ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

長崎(15)~夕暮れ

2016年09月26日 07時29分04秒 | 長崎


船に乗るころはもう夕暮れ。

伊王島から遠ざかる。



波を見るとつい写真を撮りたくなるけど、たいした写真撮れなかった。















多分漁船を修理するための造船所。
長崎には大きな造船所だけでなくこのような小さな船を作る造船所もいくつかある。



女神大橋とその向こうは地続きになった香焼と三菱重工の大きな造船所。



グラバー邸。



大浦天主堂



そして大波止に着いた。
ターミナルの屋根に夕日が当たっていた。



こうして長崎の旅は終わった。
夜は例によって大いに呑んで、翌日の朝、長崎を出たのだった。

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長崎(14)~伊王島

2016年09月26日 03時25分26秒 | 長崎


さて、再び伊王島に着いた。
ここは高島よりもずっと大きい島で、自転車で1周するにはちょっと時間ないかなぁ~

ここは昔は高島や端島と同じく炭鉱の島。
でも今ではリゾートの島に生まれ変わっている。
端島は炭鉱の化石、高島は炭鉱の影を残すもののリゾートの島として何とか生まれ変わろうとしている。
そしてこの伊王島はもう炭鉱の面影はない。
帰りのここに寄ったのは風呂に入って、休憩所でビールを飲んで帰ろうと思ったから。



船が伊王島に近づくとまず目に入るのが教会とリゾート施設、昔と今、そしてその対比。
長崎港外の島々にはこのようなゴシック風な作りの教会がよく目につく。
他所ではあまり見かけない風景だ。
この教会もいいけど、島の北には昔もっと古いいい感じの教会があったけど、今はない、愛知の明治村に移された。
明治村には魅力的な建物がいっぱいあるけど、1~2度行くもういいや!という気になる。
古い建物はその地にあって、人が暮らして生きるもの。
建物の化石を見ても少しも面白くない。
子供のころは南山手にはかなり荒れてはいたものの洋館がそのまま残っていて外国人も住んでいた。
日本人と欧米人と中国人が一緒に暮らしていた町、それが長崎の魅力だった。
でも今ではたくさんの洋館が壊されて一部の洋館が移されて一か所にまとめられた。
それがグラバー園。
昔の長崎を知ってる人間には今のグラバー園は明治村と同じく建物の墓場だとしか思えない。
なんの魅力も感じない。
愚かな市長たちによって破壊された町。
それが今の長崎・今の南山手なのだよ。



伊王島には俊寛伝説がある。
平家打倒の陰謀がばれて俊寛は鬼界ヶ島に流される。
同じく流された藤原成経と平康頼はやがて許されて、都に戻る。
でも俊寛は謀議の張本人とみなされて鬼界ヶ島で怨念をもちつつ朽ち果てる。
能に小説に数多く取り上げられた俊寛伝説。
その鬼界ヶ島と言われているところ。
他にも鬼界ヶ島の候補地は鹿児島の喜界島や硫黄島などいろいろある。
でも今じゃそんなことわかりはしない。
墓を掘ったら「ここが本当の俊寛終焉の地鬼界ヶ島である」なんて墓碑銘が出てくるわけないし、
そんな墓碑銘が出てきたら、逆にこれは怪しい、と思われるだろう。
まあこんなもの、言った方が勝ち、言い続けたほうが勝ち。

*領土問題だってただ言い続けたらいい。
 国境の線引きなんて力関係で決まるのだからね。
 だから過去の歴史なんてどうでもいい。
 軍事力、経済力で圧倒したらいい。
 竹島や北方4島でも逆カードを使えばいい。
 こちらに都合の悪い話になったら、すぐに領土問題を持ち出して話をもどして、
 わずかな島を不法に占拠してどれほど損をしているかわからせたらいいだけだ。
 過去の歴史資料を持ち出してその正当性を主張しても何の解決にもならない。
 そんなものいくらでも改竄できるのだから、
 相手はずっと改竄してきたのだから。

いやいやこんな話ではなくて伊王島の話。
ここには噂のリゾート施設ができていると聞いたので、
温泉に入り、休憩所でビールを飲んで帰ろうと思ったのだ。
風呂は思ったほど大きくはなかったけど、それなりに満足して入り、
さて・・・次はビールで休憩・・・と思ったけど、
休憩所は3時まで!
普通のレストランはあったけど、湯上り気分で寝転んで、そんなところで飲みたかった。
でも3時まで!
どうやらここは午前中にきてゆったり釣りをしたり自転車で島めぐりをして、
昼食をとり風呂に入ってビールを飲み3時ころには帰る、
そんなパターンの施設らしい。

というわけで湯上り後の長い時間をむなしく過ごした。
そして家族で来てる外国人の釣り客が目立つ。
でも釣り上げてる姿はほとんど見ない。
わざとつれない竿を貸してるのかな?
でもまあそんなことないだろう。
ついた時にはほとんど見なかった魚の影も、
日が落ちるころ桟橋からたくさん見えた。
肴が、いえいえイカもいっぱい泳いでた。
釣りたいなぁ~
底にはウニもいっぱい!
とりたいなぁ~
とっても気になったので、桟橋で働てれる人に、このウニ食べれないの?と聞いたら、
たまにとる人もいるという話。
地元の人はあまり食べないんだ~
きっと中の実が少ないのだろうなぁ~

やがて、そのうち、やっと、船は来たので乗った。


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長崎(13)~高島(2)

2016年09月24日 04時23分28秒 | 長崎


さて高島に着き港のターミナルで電気自転車を借りて高島1周。
途中海水浴場などを通り過ぎて、
炭鉱跡という看板があったなぁ~なんて思いながら、これも通り過ぎて、
最初に着いたのはグラバー邸跡。
長崎市内の南山手のグラバー邸が有名だけど、ここにもグラバー邸があった。
跡・・・だけど。
グラバーは日本で最初の近代的な炭鉱、高島炭鉱の開発をした人。

このグラバー邸跡を見ると、長崎のブラバー邸と同じように、西洋人の発想がよくわかる。
景色のいいところに家を建てるという発想が。
日本人は山影、風の当たらないところに建てた。
台風の時は大変だっただろう。





高島は無人島ではない。
港に近くのアパートにはそれなりに人は暮らしている。
でもちょっと中に入ると、一つの棟に1~2軒。
夜は寂しいだろうし管理も大変だろう。
1戸建てに移ったらいいのにな・・・なんて余計なことをついつい思う。





軍艦島。
ここから見ると軍艦というよりも輸送船。





道路沿いにたくさん並べられていた鉢にきれいな花が咲いていた。
えっ、これハイビスカス?
ハイビスカスは亜熱帯というイメージがあって、露地に咲いているのが不思議。
高島の観光パンフレットにもこの花の写真がいっぱい写っていた。
念のためターミナルの案内の人に聞いた。
「この花なんですか?」
「あじさい・・・かな?、あまり花に詳しくないもで・・・」
詳しくなさすぎ!
こいつ花というとアジサイしか知らないのかな?
(パンフレットに映っている写真の名前くらい覚えとけ!)
他の女の人にきいた。
怪訝な表情で「ハイビスカスですが・・・」(それが何か?)
と当然のように答えた。



九州は南国というイメージが強いが、北部九州は本州の西部とそんなに温度は変わらない。
調べたらハイビスカスはむしろ夏の高温に弱いらしい。
としたらここでもそだつのかな?



ハイビスカスのシベ。
まるで別の花のよう。





高島ではゆったり過ごして、伊王島に戻った。
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長崎(12)~高島(1)

2016年09月23日 03時02分11秒 | 長崎


伊王島で乗客の半分以上が降りて、いよいよ船はこの高島に着いた。
伊王島は帰りに寄るので、まずは高島に上陸。

長崎の港を出ると、
高鉾・・・鼠島・・・神の島・・・香焼・・・伊王島・・・高島・・・端島、と魅力的な名前の島が続く。
でも高島、端島となると、きっと名前をつけた人もいい加減疲れたのだろう。
高島は低い山しかないけどそれでも高島。
端島に至っては単に一番端の島というだけ。
端島はもともと岩礁、島でさえなかった。
それが軍艦島という名前をもらって全国的に有名になった。
*実は高島と端島の間にもう一つ小さな島がある、それは中の島。
 全国どこにでもある、大島・小島・中の島の中の島。
 実にいい加減なネーミング!

この端島を過ぎるともう島はない。
(それでもあえて、勇気をふるって、真っすぐに、ひたすら真っすぐに、ただ真っすぐに、西に進むと、やがて長崎の島や半島が見えなくなる頃、西の方に、五島の島々が見えてくる)
今は船でも高速船だと五島は近いけど、昔遣唐使は小さな帆船で長い時間をかけて五島に渡った。
でもまだそこは日本、まだ日本。
そこからさらにさらに大海原を超えて唐に渡った。
どれほど心細かったことか・・・

さてところで長嶝の港外の島、香焼・伊王島・高島・中の島・端島はみな炭鉱の島。
そして今ではみな廃坑になっている。
炭鉱で働く人というと、なんか貧しい!かわいそう!というイメージを持つ人多いだろうけど、
じつはとっても豊かだった。
山田洋二監督の「家族」という映画では確か伊王島炭鉱で働いてる人が暮らていけなくなって北海道に移住する、というストーリーだった。
でも炭鉱は給料が高かったので、島では当時まだ全国であまり普及していなかった三種の神器、テレビ・冷蔵庫・洗濯機などがいち早く普及した。
それで長崎市が猫なで声で、「ねえ、いっしょにならない?」と誘っても
「知らんもんね~!」と相手にしてくれなかった。
そしてエネルギー革命がおこり、時代は石炭から石油に代わる。
香焼、伊王島、端島、最後に高島も閉山した。
このときさすがに高島の島民はあわてて長崎市に「ねえ、いっしょに入れて~」とお願いしたけど、
長崎市は「知らんもんねぇ~」(あんなに今まで誘ったのに!)
こうして高島の人たちは次々に離島して、日本で一番人口の少ない町になった。
そうしてようやく長崎市に入れてもらった。

高島は端島と違って無人島ではない。
面積も端島ほどに狭くなく、炭鉱施設やアパートなどが密集してるわけでもない。
香焼は埋め立てられて新興住宅地や三菱重工の巨大な造船所がある。
伊王島には橋がかかって、リゾート地としてにぎわっている。
端島は超密集した独特の景観で世界産業遺産として多くの観光客がやってくる。
でも・・・高島は・・・
きれいな海水浴場や宿泊・入浴施設などはあるものの、伊王島、端島とくらべてすべてが中途半端。
観光にリゾートに生きていこうという気持ちはわかるけど、苦労してるなぁ~とも思う。
でもそれでも観光客は来るのだ。
船の乗客の半分くらいは高島まで行った。
(そのほとんどは外国の観光客、あるいは多分日本に住んでる外国人のリゾート客)
無人島の端島、すっかりリゾートの島になった伊王島と違った魅力をもっとアピールしたらどう?
伊王島や端島のまねをしてもつまらない。
高島はまだまだ観光地として未開発、そこが魅力だ。

高島を貸自転車で1周してぼんやり次の船を待っていた。
そんな時、何かもう一つ欲しい!
美しい海、きっととれたての海産物は美味いだろうなぁ~
そんな海産物を肴に海を見ながらビールを飲みたいなぁ~
伊王島のまねしてリゾートの島にするのでなく、グルメの島、
たまには、高島で美味い物食べたいなぁ~!
そんなことを思わせるような島になってほしい・・・


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長崎(11)~長崎港

2016年09月20日 11時33分57秒 | 長崎
さて今回のお目当ての一つ長崎港外の島、伊王島と高島にいった。
9:30分頃、大波止のターミナルに着くと伊王島・高島行の船はなんと11:30分!
おいおい、待ちすぎ!

これだったら美術館を見に行く時間はあるな。
でもその前に、ここは気を取り直してエネルギー補給、缶ビールを買いに行かねば。
近くのショッピングセンターに行くと高~い!
第3のビールが140円代なのは許せない。
せめて120円。
われながら、いつもながら、せこいと思いつつも、酒のためなら妥協をしない。
繁華街まで歩いて行った。
そして2軒目でやっと納得できる値段だったのでビール1本と第3のビール2本買った、
そして大波止に戻ると、うむ、いかん!
美術館にいくにはちょっと時間が足りぬ。
それでうどんを食べたり、ビールを飲んだり、港を散歩したりしてして過ごした。



これは咸臨丸だったか観光丸だったか・・・
多分観光丸。
といっても勝海舟などのゆかりの昔の咸臨丸や観光丸ではない。
ハウステンボスが復元した船。
長崎の港によく似合う。



こちらは相変らず人気の軍艦島クルーズ。
客でいっぱいだった。
何年か前に行ったので今回はパス。
というか隣の高島で軍艦島(端島)の写真を撮りたかったのだ。



こちらは出島。
にぎやかになったけど昔はただ岸壁があるだけだった。
今は長崎駅が終着だけど、昔は次の駅があった。
それが長崎港駅。この出島だった。
でも出島も終着駅ではなく、次の駅があった。
それは上海。
出島で船に乗り換えて上海に行った。
というわけで当時の長崎市民にとっては東京や大阪は遠い遠いところだったけど、
上海は隣の駅だったのだ。
今も長崎駅から出島までの間に、線路があったんだなぁ~と思わせる風情が残っている。



こちらは長崎駅の正面の山。
中腹の大きな、長い建物が多分、最初の日に泊まったホテル「にっしょうかん」
バイキングは充実してたけど、呑み放題コースは値上がりしてたホテルだ。



間もなく出航。
軍艦島ツアーほどではないけど思って以上に客が乗ってた。
そしてほとんどが外国人だった。

軍艦島ツアーは船内放送や無料ボランティアの人達の丁寧な案内があるけど、
こちらは普通に客を運ぶ船、観光案内はない。高速でターミナルを遠ざかる。



すぐに右側に見えるのが大浦天主堂やグラバー邸(真ん中)やリンガー邸(右上)。
観光案内がないので旅行者は気づかないかもしれない。



高速船はますます調子に乗ってスピードを上げる。
ここはゆっくりのほほんと昔の大航海時代の雰囲気を味わってもらいたいところだけどね。



長崎の港を出ると、高鉾・・・鼠島・・・神の島・・・香焼・・・伊王島・・・高島・・・端島(軍艦島)と島が続いている。
江戸末期から明治にかけてたくさんの外国人が長崎に来て、「世界一美しい港!」とたたえた景観が続く。

 *あの「オブローモフ」の作者ゴンチャロフもプーチャンチンの一行とともに来て「日本渡航記」を書いている。
 ちなみにオブローモフはどうしようもないぐうたら人間。
 高校時代に読んだけど、まるで自分を見てるようだなぁ~なんて思った。
 その後このオブローモフのようにどうしようもない人生を送って今に至っている。

ところでこの島は鼠島。
昔は夏には海水浴場になった。
小中学生の水泳教室も開かれていた。
一度だけ参加したけど、泳ぎはまったく上達しなかった。
きっと教え方が悪かったか、この鼠島の環境が悪かったか、
原因は定かではないけど・・・
でももう今では鼠島は埋め立てられて陸続きになっている。



これは高鉾。
帽子のような形の島でよく目立つ。
ゴンチャロフはこの島を確か「パッペンブルグ島」と書いていた。(意味不明)



この(右側の)断崖からキリスト教の宣教師が突き落とされて殺された。
この話を聞いて、どうせ殺すのならわざわざ、しんどい思いをして上まで登らなくても首をはねたらいいじゃない?と思ったものだけど、そこには棄教させて命を助けてあげたいという、役人の善意もあったのだろう。
そしてこんな善意がしばしば残虐な刑をすることになる。
さらにそれに慣れると、次には残虐を楽しむようになる。
根っからの悪人ならこんな面倒なことはしない、すぐに首をはねる。
独裁者もたいてい小心、臆病な人間だ。

向こうの島は「神の島」
だいぶ前から陸続きになっている。
このように長崎郊外の島や岬にはよく教会があり、独特の景観が作っている。
そして島や岬に住んでる人はほとんどカトリック教徒だ。
今はどうだか知らないけど、長崎とその近辺には日本の4分の1のカトリック教徒が暮らしている。

ところでこの「神の島」の神はきっとキリスト教の神ではないだろう。
そうだったら江戸時代とっくに島の名前は変えられている。
ここには神功皇后の伝説もあるらしいのでそこら辺から来た地名だろう。
防波堤の風景が痛々しい。

神の島の次は香焼。
今は陸続きになり三菱重工の大きなドックがある。
(写真はパス)

こうして「世界で一番美しい港」はあちこち傷だらけ。
昔の港を知ってる人間には痛ましい景観ではある。

香焼を過ぎるとこの高速船はますます気合を上げて、調子に乗って、スピードをあげて、すぐに伊王島が目の前に迫ってくる。

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長崎(10)~出島

2016年09月20日 02時37分38秒 | 長崎
長崎に行くと必ず出島に行く。
出島は新地(中華街)のすぐ近く。
復元工事をしているので、どこまで進んだか、一応チェックに行かねば!と。
それに無料で見れるのがいい・・・
と思ってたらなんと有料になっていた!
う~~~~ん、勝手にこんなことを!しかも510円!許せん!
いったい10円なんて半端な値段、これは何だろう?
消費税でもなさそうだし・・・
それともやっぱり消費税?
うんうんそうにちがいない、
(あとで計算して)きっと入場料が472円で消費税の8%を入れると509.76円。
それを切り上げてちょうど510円になる。
うんうん、きっとそうに違いない、それできりよく472円になったのにちがいない・・・と無理やり思った。
しかし・・・入場料が472円、って???




この出島の中のミニ出島、出島の模型は昔からあった。
それ以外はほとんど田らしく作られたもの、
今でもあちこち工事中。
そうそう名所旧跡なんて作るものなんだよ。
(昔は観光客はほとんどいかなかった。でも今では観光客がいっぱい!)
でも同じ場所に同じように再現できたら、それはそれでいい。
出島の再現は長崎市民の悲願だったのだから。
そして昔のように再現できたら・・・でもどうもそうではないらしい。
出島の入り口・北側は川で削られているけど、それをもとに戻す予定はどうやらないらしい。
対岸への橋と入口などを再建する工事も始まっているけど、今の場所で進められている。
出島は周りが海で囲まないと再現とは言えないけど、裏の電車道や西側の道路などを削るのは難しそうだ。

ここはカピタン部屋。
前回来たときは確かできていなかった。







出島の写真はあまり撮ってないので、出島のホームページを見てください。

さてこのあと、美術館に行こうと思ってたけど、さすがに疲れたのでやめて、親類の家で晩酌タイム。
皿うどんや刺身やそしてビールや焼酎や・・・
う~~~~い!
長崎の夜はふける。




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長崎(9)~ちゃんぽん

2016年09月19日 17時22分25秒 | 長崎
サント・ドミンゴ教会跡を出たらなんと2時。
疲れる訳だ。
腹が減る訳だ。
元気だったら歩くけど、疲れてたので電車で新地まで。
そして中華街で定番のちゃんぽんを食べた。
もちろん生ビールも。
長崎のちゃんぽん・皿うどん~まず思うのは、高い!
もともとどちらも庶民の料理。
長崎に来た貧しい中国の留学生のために残り物で作ったもの。
それを観光客が値をつり上げた。
子供のころはうどんよりは高かったけどせいぜいラーメン程度の値段だった。
そういえば最近ラーメンも高いね。
ちゃんぽんはいろいろ具が入っているけど、ラーメンは麺とチャーシューが基本。
高い、高過ぎる!
・・・なんてぶつぶつ思いながらも、それなりに満足して食べたのだった。



たまたま中華街では翌日から中秋節。
観月会なのだけどこれが数日続く。
たくさんの提灯に明かりが灯り、明日ぜひここは来て写真を撮ろう!
・・・と思ったけどあいにく他の用があって行けなかった。
2月のランタン祭りは見たけど(お勧め!)この中秋節は見たことなかったので、見たかったんだけどなぁ~。
しかし・・・日本の月見の会だったら、周りを暗くして月を見るのだけど、
こんなにやたらと提灯を灯して月見ができるのだろうか?


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長崎(8)~サント・ドミンゴ教会跡

2016年09月19日 07時53分20秒 | 長崎
長崎歴史博物館のすぐそばにサント・ドミンゴ教会跡があり無料(!)で見られる。
無料大好き人間、長崎歴史博物館見学でかなり疲れていたけど、ここも何としても見なければ。

ここは1階にサント・ドミンゴ教会跡や代官・末次平蔵屋敷跡などの発掘現場がそのまま保存されている。
(あいにく写真はうまく撮れてなかったのでなし)
サント・ドミンゴ教会は江戸時代の初めに建てられて、キリスト教禁止のために壊された。
いくつかあった教会の一つ。
その跡にキリスト教弾圧や密貿易などで悪名高い末次平蔵の屋敷があった。
そんな遺跡が混在している。

ところがこの遺跡、上は小学校。
何とも奇妙な遺跡だ。
実は小学校改築の時に遺跡が発見されて、保存のためにこんな構造になった。
同じ場所に復元するか、傍に資料館を作って発掘現場はそのまま保存するのがベストだけど、
このいびつな構造も仕方ないのかなぁ~とも思う。

ところが長崎滞在中、小島養生所の遺跡を埋め戻すことに決まったというニュースをテレビで見た。
「埋め戻す」とは体のいい言い訳で、予定通りここに小学校の体育館を作るというのだ。
この小島養生所(長崎医学伝習所)は江戸末期(1861年)に作られた日本最初の近代的洋式病院で医学校も併設されていた。
この医学校は寄宿舎などもあり後に長崎大学医学部につながっていく。

体育館なんかどこにでも作れる。
しかし遺跡は移すことはできないのだ。
ここに資料館を、さらには建物を復元することによって、新たに観光地が生まれる。
名所旧跡なんてあるものではなく作るものだ。
作ることによって観光地が生まれる。
これをつぶして小学校の体育館を作って、いったいどれほどの利益を生むことができるのか?
長崎には「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されている多くの遺産がある。
その一方でこのような貴重な遺跡をつぶそうとしているのだ。
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長崎(7)~長崎歴史文化博物館

2016年09月17日 18時29分33秒 | 長崎
昔は美術館だった。
今は「長崎歴史文化博物館」。
新装になった長崎歴史文化博物館に行きたかったのでちょうどいい機会。
行った、すご~い、疲れた~~~

昔はここは美術館だった。
でも美術館は港の傍に移転して今では歴史文化博物館

昔はここに奉行所があった。
それが「長崎立山奉行所」に再願されて、とっても大きな、見所いっぱい、いっぱい過ぎる施設になっていた。

正直まじめに見て回ったら、くたくたに疲れた。
歩き詰め、休憩所が欲しい、ちょっと一息、生ビールをごくごくごくと呑んで、うぃぃ~~~!
なんて休憩所が欲しい~~~!
博物館にどうして「呑にほうだいコース」がないのだ?!と疑問に思いつつも、
でも・・・まあ・・・しょうがないか・・・
なんて思いながら、しかたなく展示品をて見回った。

再現された奉行所。
とっても新しいので違和感はあったものの、これが10年以上もたつと、
きっとみんな思うのだろうな~
すご~~い!
よく今までこれが残っていたよね。
そうそう、名所旧跡なんて残すものではなくて作るものなんだよ。













この再現された建物の内部。
もっといっぱい撮ったけどピントがぼけててパス!
でもお薦めだよ、体力に自信のある人だけに!!


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長崎(6)~朝

2016年09月16日 18時35分55秒 | 長崎


長崎は夜景が有名だけど、朝も大好き!
昔は船の汽笛の音で目を覚ました。

 朝あけて船より鳴れる太笛のこだまはながし竝みよろふ山

長崎医大に数年間赴任した斎藤茂吉の詠んだ歌。
長崎の風情をよく現している。



こちらは長崎の別の風情。
振興住宅地はこのような山の中腹に密集している。



昨日出港した翌日にはもう別の豪華客船の入港。



次第次第に大きくなっていく。







やっぱりすごいね。
圧倒されるね。
こんな船の飲み放題コースで世界一周してみたいな。
1600円じゃ無理だろうなぁ・・・
(せこい!)

でもこちらは朝のバイキングに忙しく過ごした。
昨日は飲むことに忙しくてたくさんの種類の中で半分も食べなかった。
今度は食べなきゃ~!
精いっぱい食べた~!!
あくせく食べた~!!!
無理やり食べた~!!!!
う~~~~~ん、苦しい~~~~~!!!!!


ホテルの部屋はこんな感じ。





客層によって運・不運はあるけどいいホテルだよ。



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長崎(5)~猫

2016年09月16日 17時56分08秒 | 長崎


長崎には猫が多い、
それもしっぽの曲がった猫が。
観光客はそんなに猫に遭遇することはないだろうけど、
ちょっと観光コースを外れて路地裏に回ると猫がいっぱいいる。
それもしっぽが曲がった猫が・・・

どうして長崎に猫が多いかというと、それはきっと海産物が豊富だから。
どうしてしっぽの曲がった猫が多いかというよ、それは大航海時代ネズミ退治のために船に猫を乗せていた。
そしてたまたまジャカルタ(インドネシア)の猫のしっぽが曲がっていた。
それがオランダ船に乗り出島にやってきて、野良猫として繁殖した・・・というわけ。

いったいどれくらい長崎にはしっぽの曲がった猫がいるのだろう?
今回は普通の道、観光客が行くような道を歩いただけなので猫は3匹しか見なかった。
そしてそのうち1匹がしっぽが曲がっていた。
というわけで長崎の猫の3分の1はしっぽが曲がっているということが判明した。
(実にいい加減な統計!)
実は8割近くがしっぽが曲がっているらしい。

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長崎(4)~夜景

2016年09月16日 05時14分29秒 | 長崎


長崎の町を車で運転する気には到底なれない。
坂道が多い、
道が狭い、
バスが多い、
単車が多い、
市電が通っている。
狭い坂道の曲がり角を突然バスが現れるとすっかりパニックになりそう。
曲がり角だけでなくまっすぐな道でもバスが通ると対向車はわきによって、止まってバスをやり過ごす。
それほど道が狭い。
町のメーンの道は広いけど、中央を市電が走る。
右折や左折の路線はその外側。
それで信号が青でも、すぐに曲がってはいけない。
必ずミラーだけでなく目視で電車を確認しないといけない。
そのため慣れないよそ者はよく電車との接触事故をおこす。
もたもたしてると単車が車と車の間をぎりぎり通り過ぎていく。
それに猫が多い、それもしっぽの曲がった猫が(これはあんまり関係ないか・・・)
市電用の信号もあり、なれるのは大変だ。
その代わり自転車はほとんどいない(長崎の人は自転車に乗れない!)
というわけで旅行者は間違ってもレンタカーで市内を見物しようなどという無謀な料簡は捨てたほうがいい。

ホテルは駅の前の丘の中腹にある。
階段をごろごろごろごろと転げ落ちたらすぐに駅前につく。
でも道がないためとっても遠回りしないといけない。
あいにく送迎バスの待ち時間が長かったのでタクシーに乗った。
長崎市民の氏神・諏訪神社の裏の大きな並木が続く狭い狭い道をぎりぎり登っていく。
よく接触しないな、と感心しながら・・・
もちろん中には接触する車もいるのだろう、木の周りをトタン板(?)(鉄の板?)で巻いていた。
それをビビることなく普通に登っていく運転手のテクニックに感心しながら・・・
でも後部座席に乗ってる分にはもっとも古い長崎の町の風情を楽しむことができる。

泊まったホテルは昔の一流観光ホテル。
でも今ではすっかり老朽化して就学旅行などの団体客がメーンのホテルで安いのが魅力。
前も同じホテルに泊まったけど運悪く、韓国のたぶん高校生の、団体客と鉢合わせになってうるさくてかなわなかった。
でも今回は外国の団体客もいたけど数も少なかったし静かな雰囲気で過ごすことができた。

ここのホテルの魅力は港を見下ろす美しい景色、広い部屋、そして朝夕食のバイキング。
種類がとっても多く、刺身や寿司や海産物もいっぱい。
日ごろ面倒であまり食べようとは思わないカニもいっぱい食べた。
それから飲み放題コース。
これが楽しみだったけど値上がりしてた。
う~~~ん、許せん!
男1600円・女1400円これじゃ普通の店の飲み放題コースと同じような値段。
でもそれにもめげず、じゃらんの格安コース以外にオプションの飲み放題コースを選んだ。
(ここは何としても元を取らねば!)

部屋は広い。
ベッドもゆったり。
部屋の鍵はなんと普通の家庭のような鍵。

風呂は狭い。
前回泊まった部屋はトリプルでもっと広かったけど、風呂が狭くて深くなんとタイル!
昔はこんな風呂をみんなありがたがったんだろうなぁ~とそれが逆に新鮮に感じた。
でも風呂は大浴場に入るので部屋の風呂はどうでもいい。

前回は海側の部屋に泊まったけど今回は山側の部屋に泊まった。
そのほうが安いので差額で飲み放題コースを浮かそうと、なんともしたたか、なんともせこいことを考えたから。
それに長崎の海の景色は見慣れているのでたまには山の景色もいいかなぁ~と。

それで窓からの景色たいして期待はしてなかったけど、それが意外とよかった。
うんうん、長崎の景色は山に限る!とまでは思わなかったけど・・・



でもよく見るとあちこち更地が目立つ。
耕作放棄地ならぬ住宅放棄地。

でも更地はまだいい。
車が通り駐車場があるところだったら売れるけど車が入れないところ(そんなところばっかり!)だと売りたくてもまったく売れない。
壊し代がかかるだけ。
それで市に寄付しようとしても市も迷惑。
壊し代がかかる、利用価値がない。
それであちこち空き家だらけなのだ。



でも山の上まで続く住宅地の長崎ならではのこの景観いつまでも保ってほしい。


長崎の港。
豪華客船は出航していた。



夕暮れ。





夜景が美しい稲佐山。
このふもとで育った。



ホテルの窓からの山側の夜景。
なんと三脚なしで無謀に撮った。
でも・・・まあ・・・それなりに撮れた。


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長崎(3)~墓参り

2016年09月15日 12時45分43秒 | 長崎
長崎の「3か」とは「坂・墓・馬鹿」
坂が多く、周りの山には墓ばかり、そして馬鹿が多い(?)
長崎は江戸時代は天領でオランダ船が入ってくると町の人も潤った。
それで年中祭りに明け暮れのほほんと暮らしていた。
それで馬鹿が多いという話・・・ではなくて墓の話。

長崎の墓は山の中腹にある。
(よそに行って平地に墓があるのを見てびっくりした)
そのため墓参りは大変で山を上り下りしないといけない。
でもお盆の時は、とっても美しくにぎやかな夜景を見ることができる。
墓場では花火を打ち上げ初盆のところは墓に提灯をいっぱいたてる。

長崎の墓から見る港も美しい。
幕末から明治にかけて多くの外国人がやってきた。
そしてみな怪訝に思った。
見晴らしの良いところに墓と畑しかない、日本人は土地の使い方を知らない!と
そして丘に家を建てた。
それが今の南山手や東山手。
でもそれは必ずしもあたっていない。
海援隊の亀山社中は丘の上、坂や階段をかなり上らないとたどりつけない。
観光客はあまり行かないけど、行った人はきっとうんざり。
昔はそこから港が見えたのでとても景色がよかった。



港に豪華客船が入っていた。
(前来た時も豪華客船が見えた)
長崎では造船所があるからかよく大きな船が入ってくるけど豪華客船の大きさには圧倒される。
10階建てあるいはそれ以上の高さのビルが海に浮かんでいるのだから。
大きさだけならもっと大きなタンカーもあるけど、だだっ広いだけのタンカーと違ってとっても存在感がある。

墓は大音寺の境内にある。
ここは長崎では由緒のある寺。
隣の皓台寺ももっと由緒がある。
(我が家の墓はまったく由緒はない!)
でも由緒があるといっても建立は大音寺は1614年、皓台寺は1608、長崎市民の氏神、諏訪神社は1625年。
寺社でもっとも古いのは生まれ育った町、稲佐町にある悟真寺、それも1598年。
長崎は歴史の町?
いえいえ実はとっても新しい町。
16世紀から始まった町。
どうしてそれ以前の史跡や寺社がないの?
それはキリスト教徒によってすべて破壊されたから。
長崎のキリスト教徒は過酷な弾圧された歴史、
でもその前に弾圧した歴史もあるのだよ。
(歴史を一面だけで見てはいけない)
そしてたくさん作られた天主堂(教会)もまたみな破壊された。
奈良や京都をはじめ日本には古い寺社がたくさん残っているのに、どうして長崎ではみな破壊されてしまったのか?
仏教や神道と一神教との違いをついつい思ってしまう。



境内には由緒ありげな墓が草に覆われ荒廃している。



ここはシーボルトの妻と娘そして愛弟子の墓。
お瀧さん(おタキさん)とお稲(オランダおいね)さん、そしてシーボルトが追放になった後二人を保護した二宮先生の墓。
お瀧さんはシーボルトが愛した花、アジサイの学名「オタクサ」に名前が残っている。
おいねさんは青い目、高い鼻、とっても美人だったらしい。
でも江戸時代、差別されてつらい半生を送ったことだろう。
そして波乱の人生を送ったあと、故郷長崎と決別して東京で日本最初の産婦人科医になった。
でも今、ここ長崎にひっそりと眠っている。









これはイギリスの戦艦が出島のオランダ商館を襲った事件。
このためにその責任をとって切腹した長崎奉行の墓。
最近読んだ小説「出島の千の秋」にもフェートン号事件らしき挿話がでてくる。



長崎は墓の町。
観光客が訪れることのない、稲佐や坂本町の外人墓地やこのような古い墓地に眠る草に覆われた墓も探訪してほしい。
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長崎(2)

2016年09月14日 18時41分57秒 | 長崎
いつもは電車に乗ると、たいていずっと景色を見てるんだけど、
今回はずっと本を読みっぱなしで、景色は見なかった。
地元・姫新線の景色も新幹線の景色も長崎線の景色も、みな頭に入ってて今更見るほどのこともない。
特に新幹線は退屈だ。
ビールをちびりちびり、あるいはごくごく飲みながらもっぱら本を読み続けた。

長崎は遠い。
姫路で1時間ほど待ち、博多でも1時間ほど待ち・・・
そしてやっと長崎行の特急に乗る。
熊本はもちろん鹿児島の方が乗り換えがないだけよほど近い。
長崎も新幹線の工事は少しずつ進んでいるのでそのうち新幹線だけで長崎に行けるようになるだろう。
でもそれがはたしていいことだろうか?
JR九州の特急はとても魅力的だ。
それに比べて新幹線は実につまらない。



これは長崎―――博多を走ってるカモメ。



荷物は飛行機のように閉鎖式になっているので車内がすっきりしている。
前の座席にはバックなどをかけられるようになってて便利だし、切符を入れる小さなポケットがついてるので車掌が検札に来ても慌てないで済む。
床は(写真がピンボケだったので載せられないけど)木目調。
味気ない新幹線とは全然違う。



出入り口から車内に入るスペースも日本的なデザイン。



電話ボックスもとても感じがいい。

これはカモメだけど、ツバメとかほかの特急もそれぞれ違った味があってとっても楽しい。
それに比べて新幹線は・・・実につまらない!!

長崎まで新幹線が通るのが良いことかどうか・・・少しもそうは思わない。
旅の喜びとは日常でないものとの出会い。
往復無機質の新幹線になってそんな喜びが味わえるかい?

たまたま撮った電車の写真です。
もっと素敵な電車はJR九州にはいっぱいいるけど、たまたまの出会いも楽しい。
(実はねJR九州の誇る7つ星。見たことないけど、あの列車の椅子を作った人が隣の町・佐用町に住んでいるんだよ・・・あんまりこちらとは関係ないけどついつい自慢したくなる。)








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長崎(1)~ふるさと

2016年09月14日 11時35分47秒 | 長崎
 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや 
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ
 そのこころもて
 遠きみやこにかへらばや
 遠きみやこにかへらばや


故郷をいつまでも捨てきれない人もいれば
故郷ときっぱり縁を切った人もいる。
自分自身はというと故郷の長崎は好きだけど、一生行かなくても少しも困らない。
ただまだ墓があるので1~2年に一度は行っている。

それで去年はいかなかったので、先週行ってきた。
そこで長崎の話と写真を連載することにする。

ところで冒頭の詩は室生犀星の「小景異情(その二)」
昔、この小景異情の詩全部に曲をつけた。
シューベルトは歌曲集は3つしか作っていない。
しかもそのうち一つは死後ほかの人が編集したもの。
ところがこのぐうたら百姓は歌曲集を4つも作っている。
(シューベルトに勝った!)
その第1作がこの「小景異情」なのだ。
シューベルトの作品1は有名な「魔王」
そしてこのぐうたら百姓の作品1が「小景異情」
「魔王」に勝るとも劣らない傑作だと自分だけは思っている。
ただこれには一つだけ問題がある。
楽譜に落としてないということ。
楽譜を書く技術がない。
伴奏もイメージとして頭の中にあるだけだ。
こうして4つの作品が、4つ傑作が頭の中だけで消えていく、
これは人類にとって大きな損失ではないだろうか?
自分の4つの作品をコンサートで聞きたいというのが、最後の夢だ。

・・・なんてことではなく長崎の話。
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