日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「新入生の面倒をみる『先輩』」。「偏見」。「日本の『価値観』に揃える理由」。

2009-02-02 08:04:35 | 日本語の授業
 もう、二月です。「一月はいぬ。二月は逃げる。三月は去る」とも言いますから、きっと直ぐに、四月になることでしょう。本当に月日の経つのは速いこと。

めじろ

先週の金曜日のことです。「おしゃまさん」の一人が、また、授業開始直後に、バタバタバタと怒濤のような勢いで階段を駆け下りてきました。最初の「バ…」の音を聞いただけで、みんな、直ぐに、だれが来たのか判りました。

 ところが、バーンとドアを開けるなり、
「先生、私は悪くないです。ホントです。私は悪くないです」
「先生、○○さんが、遅いです。出るのも遅いです。歩くのも遅いです。」
「ああ、もう、先生。私は大変でした。先を歩いて、また、停まって、待っています。○○さんが来たら、また、先を歩いて、来るのを待っています」
「ああ、本当に時間がかかりました。○○さんは、自転車に乗れません。だから、私も歩いてきました。トッテモ時間がかかりました。(歩いても、それほどの事はないはずなのだけれど…。学校の寮なのだから)」

「先に来ればよかったのに」
「でも、先生。道をまだ覚えていないと言います。もう一人の△△さん(『午後の授業』の学生です。同室者)は、まだ起きていません(この、△△さんというのは、タンザニアの学生が来るまでは、朝の10時頃、学校へ来て自習室で勉強していました。彼女も、一月に来たばかりの学生です。中国の短大では、英語を専攻していたそうです)」

 ここで一言付け加えますと、○○さんというのは、タンザニアから来たばかりの学生で、することなす事、何でも遅いのです。投げやりな態度というわけではないのですが、まだ、「アフリカタイム」なのです。日本に来たばかりですから、しょうがないといえば、しょうがないのでしょう。が、日本に、就学生として来て、そして、一年ないし二年を、アルバイトをして過ごしながら、こちら(教師側)の要求通りに(勉強を)頑張らねばならないと覚悟している中国人の学生からしてみれば、きっと、信じられないほど、「適当」に見えたことでしょう。

 (この、高校を出たばかりの、中国人の)彼女とは、中国にいる間に、私たちは会っています。日本では、どういう暮らしが待っているかから説き始め、中国にいるときと同じように考えていたら、一人ではやっていけないという厳しい現実も伝えてあります。「それでも、頑張って大学に行こうというのなら、来なさい。そうでなかったら、中国でのんびりみんなに囲まれて暮らした方がいい」とまで言ってあります。

 だから、他人事ながら、「これでいいのかしらん」と思ってしまうのでしょう。面倒見のいい子ですから、そばでヤキモキするだけでなく、言葉が通じたら、お説教くらいはしてのけるかもしれません。

 タンザニアの彼女にも、日本に知り合いがいます。その人には、就学生の暮らしのことは伝えてありますが、さてどうなのでしょう。彼がそれをどこまで理解しているのかも、私たちには判りませんし、彼女が来てから、問題が生じた場合、どこまで手伝ってくれるのかも、私には判りません。一応、面倒はみるという約束をしたから、私たちも受け入れを考えたのですが…。もし、それを伝えるべき人が、誤った情報を流していれば、(彼女も)なかなか変われないでしょう。何年日本にいようと、アフリカにいるときのままでしょう。

 そういえば、その前の日も、
「先生、夜、大変でした。夜の10時まで帰ってこないのです。心配で心配で…。だって、道が判らないのかもしれないし、困っているかもしれません。来たばかりだから…」
「大丈夫。タンザニアから来た同級生がいるはずだから。」
「でも、心配です。何にも手につきませんでした。帰ってきてホッとしました」

 今「Bクラス」で、来年の三月までに「大学合格」を目指すという「おしゃまさん」達は、タイプこそ違え、彼らなりのやり方で、他の人の面倒をみることができるように、私には思えます。それは、「幹部」で、「指導者として指導する」という、日本人には「嫌み」にしか見えない態度で、そうするというのではなく、友達として「面倒をみる」のです。

 先ほどの「おしゃまさん」は、新しく来た学生につきあって、市役所へ行ったり、買い物につきあってくれたりしました。心から「大丈夫ですか」と、聞き、また、相手の心に沿おうと努力している姿は、涙ぐましいほどです。

 もう一人の「おしゃまさん」は、勉強の時、他の学生の手伝いをしてくれます。口数は少ないのですが、一番しっかりしている子でしょう。判断力が既についています。

 もう一人は…、少しずつですね。最初は自分の事も出来ないふうで、ちょっと心配していましたが、いつの間にか、自分でアルバイトも捜せるようになりましたし、断りも言えるようになりました。新しい学生が来たら、自分の経験から、アドバイスをすることができるようになっていることでしょう。

 うれしいことに、この三人とも、他の国から来た人に対する偏見がありません。アフリカから来た学生に対しても、インドから来た学生に対しても、他の人と同じように接することができます。それは、普通、中国で大学を卒業してしまった学生には、あまり期待できないことなのです。高校を出て直ぐに、日本へ来、日本では、自分も、彼らと同じ外国人なのだということが、まだ頭の柔らかいうちに実感できたからこそ出来ることなのかもしれません。勿論、ある程度の「知性」抜きには、考えられないことなのですが、

 彼らはこのようにして、この学校で、様々な国の人達と友達になり、そうして、大学へ行き、大学でも世界各国の人達と友達になり、中には日本で大学院へ行く人もいるでしょうし、アメリカへ行きたいという人も出るでしょう。そこでも、この学校で机を並べていたように、世界各国の人達と机を並べ、友達になれることでしょう。

 勿論、誰でもいいと言うわけではありません。民族が違えば、習慣も違います。物事に対する価値観も異なります。この学校では、この学校の学生全員に、それを、日本での価値観に、揃えてもらいます。この学校にいる間だけは、揃えてもらいます。それができないようでしたら、この学校にいてもらっては困ります。揃えた、その上で、自分たちのところではこうなのだと語ってもらえばいいのです。

 他国や他民族の習慣は尊重しますが、この学校にいる間は、それを強く出してもらうのは、お断りです。そうしなければ、この小さな学校で、だれもが、安心して、「日本語を学ぶ」ということが、できなくなるからです。

日々是好日
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