日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「(火山の)噴火、地震、津波」。「自然への畏敬、畏れの心」。

2011-01-28 09:52:23 | 日本語の授業
 先日、こちら(行徳)の乾燥を嘆いたところ、北京の友人から「贅沢だ。北京は東京なんかよりもっとひどい。去年の十月末から雨が全然降っていないのだから」というメールが届きました。私たちが、「東京はカラカラ砂漠だ」と言っているのとはまた違った感覚で、「北京はカラカラ砂漠だ」のようなのです。

 もちろん、日本は雨が多く、北京など中国内陸部に比べれば(日本人がいくら嘆いても)、嘘のように穏やかな気候に恵まれています。とはいえ、これは、絶対的な評価というものではなく、体感的な、相対的なものですから、日本人にとっては、二週間ほども水気がなければ、もう「乾燥だ。カラカラだ」と喚かねばならないということになってしまうのです。

 で、北京ですけれども、大変ですね。自分が北京に住んでいた頃には、確かに乾燥していましたし、それにも驚きはしましたが、もっと驚かされたのは、零下でも寒くないということでした。

 日本は湿度が高い分、下から寒さが攻めてきま。ですから、気温とは無関係に、たまらなく寒いのです。北京などで、零下五度くらいであれば、(もちろん、条件はつきます。晴れており、しかも風が吹いていないという条件ですが)凍った頤和園の湖を見ながら、今日は暖かいねなどとほざくことも出来たのです、底冷えのする日本と比べれば。

 しかしながら、追憶の彼方にある北京と、今そこに存在している北京とは違います。人間というのは幸いなことに、辛いことは忘れ、楽しかったことは覚えるというふうにできています。(そうしなければ、明日に向かって生きていけないのですから。これも、人に「時を自由に行き来する能力」を与えた神様の恩寵でしょうか、それともせめてもの情けなのでしょうか)。

 北京のような乾燥地帯で、しかも例年よりも雨が降らぬとあれば、水も不足しがちになるでしょうし、何やかやと不自由なことも増えていくでしょう。とはいえ、そこにもう、住まいを買ってしまっていれば逃げることも出来ない…というのは、日本人の考え方です。

 中国では、土地は国のもので、人民は国から土地を借りているだけですから、貸借期間が過ぎれば、返さなければならないのです。しかもバブルのように値はうなぎ登りで上がっていますから、貸すことで、買った分を取り戻すこともできるでしょう。

 で、その間、どこへ逃げるか。私が中国にいるころからすれば、かなり便利になっているでしょうが、やはり逃げ場はないような気がします。日本では逃げ場にまだ選択肢があるのですが、中国の場合、かなりの金を持っていても、難しい。人縁がなければ、金はどこかで巻き上げられ、まだ北京に住んでいた方がましだったということにもなりかねません。それに北の方はどこでも乾燥して、パリパリ、バリバリ、ギスギスしてるでしょうし。

 と、そんないい加減なことを考えていたら、日本の大地が、「こっちだって、馬鹿にするでない」と噴煙を上げはじめました。霧島山系新燃岳です。今朝のニュースによりますと、火砕流まで発生していたようですから、今更ながら火山列島ニッポンを意識させられてしまいます。

 火山の噴火、地震、津波。昔からのこの「三セット」により、できあがった島、ニッポンは、人間などより、ずっとずっと古くからこの循環を繰り返してきました。だから、人という存在は、ここをかりそめの宿として、ただご厄介になっているだけなのです。ですから、宿主に遠慮しながら生きていかねばならぬわけで、ご機嫌を損じさせぬように憚りながら生きているのです、日本人というのは。

 それを、金があるからといって、我が物顔で、畏るべき大地を買いまくり、日本の大地に取り返しのつかぬ傷をつけるような振る舞いをされては困るのです。そんなことをすれば、すぐにでも、そこの下からマグマが湧き上がり、その人の建物やら施設やらを木っ端微塵に吹き飛ばしてしまうでしょう。

 まあ、これも神風に期待しているようで、言っておきながら、どこかしら後味が悪い思いは抜けきらないのですが。

 内モンゴルの大地を見てもわかるでしょう。何千年、何万年と、昔からそこに住んでいた人達は、その大地に相応しい生き方をしてきました。「相応しい」というとおかしなこととお思いになるかもしれませんが、大地が許してくれた生き方ということです。土を穿り返してはならぬという掟を守りながら。

 これは、昔から自然と共生していくための、優れた知恵でした。そこには「畏れ」という心があります。それを神と称んでもいいし、「天」と称んでもいいし、また「自然」と称んでもいいでしょう。

 近代人が、一度は忘れ、そして今、それを呼び覚まさねばとされている存在のことです。まあ、日本も「高度経済成長」のころは、一度愚かにも、それを忘れてしまいました。そのために多くの犠牲を払いました。ただ、忘れて愚かな行為をしたのも、それを反省したのも同じ日本人で、いにしえからの則は、体の芯にへばりついていますから、思い出すと後は共通理解で走ることができます。それが出来ない人達が壊すと、多分、その人達は後悔とか反省とかはしないでしょうし、元に戻すなどということもしないでしょう。

 「あっ。もうだめか。この土地もつまらんな。じゃあ、別の土地に行こうか」で終わりです。そういう人達とは一緒にやってはいけません。少なくとも、この大地に責任を持ってくれる隣人と暮らしたいものです。

 日々是好日
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