我が家は襖は板戸、でも障子はない。
前はきっと障子だったのだろうけど、今ではガラスに代わっていた。
昭和のガラス、「いいなぁ~!」なんていう人もいるだろうけど、
住んでみると装飾過剰なガラスが何とも煩わしい。
それにとっても貧しく感じられる。
昔は障子をこんなガラス戸に変えてみんな豊かな気になったのだろうな。
といっても、ガラスの良さも認めないわけにはいかない。
きっと、ガラスに変えて室内が明るくなった、冬も暖かくなった。
何よりすぐ破れる障子、これで年末恒例の大掃除で張替えをしなくてよくなった。
きっとガラス戸は里山の集落にやって来た文明開化だったのだろう。
でもそうはいっても田舎暮らし人間にとってはやっぱりガラスよりも障子にあこがれる。
ガラスの硬い冷たい雰囲気よりも障子の柔らかい優しい雰囲気がいい。
田舎暮らしを始めてから、そのうち障子に張り替えようとずっと思っていた。
そして先日、なぜか不思議なことに夜にガラスが2枚割れてしまった。
家人からは理不尽なことに「ガラスを割った!」と非難された。
どうも酔っぱらってガラス戸に当たって割ってしまったらしい。
はて?どうにもそんな記憶ないのだけど・・・
それに例えそうだとしても、酔っぱらっても意図的に割るわけはない。
ここは「割った」ではなく「割れた」と言うべきだろう。
日本語は正しく使わないといけない。
それにガラス自体が自分で割れた可能性はないのだろうか?
もちろんオカルト映画みたいに突然割れたんだ!なんて言っているのではない。
物にはすべて寿命がある。
そこでガラスもすべからくその寿命をまっとうして大往生をとげた可能性だってありうるのではないか?
韓国ではガラスどころかもっともっと巨大な橋やデパートまで自然に崩壊した。
去年も韓国が作ったカンボジアだったかタイだったかラオスだったか、普通のモンスーンでダムが崩壊した。
こんなことを考えるとガラスの1枚や2枚、自然に割れるのは当たり前のことではないだろうか?
しかし、こんな当然のことを言っても家人は信じてくれそうにないので、黙っている。
いえいえ、こんなことじゃない、障子の話。
ガラス戸嫌い、障子大好き人間なので、もう昭和のガラスは手に入らないだろうから、
このさい、これをいいことに障子に張り替えた。
本当は全部張り替えたかったけど、まずは割れたところだけにした。
明るさはガラスよりも障子の柔らかい明るさが好き。
でも暖かさとなると・・・やっぱり紙一枚の障子では里山の冬は心もとない。
そこでとりあえず割れた部分だけ障子に張り替えたのだった。
まずはホームセンターで障子紙とノリを買ってきた。
昔はノリも自前、ご飯をお粥状にしてそれをノリにした。
でも今ではすっかり軟弱になったので、ノリもそれも薄めないでそのまま使えるノリを買ってきた。
障子紙は何種類かあったけど、厚い紙だと明るさがどうかなぁ~なんていろいろ考えて、結局やっぱり、普通の紙を買った。
さて、紙張り。
昔々子供のころ大掃除で毎年障子の張替えを手伝わされた。
それである程度の要領はわかっている。
刷毛で桟にノリを塗り、紙を寸法を合わせてカッターナイフで切って、そ~~~っと置く。
うん?ちょっとずれたかな?
ずらしながらなんとかのせて、くっつける。
うんうん、うまく行った!
意外とうまく行ったので満足しつつ、この後、確か・・・昔霧吹きをかけたはず・・・
それで霧吹きをかけたら逆にしわができた。
霧吹きを使うのは紙がたるんでいるときだけなのだろう。
でもまあこれで割れた部分はうまく修復できた。
ただしこれは部屋側から見た場合で、縁側から見たら、張った桟の部分が不揃い、素人仕事見え見え!
まあまあ今回はこれで満足しよう。
しばらくこのまま使ってそのうちみんな障子紙に張り替えよう。
やっぱり昭和のガラスはいかにも下品。
障子紙の方がとっても上品なのだから。