ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

発泡酒

2011年01月31日 07時14分18秒 | 酒の話
サントリーが発泡酒の使命は終ったとして新製品開発を中止するという。
発泡酒の老舗(?)サントリーが新製品開発を中止するというのは残念な気もするけど、仕方ないかなとも思う。
最初にサントリーから出た発泡酒はとてもまずかった。それは気の抜けたビールだった。
でも安かったのでよく飲んだ。
その後他社も相次いでまねして発泡酒を出し、味もそれなりによくなった。
サッポロの「麦とホップ」などはビールに引けをとらないできだと思う。
でも第三のビールが出るとやっぱり発泡酒は中途半端な感じがする。
次第に影が薄くなるのもやもう得ないこと。
でもサラリーマンの味方発泡酒を開発してくれたサントリーへの感謝の気持ちを忘れない。
発泡酒に感謝しつつ第三のビールを飲む。

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日本酒の販売が4割減!

2011年01月31日 06時57分24秒 | 酒の話
日本酒の販売が10年間で4割減だという。
これはすさまじい数字だ。
スーパーのコーナーでも目に見えて日本酒が減りその分焼酎が増えている。
これはとっても残念なことだ。
村の寄り合いでも日本酒を呑む人が少なくなった。
日本人の嗜好が焼酎に変わってきているというだけでなく、
安酒嗜好に変わってきている。
確かに日本酒の安酒よりも焼酎のほうが美味い。
日本酒の安酒は実にまずいものが多い。
こんな酒を造っているからみんな日本酒離れを起こすのだ。
値段で焼酎に対抗するよりも味で対抗してほしい。
酒造は今は苦しいだろうけどここはじっと我慢のしどころ。
美味い日本酒を造ってほしい。
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サッカーアジア杯優勝

2011年01月30日 08時27分35秒 | ニュースの中から
朝おきてびっくりした。
まさか日本がオーストラリアに勝ったなんて!
前夜12時前ににおきて、
サッカーを見た。
終始攻められっぱなしのとっても疲れる試合。
オーストラリアのファンだってあんなにせめて決定打が無いのでいらいらする試合だっただろう。
オーストラリアの攻撃と日本のゴールキーパーの奮闘がやけに目立った。
それで何とか90分見てすっかり疲れて、とっても寒かったこともあって、延長戦は見ないで寝てしまった。
どう見ても勝ちそうな感じがしなかったから。

もともと熱心なファンではない。
ちょっとでも日本が点を入れられると、たちま見る気をなくしてテレビを消してしまう。でもしばらくするとまた気になってテレビをつける・・・という軟弱なファンなのだ。
それで韓国戦なんテレビをつけたり消したりととても忙しかった。
ところが今回はずっと0-0だったので消すタイミングがなく90分も見てしまったのだった。

というわけで朝おきてパソコンで結果を見てびっくりした。
あれでよく勝てたものだ。
オーストラリアは強かった。
今までのどのチームよりもずっと強かった。


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田舎暮らし断想~農的暮らし(3)

2011年01月29日 09時24分55秒 | 田舎暮らし

野菜作りに正解は無い。
環境や気候によってみな違う。
売るための野菜作り、自給のための野菜作り、年齢に応じた野菜作り、大きな畑、小さな畑・・・やり方は当然違ってくる。
ところがほとんどの野菜作りの本は売るための野菜作りの立場で書かれている。
それを読むと家庭菜園の人も自給自足派もそれが正解だと思い込む。
でもその前に考えてほしい。
何のための野菜作りをしているのか?
どんな野菜を作りたいのか?
こう聞くと今まで野菜作りに対して得意げにしゃべっていた人も一瞬黙ってしまう。
そしてしばらくしていう「立派な野菜を作りたい」と。
では立派な野菜とはどんな野菜?
それは本当は人によって、その立場によってみな違うだろう。
野菜を販売している人は高く売れる野菜が立派な野菜だろう。
では家庭菜園の人は?自給自足派は?
それはきっと美味しくて安全な野菜が立派な野菜だろう。
あるいは人に自慢できる野菜が立派な野菜だと思う人もいるかもしれない。

売るための野菜作りをしている人は大きくて形のいい規格に合った虫食いの無い野菜を立派な野菜だと思うだろう。
そう、野菜の品評会で賞をとるような野菜を立派な野菜だと思うだろう。
ところがほとんどの品評会では不思議なことに、味見しないで見かけだけで決まる。
どうして見ただけでわかるのだろうか?
野菜は食品であって美術品ではない。
一番大切なことは美味いかどうかではないか。
でも消費者はほとんどの場合味見して買うのではなく見かけで買う。
同じ値段なら小さいものよりも大きいものを買う。
というわけでほとんどの生産者は大きくて見栄えのいい野菜を作ろうとする。
野菜作りの本もまた大きくて見栄えのいい野菜の作り方を書く。
そしてそれを読んだ家庭菜園の人も自給自足派もそれが正解だと思い込む。
でも野菜って何?
美術品ではなく食品なんだよ。
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田舎暮らし断想~今関さんを悼む

2011年01月28日 03時36分43秒 | 田舎暮らし
一通の手紙をもらった。
今関さんの奥さんの手紙を。
手紙の裏を見ただけでそれがよくない手紙であることはすぐにわかった。

田舎暮らしをしようと決めたとき、田舎暮らしをしている人からいろんな話を聞きたいと思った。
いろんなアドバイスをしてほしかった。
でも知らない人を泊めてくれるところなんか誰もいない。
そしてたまたま今関さんの本を読んだ。
「百姓になりたい」という本を。
そして縁農塾という塾を開いていることを知って早速連絡をとって今関さんの家に行った。
場所が徳島で大阪からわりと行きやすかったこともあって・・・

徳島からとことことローカル線に乗って・・・確か「山川」という駅で降りて・・・ここは特急停車駅・・・のはずが、駅前にはな~んにも無くて・・・わびしい気持ちでたどり着いた。
でもうれしかったことに今関さんはとっても気さくな人だった。おまけにのん兵衛だった!
酒を愛する人に悪い人はいない・・・と勝手に思っている。
なんてことはどうでもいいのだけど、それに11月だったのでたいした野良仕事は無かったのだけど、今関さんの話を聞くだけでもとっても有意義だった。
グリーンツーリズムという言葉を知ったのもその時が初めてだった。
そして特に感心したのは金を使わない生き方だった。
自給自足ということがどういうことか体験できたのは最大の収穫だった。
それで田舎暮らしのスタイルがきまった。
今関さんまでには行かないけど、あるいは程遠いけど、
自給自足的な生活もはじめた。
体験農園もはじめた。
田舎暮らしをしたい人に少しでもお手伝いになったらと思ったから。

そして田舎暮らしを始めてしばらくして今関さんご夫婦が我が家にやってきた。泊まりで。とってもうれしかった。
小京都・龍野を案内したり、農園を見てもらったりしてから、囲炉裏で食事をして酒を飲んだ、いっぱい飲んだ。
とってもあのときのことが懐かしい!

今関さんの奥さんの手紙を開いた。
訃報の手紙を。
それがなんと1年前に亡くなってたという知らせを。
すぐにホームページを見た。
最後の半年は闘病生活のことがつづられてあった。
迂闊だった。
もともとものすごいものぐさな人間なので人のホームページはあまり見ない。
でも1年以上も見てないというのは迂闊だった。
そういえば今関さんの本も最初の数冊読んだだけで後は読んでいない。
まったく不肖の弟子なのだ。
遺作は「僕は農家になった」という文庫本。
最初の「百姓になりたい」という本が文庫になったのだ。
いかにも最後にふさわしい本だ。
ちょうど10冊目になるという。

今関さんのホームページはこちらです。
「てんとうむしの背に乗って」
http://www.t-imazeki.com/index.html
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田舎暮らし断想~車

2011年01月27日 18時28分16秒 | 田舎暮らし
車の免許証を更新したのでとりに行ってきた。
初めてのゴールド免許。
これからは人の免許証を見たら、そしてゴールドでなかったらきっと言うだろう。
「あれっ?ゴールドじゃない・・・免許証ってみんなゴールドだとばかり思っていた。
へ~、青色なんてあったんだね。どうやったら青色免許もらえるの?」
そして一度でも違反したら青色になると聞くと、すかさず
「そうか、犯罪者だったのか!犯罪者とは付き合いたくないな」
こんな会話をするのが楽しみだ。
それに任意保険が安くなるのがうれしい!

ところで更新はまだ2回目。
最初の更新のときは青だった。
これは今でも心穏やかでない。
だって56キロで走っててつかまったのだから!!
しかもその道は前後は50キロ。一箇所だけ、別に家が立て込んでるわけでもないのに40キロなのだ。
実に陰険な道路で犯罪者を出すためにわざわざ40キロにしたとしか思えない。
都会ではさして車の必要性を感じてなかったのでずっととらないで来たのだ。
なんてことはおいといて免許をずっと取らなかったのは都会暮らしでは大して車の必要性を感じてなかったから。
それで田舎暮らしを始める前にやっととったのだ。
やっぱり田舎では車はいるだろうなと思って。
でも最初の1年間は車なしで過ごした。
JRの駅から歩いて6~7分なのでそれでも暮らしていけた。
買い物は大体はコープで済ませて、たまにJRに乗ってスーパーで纏め買いした。
ホームセンターなどで量がかさばる買い物は配達してもらった。
というわけで車なしでも暮らしていけたし、車の無い生活のほうが逆に時間に余裕があった。
来たころは知った人もいなかったので人との付き合いで時間をとられることも無かったし、
買い物の回数も少なかったし、何よりJRの列車をのんびり待つような余分な時間があった。
当時昼間は2時間に1本しか動いてなかったので(今では1時間に1本ある)乗り遅れると2時間近くも待つことになる。
その間駅でビールを飲んだり、本を読んだり、またまたビールを飲んだり・・・と時間はゆっくり過ぎていった。
こんな時間は今は無い。
車が来てからは暇な時間が無くなり逆に忙しくなった。

というわけで田舎で車は必要か・・・というと必要ない!といいたいところだけど、普通の田舎ではやっぱり必要。
それどころか一人1台!!
車がないと野菜も売れない、仕事にもいけない、買い物もできない。
駅の近くという恵まれた条件でもない限り、車は必須。
でも・・・車が運転できなくなったら・・・
車を運転できる人がいなくなったら・・・
そしてせっかく来てながいこと住んだ田舎を引き上げてみんな都会に戻る。
・・・そう考えるとやっぱり車が無くても住める田舎で暮らすほうがいいと思う。
駅に近いとか、バス停に近いとか・・・
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メガネ

2011年01月26日 09時18分14秒 | 雑感
年末にメガネを買い替えた。
でも誰も気づかない。
あの~メガネ変わったんだけど・・・
でも誰も気づかない。
あ~あ、そんなに影が薄いのかな。
そしてひょっとしたら気づかれないのはメガネではなくて、自分の存在そのものではないだろうjか?
と、思えてきてとっても不安になる。
あの~、ここにいるんだけど・・・
でも誰も気づかない。
あ~あ、そんなに影が薄いのかなぁ
確かにねぇ・・・影の薄い人間なんだよねぇ・・・

メガネをかけたのは高校のときから。
それ以来いったいいくつ買い換えたのだろう?
すぐにだめになる。
フレームがゆがんでしまうのだ。
顔がゆがんでいるのかな・・・と真剣に悩んだ。
でもどうもそうではなく、単に取り扱いが雑なだけかもしれない。

メガネはいつまでたってもなじめない。
もっとも、「メガネが好きで好きでたまらない。メガネを見るとわくわくして夜も眠れない!」
なんて人は少ないだろう。
メガネは虫歯の治療と同じように昔から何の進歩も無い。
「もっちょっと進化したらどないやねん!」とメガネを叱りたくもなる。
あまりに芸が無さ過ぎるのだ。
遠近両用というのなら、遠いところは望遠鏡のように、近いところは顕微鏡のように見えるズーム機能を持ったメガネもあってもいいじゃないか。
それとも映画が写ったり、音楽を聴けたりできるメガネとか・・・
あるいは・・・
・レンズなしに直接脳に景色を写すメガネ。
・雨の時にはワイパーつきメガネ。
・寒い時は暖房、暑い時は冷房ができるエアコンメガネ
・前が見えないで後ろだけが見えるめがね~これはいつも後ろ向きの人生を歩いている人におすすめ。
・いやな人間は見えないめがね~誰だっていやなやつには会いたくないもの。
・録画機能付きメガネ~見えたものをいつでも再生できるので過去を振り返ることができる。
 ~もっともそんなメガネができたら、きっと落ち込んでばかりいるだろう。
・未来が見えるメガネ~そんなメガネができたらすっかり生きる気をなくしてしまうだろう。
でもどんなメガネだってやっぱりなじめそうにない。

いつも困るのはメガネを探すとき。
「あれっ、どこにおいたのかなぁ?」
置く場所はだいたいきまっているので、いつもはすぐに見つかるのだけど、たまに、
「あれ?無い・・・」
あちこち探す、あっちにも・・・ない、こっちにも・・・ない
何度も何度も同じところをさがす。
「変だなぁ・・・」
そしてふと目に手をやると・・・
「なんだメガネかけてたんだ」
・・・なんてことはさすがにない・・・よね。
ところが実はたま~にある。
あほだなぁ・・・とつくづく思う。
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田舎暮らし断想~農的暮らし(2)

2011年01月25日 03時50分07秒 | 田舎暮らし
農業で稼ぐのはとても難しい、けど農で暮らすのはとても楽しい。
せっかく田舎に来たのだから、がつがつ生きることは無いじゃないか。
まず自給、余った野菜を売ったら。
田舎暮らし派の強みは都会との距離が近いこと。
都会に知り合いがいるのでまずその人たちに買ってもらえる。
特に無農薬・無化学肥料で作った野菜なら。

「有機で野菜を作るのは難しいでしょう?」とよく聞かれる。
でもそれが簡単なのだ。
逆に農薬や化学肥料を使うほうがずっと難しい。
農薬は使う量や時期がきまっているのでその知識がないと使えない。
化学肥料もやりすぎると障害を起こす。
有機肥料だと少々やりすぎてもかまわない。
無肥料でもそれなりにできる。
というわけで自給自足的な農業ならだんぜん有機栽培あるいは自然農法がお勧めだ。
だいたい野菜って種さえ蒔けばよいのだ。後は自然任せで何とかなる。
自然だったら、種を蒔いて芽が出て花が咲いて、種ができて、種がこぼれて、翌年また芽が出てくる。
これが自然というもので、別に人の手が入らなくても毎年野菜はできるのだ。
・・・と思って、一度ミレーの種を蒔く人の絵のようにやってみた。
思いっきり種を蒔いてそのままほっといた。
その結果は・・・まったく芽が出てこなかった!
その時これは自然が間違ってる!と思った。
でも考えてみると自然とはそういうもので、一茎の野菜から何千という種が採れる。
その何千という種がこぼれ落ちて、わずか1株か2株の野菜ができる。
ミレーの絵の人もきっと後でこっそり(?)土をかけたに違いない。
というわけで種を蒔いたら土をかけないといけないという当たり前のことがわかった。
ともあれ有機で野菜を作るのは簡単なのだ。
高く売れる野菜を作ろうとか、
大きな見栄えのいい野菜を作って人に自慢しようとか、
ひとかけらだって虫にやってなるものかとか、
そんなせこいことを考えなかったら。
これくらい楽なことは無い。
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ロケットストーブ

2011年01月25日 02時21分39秒 | 田舎暮らし
先週は月曜は「21世紀は田舎町から元気に協議会」の新年会、土・日は「田舎暮らし交流会」の新年会、そして日は我が家での飲み会。
・・・というわけで、呑み会続きで、あらら・・・そのぅ・・・なんというか・・・う~ん・・・

しかしいつも我ながら呆れるのは、こんな飲み会ではいつもウサギになってしまうということ。
いくら年をとってもまったく何の進歩も無い。
このさい人よりもいっぱい呑んで元を取ろうとして大急ぎで呑んで、うんうん元を取ったと思ったとたんに安心して眠ってしまう。そして亀に追い越される。
根が意地汚いのだ。

「21世紀は田舎町から元気に協議会」と「田舎暮らし交流会」の話は別に改めて書くけど、「田舎暮らし交流会」でのロケットストーブの話。
先月、参加できなかったけど、この会でロケットストーブの見学会があった。
うわさには聞いてたけど、なんかどえらいものらしい。
そのストーブを、メンバーの手作りのストーブをはじめて見ることができた。
意外に簡単に作ることができる。
とっても安く作ることができる。
わずかな薪ですごい火力がでる。
完全燃焼なので煙が出ない。
見たのは調理用のストーブだったけど、もちろん暖房用のストーブも作ることができる。
これだったらわざわざ達磨ストーブを買うことも無かった。
今度「田舎暮らし交流会」でみんなで作る話が進んでいるので、今度は参加しようと思う。
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閻魔

2011年01月24日 14時31分57秒 | 酒の話
福岡・日田の老松酒造の閻魔を飲んだ。
とても癖のある酒だ。
黴た麹室の味がする粗い酒だ。
「常圧蒸留焼酎」そしてわざわざ「玄人様専用品」とラベルに書いてある。
常圧蒸留とは普通に熱して作る昔ながらの手法。
今では圧力を下げて低音で蒸留させて作る「減圧蒸留焼酎」が一般的らしい。
熟成期間を短くするためなのだろう。
この酒を何十年か熟成させたらとっても美味い酒になるだろう。
でも待てない!
粗いけどとっても気になる酒。
「玄人様専用品」などとわざわざ書く必要は無い。
とっても癖のある癖になる酒だ。
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田舎暮らし断想~農的暮らし(1)

2011年01月22日 09時30分33秒 | 田舎暮らし
昔たまたま畑を借りた。
団地のそばに貸し農園があったから。
別に野菜を作りたかったわけじゃない。
サラリーマンの家庭で育ったので野菜作りなんかしたことない。
それまではもっぱらベランダ園芸。
花が好きだった。
しかしよく考えたら、よく考えるまでもなく、花は食べられないけど野菜は食べられる。
これは野菜を作ったほうが得だ。
それで野菜作りの本を読みながら2坪ほどの畑を耕して苗を買ってきて植えた。
しかしよく考えたら、よく考えるまでもなく、苗よりも種を買ったほうが得だと気づき、種まきからはじめた。
すると苗がたくさんできる。
でもこれをほかすのはもったいない。
それに他のいろんな野菜も作りたい。
というわけでそのうち畑がどんどん広がって10坪ほどにもなった。
すると今度は食べきれないので人にやった。
野菜は作るよりも作らせる方が得だいう究極の真意をそのとき既に悟った。
・・・というのは後の話で、初めての野菜のこと。
素人が始めて作っても野菜それなりに芽が出て葉が茂って実がなる。
そしてその野菜の味は?
それが信じられないことに美味いのだ!
どうして素人が作った野菜がプロが作った野菜よりも美味いの?
と、とっても不思議に思った。
いったい野菜作りのプロは今まで何をしていたんだ!
これはぜったいおかしい。
考えられることは3つしかない。
1.新鮮だということ。
2.有機肥料で無農薬で作ったこと。
3.ひいき目
ひいき目・・・これは大いにありうる。自分が作った野菜ならどんなにまずくても、「美味い!」というだろう。
無理やり、顔をしかめつつ言うだろう「美味い!」と。
誰も食べないのでしかたなく一人でたべて言うだろう「美味い!」と。
ところがそれが本当にうまいのだ。家族も食べてくれたのだ。
ということは単に新鮮だから?
確かにとれ立て。これくらい新鮮なものはない。でも、それはそうかも知れないけど、2~3日おいてもやっぱり美味かった。
ということは一番の原因は有機肥料で無農薬で作ったこと。
そこで普通の店で売っている野菜の作り方に疑問に思えてきた。
確かに見栄えは市販の野菜のほうがいいけど野菜は食べるもの美術品ではない。
それで田舎で野菜をもっと広い畑で作って暮らしたいなと思った。
もちろんすぐには田舎暮らしは出来なかったけど、子供たちが社会人となってからやっと踏み切ることが出来た。
定年よりもずっと前に。
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コーヒー?紅茶?ココア?

2011年01月20日 18時38分36秒 | 食の話

「コーヒーがすき?紅茶がすき?」
と聞かれると、「ココアがすき」と答える。
「コーヒーにする?紅茶にする?」
と聞かれると紅茶にする。
でも自分で入れるとなるとたいていコーヒー。
コーヒーは大して好きでもないけど面倒くさく無くていい。
インスタントコーヒーだったら何も残らない。
コーヒーよりも紅茶のほうが好きだけど、パックの後始末が面倒であまり飲まない。
ココアはミルクと砂糖を入れて沸かすのが面倒で自分で入れて飲むことはまずない。
でも好きなのはココア。
でも不思議なことに喫茶店でも自宅でもあまり飲む人はいない。
何の栄養も無いコーヒーや紅茶に比べてココアは栄養たっぷりなのに・・・
それに手もかかってるので飲むとなんか得したような気分になれる。
でもやっぱり喫茶店ではココアは頼みにくい。
男が一人で入って「ココア」といったら、なんか変な人と思われないだろうか?
それにコーヒーや紅茶ならメニューを見ないで注文するけど、ココアはどうしてもチラッとメニューを見てしまう。
そしてコーヒーや紅茶よりいくら高いか確かめてから注文する。
それがまた面倒くさい。
それにみんながコーヒーを注文しているときに一人だけココアを頼むのがなんか店の人に悪いような、なんかいけないことをしているような気になってくる。
でも不思議にも紅茶だと一人だけ注文しても少しも悪いとは思わない。
それにコーヒーだと何もついてこないけど、紅茶だとレモンがついてくるので得した気になる。
それに感心な店なら紅茶がポットに入ってくるので2杯飲める。
でも何人かで入ったときは頼むのは流れに任せてやっぱりコーヒー。
そのほうが気楽でいい。
頼むのもひとこと「ホット」といえばいい。
なんで「熱い!」といってコーヒーが出てくるのだろう?
紅茶だってココアだって熱いじゃないか。
・・・なんて考える間も無く当然のようにコーヒーが出てくる。
その無愛想さが、そのわけのわからないところがいい。
というわけで、コーヒー?紅茶?ココア?
どれも捨てがたい。
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田舎暮らし断想~虹

2011年01月20日 09時30分54秒 | 田舎暮らし

この町に住むようになったのはほんの偶然でたまたま物件があっただけの話だけど、
この町は以前に仕事で何度か来たことがあった。
そのときの印象は・・・
川沿いに集落がぽつぽつとあるだけの面白くないうらぶれた田舎町、どうしてこんなところにみんな住んでいるのだろう?
という、ものだった。
まさかこんな町に自分が住むことになろうとは思わなかった。
というわけで決めるときは~すぐ決めた割には、とっても気が重かった。
誰も知った人がいないところで果たして暮らしていけるのだろうか?
帰りの電車の中で知らない人が見たらきっと「なんか不幸があったのだろう」と思っただろう。
そんな暗い表情をしていたに違いない。

決めたポイントはいくつかあった。
集落の一番奥で、あまり目立たない
畑は家に隣接していたので通勤時間がかからないし、ほかのところから隔離されていたので、何をやっても笑われることなく好きなことができる。
畑の間に沢が流れてて、セリや山葵が自生してきれいな水が流れていた。
畑はすっかりススキが原になっていて、それで逆にやる気が出た。そう、平成の開拓団!
JRの駅まで歩いて6~7分でいけたので、車が無くても暮らしていけそうだった(1年間は車なしで暮らした)
意外と都会にも近かったので農業をやるにも適していると思った。
1250坪の土地の地目は宅地・田畑・山林・原野・・・と変化に富んでいた。
集落の平地のそばに突然中山間地が出現する地形が面白かった。
みんなが放棄する中山間地も田舎暮らし派は大好きなのだ。

そして移住してきて開墾が始まった。
日の出から日没まで、ススキを刈り時代物の耕運機で耕した。
体を使うことが、毎日毎日同じ作業の繰り返しがこんなに楽しいとは知らなかった。
荒地が目に見えて耕作地に変わっていく。
やったらやっただけの結果が現れる。
都会のサラリーマン生活ではなかなかこんなふうには行かない。
ストレスが無いわけではないけど、それは自然相手のストレス。
人間相手のストレスとは違って、納得できるストレスなのだ。

こうして数ヶ月開墾と野菜作りに明け暮れてたまに買い物に行くほかは農園に閉じこもったままだった。
集落の人とは挨拶程度、たまに都会からの来客以外はまるで隠遁生活。
でもそのうち、家内がこのままじゃいかんといってボランティアをはじめた。
それから町の人との付き合いが始まった。
それにこちらも有機農業や田舎暮らし派の人、ネットで知り合った人などとの付き合いがぼちぼち始まった。
ボランティアも成り行きでやった。
本当はボランティアするよりもボランティアされる方が好きだったのだけど・・・
こうして地元の人とも次第に交流が始まった。
それで田舎暮らしを始めた人にもお勧めしたい。
ボランティア活動やサークル活動をすることを。
きっと気の会った人が見つかるだろう。

そして田舎に来て数ヶ月たったある日、町に出かけてふと空を見るととってもきれいな虹が出ていた。
まるで子供がクレヨンで書いたかのような鮮やかな虹が。
その虹を見てたら、本当にこの町に来てよかったんだと思えてきた。
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田舎暮らし断想~郷に入りては

2011年01月18日 18時37分41秒 | 田舎暮らし
田舎暮らしを始める人はたいてい「郷に入りては郷に従え」という言葉を、そういうものだと思いその覚悟をもって来ることだろう。
たしかにそうかも知れないし、そう思って来た。
でも最近はちょっと違うかな?と思うようになった。
いったい田舎の人が都会に行ったとき、そんなことを言われるだろうか?
都会の人はそんな了見の狭いことは言わないよ。
誰でも受け入れてくれる。
猫屋敷や犬屋敷やごみ屋敷は困るけど、そんな人さえ排除するのはとても難しい。
まして田舎の人にとっては都会の人は大切な客なのだ。
米や野菜を買ってくれるから。
もし店の人が客に向かって「うちのやり方に従わない客は来てもらわなくてもいい!」といったら、そんな店すぐにつぶれるよ。
現に田舎はどこもつぶれかかっているじゃないか。
「郷に入りては郷に従え」なんていってる場合じゃないよ。
だれでも歓迎!というのがこれからの田舎の人のとるべき態度だ。

農業をやりたい人も、
田舎暮らしを楽しみたい人も、
ガーデニングを楽しみたい人も、
芸術活動をしたい人も、
アウトドアライフを楽しみたい人も、
隠遁暮らしをして近所付き合いをしたくない人も、
みんな来てほしいと思う。

ただひとつだけでもいいので何か地元とのかかわりがほしい。
ガーデニングが好きな人はみんなに無料で庭を見せてくれるとか・・・
芸術活動をしている人は陶芸教室をしたり地元で展示会やコンサートを開くとか・・・
隠遁暮らしをしている人も町内会費だけは払うとか・・・
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田舎暮らし断想~隠遁者

2011年01月16日 06時51分27秒 | 田舎暮らし
隠遁(いんとん)~とっても心地よい響きだ。
田舎暮らしにあこがれたのも、本当は隠遁生活をしたかったからかもしれない。
粗末な庵で自然を相手に暮らすなんて、想像しただけでもわくわくする。
でも山奥で暮らしている人も一人では暮らしていけなくなって、やっぱり最後にはみんな里に降りてくるものらしい。
そう聞いていたので、集落からあまり離れていない所を探した。

ここは集落の一番端。
裏は山で誰も住んでいない。
でも昔は人が住んでいたらしい。
沢を上っていくと壊れた石臼や、茶碗のかけらが落ちていて、こんなところにも人が住んでたのか・・・とびっくりする。
まわりを木や竹に覆われた日当たりの悪い急斜面の狭い土地に住む・・・それは隠遁生活というような都会人が考えるような柔いものではなく悲しいまでの貧しい暮らしだったのだろう。
そしてみんな山から里に、里から都会にと移っていった。
悲しさだけを残して。

ところで隠遁暮らしの話。
ここに来て隠遁暮らしどころか逆に付き合いがとっても増えた。
都会にいるころは客が来ることも人の家を訪ねることも、ほとんど無かったのに・・・
集落の人との付き合いは、村祭りとか溝掃除とか・・・それなりの付き合いだけど、田舎暮らしの会やヤギの会などの付き合いが増えて、今では隠遁者とはまったくちがった暮らしをしている。
だいいちイベントをする隠遁者なんかいるか?
(我が家では毎月のようにイベントをやっている)
というわけで今では市井の隠遁生活にあこがれている。
都会で小さな家にこもって、たまに赤提灯に行って、おでんにコップ酒。
うんうん、そんな生活も悪くは無い。

ところでまたまた田舎の隠遁生活の話。
近くに田舎暮らしをしているご夫婦がいる。
集落の人との付き合いはほどほどに、
昼間はイングリッシュ・ガーデン風なとってもすばらしい庭つくりを楽しみ、
夜は趣味のヴァイオリンを引いて暮らしている。
こんな生活もいいなと思っている。
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