日本のような土地では災害があった時にどうしたらいいかも判らないでしょう。彼らはあまり気にはしていないようですが。

それと、現地の習慣というか風習ですね。それを文化と捉えて、知ろうとしてほしいのです。土地の習慣とか風習などは、その風土と深い関係があり、その地の人たちの考え方にも影響を与えています。その地の人を理解し、より楽に生活していきたいと思うなら、それが一番手っ取り早いのです。

ここ二年ほど留学生が入ってこられなかったので、今は留学生が今年の四月生だけです。在日生と合わせても、いつもの三分の一ほどでしょうか。それでも現時点で、21人が様々な目的で学んでいます。彼らの国籍も、ベトナム、スリランカ、パキスタン、ネパール、フィリピン、インド、バングラデシュ、イラク、コロンビア、シエラレオネと10カ国に及び、宗教も民族も様々というか、バラバラです。

とはいえ、あっちに気を遣えば、こっちが困るというふうに気を遣いまくりということはありません。彼らが求めているのは「日本語」であり、「日本に受け入れられる」と言うことなのでしょうから、(勿論、その深浅は問いません)、私達が手当をするのはその一点だけ。後は問題が起きた時に考える…くらいでしょうかしらん。気にし始めればきりがありませんから。

「麻に添う蓬は矯めざるに直くなる」とも言います。もちろん、こちらは日本語を教える立場ですから、この「直くなる」を「文字を覚える」ほうに解釈していますが。

「話す」「聞く」ができれば、日本で簡単に仕事が見つかると思い込んでいる人も、週一の漢字テストに、真面目に取り組み、懸命に漢字を覚えようとしている人たちの中に入ると、変わってきます。最初は「(自信が崩れて)おかしいな、変だな」とオロオロとし始め、次に「これじゃ、いかんのかしらん」と考え始め、皆を真似し始めます。それで終わりというわけではなく、根気があれば、うまくいくでしょうが、年が長けていると、それも難しい。とはいえ、曲がりなりにも、多少は、文字を覚えようとする。

こういう人の場合、覚えるのに順序などないのです。好きな「言葉」、或いは「内容」、「物」が「ひらがな」で書ければいいのです。そのうちに、「カタカナ」が書けるようになるかもしれませんし。折りがあれば、簡単な「一」「二」「三」くらい入れてもいい。「カタカナ」が書けようになっていれば、「今」くらい入れてもいい。「『屋根』の絵を描いて、カタカナの『ラ』で出来上がり」です。それも「ついで」で教えればいいのです。何かの機会があれば、その時々に一つだけ。一つでも漢字が書ければ、それだけで日本人との話が弾みます。

日々是好日
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